41. 第二の家
孤児院に戻った私は、孤児院長であるマリサさんに、ブルーノさんから聞いた提案の話をした。マリサさんに、アリーチェはどうするつもりかと尋ねられ、提案を受けるつもりである旨を伝えた。
マリサさんは話を聞いてとても驚いた顔をしていたけれど、少し寂しげな様子で、私にとって最善の選択なら応援する、と言ってくれた。
同じく孤児院にいたシエナにもその事を伝えると、戸惑った顔でおろおろとしていた。私にとって良い話なら喜ばしいけれど、私が居なくなるのは悲しくもあって、思わず動揺してしまったらしい。
一緒に話を聞いていた年少組の子は、話がよく分からなかったのか、どちらかと言うと、動揺しているシエナを心配していた。
そして、四つ目の鐘がなる頃、年中組が森から帰宅した。採取してきた物や採取道具の片付けを手伝っていると、フレドの方から今日の呼び出しはどうだったのかと聞かれた。
「それが、州都で働いてみないかという話だったの。ブルーノさんの知り合いの商会で、州都でもそれなりに大きなお店を紹介されたの」
「えっ……、それ本当なのか!?」
住み込みの下働きであることや、雇われた場合の給与、二年間の雇用の最低保証がされている話などを簡単に説明する。お嬢さんのメイドの話については、説明するとややこしいので割愛させてもらった。
「アリーチェは引き受けるのか……?」
片付けの手を止め、こわごわした様子でフレドが尋ねてくる。
「迷ったけど、州都に行こうかと思っているよ。故郷に戻るにはそれが一番早そうだからね」
私はからりとした笑顔を浮かべると、お金を貯める為であることを全面に出して、州都へ行くつもりだと告げた。
私の移動に伴い、私や孤児院が晒されているであろう危険がなくなることについては、何も伝えない。
そもそも、私が探られている事について、モップの利権絡みである確証がなかったため、孤児院の皆にはその可能性について話していなかった。孤児院の皆がその繋がりに気付いていないということもあったけど、話すことで余計に不安にさせてしまうかもしれないため、ブルーノさんに相談して、ある程度原因を探ってから話そうと考えていたのだ。
(結果的には、話さないままでいて良かったのかもしれないね……)
私の話を聞いて、フレド、アガタ、チーロの三人の表情が凍りつく。その中でも、シエナ以上に激しい動揺を見せたのはアガタだった。
「そんな、アリーチェがいなくなっちゃうなんて……。本当に州都に行かないと駄目なの? この街でもお金は貯められるじゃない……」
あまりの衝撃だったのか、顔色を悪くしたアガタが唇を震わせながら私に尋ねる。私は何も答えられないまま「アガタ……」と小さく名前を呼んだ。
ルッツィ孤児院に来てから短くない時間が過ぎたけれど、私が行動を共にしていたのは主に年中組の皆だ。その中でも、同性ということもあり、アガタとは最も一緒に過ごしていたと思う。
打ち解けて親密な仲になったし、厚い信頼も寄せられていた。アガタにしたら、突然ここを出ていくと言いだした私に、裏切られたように感じたのかもしれない。
「ごめんね、アガタ。もう少しここに居られれば良かったのだけど……」
「じゃあ、ここにいようよ。春になったら一緒にハーブの種を蒔くって言ってたじゃない……」
アガタの水色の瞳に涙が滲む。唇を噛みしめながら、訴えかけるような目で私をじっと見ていた。
何も答えることが出来ずにただ沈黙する私に、フレドがため息をつきながら助け舟をだす。
「アガタ、それくらいにしとけ。もともと、アリーチェはお金が貯まったらここを出て故郷に戻るって言ってただろ。それが少し早まっただけだ」
「それは……、フレドはそれでいいの?」
アガタの問いかけに、フレドが困惑した表情で頭を掻いた。
「良いも悪いも、アリーチェが決めたなら俺達が口を挟めることじゃないだろ」
「……」
「それにな、アリーチェが言ってる給金は破格だぞ。そんなお金を払って孤児を雇う奴なんて普通はいないだろ。だから、この機会を絶対に逃がしちゃ駄目だ。帰りたいっていうアリーチェの気持ちを尊重してやれよ」
