37. ノーラ宅への訪問
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「はぁ……」
「ごめんね、時期がズレてるから、香りと葉の形を確認するだけだよって伝えておけばよかったね」
「ううん、私が勝手に勘違いしただけだから」
ハーブを見に行ったものの、目的のハーブは採取時期がだいぶ過ぎていたので、成熟しすぎてお茶にするには向かない状態だった。そうであろうことを予想していた私は、香りと葉の形状だけでも教えられたらなと思って見に行ったのだけれど、アガタは採取するつもりで楽しみにしていたみたい。
(少し申し訳ないことをしたね……)
アガタは少しばかりしょんぼりとした様子でハーブを見つめる。でも、すぐに元気を取り戻して、ハーブの葉を採って匂いを嗅いだり、葉の形を確認していた。
「ねぇ、アリーチェ。この小さいのって種だよね?」
観察していたアガタが、手の上にとても小さな粒を乗せて、私に見せてきた。おそらく、花がらを触っていた時に、中から種がこぼれたのだろう。私は小さな粒に目を近づけて、その種と思わしきものを念入りに確認する。
「そうだね、それは種だと思う」
「これって蒔いたら芽が出るかな?」
「うーん、私も育てたことはないから分からないかな。でも、試しに蒔いてみるのはいい考えだと思うよ。故郷では、必要になった分だけ森で採取していたけれど、孤児院は大所帯だから近くでたくさん採れたら楽だね」
ハーブのお茶にするのはもちろん、ハーブは薬湯にも混ぜて使ったりするから、沢山あるに越したことはない。森の中での様子は知っているけど、具体的にどんな風に芽が出て成長していくのかは知らないから、成長過程を観察するのも面白そうだよね。
「じゃあ、せっかくだし孤児院の畑の隅で育ててみようよ。畑に生えてたら、私も形を忘れないと思うし」
「そうだね、春になったら試しに蒔いてみようか。たくさん育っても使い道は色々あるから大丈夫。もし孤児院で消費できないくらい採れたら、全部ハーブのお茶にして月の市で売ってもいいかもね」
「えっ、あれって売れるの!?」
軽い気持ちで口にしたのだけれど、アガタが驚きながら俄然興味を示した。私がモップを開発したことをきっかけに、最近孤児院のみんなが自分たちでお金を稼ぐ方法に興味を持っているのだよね。
漫然と言われたことをするのではなく、自分たちで工夫しようと考えるのはとてもいいことだ。
「売れると思うよ。私達は自分で飲む分を森で採ってきて作っているけど、他の街の人達はそんなことしないでしょう? 薬屋でも売っていたけど、月の市の露店でも見たことがあるし」
「そうだったんだ。私、全然知らなかったよ」
「私も、この街で見るまで売れるなんて知らなかったよ」
故郷では、自分たちで採って作るものだったから、まさか売れるとは思わなかったのだよね。薬屋に毒ヘビを売りに行った時、売っているハーブのお茶を見て私も驚いたものだ。
「こうしちゃいられない、アリーチェ、たくさん種を集めよう!」
大急ぎで種を集め始めたアガタの様子に、私はふふっと笑いをこぼす。急ぐあまり、アガタの手からぽろぽろと種がこぼれていた。
「アガタ、売るほど作るには、きっと孤児院の畑の隅じゃ足りないよ?」
「あっ、確かにそうだ。うーん……、一度露店で売るくらいなら育たないかな?」
「育ててみないと分からないけど、試す価値はあると思う」
「うんうん、物は試しで育ててみよう!」
満面の笑顔で笑うアガタにつられて、私も笑みを浮かべながら種集めを始めたのだった。
アガタと共に集めたたくさんのハーブの種は、間食用のパンをくるんでいた布で包んで、籠に丁寧に入れた。この種は、春先に孤児院の畑に蒔くことになるだろう。
