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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第一章 ティート村

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4. 姉の失踪

 葡萄が芽吹く季節になった。梢の成長とともに、私が葡萄畑を手伝う時間も右肩上がりに増えていく。手伝いの合間を見つけては森や礼拝堂に通う慌ただしい日々を過ごすうちに、季節はあっという間に春から夏へと変わった。

 春の半ばに出現した角ウサギははぐれ者だったのか、あれ以降、魔獣が浅い森に迷い込むこともない。生い茂った木々は、夏を迎えた森を青々と見せていた。


 そんな夏の初月の第二週目、朝に目覚めた私は強い違和感に襲われていた。


(姉さんが……いない?)


 隣で寝ているはずの姉の姿がない。シーツに僅かな温もりすら残っていないことから、奇跡的に姉が早起きしたという可能性を除外した。となると残るは……


「やっぱり、朝帰りだよね……」


 幾度となく夜に抜け出したとしても、朝にはちゃんと戻ってきていた。私が起きる時間までに帰ってこなかったことは一度もなかったのに、ここにきての朝帰りとは……。

 朝から気が重い事態に直面してしまったけど、現実から目を逸らすわけにもいかない。気鬱になる心を叱咤して、ひとまず母に相談しようと服を着て階下に降りる。



(せめて父さんが起きてくるまでに帰ってきてくれたら、なんとか誤魔化せるだろうか……)


 そんな風に考えながら、いつもの朝の準備に取り掛かった私は、テーブルの上に置かれた一枚の木札を見つけた。嫌な予感に襲われながら、無造作に置かれたそれを手に取った私は、ギクリと体を強張らせた。


『ごめんなさい、村を出ます。ルフィナ』


 木札には、たった一言と共に姉の名前が書かれていた。私はその時まで、ただ帰ってくるのが遅れているだけだと思っていた。まさか、姉が自らの意志で帰ってこない可能性があるなんて、考えもしなかった。一体私はどうしたら……。

 私が木札を手にオロオロしていると、物音がして母が台所に顔を出す。


「おはよう、アリーチェ。どうかしたの?」

「母さんっ!」


 何もせずに立ち尽くす私を、母は不思議そうに眺める。私は慌てて母に駆け寄ると、手の中の木札を差し出した。最初こそ不思議そうに木札を見るだけだったけれど、部屋に姉が居ないことを伝えると、母の顔色が見る見る悪くなっていく。


「ルフィナの荷物は?」

「まだ見てない」


 「確認しましょう」と部屋に向かった母と共に確認すると、姉の荷物が入った木箱は、少しの衣類を残してほぼ空っぽだった。これは疑いようもない。姉ルフィナは家を出たのだ……。


 母と手分けして父と兄弟を起こし、皆で食卓へ着く。いつもの姉の席は空席だ。

 話をするにしても、まずはお腹に何か入れましょう、と言う母の提案により、朝食を無言で食べる。

 昨日のルフィナ姉さんの様子はどうだったろうか? 別に物思いに沈んでいることもなかったし、普段とそんなに変わらなかったと思う。ただ、いつもより優しかったような気がする……。

 私が気付いていない所で、何かに悩んでいたのだろうか。今はもう、姉が何を考えていたのかは分からない。

 皆が沈黙でご飯を食べ終わった後は、姉が居なくなった経緯について父に質問された。


「アリーチェは、ルフィナが夜に抜け出していたのを知っていたんだな」

「黙っていてごめんなさい。私がちゃんと父さんに伝えていれば、姉さんは黙って出ていったりしなかったのかな……」

「ルフィナのことだ、俺に怒られて一時は大人しくなったとしても、結果が変わったかは疑わしい」


 難しい顔で腕を組んだ父に、サント兄さんが質問する。


「父さん、ルフィナの奉公の話はどうするんだ? 支度金も受け取っているのに……」

「支度金を全額返して断るしかないだろうな」


 そうなのだ、姉は一カ月後に家を出て奉公先へ行く予定になっていた。姉が家を出た事に気づいて、私が最初に心配したのは奉公先の事だった。

 支度金は既に手を付けているから、使った分のお金を工面しなければいけない。そのお金は用意できるのだろうかと、話を聞きながら心配していると、多少の蓄えはあるから大丈夫だと父が答えた。