アガタは唇を真横に結んで、ポロポロと涙を溢しながら「分かってる……」と呟いた。
「そんなこと言われなくたって、私だって分かってる。分かってても、悲しかったの……」
涙を拭ったアガタがうなだれて鼻を鳴らすと、私もつられて鼻の奥がツーンとなる。アガタは俯いたまま私の傍まで来ると、私の服の袖を小さく引っ張った。
「ごめんね……、困らせて。突然過ぎて……私……」
そうだ、私でも突然のことに戸惑ったのに、年下のアガタが混乱するのは当然だ……。普通にお金を貯めていくなら、時間とともに気持ちの整理も出来たのに、今回の事は本当に急だったから、そんな余裕もなかったものね。
申し訳ない気持ちでアガタの頭を見下ろした後、私はアガタの肩にそっと手を置いた。
「ううん、私の方こそごめんね……」
気を利かせてくれたのか、フレドとチーロが無言で倉庫を出ていく。二人だけになった部屋には、すすり泣く音が小さく響いていた。
孤児院の皆に話をした翌日、私は年中組と共に森の採取に来ていた。いつもの採取と合わせて、北区の顔馴染みの子供達に私が州都へ移動することを伝えるためである。
別にもう一つ目的があるのだけれど、それは後で直接本人に言うつもりだ。
私達は採取しながら移動し、出会った子供達に事情を話していくと、皆一様に驚きの声を上げていた。普段ならある程度目当ての物を採取した後は、散開してそれぞれ行動するのだけれど、今日は珍しくずっと一緒に行動している。
昨日、涙で頬を濡らすアガタを落ち着かせてから、アガタは気が付くと私の傍にいた。気持ちの整理をつける為というのもあるのだろうけれど、残り少ない時間を楽しい思い出にしたいという気持ちもあるのだと思う。
採取を続けている途中で、グラートとヤコポの兄弟を見つけたので、私は皆に断って二人に近付く。私が声を掛けるよりも早くグラートが私に気付いて顔を歪めた。
「アリーチェ、州都に行くって本当なのか?」
「もう話を聞いたのだね。本当だよ」
私は、話しながら人のいない方向を指差すと、それとなく二人に移動を促す。人に聞かれたくない話をするつもりだということが分かったのか、二人は頷くと、私と共に人気のない藪の方へと移動して座り込む。
「それで、何でまた急に移動することになったんだ?」
口火を切ったのはグラートだった。周りを気にしてか、いつもに比べて声の音量はかなり小さい。
「実は……」
私は、同じく小さな声でグラートとヤコポに事の経緯を簡単に説明していく。もともと二人には、故郷に戻る目的があることを自ら話していたので、北区の他の子達に話したような単純な移動の話ではなく、お金を貯める為にモップという商品を開発したことから話し始めた。
商会に売り込んで、商品を無事登録できたこと、商会繋がりで結果的に州都の商会から声がかかったこと。一応、信用の高い商会なので、騙されるような心配はなさそうなことも伝えた。
詳しく話さないということも出来たのだけれど、北区の子供達の中では一番仲が良かったし、今後フレド達ともよく会話をするだろうから、グラート達にはちゃんと話しておきたかったのだ。
話す内容に、グラートとヤコポも最初は驚きを隠せない表情を浮かべていたけど、次第にグラートが険しい顔つきになった。
「もしかして、この頃アリーチェの周りを探っている奴がいたのは、そのモップのせいなのか?」
グラートの言葉に、私は小さく息を呑んだ。
「グラートは気付くんだね」
「当たり前だ、普通気付くだろ」
年長組やマリサさんは分からないけれど、少なくともフレド達はその可能性に気付いていなかった。
少しむすっとした表情を浮かべたグラートが、「それでどうなんだ」と聞いてくる。
「……ブルーノさんには、その可能性が高いって言われたよ。モップの権利は全てブルーノさんに譲渡しているから、今の私にはなんの権利もないのだけれど、第三者からしたらそれは知らないことだから……」
「危険……なのか?」
グラートの鋭い切り込みに、どう返事をしたものかと一瞬間が空いた。
「もしかして、州都行きは危険を避ける為か?」
