46. 幌馬車の旅2
レンデの町に到着した幌馬車は、そのまま町の中へと入り宿屋の前で止まった。そしてロッコさんが一人幌馬車から下りると、部屋の空き具合を宿屋に確認しに行った。
少しして宿屋からロッコさんが出てくると、無事に部屋が取れた旨を私たちに伝え、ロバの手綱を引いて宿屋の横にある庭へと幌馬車を移動させた。
そして、皆で幌馬車の中の荷物を下ろし、庭にある倉庫の一室へと運び入れる。宿屋の庭は柵で囲われているとはいえ、ちゃんとした防犯があるわけではないので、積み荷は借りた倉庫に預けるのが一般的だ。
荷物を全て倉庫に入れ終わり、二頭のロバを厩舎に入れると、私達は手荷物を持って宿屋へと移動した。
「これがアリーチェの部屋の鍵、今日は一人部屋だぞ」
「ありがとうございます」
宿屋の二階に上がり、今日泊まる部屋を確認したロッコさんが、私に数字が刻まれた鉄製の鍵を渡した。確認した部屋は二つだったので、今日は二人部屋と一人部屋が一つずつ取れたみたい。
昨日はあいにくと二人部屋が一つしか空いていなかったため、追加で寝具を部屋に入れてもらって、部屋を四人で使用していたのだ。
一応、旅を始めた時に、宿が満室だった場合は一部屋を皆で使ったり、万一の場合は幌馬車で野営する場合もあることをロッコさんから伝えられていた。その為、一部屋を四人で使うことにも不平はなかったけれど、休息を取るという意味では一人部屋に泊まれるならその方が良いものね。
(今日はゆっくり休めそうかな……)
ちなみに、州都までの道中にかかる経費――宿泊費や食事代は全てロッコさんが出してくれることになっている。私を送り届ける報酬として受け取る代金にそれらも含まれているため、私が宿代や食費を気にする必要はない。お金の心配をしなくていいのは助かるね。
私の移動費にどれだけの報酬が払われているのかは、聞くのが怖いので聞いていない。おそらく、少なくない額なのは確かだろう……。
「アリーチェはこの後どうする? 俺は商業ギルドの方に顔を出す予定だが、部屋にいるか?」
「そうですね……、特にすることはないのでリオの手伝いでもしようかと思います」
ロッコさんの後ろからリオが顔を出し、「アリーチェ、今日も手伝ってくれるの?」と笑顔を浮かべた。
リオのお手伝いとは、リオに任されているロバの世話の手伝いのことだ。昨日は暇だったからということもあってリオを手伝っていたのだけれど、今日は手紙の件をロッコさんにお願いするという打算のもとでの点数稼ぎという意味も含まれていた。
喜ぶリオの隣で、ジルダさんが頬に手を当てて申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「本当にお願いしてもいいの?」
「手が空いているのでお手伝いしますよ」
「ありがとう、助かるわ。それならお願いするわね。アリーチェが一緒にお世話してくれるなら、私は食料の買い出しに行ってこようかしら」
「はい、任せてください」
旅をしている以上、町に立ち寄った際の食料の買い出しは大事なことである。
昨日、私が手伝った時は、私とリオとジルダさんで世話をして、それが終わった後にジルダさんは買い出しに行っていた。今日は今から行くということだから、私とリオの二人に任せても大丈夫だと判断されたということだね。
私が割り振られた部屋に入り、肩がけのカバンを置くと再び廊下に出てリオと合流する。ロッコさんから注意を受けていることもあり、貴重品が入ったポシェットは携帯したままである。
宿屋の階下に降りてロッコさんとジルダさんを見送った後、私とリオは宿屋の従業員に使っても良い水場や道具の場所を教えてもらい、飼い葉を受け取って厩舎に向かう。ロバは私達を待ちわびていたのか、水と飼い葉を与えると凄い勢いで桶に顔を突っ込んでいた。
ロバの食事が一段落ついた頃を見計らって、リオと分担してブラッシングを行い、軽く掃除をした後は綺麗な藁を入れて寝床を作ってあげればお世話は完了だ。
後片付けをしていると、リオが話しかけてきた。
「昨日も思ったけど、アリーチェは手際がいいね。家でロバは飼っていなかったんだよね?」
「家では飼っていなかったけど、友達の手伝いで馬やロバの世話をしたことがあったからね」
ティート村にいた時、友人のピエラの手伝いをしている際に、宿泊者から馬やロバの世話をお願いされることがあったので、ロバの世話は経験済みだ。とはいえ、そういう機会があったのは二回だけで、炭焼き職人のドンテさんとメルクリオの街を目指した旅の時に追加で少しお世話しただけなので、実際にこなした回数は少ない。
せっかく手際がいいと褒めてもらっているのだから、わざわざ経験が多くないことを説明する必要もないよね。
「リオも、普段からお世話しているだけあって、ロバも懐いているね」
「えへへ、前はお手伝いだけだったんだけど、最近少しずつ任せてもらえるようになったんだ」
洗礼式を機に行商に連れて行ってもらえるようになったと言っていたから、ロバのお世話も同じような感じなのだろう。リオ本人もそれを感じているのか、早く色んなことを覚えたいとやる気満々の様子だった。
