30. 早咲きの新芽
ブックマークありがとうございます! 嬉しいです!
「あなたはまるで、早咲きの新芽のようね……」
母にそう言われたのは、私が六歳の時の事だった。
母曰く、幼い頃の私は大人しくて、とても聞き分けのいい子供だったらしい。逆に言うと、静かすぎて、何を考えているのか分からない所があったとのことだった。
活発でいつも賑やかだった姉ルフィナと比べて、余計にそう思われたのだと思う。
まだ森への出入りも禁止されていた為、幼い頃の私の世界は、自宅と家族、僅かな近所の人達だけ。その時まだ存命だった祖母と弟のフィンと共に、私はその狭い世界の中にいた。
そんな私に転機が訪れたのは四歳の時、姉が礼拝堂の学び教室に通うことになったのがきっかけだった。
当時、姉は八歳だったけれど、まだ学び教室には通っていなかった。学び教室は七歳から通えるものの、いつ通うかは本人の自由となっているため、早くから通う子もいれば姉のように遅くから通い出す子もいた。
そして、重い腰を上げた姉に付いて行きたいと言い出したのが、四歳の私だ。
当然ながら、学び教室は七歳からとなっているため、私は駄目だと言われた。しかし、私は食い下がり、学び教室に付いていくのが駄目なら、姉と一緒に森へ行きたいと両親にお願いしたのだ。
それまで大人しく聞き分けの良かった私の突然の我儘に、とても驚いたと、母が後日に教えてくれた。
結局、折れたのは両親だった。神官様にも掛け合ってくれて、大人しくできるならという条件で、四歳の私も姉に付いて学び教室に行けることになった。
ちなみに、学び教室が七歳からなのは、大人しく座っていられるのが、大体七歳くらいという理由からだ。そのため、普段から大人しい私は、四歳でも座っていられるだろうと許可されたというわけだ。
それから、私は姉に付いて熱心に学び教室に通うようになった。とはいえ、四歳の私が石筆を持って文字を書くのも難しいため、主に文字を読んで過ごしていたのだよね。
そのうちに、姉は十分に学んだとして学び教室に通わなくなったけど、私はその後も一人でずっと通い続けた。
私が一通り学び終えたのは、通い始めてから二年経った頃のことだった。
「もう、アリーチェったら時間かかりすぎよ。四歳から通ってたのに」
「そうは言っても、六歳で覚えるなんて凄いぞ。アリーチェは賢いな」
姉には遅いと言われたけれど、兄には凄いと言われて、私は嬉しくなってニコニコしていた。
「ありがとう」
「じゃあ、アリーチェはもう礼拝堂には行かなくなるんだな」
「まだ行くよ。もっと深く知りたいし」
この頃には、私もちょっとずつ森に通うようになっていたけれど、週二回の楽しみを止めるつもりはなかった。
「アリーチェは頑張り屋だな」と兄に言われながら、私の礼拝堂通いはそれからも続いた。
それからしばらく経ったある日、母に二人きりで話があると言われた。寝起きしていたベッドに母と並んで腰掛け、戸惑った様子の母からあることを聞かれた。
「ねえ、アリーチェ。礼拝堂の神官様が、あなたの事を並外れた才能の持ち主だと言っていたの。あなたが礼拝堂の本を全て読んだというのは、本当なの?」
「読んだよ。私は小さいから、全部読むのに二年もかかっちゃった」
「その全てを覚えているのも、本当なの?」
「もちろん、全て覚えているよ。皆と同じ様に、ちゃんと学び終えたよ」
「アリーチェ……」
私の返答に母が狼狽えた理由が分からなくて、そんな母を不思議そうに眺めたのを覚えている。
母への返事に嘘はない。私は二年の間に、学び教室にある全ての本を読み終え、その内容も全て記憶していたのだから。
「アリーチェ、普通はその歳でそんなに沢山の本は読めないし、覚えておくことも出来ないのよ」
「そうなの?」
母から説明された話は、私には衝撃だった。この頃の私は、自他の境が曖昧で、人への興味が薄かったから、自分が出来ることは、当然のことのように周りも出来るのだと疑っていなかった。だから、周りと自分が違う事に全く気がついていなかったのだ。
もう少し注意深く周りを見ていれば、勉強内容が全然違う事に気付けたのだろうけれど、その当時の私の興味は全て本へと向けられていたから、気付くのは難しかったと思う。
「アリーチェ、あなたはまるで早咲きの新芽のよう……。まだこんなに幼いのに、村の大人の誰よりも多くのことを知っているのね……」
確かに、普通の大人よりも多くのことを知っていたと思う。でもそれは、あくまで記憶したというだけ。経験を重ね、本当の意味で知識として自分の中に取り込んだわけではなかった。