 奉公先については何とかなりそうだということが分かってホッとした表情を見せた兄は、今度は私に視線を向けた。


「アリーチェ、ルフィナは駆け落ちした可能性が高いが、相手は誰か分かるか?」


 村を出たと言っても、ルフィナ姉さん一人でとは考えにくい。であれば、考えられるのは駆け落ちの可能性だろう。けれど、姉の恋人が誰かは私も知らなかった。


「ごめんなさい、相手は分からないの……」

「そうか」


 私の言葉に家族の誰もが難しい顔をする。姉は異性にモテた。だからというわけではないけれど、恋人の入れ替わりはそれなりにあったのだよね……。きっと飽きやすい性格が影響していたのだろう。

 一応、二股などはなかったはずだけれど、他の年頃の女性から嫉妬されて……という話はちょくちょく聞いていた。

 私が認識している恋人もいたけれど、今回の相手は家族に隠れて会っていた人なので、私も誰かは把握していなかった。


(……隠れて会う?)


 ふと浮かんだ考えに、どくりと心臓が跳ねる。夜に抜け出して隠れて会っていた恋人は、今まで他にもいた。だから、今回も特に気にしていなかったのだけれど、わざわざ駆け落ちするということは、厄介な相手だったり……しないよね?


「おそらく、相手の家でも息子が消えたということで騒ぎになっているだろう。自ずと相手は分かるはずだ」


 父の一言にはっとする。確かに、今私たちがそうしているように、息子がいなくなったと慌てている家族がいるはずだ。もしかして村の広場に行けば何か分かるかもしれないと考えた所で、突然ドンドンと外から扉が叩かれた。


「!」


 弾かれたように家族全員の視線が扉に集まる中、大きなダミ声が響いた。


「おいっ! パオロ、いるんだろう!」


 パオロは父の名前だ。父が立ち上がって扉を開けに行くと、見知った男性が扉の外から勢いよく顔を覗かせて、部屋の中をぐるりと見回した。

 あれは、ベッロさん? ベッロさんはこの村で一番大きな葡萄畑を所有している大作人だ。その葡萄畑は広く、家族だけでなく労働者を雇って葡萄を育てているほどである。

 この村の葡萄の卸しを取り仕切っている人でもあり、葡萄農家が近隣のワイン工房に葡萄を卸す時も、ベッロさんの指示の元で葡萄を運んだりしているほどだ。


「ルフィナはどこだ? やはり村を出たのか?」


 尖った視線や苛立ちを含んだ声色から、姉の駆け落ちの相手がベッロさんの息子だとすぐに分かった。


(ルフィナ姉さん、よりによって……)


「家の外で騒ぐな、話なら中で聞く」


 大きく開いた扉から、顔に怒りを張り付けたベッロさんが入ってきて、近くにあった椅子に乱暴に座る。ベッロさんは恰幅が良いこともあり、椅子が不満を訴えるようにギシリと鳴った。

 「あなた達は二階に上がってなさい」と母に急かされ、私とフィンはしぶしぶ階段を上がった。確かに、子供の前でする話ではないのは分かるけれど……。

 二階に上がった私は、そのまま素直に部屋には入らずに、当然のように下からは見えない位置に陣取った。もちろん私の隣にはフィンも一緒だ。

 息を抑えて階下の音に耳を傾ける私たちに、ベッロさんの尖った声が聞こえてきた。


「息子のコルラードが、『ルフィナとともに村を出る』と書き置きを残していなくなった。一体どういうことだ!」

「娘がいなくなって驚いているのはこちらも同じだ。そもそもコルラードと駆け落ちするような仲だったことさえ、今初めて知った。どういうことなのか聞きたいのはこちらの方だ」

「おまえの娘のことだろう!」


 バンッとテーブルを叩いたような大きな音に、私とフィンがビクリと体を揺らす。

 しんと静まり返った階下から、父のため息をつく音が聞こえてきた。


「それを言うなら、おまえも何も知らなかったのか? おまえの息子のことだろう」

「……ルフィナとの仲など、こちらも寝耳に水の話だ! どうせ、ルフィナがうちの息子を誑かしたに決まっている!」


 父の呆れ混じりの返事に、ベッロさんの吐き出すような罵倒が飛んでくる。

 確かに、姉は自由で、周りに愛嬌を振りまく人だったけれど、二人合意の上で駆け落ちしたなら、責任は二人ともにあるはずだ。まるで姉だけが悪いかのような物言いに、納得のいかない憤りが胸をチリチリと焦がす。


