26. 雨の中の来訪者
ブックマークいただき、本当にありがとうございます! 更新頑張ります!
ここ数日更新がなかったのですが、PVは増えてて少し嬉しい……。
「どなたですか?」
「私は、エルミーニ商会のレンツといいます。孤児院長への取り次ぎをお願いします」
私の問い掛けに、雨具を着た二人の男性のうちの一人が答えた。
(エルミーニ商会……)
名前だけなら私でも知っている。ここメルクリオの街で化粧品を取り扱っている大商会だ。木工工房を通して、孤児院に内職の仕事を卸している商会が、このエルミーニ商会であると聞いたことがある。
私は後ろに下がり、「どうぞお入り下さい。すぐにご案内します」と笑顔で答えた。
私の会話を聞きつけたのか、アガタが廊下に顔を出した。
「アリーチェ、お客さん?」
「アガタ、ちょうど良かった。院長先生にエルミーニ商会の方が来ていると、伝えてもらってもいいかな」
「え? 分かった、伝えてくる」
驚きを浮かべたアガタが、パタパタと足音を立てて廊下を駆けて行くのを見送った私は、再び二人に顔を向けた。
「雨具、お預かりします」
雨具を脱ごうとしていたレンツさんに声を掛けると、レンツさんは脱いだ雨具と帽子を私に差し出した。私がそれを玄関横のフックに掛けていると、レンツさんはもう一人の男性の雨具を脱がせていた。
その様子から、もう一人の男性はレンツさんよりも立場が上なのかもしれないと予想する。いかにも従業員といった格好のレンツさんに対して、もう一人の男性は灰茶色の髪を後ろに撫でつけ、仕立ての良い服を着ていたところを見る限り、店主や副店主などの立場の人なのかもしれない。
商会の偉い人が何の理由で来たのかは分からないけれど、少なくとも良い話ではないのはすぐに分かった。
柔和な笑みで内心を読ませないレンツさんに対して、もう一人の男性は不機嫌な顔を隠しもせず、イライラした様子を見せていた。
(一体、どんな理由で……)
眉間にシワを寄せる男性を窺い見ながら、私の胸には不安が広がっていく。
もう一人の男性の雨具も受け取ってフックに掛けると、「こちらへどうぞ」と声をかける。男性は私をじろりと見てから、無言で私の後ろをついてきた。
途中、伝達役を終えて戻るアガタとすれ違いながら、私は院長室の前まで進んだ。扉をノックし、中からの返事を待って扉を開けると、マリサさんが立ってお客を出迎えていた。
「まあ、ブルーノさん。エルミーニ商会の方がいらっしゃったと聞いていましたが、まさか商会長自らお出でになっているとは思っていませんでした。何かあったのでしょうか?」
(商会長!?)
雨の中、商会長自ら足を運ぶなんて、余程のことがあったに違いない。想像以上の事態に、私の不安は更に強くなる。
二人に席を勧めるマリサさんを見つめながら、私は静かに扉を閉めて廊下に出た。そしてそのまま食堂に戻ると、シエナが台所でお湯を沸かしているのが見えた。
「何をしているの?」
「お客さんに出すお茶を用意しているの」
話を聞くと、領主の従者や商会の人などが訪問した際には、特別に紅茶を出すようになっているみたい。
普通の家に嗜好品の紅茶が置いてあることは稀だろうけれど、領主の出資で運営するルッツィ孤児院ならではなのだろう。
せっかくなので、シエナの横について、紅茶を入れている様子をじっくりと見学させてもらう。茶葉がお湯に温められ、深みのある芳香が台所に広がった。
(茶葉ってこんな香りなんだ……、やっぱり本で読むのとは全然違うね)
後は持って行くだけとなった時に、シエナがとても暗い顔をしているのに気が付いた。不安からなのか、トレイを持つ手が微かに震え、茶器に注がれた紅茶がゆらゆらと揺れている。
そんなシエナの様子を見て、一つ思い当たる事があった。
孤児院に入ってすぐの頃、シエナは大人の男性や怒鳴り声が苦手であることを聞いた。シエナが街へ出掛けずにずっと孤児院にいるのも、それが理由みたい。
何故そうなのか詳しい理由は聞いていないけれど、シエナの様子を見る限り、単なる苦手といったものではないのかもしれない……。
「シエナ、私が持って行こうか?」
「アリーチェ、いいの? ありがとう……」
私の言葉に、シエナがほっと安堵の表情を浮かべた。お節介かと思ったけれど、この様子だと代わって正解だったみたいだね。
私はシエナからトレイを受け取ると、再び院長室へと向かった。
「そんな、突然そのようなことを言われても困ります」
