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3. 葡萄畑

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「フィン、足元をしっかり照らして」

「分かってるよ」


 フィンが真ん中に立って手持ちの灯りで足元を照らす。フィンの右側には鍋を持った姉が、その反対側には木製のお椀とパンを持った私が立ち、三人で寄り添いながら並んで歩く。

 普段なら皆が寝静まっている真夜中の時間帯。春の中月だというのに、今夜は冬に戻ったかのような凍てつく寒さだった。

 私たちが何故こんな寒い夜に、わざわざ足元に気を付けながら歩いているかというと、話は今日の夕方に遡る。



「おい、どうやら今夜は霜が出るそうだ。俺の家に知らせが来た」


 夕方、近所のおじさんが我が家に来るなり、困った顔でそう口にした。霜が出る、葡萄農家からすれば、これほど厄介で困るものはない。

 今は葡萄の新芽や葉が出てきている時期なのに、それが霜で傷んだりすると秋の収穫に大きな影響が出ることになる。収穫できても未成熟だったり、収穫量が減ったり、品質が悪かったりと、葡萄農家にとっては大打撃なのだ。

 父はすぐさま立ち上がり、近所のおじさんと今夜どうするかについて話し合う。霜の予想は、ティート村の熟練の葡萄農家と礼拝堂の神官様が話し合って判断しているので、高い確率で今夜は霜が出るのだろう。

 話がまとまり近所のおじさんが帰ると、父は私とフィンに今すぐ夕飯を食べて寝るように言った。これは、今から寝る代わりに、夜中に起きて皆の手伝いをするためである。


 そして今、葡萄畑から一時的に自宅に戻った姉によって起こされた私とフィンは、姉とともに荷物を持って畑へと向かっていた。ちなみに、仮眠を取った私やフィンと異なり、両親と兄姉は夕方からずっと作業に追われており、今日はこのまま夜通しで作業をする予定になっている。

 畑に到着し、姉が担当していた焚き火の場所まで来ると、姉は私に鍋を渡し、自分は焚き火の番へと戻った。

 私はまだ温かいスープをお椀に注ぐと、フィンと手分けしてパンとスープを父さん達へと配る。お腹が一杯になると眠くなってしまうので量は控えめだけど、冷えた体を温めるにはちょうど良いのだ。

 家族に配り終わった後は、隣の畑にスープのお裾分けに行ったり、お返しで貰ったドライフルーツを家族に配ったり、薪の補充をしたりと私とフィンは忙しく動き回る。そしてその間も、畑の四隅に置かれた焚き火は、ある程度の大きさを保ったままずっと燃えていた。

 暗闇の中、周りを見渡すと、わが家の畑だけでなく、村のほとんどの葡萄畑で焚き火が燃えているのが見えた。


(四年前には考えられない光景だね……)


 四年前まで、霜対策といえば藁を地面に敷いたり、葡萄に布をかけたりするくらいの対策しかなかった。だから、霜対策ができるのは、大量の藁や布を用意できる村主体の葡萄畑や、大作人の葡萄畑に限られていた。個人で育てている我が家のような葡萄畑だと、ほとんど対策ができていなかったのが実情だ。

 できたとしても、自分たちが寝るときに使っているシーツや季節外れの服を葡萄にかけることくらい。

 霜が出る日が多いかどうかによって、年々の収穫量に差が出ることは、両親にとってとても大きな悩みだった。

 でも、今は焚き火による霜対策が行われるようになり、以前よりも霜の被害が少なくなっている。もちろん劇的な変化というわけではないけれど、何も対策が出来なかった時よりも収穫量は確実に安定してきていた。

 一昨年までは、焚き火をしない畑もあったけれど、今では村全体で話し合い、焚き火をするようになった。

 火の番をする大人たちにとっては大変な作業だと思うけれど、葡萄畑全体が明るく浮かび上がる光景はとても幻想的で、今年の豊作を祈る希望の燈火(ともしび)のようでもあり、荘厳な気持ちにさせるこの光景が、私は好きだった。


