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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第三章 ルッツィ孤児院

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33. 駆け引き

「契約……」

「ああ、これを商業ギルドに申請すれば、間違いなく商品として登録簿に載ることになるだろう。それにあたって君と契約をしておきたい。もちろんあくまで仮で、商業ギルドへの登録が済んだ後は、神殿で誓約書を交わすことも考えている」

「えっ、誓約書まで必要なのですか?」


 神殿で交わす誓約書とは、神の名のもとで交わす強力な契約だ。ティート村の礼拝堂でも、土地の売買や重要な場面で誓約書が交わされていたのは知っているけれど、まさかそれを私が行うとは……。

 誓約を破った場合には、頭痛や吐き気、症状が酷くなると心停止も引き起こすなどの罰が下る為、破ることは出来ないと記憶している。


「登録簿に載るような商品契約の場合、神殿で誓約書を交わすのが普通だな。これから交わす契約書は言ってみればただの紙だからな、偽造しようと思えば可能だ」

「それなら、別に今契約書を作らなくても、登録が済んでから誓約書を交わすので問題ないのではないですか? もしかしたら、商業ギルドに登録が出来ないという可能性もあるわけですし……」


 ここで契約を交わしても、絶対に登録が出来るというわけではないのだ。もしかしたら、やはり駄目でしたという可能性もゼロではない。

 契約書や誓約書といった、今まで経験したこともないような大事へと発展した現状に尻込みしていると、ブルーノさんが「駄目だ」と強い口調で否定した。


「言うなれば、契約書は君を囲い込むためでもある。可能性としては低いだろうが、アリーチェがこの情報を他の商会に持ち込むという可能性もあるからな」

「なるほど……、それは全く頭になかったです」


 口約束だけでは、私がこれらの情報を別の商会に持ち込んで商業ギルドに登録する可能性もあるということだね。そう言われれば、ブルーノさんが私と契約を交わそうとするのも納得だし、ブルーノさんが慎重になるのも頷ける。

 逆に言えば、それだけの価値が、この箒型ぞうきんにあると考えているということでもある。


「職業柄、そういう可能性を嫌といういほど見てきたからな。契約事はどうしても慎重になってしまうんだ」

「商人として慎重になるのは当然です。いずれにせよ、ブルーノさんが私の提案を真剣に聞いてくれたお陰で生まれた商品ですから、いまさら余所へ持っていくつもりはありませんよ」

「そうか、それを聞いて安心した」


 ブルーノさんが小さく嘆息していると、レンツさんが契約書用の紙とインクを持ってきてテーブルの上へ置いた。


「それで、これらの情報の買取額だが、大金貨一枚でどうだろうか?」

「――!」


(だ、大金貨一枚!?)


 さらりと示された金額に目を見張りながら、私は内心で冷や汗をかく。価値はあるからそれなりの値段にはなると思っていたけれど、最初の提示でこれほどの額になるとは思っていなかった。

 はっきり言えば、大金貨一枚は今の私の立場からしたらかなりの大金である。以前、道案内の報酬でもらった大銀貨に換算すれば百枚分だ。

 しかし、ブルーノさんが商人である以上、おそらくこの金額は最低額なのではないかな。情報の価値からすれば、実際はもっと買取額を吊り上げられる可能性が高い。


 故郷に帰るにあたって、私が貯めると決めた目標額の下限は大金貨二枚。奉公の支度金が大金貨一枚と小金貨三枚だったから、返却金を引いて残った小金貨七枚を旅費と考えている。

 でもこれは、全ての旅程で宿に泊まるのに十分な予算ではあるけれど、乗合馬車などの移動手段も使うのであればもっと多くの旅費が必要だ。

 旅途中の安全を考えると、更に追加で小金貨五枚は貯めたいのだよね……。


「大金貨一枚では足りないか?」


 私が無言で考え込んでいたため、ブルーノさんが私の様子を伺うように声を掛ける。


(さて、どうしよう……)


 買取額の値上げ交渉をするのは良いのだけれど、流石に倍額の大金貨二枚は無理だよね。商業ギルドの登録にも、神殿での誓約書にも初期投資としてのお金はかかる。

 であれば、やっぱりあの案かな……


「ブルーノさん、提案なのですが、一括ではなく分けていただくというのは可能ですか?」

「ほう、分割払いか」

「私の所感ですが、この情報はおそらく大金貨一枚よりももっと価値があると思っています。ですが、商業ギルドの登録にも、神殿での誓約書にもお金がかかると思いますので、月々の分割にするのはどうかと考えたのです。ただし、特定の期間、毎月一定額を貰うといのではなく、利益に応じて貰うという方法を考えています」

