2. 森での一幕
「これだけ集まったら、もう十分かな」
籠いっぱいのフーモ草が集まったところで、私は手を止めて立ち上がる。フィンも手にしていたフーモ草を籠に入れながら、手をはたいて立ち上がった。
「それじゃ帰ろう、アリー姉ちゃん」
「帰りは俺が持つよ」と言ってフィンはいそいそと籠を背負う。その顔には、夕食のお肉が楽しみでしょうがないと書いてあった。
本来なら、年上である私が背負うべきなのかもしれないけど、せっかく張り切っている所に水を差す必要もないよね。
それに、フィンと私の身長差はほぼないから、ここはフィンに任せようかな。
はやる気持ちのまま、籠を持ったフィンが素早く窪地を上がる。私もフィンを追いかけて窪地を駆け上がった。
フィンのワクワクが感染ったのか、肉を使った夕食のメニューが頭に浮かんでは消えていく。フーモ草集めが予定よりも早く終わったから、夕食の準備にも早く取り掛かれそうだね。余裕があれば一口くらい味見が出来るかな、と考えながら頬を緩ませてフィンの横に並んで歩き始めた。
「おい、アリーチェ」
森の出口近くまで来たところで男の子三人組に声をかけられた。足を止めてそちらを見ると、真ん中の子が鋭い視線でじろりと私を見た。
「おまえが角ウサギを捕まえたって本当か?」
険を含んだ言葉と表情に、フィンが警戒するように私の手をぎゅっと握る。左右に子供を従えて、私をじっと見てくる男の子はこの村の村長の息子で、名前をカルロという。年は私の一つ上なのだけれど、成人間近の男性ほどの背丈があった。
「ええ、チェロンさんが私の罠に掛かってたって言ってたわ」
「チェロンさんに、また仕掛ける場所でも教えてもらったのか?」
『また』を強調するカルロの顔には不満そうな色が浮かぶ。私は殊更柔らかい笑みを浮かべるとカルロの赤い瞳を見つめ返した。
「獲物が掛かったのは、森の女神の囁きのおかげだよ」
村では、森で起こる幸不幸は森の女神次第と教えられている。女神の囁きに耳を傾ければ幸運が、囁きを聞き逃せば不運が訪れるというものだ。実際に女神様の声が聞こえるわけではないけれど、森では些細なことも見逃さないように、という教えが込められているのだと思う。
格言を使ってはぐらかされたと思ったのか、「本当はどうだか」と言ってカルロは首を軽く反らした。
「獲物だって、譲ってもらったんじゃないのか」
握ったフィンの手にぎゅっと力が篭もる。視線をカルロに固定しているからフィンの表情は見えないけれど、安心させるように優しくフィンの手を握り返す。
私は微笑みながら、困ったように小首を傾げた。
「現場を直接見たわけじゃないから、そう言われたら否定はできないけれど、チェロンさんがそういう事をする人じゃないことはカルロもよく知っているでしょう」
「ふんっ、チェロンさんはいつもおまえに甘いだろ」
「チェロンさんは決まり事を守る子供たちみんなに優しいよ。でも、今回はチェロンさんが見つけてくれて良かったかも。角ウサギが罠に掛かっている所に遭遇しても、私だったら最後のトドメを刺すのに手間取りそうだもの」
チェロンさんなら血抜き作業も無駄がないから、もたついて血の匂いが肉に付くこともない。それに角ウサギが相手だから、最後の足掻きで反撃される可能性もあったわけだし……。
「確かに、どん臭いおまえには角ウサギの相手は無理そうだな」
「もし罠に掛からずに、そのまま浅い森に出現していたらもっと大ごとになっていたかもね……」
「その時は俺が仕留めてやったさ。それを言うなら、おまえのせいで俺の活躍がなくなったわけか」
「カルロなら問題なく倒してくれそうだけど、皆に怪我がないのが一番だよ」
遭遇する人が皆、対処できるとも限らないから、罠で捕獲出来たならそれに越したことはない。
「それはそうと……、角ウサギはちゃんと周りにも配れよ」
いつもの憮然とした顔ではなく、周囲を気にする様子を見せながらカルロがぶっきらぼうに言った。わざわざ私を呼び止めたのは、これを伝えたかったのだろう。