 霜が出た時の私とフィンの仕事は、先ほどのような差し入れや、薪が足りなくなった時の補充、そして、焚き火の番をしている両親や兄姉の手伝い兼話し相手だ。寝ずの作業となると眠気に襲われることもあるので、話し相手になって眠気を覚ますのは重要な役割だったりする。

 いよいよの時は、一時的に私やフィンが火の番を代わることになっている。もちろん、私たちが眠くなって寝てしまうこともあるけれどね。

 そして今、私とフィンは四カ所の焚き火を順番に回っていて、今私はサント兄さんの所に来ていた。


「来年はアリーチェも一人で火の番だな」

「ルフィナ姉さんの抜ける穴は、私が頑張って埋めるよ。姉さんも十二歳で火の番をしていたしね」

「そういえば、ルフィナが一人で火の番をしたのは十二歳の時か……。初めて焚き火をした時、ルフィナはまだ手伝いだけだったな」


 兄さんが薪で火の調整をしながら、私を見てニヤリと笑った。


「アリーチェが『霜対策に焚き火は使わないの?』って言い出した時が懐かしいな。あの時は何言ってんだろうと思ったけど、今じゃ村全体が焚き火で霜対策しているんだもんな」

「あはは、私もこんな大ごとになるとは思っていなかったよ」


 「何があるか分からないもんだな」としみじみ言う兄に、私は乾いた笑いを返す。何を隠そう、霜対策で焚き火をするようになったのは、私の質問が切っ掛けだったのだよね……。



「ねえ、サント兄さん。霜が出る時になんで焚き火をしないの? うちは布が全然足りないんだから、焚き火で温めた方がいいんじゃない?」


 霜対策で頭を悩ます両親を見て、私が子供心に思いついたことを兄に質問したのは、四年前のことだった。


「何を言っているんだ、アリーチェ。焚き火じゃそこだけしか温かくならないだろ。葡萄畑全体に焚き火をするなんて、それこそ無理だろ」

「焚き火の周りは温かいけど、少し離れた所でも温かい風は来るよ?」

「ん、そうだったか?」

「冬に竈に火を入れると部屋全体が温かくなるでしょ」

「ああ、なるほどな……。でも家の中と外とじゃ全然違うだろ」

「部屋の中くらい温まらなくても、ほんのちょっと葡萄畑が温かくなったら霜がつくのを防げたりするんじゃないかな?」

「うーん、どうなんだろう……?」


 兄がうんうんと唸りながら首を傾ける。効果があるかどうかは、兄の経験や知識だけでは答えが出ないことだったみたい。

 とはいえ、もし本当に効果があるなら、とっくの昔に大人たちが実践しているだろうし、実施しないならしないで、何かの理由があって実施していないだけかもしれない。でも、聞くだけなら聞いてみようと、兄が父に尋ねてくれたのだ。


 その話を聞いた父の返事は、「焚き火を使う方法なんて聞いたこともないし考えたこともなかった」というものだった。どうやら、布や藁で対策するという考えが根付いていて、他の方法を試したことがなかったらしい。

 その後の父の行動は、とても頼もしいものだった。子供の戯言と終わらせずに、「うちに布はないからやるだけやってみるか」と、村長たちに焚き火をすることを伝えて許可を取ったり、焚き火をするなら何処がいいか、一晩中ずっと燃やすならどれだけの薪がいるかなど、私の思いつきを実現すべく、色々と動いてくれたのだ。

 もちろん私が言い出したことだからと、薪集めはより一層頑張ったのだよね。

 そしてその年の霜が出た日、うちの葡萄畑の二カ所で焚き火がたかれた。その時すぐには効果が分からなかったけど、秋の収穫の時期になって結果が明らかになった。未成熟な実や品質の悪いものは減り、同じ数の霜が出た年に比べて収穫量が増えていたのだ。

 偶然かもしれないと思いながら、次の年には焚き火を二カ所から四カ所に増やした結果、同様に収穫量は増えていた。話を聞きつけた近所の葡萄畑も同様に焚き火をしたところ、そちらの葡萄畑の収穫量も増えていた。