核心を突いた問いかけに、今度こそ言葉が何も出なくなる。私の様子を見て、グラートはおおよその事を悟ったのだろう。「チッ、あのバカ」と誰かに向かって悪態をついた。
「アリーチェ、自分自身だけじゃなく、孤児院も危険かもしれないから州都に行くんだろ」
「あはは、お見通しか」
「悪事を働く奴らの思考なんてそんなもんだろ。本人も周りもお構い無しに巻き込む」
そういうのを見たのか、それともグラート自身が経験したのか、言い放つグラートの顔は暗い色をしていた。
「危険を避ける為というのは否定しないけど、それが全てでもないよ。高いお給金のお陰で、故郷に戻るのがずっと早くなるし、州都は交通の要所だから故郷にも戻りやすいと思うんだ」
私が努めて明るく言うけれど、グラートの顔は暗いままだ。
「上手く解決はできないのか?」
「ブルーノさんは、急いでも周知には時間が必要だって言ってたよ。逆に言えば時間が解決してくれるけど、それがいつかはわからないし、危険に関しても本当に危険かどうかも分からないし、探りを入れるだけで終るのかもしれない。全てが不確定だから、確実な手段を選ぶの」
今のままでは不確定要素が多すぎる。対策するにしても相手すら分からないのだから、行動しようもない。だから、私が一番確実に問題を解決出来ると思う選択肢を選んだのだ。
私の揺るがない気持ちを感じたのか、グラートが深い深いため息をついた。
「フレド達には言わないのか?」
「心配かけたくないから、少なくとも今は秘密にしておいて」
仮に今の話をしたとしても、ルッツィ孤児院の皆は危険があるかもしれないことで私を責めたりしないし、出ていけとも言わないだろう。むしろ、そんな状況だったのかと心配するだろうし、このままメルクリオの街に残るよう勧めてくるかもしれない。
自分の為であり、皆の為でもあるけれど、自分の見通しの甘さが招いた事態を、自らの手で収拾する為の行動でもあるから、美談として気遣われるのが心苦しいという気持ちもあった。
「申し訳ないけれど、ヤコポも宜しくね」
「うん、俺はかまわないよ」
グラートの隣で静かに聞いていたヤコポが、了承を返す。グラートは納得しつつも納得できないような、なんとも言えない表情を浮かべていた。
「なあ、もしアリーチェの事を探る奴がいなかったら、どうしてた?」
それは、私の事を探る人がいなかったとしたら、今回の州都行きの話を受けたかどうかという質問なのだろう。
「色々な巡り合わせでこの街に来たけれど、私はこの街が好きだよ。孤児院の皆は優しいし、北区の子供達とも仲良くなれたし、何より、既に孤児院は私にとっての第二の家だもの。お金には代えられないよ」
私は、「ここだけの、仮の話だけどね」と寂しげな笑顔で付け加えた。
州都でのお給金は魅力的だけれど、逆を言うならただそれだけである。この街でも時間を掛ければお金を貯められるのが分かっているから、わざわざ居心地の良いこの場所を離れる理由が、私にはなかった。
何とも言えない表情のまま、グラートが葛藤するように頭をガシガシと掻いた。
「そうか……、本音を言えば、すげぇ寂しい」
「私も、本音を言うなら凄く寂しいし、また一人になるかと思うと少し怖い……」
誰も知る人のいない街にこれから一人で向かうと思うと、心臓がきゅっと縮む様な気持ちになった。故郷で奉公に行くことを選んだあの時とは違う。
(私の偽らざる本音は、いつか来る帰郷の時まで、叶うならここに残りたかった……)
こみ上げる寂寥を飲み込んでいると、隣に座るグラートが、私の背中をパンッと軽く叩いた。突然のことに目を白黒させながらグラートを見ると、苦痛をこらえる様な表情で小さく笑った。
「そんな顔するな、本気で引き止めたくなるだろ」
「それは……困る」
「なら笑ってろ。その方がずっといい」
私を見ていたグラートが、歯を見せてにかっと笑う。グラートの優しさにつられるように、私も晩秋の日差しのように淡く微笑んだ。
グラートにはアリーチェが隠していたことを見抜かれましたね。
アリーチェは様々な可能性を考えたからこそ慎重になってます。




