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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第四章 州都への旅路

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49. その手に掴むは……

 空中に身を躍らせた魔狼が、ゆっくりとロッコさん目がけて落ちてくる。

 私は反射的に視界に入っていた小さな木箱を掴み、魔狼に向かって投げつけた。


 ――ガシャン


 魔狼に当たった衝撃で木箱が壊れ、木箱の中身が四散する。幌馬車の右側に身体を寄せた際に目にした木箱を反射的に投げたのだけれど、木箱の中身は油の入った小瓶だった。

 小瓶の中に入っていた油と木箱の破片を撒き散らしながら魔狼が落下していく。

 私が木箱を投げつけなければ、落ちたのは魔狼ではなく、ロッコさんだったかもしれない……。


 魔狼の出鼻を挫くことに成功した私たちは、そのまま魔狼たちの横を走り抜ける。そして、壊れるのではないかという程の大きな軋みを上げ、車体を右に傾けながら幌馬車は何とか右に曲がりきった。

 とはいえ、危機が去ったわけではない。魔狼の初撃は防げたけれど、当然のように幌馬車を追いかけて魔狼たちが走ってくるのが見えた。

 ロバと魔狼を比べると、速度は魔狼の方が早い。しかも幌馬車を引いているため、じわじわと魔狼たちとの距離が縮まっていく。


「ジルダ! 護身用の短剣を出すんだ!」


 ロッコさんの言葉に反応して、慌ててジルダさんが短剣を取り出すけれど、鞘から抜いた剣先は小刻みに震えていた。その震えは痛いほど分かる。

 魔狼に追い立てられている恐怖が、今更ながらに足元から這い上がり、私の全身を震わせる。歯の根が噛み合わず、カチカチと小刻みに音を立てていた。


(私も……何か……)


 荒い息遣いの中、恐怖で凍りつきそうになる思考を叱咤しながら幌馬車の中を見回すけれど、震える身体は思うように動いてくれない。

 そうこうしている間にも魔狼が追いつき、一匹の魔狼が幌馬車の後ろに前足をかけてギラギラと光る獰猛な目で私達を射抜いた。

 リオが泣き声のような悲鳴を上げ、荷物に寄り縋るのを視界に入れたその瞬間、私はさっきまでの震えが嘘のように素早くモップに駆け寄った。ジルダさんは抜いた剣を振り下ろし、馬車に乗り込もうとしていた魔狼を落とす。

 しかし、すぐに別の魔狼が一匹、また一匹と前足をかけた。再びジルダさんが剣を振ったが、今度は魔狼に剣先を咥えられ押し合いになる。そうしているうちに更に一匹が顔を突き出し、乗り込もうと馬車に爪を立てた。


(解けた!)


 紐を解き、緩んだ束の中からモップを一本引き抜くと、私は乗り込もうとしている魔狼の眉間めがけて力いっぱい打ち下ろした。


 ――キャイン


 もう一撃、剣先を咥えた魔狼の横顔を強く突くと、二匹がもみ合うように落ちていく。走る魔狼たちはその二匹を軽々と避けると、入れ替わるように別の魔狼がすぐさま乗り込もうとしていた。


(怖い……怖い……)


 歯を食いしばり、私は涙目になりながら必死にモップを振り回す。打ち払っても、すぐに次の魔狼が幌馬車に爪をかける。中に乗り込まれてしまえば、その鋭い爪と牙が簡単に私達を引き裂くだろう。

 モップの先を噛みつかれて、そのまま口の中に押し込んで、別のモップに持ち替えて撃退して……、一瞬一瞬を無我夢中で繰り返す。少しも気を抜けない緊張の中、「くそっ、こっちにも!」と焦ったロッコさんの声が聞こえた。


(しまった、前に……)


「私、前に行きます!」


 ジルダさんにそう言って私は前に急ぐ。私が御者台に足をかけると、直接ロバを狙った魔狼が今にもロバに噛みつかんばかりに接近していた。

 魔狼の後ろ足をモップで思い切り叩くと、均整を崩した魔狼はあっという間に視界から消えていく。


「ロッコさん、これを」


 再び魔狼がロバを狙っても撃退できるように持っていたモップを差し出すと、ロッコさんははっと驚いた表情をして、モップを受け取る代わりに腰に下げたポーチから小さな麻袋を私に渡した。


「気休めかもしれんが、それを使ってくれ。中身は魔術具だ。紐を引っ張って投げるだけでいい」

「分かりました!」


 急いで戻ろうと私が振り返ると、ジルダさんが一匹の魔狼相手に押し込まれ、腕から血を流しているのが見えた。私はすぐさま荷物の上にあった木箱――ロッコさんに襲いかかった魔狼に投げたものと同じ木箱を掴むと、ジルダさんを襲っている魔狼に向かって投げつける。

 バリンッと木箱が割れた音と共に魔狼がもんどりうって落ち、乗り込もうとしていた別のもう一匹も油を浴びて、つられて落ちていった。


(……今!)