「ロッコさんの後を継いで、リオも行商人になるの?」
「勿論そのつもりだよ。店を持ちたいっていう父さんの夢を一緒に叶えるんだ」
「それは素敵な夢だね」
リオは恥ずかしそうに頬を指でかきながら、「そのためにも、早く大きくなりたいな」と呟いた。
私も昔は、早く大きくなって色んな知識を知っていてもおかしくない年齢になりたいと思っていたから、早く大きくなりたいというリオの気持ちはよく分かる。
とはいえ、早く大きくなったとしても中身が伴っていなければ結局意味はないのだけれど、リオにとっては、大きい=凄いことが出来るという印象があるのだろう。
「早く大きくなりたい気持ちも分かるけど、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
「でも……」
「大事なのは単に身体が大きくなることではなく、大きくなった時に何が出来るようになっているかだから、焦らずリオの速さで成長したら良いと思うよ」
「そっか……うん……そうするよ!」
リオが顔をぱっと明るくして笑顔を浮かべる。気持ち的に憑き物が落ちたのか、浮かべる笑顔はいい感じで肩の力が抜けていた。
「焦らずゆっくり色んなことを学んで、夢を叶えられると良いね」
「うんっ! アリーチェも故郷に戻れると良いね」
私とリオは、「互いに頑張ろうね」と話ながら、使った道具を手に宿屋の中へと戻っていった。
ロッコさんとジルダさんが用事から戻ってきて、宿屋の食堂で皆で夕食を囲んだ。明日以降の予定や、ジルダさんが市場で見てきた食べ物の話、州都で売るために買い足した商品の話など、他愛もない会話をしながら夕食を終えると、私達は部屋に戻るために立ち上がった。
戻る途中、私は宿屋の従業員に声をかけて桶に一杯分の水を貰って部屋へと戻る。そして、扉にしっかりと鍵をかけた後、私は着ている服を脱ぎ、桶の水で濡らした布で身体を拭いていく。
「冷た……」
桶の水は冷たく、思わず声が口から漏れる。しんとした冷気が肌に染み込み、身を引き締めていく。
メルクリオの街を出発する前夜に身体をしっかりと拭いたし、汗をかく時期ではないから急いで身体を拭く必要はないのだけれど、次に宿に泊まる時に一人部屋とは限らないから、拭ける時に拭いておかないとね。
拭き終わったらすぐに服を着込み、冷えた身体を温める。追加でカバンの中から出したコートを羽織ってベッドに座ると、布団の中身の藁がカサリと音を立てた。
「そろそろ、本格的に寒くなりそうだね……」
静かな部屋の中に、私の呟いた声が小さく響く。初めて過ごす故郷以外の冬がどのようなものなのか、どんな風に過ごすことになるのか楽しみでもあるけれど、少し不安でもある。
ティート村は、温暖な火の州にありながらも山間にある村のため、冬はそれなりに寒かった。雪が降ることもあったし、皆で一つの部屋に集まって暖炉を囲んだりもしていた。
州都では雪が降ることもあると聞いているから、州都の冬はティート村の冬に近いのかもしれないね。
「今年は温かな冬を過ごせるといいな……」
それなりに裕福な商家なら、きっと暖房用の薪や炭を惜しむということもないだろう。使用人がどれほどの恩恵を受けられるかは分からないけど、故郷の冬より寒いということがないことを願いたいね。
ふと、さっきから無意識に独り言を呟いている自分に気付いて、くすりと困惑な笑みをこぼした。
扉一つを挟んだ廊下や、隣の部屋からは物音や賑やかな声が聞こえてくるため、今いる場所は決して静かな環境とは言えない。でも外が賑やかだからこそ、独り言でも呟いていなければ、部屋の中の静けさが際立つのだろう。
「こんな風に一人で過ごすのはいつぶりだろう……」
強い風が吹いたのか、窓がカタカタと音を立てる。隙間風が入ってロウソクの炎が大きく揺らし、壁に映った私の影も揺れた。
孤児院では共同部屋だったから一人で過ごすことはなかったし、昨日はロッコさん一家と過ごしていた。思い返せば、メルクリオの街で宿屋に泊まった以来だね。
今更、独り寝が怖いとは言わないけれど、ひんやりとした部屋の空気と静寂さにつられたのか、心に寂しさが染み入ってくるようだった。
「本当に今更だね」
それ以前にも、一人で夜を過ごすことは普通にあった。ドンテさんの所では一人で寝ていたし、故郷でも姉が駆け落ちしてからずっと一人だったから大丈夫。
「ふう……」
私はゆっくり深呼吸をすると、寂しさを振り払うように勢いよくベッドから立ち上がる。そして、窓際まで歩いて行くとガラス越しに夜空を見上げた。メルクリオの街で一人宿屋に泊まった時と違って、今日の星は薄曇りの影に覆われている。
「明日は天気が崩れるかもしれないね」
私は、気持ちを切り替えるように努めて明るく言葉にすると、両手を組んで夜空を仰ぎ見た。
「州都までの旅が平穏無事でありますように……」
ロバのブラッシングの際、ロバの背中に手が届かないため、リオはこっそり踏み台を使っています。
アリーチェは気づきましたが、そっと気付かないふりをしていました。