「当事者がいない場で、一方的に決めつけるのは止めてくれ」

「ルフィナはともかく、コルラードには婚約者が決まった所だったんだぞ!」

「その理由では根拠にならん。それを言うなら、うちのルフィナも奉公に行くことが決まっていたんだぞ」


 その言葉を聞いて、私はハッとした。そうだ、姉の相手がコルラードさんだと分かったときになぜ気付かなかったのだろう。コルラードさんはつい最近婚約が整ったばかりだ。しかも相手はカルロの姉、つまり村長の娘だ。

 ある意味、コルラードさんの婚約が意志に反したものだったから、駆け落ちに繋がったということなのだろうか……。

 コルラードさんが姉と駆け落ちしたということは、想い合った末の婚約ではなく、家同士の婚約。それも村長の家と村一番の大作人の家となれば、今回の駆け落ちの影響がどんな所に出るのか想像もできない。嫌な胸騒ぎがざわりと広がった。


 私の焦りをよそに、父とベッロさんの会話は続く。ここで問答していても事態は改善しないと結論に達したようで、姉さん達の行方についての話に変わっていく。

 

「念を押すが、本当に何処へ行くとも言ってなかったんだな?」

「何も聞いていない。唯一あった書き置きにも村を出るとしか書いていなかった」

「分かった、今はひとまず引こう。近隣に知らせを走らせて二人を探させるが、構わんな?」

「ああ。二人は徒歩なのか?」

「いや、うちのロバを一頭連れ出してる」

「そうか……」


 ベッロさんが重々しい声で言うと、最後に父と二言ほど言葉を交わして帰っていった。

 姉さん達が出立したのはおそらく夜半過ぎ、これだけ時間がたっていれば、ロバ連れなら十分に距離を稼いでいることだろう。今からでは間に合わない可能性の方が高いかもしれない、と私は心の中で予想を立てた。


 最初、姉が家を出た理由がよく分からなかった。姉は昔から嫌なことは嫌だと言う性格だったから、奉公するのが嫌ならはっきりと自己主張して、支度金を返すという選択肢を選んだはずだ。

 でも、姉が選んだのは駆け落ち。奉公の話は白紙に戻せても、コルラードの婚約話は白紙に戻せないから、駆け落ちの道を選んだのだろうか……。

 ルフィナ姉さんの行動は決して褒められた物ではないけれど、駆け落ちしてまで一緒になりたいと望んだのであれば、妹としては姉を応援してあげたい……かな。


「正直なところ、かなりの迷惑行動だけど、いくら姉さんでも、その場の勢いや考えなしで駆け落ちはしないだろうから、それほど本気だったということだよね……」

「アリー姉ちゃん、ブツブツ言ってどうしたの?」


 この先、村の中で生活していく我が家のことを考えると、楽観的にはなれない気持ちも正直ある。だから、半ば自分を納得させていたのだけれど、どうやら思考が口に出ていたみたい。隣のフィンが訝しげな顔で私を見た。

 

「ん……、ちょっとね」

「あっ、ルフィナ姉ちゃんの相手がコルラードさんなのが、意外だったんだろ?」


 ベッロさんが帰って少し気が抜けたのか、小声で問いかけながらフィンは悪戯っぽい顔で笑った。


「そうね、ちょっと意外だった」

「ルフィナ姉ちゃん、面食いだったもんな」


 こう言っては失礼だけど、今まで私が知っている姉の恋人経歴からすると、コルラードさんは毛色が違うのだよね。

 コルラードさんは、欲が強そうな顔をしているベッロさんと違い、真面目そうな顔をしている。そう言えば聞こえは良いけれど、ただそれだけ。実際、彼の性格は誠実そうだったけれど、今までの姉の好みからは外れていたと思う。


「だからこそ、それだけ本気ってことじゃないかな?」


 私は立ち上がりながら、遠くに旅立った姉さん達の姿を思い浮かべてそう言った。

 「そういうもんなのかな……」と呟きながら、フィンも同じ様に立ち上がる。熱しやすく冷めやすいルフィナ姉さんの性格を知っているから、フィンは腑に落ちないという顔で階段を降りていく。

 フィンの後ろをついて降りながら、フィンと同じく恋を知らない私は、本当の意味では姉の行動を理解できないのだろうと、そう思った。


姉の突然の駆け落ち。

これによって、アリーチェに大きな変化が訪れることになります。

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