43. 三度目の旅立ち
朝の早い時間、メルクリオの街に鳴り響く鐘の音で目を覚ますと、同じ様に起き出したシエナやアガタと挨拶を交わし、自分の寝ていたベッドを整える。まだ寝ている年少組の子達を起こさないようにして、孤児院の裏手にある井戸へ行って顔を洗った。もう冬が目前に迫る晩秋の井戸の水は冷たい。
同じく顔を洗いに来たフレド達とも挨拶を交わし、雑談しながら井戸の水を台所へと運び、朝食の準備をする。
いつもと同じ風景。ルッツィ孤児院に来てから今日まで変わらない朝の日常だ。一つ変わることがあるとしたら、明日私はこの日常の中にいないということだろう。
誰もがその事を分かっているけれど、誰も何も言わずに、あえて、いつもと変わらない光景を繰り返す。
皆で朝食を取り、後片付けと軽い掃除をしたら、外へ出る人は各自出かける準備に取り掛かり始めた。私は準備する皆を横目で見ながら、玄関先に出て、一人ゆっくりと空を眺める。
今日はとても良い天気で、水のように澄んだ秋の空が広がっていた。
(先日の雨の後、空気は冷たくなっていたけれど、今日は暖かくなりそうだね……)
私が出立する時刻は、二回目の鐘が鳴った後、日雇いや森へ出掛ける子達よりも遅い時間だ。必然的に、フレド達とは見送る形での別れとなる。
まず最初に、年長組の二人が準備を終えて外へ出てきた。
「それじゃあ、元気でな、アリーチェ」
「アリーチェ、州都でも頑張れよ」
二人は私に別れの言葉を掛けると、そのまま日雇いの仕事へと出掛けていった。
「アリーチェ、元気でね〜」
森へ向かう北区の子供達が、私を見つけては別れの言葉と共に手を振ってきた。昨日、森で皆に最後の挨拶をしたけれど、最後に顔を見せてくれる子がちらほらと見かけられた。
「アリーチェ、おはよう」
柵の外から手を振るのではなく、二人の男の子が柵の中へと入ってきた。籠を背負い、森へ向かう準備を整えたグラートとヤコポだ。
「おはよう、グラート、ヤコポ」
「いい天気で良かったな。フレド達はもう行ったのか?」
「ううん、まだ中だよ」
「そうか……」
話しながら歩いてきたグラート達が、私から二歩ほどの距離で足を止めた。
「いよいよ、出発だな」
「ええ。決まってから今日まで、あっという間だったね」
「アリーチェ、今日までありがとうな。本当にアリーチェには感謝しているんだ。アリーチェが罠猟を始めたことで肉を食べる機会も増えたし、罠猟の仕方も教えてもらえた。何より、ヤコポに勉強を教えてくれて、本当にありがとう」
「アリーチェ、たくさん教えてくれてありがとう」
グラートとヤコポの二人に、改めてお礼を言われる。特にグラートはいつになく真剣な表情で、まるで目に焼き付けるかのようにじっと私を見つめていた。その眼差しに面映く感じながら、私ははにかんで笑った。
「そんな、お礼なんて。私も皆の助けになれて良かったよ。グラートも色々助けてくれてありがとうね」
「助けられた割合は、間違いなく俺達の方が多いけどな」
呆れたように笑うグラートが、スッと私の後に視線を向けた。後ろを向くと、準備を終えたフレド達が扉を開けて、玄関から出てくるところだった。
「グラート、来てたんだな」
「ああ、出かける前に寄ったんだ。もう別れの挨拶は終わったから、俺達は先に行くよ」
グラートは軽く手を上げてフレドに挨拶した後、踵を返して歩き始める。途中、グラートは振り返り、「アリーチェ、元気でな。あんま無理すんなよ」と声をかけながら大きく手を振った。
無理するなというのは、一人で背負い込む形で決めた州都行きに対する苦言だろう。私は少しばかり耳の痛い話に苦笑いを浮かべ、「グラートも元気でね」と大きく声を上げた。
グラートとヤコポを見送った後、今度は準備を終えた年中組の皆に向き合う。フレド、アガタ、チーロの順に一人一人ゆっくり見つめ、再度フレドに視線を戻した。
「フレド、年中組のまとめ役として面倒を見てくれてありがとう。特に、森で自由に動けたのも、さまざまな事をする私をフレドが口出しせずに見守ってくれたお陰だよ。ありがとうね、フレド」
「本当に、色々と突飛な事をするから最初の頃は驚いてばかりだったよ。でも、そのアリーチェの行動には本当に沢山助けられた。ありがとう、アリーチェ」
フレドへの感謝の言葉を口にすると、フレドは困ったように眉を下げて寂しそうに笑った。
