閑話 宝物だったもの
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ティート村、カルロ視点のお話です。
降りしきる雨が俺の部屋の窓をぱらぱらと叩く。まだ昼だというのに、朝から降り続いている雨は、村全体を仄暗く濡らしていた。
曇った硝子窓から外を眺めると、雨具を被ったアリーチェが家族と話しているのが見えた。先程、下の階での話し合いでアリーチェが奉公に行くことが決定したから、家族と別れの挨拶をしているのだろう。
アリーチェと抱擁を交わしているのはアリーチェの母親だろうか。曇り硝子がそう見せたのか、アリーチェは今にも泣きそうな顔をしていた。
家から人が出てきて、いよいよアリーチェの出発の時間が迫る。アリーチェは母親から身体を離し、自分の荷物を受け取った。
(こっちを見ろ……)
念じる様に窓の外をじっと眺めるが、アリーチェは二階にいる俺のことなど少しも気づく気配はない。それでも俺は、食い入るようにアリーチェの姿を見続けていた。
最後に、アリーチェはとても柔らかい笑顔を家族へ向けると、幌馬車の中へと消えた。
ちりちりと心が焼き付くような焦燥を感じながら、俺は動き出した幌馬車を目で追う。アリーチェを乗せた幌馬車はそのまま村の入口の方へと進み、やがて俺の視界から消えた。
(何でこうなった……)
強い後悔と諦めにも似た苦い感情が、俺の心を苛む。どうしてこうなったかなんて、はっきり自分でも分かっている。雨に濡れる硝子窓を見つめながら、脳裏にはアリーチェの柔らかな笑みが浮かんでいた。
アリーチェと初めて出会ったのは、俺が七歳になってすぐのことだった。
洗礼式を迎えた俺は、意気揚々と礼拝堂の学び教室に通うようになった。勉強が楽しみだったわけではない。既に、家である程度の基礎学習をしていた俺は、他の奴らとは違うことを見せつけたいという、陳腐な理由からだった。
通った初日、おしゃべりしながら勉強している子供達とは異なり、部屋の片隅で黙々と本を読んでいるアリーチェを見つけた。一際小さな姿を不思議に思って周りの奴に聞いたら、まだ洗礼式も迎えていない子供だと言うのだから驚いた。
しかも、少なくとも一年以上前から通っているらしく、随分とずるい奴がいると思ったものだ。洗礼式前から来てもいいなら、俺ももっと前に来たかったのに……。
最初、特別扱いされているアリーチェは気に入らなかった。とはいえ、神官に勉強を教わるわけでもなく、他の奴らと会話することもなく、一人静かに本を読んでいるアリーチェは俺の目には異様に映ったし、少しばかりの興味を持ったのも確かだった。
何度目かの学び教室の時、気が向いた俺はアリーチェに声を掛けた。
「おい」
「…………」
この俺がわざわざ声を掛けたのに、普段話しかけてくる奴がいないのか、それとも鈍いのか、アリーチェは俺に気づくことなく本を読み続けていた。
「おい、お前だよ」
少し声を強めると、ようやく自分のことだと気づいたのか、視線を本から俺へと移した。
きょとんとした顔で、アリーチェは俺を見上げる。ただそれだけなのに、俺はその姿に目を奪われた。
(何で……)
まだ幼さが残るけど、アリーチェは整った顔立ちの愛らしい女の子だった。目を引く可愛らしさはもちろん、何より特筆すべきはその黒い瞳だろう。長い睫毛に縁取られた漆黒の瞳は、不思議な光をたたえていた。
宝石を見たことはないけど、きっとこの瞳みたいにきらきらしていて、とても美しいものなんだろう……。
俺は呆然とした心地で、吸い込まれるようにアリーチェの瞳を見つめていた。
「何か用事?」
アリーチェの言葉に、俺ははっとする。見とれていたことが恥ずかしくて、少しぶっきらぼうに返事をした。
「別に……、一人で何してんだ」
「本を読んでいたよ」
「そんなの見れば分かる。他の奴らと喋ったり、勉強を教えてもらいもせずに、何で一人でいるんだって聞いたんだよ」
「……? 本を読みたくて来ているのに、人と話す必要があるの?」
これが俺とアリーチェの初めての会話だった。この時、アリーチェは軽く首を傾け、あどけない表情で心の底から不思議そうにしていた。
その後、俺は事あるごとにアリーチェに話しかけていたけど、はっきり言ってアリーチェは変わった奴だった。まず、本と家族以外の関心が希薄だ。話しかければ返事はするものの、俺に少しも興味を向けていないのが丸わかりだった。
俺以外に話しかけるやつがいないのは、アリーチェが本を読んでいる時の近寄りがたい雰囲気に気圧されるのと、話しかけてもあまりにも反応が薄くて心が折れるのが原因だろう。まあ、俺としては好都合だった。