 撒き散った油で、僅かに魔狼の足並みが乱れた瞬間、私は麻袋の中から筒状の魔術具を取り出すと、お願い……と必死に縋るように握りしめ、紐を引っ張って魔狼の群れに向かってそれを投げた。


 群れの中からピカッと眩い光が漏れた瞬間――


 ――ドオォン


 激しい音と共に強風が吹き抜け、幌馬車の幌をバサバサとはためかせる。強い風に押された私は、たたらを踏んで崩れるように幌馬車の床にへたり込んだ。


「ロッコさん……、全然気休めじゃないじゃないですか……」


 私はもうもうと上がる土煙を眺めながら、掠れた声で呟きを漏らした。あれ程の威力があるなら、さっきジルダさんを襲ってた魔狼に魔術具をぶつけなくて本当に良かったと、呆然とした頭で考える。

 起きていたかもしれない惨劇に背筋を凍らせながら、魔術具が爆発した場所に視線を向ける。

 光と爆音で視覚と聴覚を奪われた魔狼たちは足を止め、黒煙を上げる魔狼は、おそらく先ほど油を浴びた二匹だろうか……。少しくぼんだ地面と土埃、どんどんと遠ざかる魔狼の群れを視界に映しながら、あの様子では流石にこれ以上は追ってこないだろうと、ぼんやりとそれを眺めた。



「母さん、母さん!」


 リオが泣きながらジルダさんの側に駆け寄る様子を見て、ようやく助かったのだと実感する。


(あぁ……、本当に助かったんだ……)


 突然の事に、どこかに吹き飛んでいた感覚がじわじわと戻って来る。一歩違えば死んでいた恐怖と、本当に皆無事で良かったという安堵、いろいろな感情がないまぜになって、気がつくと瞳から涙が溢れ落ちていた。


(安心するのはまだ早い。ジルダさんの傷を確認しなければ……)


 私は気持ちを切り替えるように涙を袖で乱暴に拭うと、膝立ちのままジルダさんとリオの所へと近づいた。

 強い血の匂いに緊張しながら、傷を押さえる手をどけてもらい傷の様子を確認する。幌馬車の中が薄暗くなっていて傷の詳細は見えないけれど、新しい血が多く流れていないのを見る限り、深い傷ではないようだ。

 ジルダさんは疲労困憊ではあるものの、意識ははっきりしていて、普通に会話できている。傷の場所も肩近くの腕の為、すぐに命に関わる状況ではない事に、私はほっと胸を撫で下ろす。


「おい、皆無事か!?」


 ロッコさんが、ちらちらと後ろを振り返りながら大声を上げた。幌馬車はまだ走り続けているので、こちらに来ることも、前方から完全に目を離すこともできずに、やきもきと心配していたのだろう。


「ジルダさんが怪我をしましたが、命に別状はなさそうです」


 ロッコさんに返事をしながら立ち上がろうとすると、私のスカートがくんっと引っ張られた。その先を見ると、くしゃくしゃの泣き顔で私を見上げるリオの姿があった。

 突然、魔狼に襲われて怖い思いをし、その上母親が傷を負ってしまったらこんな風に混乱してしまうのも当然だよね……。私は、言葉にならない声で必死に何かを訴えようとしているリオの背中に手を回し、優しくぽんぽんと叩いてあげる。


「ジルダさんは大丈夫だよ。怖かったのに、じっと耐えてて偉かったね」


 私の腕の中、リオは身体を震わせて火がついたように泣き出した。落ち着かせるようにそのまま何回か背を叩きながら、「ロッコさんを呼んでくるね」と言うと、今度こそ立ち上がって前に向かった。

 私も多少の応急処置は知っているけれど、この場は私が手当するよりもロッコさんがした方が、ジルダさんもリオも安心するだろう。


「ジルダの様子は?」


 御者台に近づくなり、心配そうな顔をしたロッコさんにすぐさま尋ねられる。


「傷は深くなさそうですが、早く手当てしたほうがいいと思います。一時的で良ければ、私が手綱を握りましょうか? 傷の手当ては私よりロッコさんの方が手慣れているでしょうし……」

「ああ、済まないが頼む。この先は平坦な道が続くから、手綱を引いて止める以外はロバに任せて大丈夫だ。何かあれば声を上げて呼んでくれ」

「分かりました」


 私に手綱を渡すと、ロッコさんは荷物の中から傷の手当て用の袋を出して、急いでジルダさんの元へと向かった。

 後ろから皆の無事を喜び合う家族の会話が聞こえてきて、私は胸がじんとなる。幸運を拾い上げられたことに、心の中で森の女神に感謝しながら、私は手綱を強く握りしめて一路村を目指した。


かなりギリギリの綱渡りでした。

極限の状態でアリーチェがその手に掴んだものは、モップと幸運でした。

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― 新着の感想 ―
[一言] アリーチェ危機一髪って感じでしたね。 無事に目的地に行けるといいけど、先に柵の事報告しないと周辺の人が危なそうよね。
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