私は次にアガタを見つめる。アガタは今にも泣きそうな顔をしていた。
「アガタ、ルッツィ孤児院でお世話になり始めた頃、沢山話しかけてくれてありがとう。皆の輪に早く馴染めたのは、アガタのお陰だよ。アガタがいてくれて、とても楽しかった。ありがとう、アガタ」
「私も……、アリーチェが来てくれて楽しかったよ。いっぱいおしゃべりもしたし、新しいことが沢山で毎日楽しかった。ありがとう……、アリーチェ」
唇を引き結び、アガタが涙を必死で堪えているのが分かった。
私は最後にチーロに視線を向ける。チーロは、はつらつとした笑顔を浮かべていた。
「チーロ、私が罠猟を始めた時に、一番最初に準備を手伝ってくれてありがとう。皆、罠猟が本当にできるのか疑いの眼差しで見ていたのに、チーロが率先して手伝ってくれて嬉しかったよ。ありがとうね、チーロ」
「へへっ、お肉が食べられるかもって、期待して手伝ったんだけどね。そしたら、アリーチェは本当に捕まえて、とっても驚いたよ。アリーチェが罠猟を教えてくれたお陰で、自分でも獲物を捕まえられるようになって、凄く嬉しかった。アリーチェには本当に感謝してるよ。ありがとう、アリーチェ」
罠猟で獲物が取れるようになったことで、チーロは現在、その獲物をどのように調理して食べるかにも興味を持っている。チーロの浮かべる笑顔には、未来への希望が溢れていた。
寂しがられるのは、それだけ大切に思われていたということの裏返しだ。だから、同じ様に寂しく思いながらも、そのことを嬉しく思っていた。でも、こんな風に笑ってもらえたら、自分の行動を正当化されたようで、違う意味で心が温かくなる……。
ひとしきり別れの挨拶が終わると、フレドが「そろそろ行くぞ」と声を掛けた。いよいよお別れの時間だ。
フレドとチーロの二人がゆっくりと動き出す中、最後にフレドが振り返りながら私を見た。
「それじゃあな、アリーチェ。しっかり稼いで故郷に戻れよ」
「ありがとう、フレド。私、頑張るね」
そう言って手を振ったフレドが、前を向いて歩き出す。チーロがその後を追いかけつつ、「アリーチェ、元気でね。身体には気を付けて」と言いながら手を振った。そして、最後に残ったアガタが一人私の前に立つ。
「アリーチェ、私ね、春になったらハーブの種を蒔くよ。頑張って皆と育ててみる」
「うん、ハーブは強い植物だからきっと大丈夫。私は、アガタの頑張りを応援してるよ」
「ありがとう……」
声を詰まらせたアガタが、自分の服を握りしめる。アガタは涙をためたまま明るい笑顔を浮かべ、「アリーチェ、元気でね!」と言ってフレドとチーロを追いかけた。
アガタが二人に追いつき、三人で歩いていく後ろ姿を、私は見えなくなるまでずっと見つめていた。
年中組の三人を見送った後、私はシエナと共に洗濯をしたり、年少組の子達と一緒に孤児院の畑の世話をする。そして、全て終えると、この前買ったばかりの青色のワンピースに着替え、ポシェットとカバンを肩に斜めに掛けた。
パンパンに膨らんだカバンの中には、もう一着の服や下着類、まだ出番のない防寒着などが入っている。
女子の共同部屋を出る直前、私は足を止め、部屋の中を振り返る。
(長いようで短い、あっという間の時間だったね……)
約五カ月間、皆と過ごしたこの部屋の光景を瞼にしっかり焼き付けると、私は部屋を後にした。
先程脱いだ服を洗濯用籠に入れてから玄関に向かうと、孤児院長のマリサさん、シエナ、年少組の二人が私を待っていた。
「じゃあ、アリーチェ、行きましょうか」
「はい」
私はこれから、マリサさんと共にエルミーニ商会へと向かう。
年少組の二人が「アリーチェ、げんきでね」と口々に言う中、シエナが私の目の前に小さな袋を差し出す。麻製の小さな袋には、赤色と黄色の可愛い小花の刺繍が入っていた。
「これ、アリーチェにあげる。私が作った旅のお守りが中に入ってるの……」
シエナが紐を解いて袋をひっくり返すと、私の手の中に彫刻で装飾された木札が落ちた。
手のひらの半分ほどの大きさのそれは、真ん中に旅人の守り神の象徴である羽飾りの付いたブーツが彫られ、その周りを水を表す波の模様がぐるり囲んでいた。
私は息を止めて、小さな木札に施された細やかな彫刻をじっと見つめる。その木札からは、シエナが丹精込めて作ってくれたのが伝わってくるようだった。