普通の獣と違って、滅多に捕まえられない魔獣を独占しようものなら、確実に周囲から白い目で見られるのは間違いない。
「勿論そのつもりだけど、注意してくれてありがとう」
「別に、そういう意味で言ったんじゃない。意地汚く独り占めするんじゃないかと思っただけだ」
眉間にシワを寄せてカルロはそっぽを向く。そんなカルロにくすりと笑みを零しながら、私は「そうだ」と両手を叩いた。
「村長の所には角ウサギの角を持っていくよ。角は幸運のお守りになるって聞くし、お肉よりもそっちの方が珍しいよね?」
「まあ、それはそうだな……」
「なら決まりね。後でカルロの家に持っていくね」
「あ、ああ」
私の提案に戸惑うカルロをよそに、「それじゃ、また後で」と言ってフィンの手を引き、三人組の横をすり抜けた。
そのままずんずんと早足で歩き続け、森と村を区切る魔獣避けの生け垣まで戻って来たところで――
「俺、あいつ嫌い」
そんな呟きとともにフィンが足を止めた。
「いつも姉ちゃんに嫌なこと言ってくるし、あんな奴に角なんかあげなくていいよ」
私は苦笑いを浮かべながら、俯くフィンの横顔を見つめた。
フィンがカルロの事を嫌うのもまあ分かる。いつも今日みたいな調子だから、そういう場面を見ることが多いフィンからしたら、嫌な奴と思っても仕方がないよね。
でも、カルロは少し不器用なだけで、悪意があるわけではないことを、今は知っている。
「言葉はあんなだけど、悪い人ではないんだよ? それに、あれでも前よりはマシになっているし……」
「あれで?」
理解できないと言わんばかりにフィンは顔を顰めた。本当に以前に比べたら断然マシなんだよ、と心の中で呟きながら、私は昔の事を思い出す。
カルロが私に意地悪をするようになったのは、フィンが森に出入りするよりもずっと前の事だ。あの頃のカルロの意地悪は思い返しても酷かったと思う。子供だから加減を知らないわりに、大人がいないタイミングを見計らう知恵はあったものだから、タチが悪いとしか言いようがない。
ブサイクと言われたり、虫をけしかけられたり、揚げ句の果てには小川に突き落とされたこともある。カルロにとって私の何がそんなに不満なのか分からなくて、その時はただただ怖かったのを覚えている。
相手は村長の息子ということもあって、これ以上怒らせないようにカルロの目を避けて行動したり、声を上げたり、嫌がったりしないように気をつけた。
でも、カルロの意地悪は止まるどころかどんどん助長していき、そして遂に決定的なことが起きた。平たく言えば私の我慢の限界が来たのだ。
その日、私はカルロから容姿の事を悪く言われていた。私の家族はみんな赤や茶色の髪色なのに、私だけがぼんやりとした灰色の髪を持っていた。姉ルフィナの鮮やかな赤毛を羨ましく思っていた私は、「家族の中で、おまえだけが薄汚れたネズミのような髪色だな」と笑われて、カッと頭に血が上った。
自分でも髪色を気にしていた私にとって、その言葉はとても腹立たしいものだったけれど、それだけならまだ我慢できた。でも、カルロはそれだけで終わらず、更に私の瞳のことまでも悪口を言ったのだ。
「まるでゴミが浮かんでいるような変な瞳だ」
そう言われて、私は心が凍りつくような怒りを感じた。なぜ他人のカルロにそんな事を言われなければいけないのか、母が素敵だと褒めてくれた瞳を、なぜ馬鹿にされなければならないのかと、私は心の底から腹が立った。
家には自分の姿を映せる物がないから、自分自身で見たことはないのだけれど、私の真っ黒な瞳の虹彩には、所々に光の粒が入ったような模様があるらしい。幼い私に対して、母はよく「まるで星が瞬く夜空みたいで素敵よ」と言っていた。母のその言葉が嬉しくて、黒い瞳は幼い私の宝物だった。
だから、カルロが投げつけた言葉がどうしても許せなくて、感情がぐちゃぐちゃになった私は、大泣きした。それはもう、今までにないほどの泣きっぷりで――