 霜対策として少しは効果があるということで、その次の年は、他の多くの葡萄畑でも焚き火が見られるようになり、今年は村全体で大々的に焚き火がたかれるようになったというわけだ。

 両親たちの助けになればと軽い気持ちで口にした提案だったのに、まさか村全体にまで広がるような大ごとになるとは、思ってもみなかったよ。


「霜被害も減ったし、あの時アリーチェの話を父さんに伝えて本当に良かったよ」

「兄さんと父さんが、話をちゃんと聞いてくれたおかげだね」

「まあ、一番の功労者はアリーチェだけどな。今回の試みも効果があるといいな」

「そうだね」

 

 焚き火の効果があったことで、他にもさらなる対策が取れるのではないかと考えた結果、今年は夜明け直前に煙を焚く計画になった。

 霜対策がほとんどできていなかった頃、同じ葡萄畑の中でも霜被害が多い場所と少ない場所が存在した。うちの畑以外に目を向けても、被害が多い場所と少ない場所があり、被害がほとんどない畑もあった。

 様々な人の話を聞き、被害の大小に規則性がないかを考え、兄と話し合って導き出した仮説は、日当たりが影響しているのではないかということだった。そのため、今年は霜が出た日の朝に煙を上げて、一時的に日の当たりを遅くするという方法を試すことになったのだ。

 実際に効果があるかどうかは試してみないと分からないけれど、効果があって、また収穫量が少し増えたらいいな、と思っている。


「この夏にルフィナが奉公に出て、来年俺が結婚したら、次はアリーチェの相手を探さないとな」

「兄さん、流石にそれは気が早すぎるよ」

「そうか? アリーチェは賢くて働き者だし、器量も良いんだから、そう言っている間に申し入れがあるんじゃないかな」


 前の二つはともかく、器量良しに関しては兄贔屓が過ぎるのではないだろうか。それに賢いと言っても、逆に言えば小賢しいと嫌がられることもあるのだし……。


「カッミラも魔獣を捕まえられるような罠を仕掛けられるのは凄いって言っていたよ」


 カッミラは兄の婚約者だ。兄さんの二つ年下のしっかりとした女性で、来年のカッミラの成人を待って結婚する予定になっている。


「あれは本当に偶然だよ?」

「それでも、定期的に獲物を捕まえられるんだから十分に凄いよ」

「罠猟が得意でも、葡萄農家の嫁には役立たないって言われそうだけどね……」


 うちの家族は、私が度を越して勉強するのも、猟をするのも禁止せずにやらせてくれるし、今回のように私の提案をちゃんと聞いてくれる。それも、子供は得意を活かして自由に伸び伸び育ってほしいという、母の願いがあるからだ。

 とはいえ、村の風潮では、気立てや聞き分けが良く、自己主張の少ない女性が求められがちだ。

 近所の人と話していると、女の子なんだからそろそろ刺繍や機織りにも精を出したらどうかしら、と言われることも多い。最近それが顕著になってきたのは、私が年頃になってきたという現れなのだろうね。


「アリーチェは、葡萄農家の嫁は嫌か?」


 兄と私が見守る焚き火が、パキッと音を立ててはじける。


「……別に葡萄農家の嫁が嫌なわけじゃないよ。でもなりたいものかと聞かれたら、ちょっと違うと思う。猟師にならなってもいいんだけどね」

「狩人か……、それはちょっと難しいなあ」


 ティート村では狩人は男性だけと決まっている。いくら罠猟が得意でも、女性の私が猟師になることはない。

 自然や獣を相手に考えを巡らせて、試行錯誤を繰り返すのは私に向いていると思うんだけどな……。もちろん、農家の嫁も今回みたいな霜対策や肥料や剪定(せんてい)など、考えることは沢山あるけれど、適性を考えたら猟師の方が向いていると思う。