ハーブの種を集めるのに予定以上に時間を使った私達は、急いで本来の目的だった薬草の場所へと向かった。そして、薬草摘みを終えた後は、フレド達と待ち合わせたいつもの小川へと向かい、二人と合流する。
その後は、皆で木の実類の採取に精を出し、夏よりは少しばかり早い時間に街へと戻った。
「アリーチェ、今日摘んだ薬草は洗えばいいんだよね?」
森で採取した物を貯蔵庫や薪置き場へ片付けていると、採取した薬草を指さしてアガタが聞いてきた。
この後行う作業については、既に帰り道でアガタに説明済みだ。最終的には乾燥させるのだけれど、まずは水で洗って土やゴミを落とす必要があることを伝えていた。
とはいえ、私はこのあとノーラの家に薬湯を届けることになっているので、作業をしている時間はなさそうだ。
「そうなのだけど、この後ノーラの家に行くから、作業は夕食後でもいいかな?」
「そっか、薬湯を届けに行くって言っていたもんね。それなら、洗うのは私がやっておこうか? 難しい作業でもないし、早くしたほうが良いんでしょ?」
鮮度が落ちないうちに作業をしたほうが良いのは確かだ。私は少し迷った後に、アガタにお願いすることにした。
「じゃあ、お願いするね。ありがとう、アガタ」
「任せておいて!」
「洗った後は、布の上に広げておいて。夕食後に一緒に残りの作業をしよう」
「うん、分かった」
薬草を洗いに行くアガタの後ろ姿を見送ると、私はノーラの家に持っていく薬湯の準備を始めた。
「アリーチェ、行くのか?」
薬湯の準備が終わり、出掛けることを伝えようと食堂へ顔を出した所で、フレドに声を掛けられた。
「うん、今から急いで行ってくるね」
「俺も行く」
「まだ明るいし一人でも大丈夫だよ?」
「駄目だ。今はまだ明るいけど、この時期は日暮れたかと思ったらあっという間に暗くなるんだ。行くなら俺も付いて行く」
メルクリオの街に住んで長いフレドがわざわざ言うくらいだから、本当にその通りなのだろう。ノーラの家はそこまで遠くはないけれど、ここは大人しくフレドに従おう。
「分かった、ありがとう、フレド」
「じゃあ、急いで行くぞ」
私の横を通って玄関に向かうフレドの背中を追いかけながら、私は元気よく「うん」と答えた。
エリゼオからノーラの家の場所を聞いていたこともあり、初めて訪れるノーラの家にも迷うことなく到着できた。集合住宅の一つの扉を叩くと、「はーい、どなた?」と中からノーラの声が聞こえた。
「ノーラ、私よ。エリゼオに頼まれて薬湯を持ってきたの」
私が返事をすると、すぐさま扉が開いて中からノーラが顔を覗かせた。
「アリーチェ、来てくれてありがとう。エリゼオから聞いて、アリーチェを待ってたの。フレドも来てくれてありがとう、二人ともどうぞ」
「ロミーの様子はどう?」
中へ案内されながら、ノーラの妹、ロミーの様子を聞くと、ノーラの顔が陰った。
「最初は喉の痛みと軽い咳だけだったんだけど、今は熱も出ていて……」
「そっか、それは心配だね。ロミーの様子を見てもいい?」
「もちろん、こっちよ」
居間を横切って奥の部屋へと案内されると、話し声で起きたのか、ロミーが目を開けて私の方を見ていた。
「ア……リーチェ……」
「ロミー、無理に話さなくて大丈夫。横になったままでいいから、少し身体を触るね」
私はロミーの顔色を見て、額と喉を触る。ノーラに明かりを持ってきてもらって喉の中も確認する。
ノーラが言っていた通り、ロミーは喉の奥が腫れていて、額も首も熱をもっていた。
(昔、弟のフィンが同じ症状の時に喉の腫れを抑える薬湯を飲んでいたから、今日持ってきた薬湯を飲むので大丈夫そうだね……)
私には薬湯を作る知識はあるけれど、実践的な医学知識はない。私に出来るのは、今まで見たことのある症状と、知っている薬湯を結びつけることだけだ。