ノックしようとした瞬間、中からマリサさんの声が聞こえてきた。扉を挟んで外まで漏れ聞こえてくるなんて、余程焦っているのだろう。
「こちらの厚意を裏切ったのはそちらだろう」
「まだ、こちらで作った物が原因と決まったわけでは」
「呼び出して確認すればすぐに分かることだ」
「それは……」
にべもないブルーノさんの声に、マリサさんが口ごもる。声が途切れたタイミングで私が扉をノックすると、細い声で「どうぞ」と返事があった。
片手でトレイを支えながら扉を開けると、マリサさんとブルーノさんが向かい合ってソファに座っていた。
ブルーノさんはむっつりと不機嫌そうに唇を曲げ、マリサさんは色を失った顔で私へと視線を向ける。
「紅茶をお持ちしました」
テーブルに二つのカップを置くと、ブルーノさんがじろりと私を見た。
「この孤児院で、木工細工の内職をしているのは誰だ? 君か?」
怒りの滲んだブルーノさんの声に、私は思わず息を呑んだ。
(シエナがこの場にいなくて良かった……)
突然、こんな風に怒りをぶつけられたら、恐怖で身を震わせることになっていたことだろう。
それにしても、木工細工? 内職で何か不都合な事でも起こったのだろうか……。
「私ではないですが……」
「なら、内職をしている子供をここに連れて来い」
「――!」
マリサさんを振り返ると、マリサさんは困惑顔で私を見つめていた。なるほど、さっき扉の外で聞いた会話で、マリサさんが言葉を途切れさせた理由が分かった。
主に、木工細工の内職をしているのはシエナだ。マリサさんがさっき言い淀んでいたのは、シエナをここへ連れてくるのを躊躇していたのだろう。
指示を仰ぐ様にマリサさんを見つめていると、マリサさんはしばし逡巡した後に、苦悩の顔でゆっくり頷いた。
(この状態では、そうする他ないのだろうね……)
私は、ブルーノさんに「少しお待ち下さい……」と答えた後、重い足取りでシエナの所へと戻った。
食堂で皆と勉強をしていたシエナを呼び出し、ブルーノさんが木工細工の内職をしている子供を、怒った様子で呼んでいることを伝えると、案の定シエナは顔を真っ青にして身体を強張らせた。
普通、自分のことを怒って呼んでいると聞けば、誰しも驚くし、怖いと思う。男の人を怖がっているシエナであれば、その恐怖は一層強くシエナを怯えさせているのだろう。
「何で、私を……」
「それが、私も詳しい話は分からなくて……。何か心当たりはある? 失敗したとか、間違えたとか」
シエナが少し考える様子を見せたけれど、思い当たる事がなかったのか、首を小さく振った。
「……いつもと同じ事しか、していないと思う」
「そっか……」
「私、どうしよう……」
胸の前で震える手を握りしめ、怯えた表情のシエナが呟く。私が木工細工の内職に関わっていれば、シエナの代わりに話をするくらい出来たのだけれど、あいにく私がしている内職はマリサさんと同じ書写のため、代わることは難しかった。
でも……
「大丈夫だよ、シエナ。私も一緒に行くから」
震えるシエナの手を優しく握りしめながらそう言うと、シエナは驚きで目を見張る。
(こんな様子のシエナを一人では行かせられないよ……)
私が出した結論は、私も一緒に行くというものだっだ。誰かが付いていくのであれば、それは同性でシエナの次に最も歳が上の私の役目だろう。
「誰かが側にいれば、少しは恐怖を和らげられないかな? 私は説明は出来ないから、側にいるだけになってしまうけど、一人よりは心強いでしょう?」
「ありがとう……、アリーチェ」
私が微笑みかけると、シエナは顔を強張らせながらも小さく笑みを浮かべて頷いた。
私は食堂に一度戻り、立て込んでいるため少し早いけれど今日の勉強会は終わりにすること、残って自習していきたい子はしてもらって構わないことを伝える。そして、シエナと共に院長室へと向かった。
部屋に入るなり、ブルーノさんの鋭い視線が私達に向けられる。身体を強張らせるシエナを安心させるように、シエナと繋いだ手にきゅっと力を込めた。
「それで、内職をしていたのはその子か?」
「ええ、そうです……」
ブルーノさんの問いかけにマリサさんが答えると、ブルーノさんが「君か」と語気を強めてシエナを見た。
「一体何をしたんだ。君が作った容器のせいで、商会は損害を被るかもしれないんだぞ」
ブルーノさんの有無を言わせない迫力に、私とシエナは大きく息を呑む。強く握られたシエナの手が、シエナの恐怖を強く伝えていた。
不穏な空気ですね……。
次回、商会長の怒りの理由とは?