「とても素敵な物をありがとう、シエナ。お守り、大切にするね」
私は木札をしばし眺めた後、袋に戻してポシェットの中に丁寧に入れた。
「アリーチェがいなくなるのは凄く寂しいけれど、いつか無事に故郷に帰れることを祈ってる。元気でね、アリーチェ……」
シエナは寂しげな笑顔を浮かべながら、両手で私の手を握る。私も顔を綻ばせると、「ありがとう、シエナ。皆も元気でね」と言いながら両手でぎゅっと強く握り返した。
どちらからともなく手を離すと、それを合図にマリサさんが玄関の扉を開けた。私がマリサさんの後に続いて玄関を出ると、シエナ達も後を追いかけるように外へ出てきた。そして、歩き始めた私に、「元気でね」と声をかけながら、私の姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
(こうやって誰かに見送られるのは、三度目だね……)
私は寂しい気持ちで胸が一杯になりながら、何とも言えない気持ちになる。
夏の初めに故郷を離れ、その次は炭焼き夫妻のベルラさんに見送られ、今度は孤児院の皆に見送られた。この半年の間に三度も経験することになった別れは、私の郷愁の思いをいっそう強くしていた。
(次の別れの時は、故郷への旅立ちだといいな……)
私はそう思いながら、今から向かう州都で待つ新しい生活への不安を呑み込んだ。
エルミーニ商会に向かう道すがら、私とマリサさんはこれまでの思い出話をしながら歩く。思い出というには五カ月という短い期間だけれど、振り返ると濃密な時間だったと思う。でもそれは、マリサさんも同じだったみたい。
孤児院に新しく引き取った私は、最初に話していた通りに、本当に森で獲物を捕まえてくるし、薬湯やハーブ茶も作ってしまう。おまけに内職ではマリサさんと同じ写本の仕事をこなす上、勉強会で子供達に様々なことを教えたり、問題が起こった時は冷静に対処したり、はたまた新しい商品を考え出したり。マリサさんにとって驚きの連続だったみたい。
「でもね、本当にアリーチェには感謝しているの。あなたが来たことで子供達は本当に変わったわ。食べ物の余裕が出来たことで、心の余裕が生まれたし、学ぶことへの意欲も湧くようになった。本当に、皆驚くほど明るくなったのよ」
マリサさんが話してくれたのは、私が来る前と来てからの子供達の変化だった。
これまでの孤児院は、金銭的にも食料事情的にも余裕がなく、行き止まりのような何とも言えない閉塞感があったらしい。
今の生活への不安、将来への不安、孤児に対する世間の視線。いろいろな事が重なっての物なのだろうけれど、私の行動が結果的にそれらに変化をもたらした。
罠猟しかり、勉強会しかり、生活の変化はもちろん、私が商品を開発したことで、自ら行動することで道を切り開くことが出来ることを知った事も、とても大きかったみたい。
「アリーチェが蒔いた種は芽吹き、これからどんどん成長すると思うわ。子供達の未来を広げてくれて、ありがとう」
これまで何度もお礼は言われてきたけれど、マリサさんの言葉に、私は驚き、心を揺さぶられる。ただ、がむしゃらに自分に出来ることをしてきただけなのに、マリサさんにそう言ってもらえたことが、心の底から嬉しかった。
「州都に行っても、あなたはルッツィ孤児院の子供よ。もし、州都でどうしようもなく困った時は、孤児院に戻って来たらいいからね」
私ははっとしてマリサさんを見上げると、マリサさんは「一人で頑張りすぎないのよ」と静かに言った。その眼差しがとても優しくて、私は目が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます……、ルッツィ孤児院に置いてもらえて、優しく温かく迎えてもらえて、本当に幸せでした」
少し涙声になりながらも、私は門出に相応しい精一杯の笑顔を浮かべる。
街の景色はもう商業区に入り、後もう少し歩けばエルミーニ商会へ着くだろう。見事な秋晴れの中、私とマリサさんは、残りわずかとなった道のりを無言で歩き続けた。
アリーチェ、三度目の旅立ちです。
アリーチェは本当に優しい人達に巡り会えましたね。
諸事情により、来週の更新はお休みとなります。
予定では、再来週は通常通り更新できるかと思います。