 とはいえ、男性のみという慣習を覆してでも絶対に猟師になりたいかと言えば、それも違うのだよね……。今はただ、農家の嫁は向いてないと分かるだけだ。


「いっそのこと、チェロンさんのところに嫁入りするっていうのはどう?」

「いくらなんでも年が離れすぎだ!」


 兄さんが吹き出すように慌てふためく。まあ、私とチェロンさんとでは親子ほどの年齢差があるものね。


「私は気にしないよ?」

「周りが反対するだろ。そんなに年上だと母さんが悲しむぞ」

「はぁい」


 いつも優しくしてくれる母が悲しむとなれば、それ以上は何も言えないよね。


「まあ、決めるのは父さんだけど、希望はある程度聞いてくれるだろうから、伝えるなら早く伝えておけよ」

「うん……、考えておく」


 兄にそう返事したものの、年齢的にも私にはまだ早いという気持ちがどうしても抜けない。私の事を心配してくれる兄の気持ちは嬉しいのだけれどね。


(今はまだ考えられないから、真剣に考えるのはしばらく先になりそうかな……)


 心の中で呟きながら、私と兄の会話は別の話題へと移っていった。



 次に私が移動した焚き火は、ルフィナ姉さんのところだった。

 暗闇の中、焚き火が姉を照らす。光の陰影と炎の揺らめきが姉の美しさを一層引き立てていた。口を開くと勝気な性格が明らかになるけれど、黙っていれば本当に母譲りの美人なのだよね……。私が見とれていると姉のヘーゼル色の瞳が私を見た。


「ねえ、アリーチェ。あなた、将来のことはどう考えてるの?」

「将来……?」

「町に出たいとか思わないの?」

「町に? そんなこと考えたこともないよ」


 私がそう答えると、じとりとした瞳で姉に見つめられる。


「それでいいの? あなたは昔から鈍臭いところがあったけど、頭だけは良いんでしょ? 神官様があなたのことを驚くほど優秀だと言っていたわよ」


 ルフィナ姉さんは私が鈍臭い印象を持っている。子供の頃は姉の後ろを追いかけてすぐ真似をしようとしていたけれど、年齢差があるから当然同じようには出来ない。姉は子供の頃の出来なかった私の姿が印象深く残っているんだろう。

 実際、姉は最初からある程度何でもできる人だったから余計にそう思ったのかもしれない。でもその反面、姉は飽きやすい性格だった。

 姉が飽きた頃には、失敗しながら繰り返し学んだ私の方が結果として上達している、なんてことも多々あったのだけどね。


「上の学校に通ってみたいとは思わないの? あなたくらい優秀なら、神殿に入れば上の学校に推薦することもできるって、神官様に言われたんでしょ?」

「その話は断ったよ。神殿に入ったら家族とは離れ離れになるし、町には私よりも優秀な子達がたくさんいるよ」


 私の言葉は本音だけど、全てではない。町へ行ったら、もっと色々なことを知れるという知識欲がくすぐられたのも事実。でもそれは現実的じゃない。自分の探究心を満たすことは、家族と離れてまで私がしたいことではない。

 ちなみに、上の学校に入学する方法は、神殿に入る以外にもある。ただし、それには沢山のお金が必要なため、それもまた現実的ではないのだよね。


「それに……、実際の所、賢いだけでは神殿で生活するのも大変だと思うよ」

「確かにそれもそうね」


 同意の返事をしながらも、姉は不満そうに薪を焚き火へと投げ入れた。火の粉がぱっと舞って散る。


「でも、先のことはちゃんと考えておきなさいね」


 姉の呟きは小さくて、焚き火が爆ぜる音にかき消されそうだったけど、私の耳にはしっかりと届いた。炎に照らされる姉は、いつになく真剣な表情をしていた。後もう少しで奉公に出る姉も、何か思う所があるのかもしれない。


(私はどうしたいのかな……)


 兄と姉からの言葉。偶然にもどちらも将来に関してなのに、辿り着く先は全く異なる道だ。

 兄の言葉に心の中で返したように、まだ先のことだからもう少し成長したら考えようと、と私はしばしの棚上げを決め込んだのだった。


兄、姉、それぞれの考えで妹の将来を心配しています。


次回、最初の転換点です。

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