「具体的な数字は?」


 ブルーノさんは、突然提案を始めた私を、面白そうなものを眺めるように見つめる。私は緊張しながら「期間は二年間、毎月の利益の百分の二、というのはどうでしょうか……?」と口にした。


「なるほど、面白い提案をするな。売れない月は支払額が銅貨一枚にもならない場合もあるが、それで良いのか?」

「はい、大丈夫です」


 売上が少なければ全くお金が貰えないという事は理解している。でも、商人であるブルーノさんの様子を見る限り、箒型ぞうきんに対する期待値は高い。

 売上がどれくらい出るかは、今の私には予想できないけれど、需要があるということ自体は私にも予想ができた。


「二年か……」


 ブルーノさんが少しばかり迷う様子を見せた。迷うということは、二年間で支払う総額と一括の支払額を比較すると微妙な線だと予想したのだろう。


(よし、これなら……)

「追加で提案なのですが、月に手取り大銀貨八枚で私を雇ってくれる雇い先をブルーノさんが紹介してくれた場合は、二年を待たずに支払期間を終了する、というのはどうですか?」

「どういうことだ?」

「箒型ぞうきんがとても売れた場合、毎月の利益の百分の二の額がとても高額になってしまう可能性も出てくるかもしれません。その場合に、私を雇うことへ切り替えることで、支払額を抑えられるようにするのはどうでしょうか、という提案です」


 ひらたく言うと、私への毎月の支払額が、雇用税と大銀貨八枚を足したものより高くなることが続くなら、私をブルーノさんの商会で雇いませんか、という話である。

 この支払い方法だと、売上が少なければ、私に支払う額は少なくて済むし、売上が上がったとしても、ブルーノさんが私を雇えば支払額は一定で抑えられる上、ただ支払うだけでなく雇用による労働力が得られるため、支払いによる損失は少なくなる。

 私は高額は得られなくなるけれど、その分安定した収入が得られることになり、最終目標には確実に到達できるという寸法だ。

 もちろん、箒型ぞうきんがとても売れたらという前提の話にはなるけれど、そうなった場合に一応、どちらにも利のある話のはず……。 


「ふっははっ、本当にアリーチェは面白いな。流石に値段交渉はあるだろうと考えていたが、まさかそんな提案をされるとは思ってもみなかった」


 相好を崩してブルーノさんが大きく笑う。私の提案がおかしくて仕方がないといった感じみたい。

 私としては必死に頭を捻った結果なのだけど、こんな風に面白がられるとは思っていなかったよ。


「実は、私には帰りたい故郷があります。ですが、帰るためには沢山のお金を貯めないといけない事情がありまして……」

「それは一括の買取額では足りないと?」

「そうですね、値上げ交渉しても少し足りないと思います」

「なるほど、それでこういう支払い方法を考えたわけか」

「やはり駄目でしたでしょうか……?」


 チラリとブルーノさんの様子を伺うと、ブルーノさんは片手で顎を触りながら、どこか楽しげに聞いてきた。


「条件確認だが、雇い先を私が紹介した場合と言ったが、その場合は先の支払いは無条件で終了するのか?」

「一応、雇われるかどうかの決定権は欲しいです。ブルーノさんの商会で雇うというのであれば拒否はしませんが、別の仕事を紹介される場合は、仕事の内容次第ではお断りすることもあると思います。後、雇用の場合は、最低二年間の雇用を保証して欲しいです」


 給金が高くても、身売りのような仕事を紹介されても困るし、雇ってすぐに解雇されるというのも困る。

 雇われるまでにどれだけの支払いがあるかは分からないけれど、最低二年間雇ってもらえれば、目標金額には届くはず。


「では、我が商会で雇用する場合に、アリーチェが断らないことを条件にするのであれば、その条件で取引しよう」

「本当ですか!?」

「ああ、もちろん。商会にとって損になる条件ではないからな」

「ありがとうございます!」

「では、この条件で取引成立だ」


 ブルーノさんから差し出された手を握り、私達はがっちりと握手を交わす。

 自分でも結構無茶な取引を持ちかけたと思ったのだけれど、ブルーノさんはあっさりと快諾してくれた。

 というか、こんな条件でもあっさり取引できるなんて、この箒型ぞうきんはそれほどの情報だということ……?


(あれ、もしかして最初から大金貨二、三枚とかでも平気で取引できたのでは……)


 脳裏にぽんっとそんな考えが浮かんだけど、慌てて頭を振って考えを払いのける。

 泡銭を欲張るとろくなことがないというのは昔からの格言だし、ちゃんと労働すればお金が稼げる道筋ができたのだから、それで十分だよね、きっと……。


一気に大金を稼ぐよりも、安定して収入を稼ぐ方法を選んだアリーチェです。

だいぶ先行きが明るくなりましたね。


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