まだ六歳の私は、情報だけは多い頭でっかちで、絶対的にあらゆる経験が足りていなかった。
「あなたのその才能は、きっと神様からの贈り物ね。とても素晴らしいものよ」
母が横から私を抱きしめ、優しく頭を撫でる。
「でもね……、今は隠さなければいけないわ。早咲きの新芽は少しの霜で簡単に枯れてしまうの。あなたの才能が広く知られれば、周りがあなたをどんな風に見るか……。ただ遠巻きにするだけならいいわ。でも……、あなたを異端視するかもしれない。霜から新芽を守るように、幾重にも布を重ねて、今は隠さなければいけないの……」
母が悲しそうな顔で「アリーチェ、分かる?」と聞いてくる。私はこの時、言葉の意味は理解していたけれど、何故異端視されるのかはまだ良くわかっていなかった。ただ、母の悲しそうな顔を見て、幼いながらも今は隠さなければいけないと感じた。
「あなたが成長して、色々な事を知っていてもおかしくない年齢になるまででいいの。出来る?」
「多分、出来ると思う」
「そう……、あなたはやっぱり賢いのね」
母を見上げて大きく頷くと、母は安堵したように顔を綻ばせて更に私を撫でてくれた。母の手を心地よく感じながら、やわらいだ母の表情に私は胸の内でほっと息を吐いた。
「ねえ、アリーチェ。あなたは周りの人にも目を向けてみたらどうかしら。個性も様々で色んな人が沢山いるから、あなたが本で色々な事を知った様に、人からも色々な事を知れると思うわ」
「そうなの?」
「ええ、興味を向けてみたら、きっと楽しいわよ」
「そっか……。分かった、やってみる」
私がニコッと笑顔を浮かべると、母は私を強く抱きしめてくれた。その時の私は、母を悲しませてはいけないという気持ちでいっぱいで、どうすれば母が安心できるのかだけを考えていた。
才能を隠して周りの人に目を向ける、それで母が安心するのであれば、ただそれを全力で行おうと、私は強く決意した。
そして結果的に、この出来事は私にとってとても大きな分岐点となった。
きっかけは母の言葉だったけれど、周りに目を向けるようになったことで、本当の意味で私の世界は大きく広がった。そのうちに、自ら様々なことに興味を持つようになっていったし、周りの人々を知ったことで、母が心配していた事が本当の意味で理解できるようにもなった。
少し賢さを見せただけで、小さいくせに生意気と言われた。繰り返すたびにどんどん上達していけば、ズルいと言われた。罠で多くの獲物を捕えれば、贔屓されていると言われた。
母には隠せると言ったものの、いきなり出来るものでもない。周りの人からの反応を経験しつつ、その度に、私はどういう風にすれば良かったのかを少しずつ学んでいった。
家族以外と隔絶し、ただ本の知識のみを吸収していたあの頃とは違う。才能を隠し、他の人に紛れる術を覚えるにつれ、人間関係を円滑にする方法も学んでいった。私は自然と、人当たりよく、明るく親切に変化していったと思う。
そしてその結果、仲の良い幼馴染はできたし、師と仰げる人もできた。人と関わるようになって、嫌なことや衝突することもあったけれど、私は変化し、広がっていく世界を楽しむようになった。
もちろん、才能に関して全てを隠したわけではない。霜対策を考案してみたり、罠猟もそれなりの腕前として認知されたりと、ちょうど良い力加減を見極めて、自分なりに満足した生活を送っていたと思う。
でも、意図せず唐突に、私を取り巻く環境が大きく変わってしまった。村を出て隣の領地に奉公へ行くはずが、今は巡り巡って水の州の大きな街にいる。村の中で目立ち過ぎないように加減していたけれど、故郷を遠く離れた今は、もうそうも言っていられなくなった。
異端視を心配する以前に、生きていかなくてはいけないし、故郷に帰るためにはお金も稼がなければいけない。実際、既に罠猟で沢山の獲物を捕まえているし、必要であれば自分の持つ知識を惜しみなく発揮してきた。
独りぼっちになってから、思えば私はずっと全力だったね。
(母さん、約束はもう終わりでいい……?)
母は大きくなるまでと言っていたけれど、私はもう十分に成長したと思う。メルクリオ程の大きな街であれば、多少突出したとしてもきっとそこまで目立つことはないよね。
(これからは、自分なりに精一杯の力で頑張るね、母さん……)
区切りをつけるように心の中で改めて母に宣言し、私は気持ちを新たにした。
アリーチェが、歳の割に賢い理由が判明しました。
既に力をセーブしていなかったですが、改めて約束の達成宣言をして区切りをつけました。