その為、直接本人を見て、症状を確認してから薬湯を渡すかどうかを判断する必要があった。
「ノーラ、喉の痛みと熱に効く薬湯を飲ませたいから、沸かしたお湯と出来るだけ小さなスプーンを用意してもらってもいい?」
「分かった、こっちだよ」
ノーラの後について台所に行くと、すぐに温かいお湯とスプーン、コップが用意された。私は手提げ籠の中から包み紙を出すと、吹き飛ばさないように気をつけながら、紙を開いていく。包み紙が、内職で書き間違えた廃紙なのはご愛嬌だ。
私は借りたスプーンで粉薬をすくい、ノーラを呼んだ。
「粉薬の一回の量はこれくらい。一度にたくさん入れすぎないように気をつけてね」
「このスプーンでこれくらいだね」
「後は、お湯で溶かして飲ませてね。ほんのり甘いから飲みやすいと思うけれど、嫌がるようなら蜂蜜を少し混ぜてもいいよ」
「分かった、蜂蜜ね」
今ノーラに説明した通り、コップに粉薬を入れてからお湯を少し入れてしっかりかき混ぜる。しっかり混ざったことを確認してからノーラに渡すと、「飲ませてくる」と言ってノーラが席を立った。
そのまま台所で待っていると、空になったコップを持ってノーラが戻ってきた。
「嫌がらずに全部飲んでくれたよ」
「良かった。これでしっかり休めば少しは状態も良くなると思うよ。残りの粉薬は置いていくから、さっきくらいの量を朝と晩に飲ませてちょうだい。三日分はあるはずだから」
「色々とありがとう、アリーチェ」
「あと、私が持ってきた薬湯はあくまで民間療法というやつだから、薬屋で買える薬よりも効果は弱いの。症状が収まらない時は治療院に行くことも考えてね」
「うん……、分かった」
治療院という単語に対して、ノーラは歯切れの悪い口調で答えた。簡単に治療院に行けないから、こうして私の薬湯を頼っているのだとは思う。けれど、効果が劣る以上、ちゃんと伝えておかなければいけないことだった。
「それで、薬湯代のことなんだけど……」
「ああ、無料でいいよ」
言いづらそうに切り出すノーラに、私が無料でいい旨を伝えると、ノーラが目に見えてほっとした表情を浮かべた。
「エリゼオに聞いていたけど、本当にいいの?」
「お金を受け取ってしまうと、治療院や薬屋の利益を侵害してしまうことになるからね」
医療関係は、神殿の既得権益に属する。無償の奉仕であれば問題にはならないけれど、下手にお金を貰ってしまうと、それがバレたときが恐ろしい。神殿に睨まれるなんてことになったら目も当てられない。
「とはいえ、完全無料にしてあれこれと頼られ過ぎても困るから、感謝の気持ちとして、森で集めた木の実や薪、野菜とかを孤児院へ寄付してくれたらいいよ。それならノーラ達の負担も少ないでしょう?」
これは、薬湯を渡すにあたって、孤児院の皆と相談して決めた事でもある。私が個人でやっていたとしても、単なる施しでなく、行動に対しての対価はちゃんと受け取るべきという結論になったのだよね。
感謝の気持ちや、孤児院への寄付という建前もあるから、神殿対策としてもバッチリだ。
それを聞いたノーラは、「それくらいのお礼なら、出来ると思う」とほっとした表情で答えた。
「急がなくていいから、ロミーが元気になってから一緒に届けてね」
「うん……、何から何まで本当にありがとう、アリーチェ」
本当に無料なのかという気持ちや、妹の体調の心配など、色々とないまぜになっていた感情から解放されたのか、不安がすべて吹き飛んだと言わんばかりに、ノーラは晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
アリーチェが持っている薬湯知識はかなり限られていますが、一応、風邪関連は一通り網羅してます。