「なんで私にだけ意地悪するの? 私が何か悪いことをしたの? 嫌いなら嫌いでいいから放っておいてよ! 意地悪ばっかりしないで!」
これまで涙一つ、文句一つも言わずにじっと耐えていた私からは想像もできないくらい、はっきりとした拒絶をカルロにぶつけた。
自分でも止められない大粒の涙を流す私を前に、カルロと一緒になって意地悪していた男の子たちはオロオロと動揺していた。その中でもカルロの動揺は顕著で、青ざめた顔で呆然と立ったまま「別に嫌ってなんかいない」「そんな風に泣かせるつもりはなかったんだ……」と呟いていたのを覚えている。
これまで私に散々意地悪していた人が、どうして狼狽えて私を見つめるのだろうかと、泣きながらも不思議に思ったものだ。
爆発した感情を全て出しきったことで、徐々に落ち着きを取り戻した私は、カルロの顔を観察していてふとあることに気が付いた。恋心をつのらせて姉に付きまとっていた男性が、姉に拒絶された時に見せていた顔にそっくりだということに……。
(あぁ、カルロは私のことを嫌っていたわけではないんだ)
この時、人の心の中には言葉や行動に表れない隠された本音もあるのだということを、私は生まれて初めて学んだ。
今まで、会話の表面のみを捉えていた私は、その時から言葉だけでなく表情や声色までをしっかり見て、人の心の内までも読み解いて会話するようになった。あの出来事は私にとって大きな成長点になったと思っているし、それに気づかせてくれたカルロには感謝している。
よくよく思い返せば、カルロも最初から意地悪だったわけではなく、初めは普通に遊ぼうと声をかけてくれていた。ただ、カルロの横暴な態度が合わなくて、私が避けるようになった頃から意地悪が始まったのだと思う。意地悪をしてでも遊びたかった、気を引きたかったというやつなのだろう。
とはいえ、カルロ達の行動は少しばかり度が過ぎていたから、周りの大人に知られていたら大事になっていただろう。もしそんなことになれば、母を悲しませるのは目に見えていたから、家族には口が裂けても言えなかったけどね……。
村長の息子であるカルロに睨まれるのを恐れて、嫌がらせに気付いた子供も口を噤んでいたから、実際今でも家族は知らないはず。
私が大泣きして以降は、直接的な意地悪はされなくなったし、カルロの心の内も対応の仕方も分かったから、大きな問題ではなくなったけどね……。
私が物思いにふけっていると、「アリー姉ちゃん?」と軽く手が引かれた。
「ごめんね、ちょっとぼーっとしてた」
「それって、もしかしてカルロの嫌味のせいじゃないの?」
「違うよ。意地悪な言い方だけど、カルロの言葉は他の人が心の中で少しは思っていることだから、私はちゃんと受け止めておいたほうがいいの。それに、お裾分けの件も助言してくれていたでしょう?」
「あれを助言と受け取れるアリー姉ちゃんが凄いよ」
フィンの言葉に私は苦笑いを返す。私も直接的な言葉だけで判断していた頃は、助言と受け取れなかったと思う。
「フィン、好きな子にはちゃんと優しくするんだよ」
「ばっ、何で急にそんな話が出るんだよ!」
「フィンは好きな子にどんな風に接するのかな、って話」
ひっくり返った声で焦るフィンに笑いかけると、私はフィンの手を引っ張って一歩を踏み出した。
「さっ、早く帰ってご飯の準備しよう」
「うんっ!」
その後、家に帰った私はチェロンさんが持ってきてくれた角ウサギを捌き、約束通りに角は村長の所へ、お肉はご近所へと配った。そして、配った先々でお返しを色々ともらい、この日の夕飯には稀にみるご馳走が並んだ。
これには母と兄姉も普段以上に「良くやった!」と沢山褒めてくれた。誇らしい気持ちもあるけど、それ以上にくすぐったくて私は終始頬をゆるませていた。
好きな子に意地悪な態度をしてしまう、ザ小学生男子ですね。
アリーチェは年の割には精神が成熟してます。