最初は、意味もわからずにただ本を見ているだけかと思っていたけど、アリーチェはちゃんと内容を理解していたし、幼いのに凄い集中力でずっと本を読んでいた。伏せ目がちに真剣に文字を追う横顔も良いけど、話し掛けられたアリーチェが静かな眼差しを俺に向けるのが好きだった。
正直、アリーチェの魅力は俺だけが知っていれば良いと思っていたし、その頃のアリーチェは俺にとっての密かな宝物だった。
俺の宝物が俺だけのものじゃなくなったのは、それから少し経った頃のことだった。何の前触れもなく、ある日突然、アリーチェが変わった。
今まで周りの奴らに興味一つ示さなかったし、俺が話しかけても気もそぞろだったのに、アリーチェ自らが他の奴に声を掛けるようになった。まるで人が変わったように、アリーチェは周りに興味を向けはじめた。
ずっと一人でいたアリーチェの周りには、一人また一人と人が増えていった。
(俺だけの宝物だったのに……)
俺が最初に見つけたのに、気がついたら宝物は消えていた。アリーチェは俺にとって特別だったのに、アリーチェにとって俺は何でもなく、ただの大勢の中の一人に過ぎなかった。そんな現状、俺には到底許せるはずもなかった。
それからの事はあまり思い出したくない。本当に酷いことをしてしまったと、今でもずっと後悔している。
アリーチェが周りに興味を持つようになってから、俺のアリーチェに対する態度はだんだんと酷くなっていった。他の奴と話しているところに無理やり割って入ったり、他の奴と会話しようとするのを邪魔したりした。俺と話して欲しくて、読んでいる本を取り上げたこともあった。
そんな俺の態度を見て注意してくる奴もいたけど、村長の息子である俺が強気で言い返すと、大抵は何も言わなくなった。
アリーチェが森に出入りするようになってからは、学び教室ではなく森でアリーチェに構うようになった。礼拝堂の学び教室と違って大人の目がなくなったということもあり、余計に酷くなっていったと思う。
後をつけ回したり、強引に遊びに誘ったり、意地悪を言ったり……。この頃はアリーチェに避けられていたから、ムキになって強引にするあまり、アリーチェを突き飛ばして川に落としてしまった事もある。
大馬鹿者の俺は、自分の行動がどれ程アリーチェを傷つけていたか、少しも想像できていなかった。言い訳をすると、前のように静かな眼差しで俺だけを見て欲しいという、ただその一心だった。
自分の過ちに気付いたのは、アリーチェが涙を零した時だった。それまで文句一つ、涙一つ見せていなかったアリーチェの涙を見て、ようやく取り返しのつかないことをしたのだと気が付いた。なんで、こんな簡単なことに気付けなかったんだと、胸が潰れるほど後悔した……。
その後、謝罪したことでアリーチェから許しをもらえたけど、俺自身、アリーチェにどう接したら良いのか分からなくなった。
もちろん、嫌がられるようなことは止めたけど、話しかけても素直な言葉が出ずに、いつもひねくれた様な物言いになってしまった。
結局、それはずっと治ることなく、アリーチェと俺との間に一線が引かれたまま、距離は縮まらずに今日まで来た……。
雨に濡れる曇り硝子に、俺の苦々しい表情が映る。アリーチェの奉公の話を聞いた時、本当は奉公なんか行かずに俺の妻になって欲しいと言いたかった。でも、その想いを伝えることができないまま、アリーチェの奉公は決まってしまった。
もし伝えられていたとしても、きっとアリーチェは首を縦に振らなかっただろう。アリーチェが変わった時、俺が変な独占欲を悪化させずにアリーチェと友人関係を築けていたら、何かが変わっていたのだろうか……。
俺は振り返って部屋に置かれた机へと移動し、その上にぽつんと置かれた白角のペンダントを見下ろす。
(結局、ペンダント一つ渡せなかったな……)
あいつのお守りにと心を込めて彫ったのに、贈り物だというその一言が言えなかった。本当に、自業自得と言うより他はない。俺がアリーチェにしたことの報いなんだろう……。
俺は白角のペンダントを手に取り、そのまま自分の首にかけてぎゅっと握る。
アリーチェが夢を叶えて村に帰ってきた時には、せめてちゃんと素直におかえりと言おう。手の中の白角を握りしめながら、もう少しマシな人間になれるよう努力しようと、強く誓った。
この半月後、カルロは戻ってきた仲介者からアリーチェが渓谷へ落ちて亡くなったことを聞きます。
カルロは言葉が何一つ出ず、深い絶望を味わいました。
補足ですが、アリーチェが周りに興味を向けだしたのは、【30. 早咲きの新芽】の母親との会話が切っ掛けです。




