25. 雨の日の勉強会
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「アリーチェ、計算これで合ってるか?」
「アリーチェ、言われた通り書けたよ」
「はいはい、順番に行くから待っててね」
私はおざなりに返事をすると、今見ている子が書いた数字に視線を落とし、計算が合っているかを確認した。そして、次に声をかけてきた子の所へと移動する。
私は今、孤児院の食堂で子供たちに勉強を教えている。文字や計算を学ぶ子の中には、孤児院の子だけでなく北区の子供たちの姿もあった。
それぞれが持ち込んだ勉強道具――木札や炭ペン、石板や石筆使って勉強する姿は、真剣そのものだ。
私が何故このようなことをしているかと言うと、きっかけはグラートの一言だった。
「なあ、アリーチェ。お前が賢いなら、ヤコポに簡単な文字とか教えてくれないか?」
罠の講習会をするようになって少し経った頃、グラートがそんな言葉を切り出してきた。
「ヤコポは地頭はいいと思うんだが、小神殿の学舎には通えてなくてな……。基礎の基礎だけでいいんだ」
小神殿の学舎は、ティート村の礼拝堂での学び教室と同じ様なものだ。洗礼式を迎えた子供を対象に、希望者に簡単な文字の読み書きを教えてくれるというもの。
もちろん、ここメルクリオでも無料で受けられるという点は変わらない。
ただし、北区の子供の大半は、小神殿の学舎へは通っていない。それは孤児院の子供たちも同じだった。
通えていない理由はとても簡単。学舎へ通うよりも日々の生活を優先しているからだ。週に数度あるかの学習機会よりも、森へ通って生活の糧を取ってくる方が、彼らにとって優先度が高かった。
後、もう一つ通えていない理由があるけれど、それはあまり気持ちの良いものではない。学舎で他の子供が見せる、北区の子供への視線。
スラムのある北区は、他の区から見れば、一括りに貧民街という扱いだ。とは言え、北区の子供たちが学舎に通うことは、この街に住む者として等しく与えられた権利である。
とはいえ、便宜上そうだとしても中身が伴わないことはよくあることだ。学舎の中で向けられる、視線と言葉が嫌で通っていないという子もいるらしい。
グラートがお願いしてきたのは、先程のような理由から学舎に通えていないヤコポに、勉強を教えて欲しいというものだった。
グラートの心配は良く分かる。多少とはいえ、学があるかないかでは雲泥の差だ。まして、ここはティート村のような田舎ではなく大きな街なのだから、学舎での基礎勉強は、学んでいて当然の事と見られるだろう。
弟の将来を心配して私に頼んでくるグラートの気持ちが、私には痛いほど分かった。
そしてその心配は、私が孤児院の子供たちに対して思っているのと同じである。フレド達も学舎には通えていない。
前から気になってはいたものの、自分から学ぼうとしなければ身につくものではないから、何もできずにいたのだよね。今回ヤコポの勉強を教えるようになったら他の子達も刺激を受けるのではないだろうか……。
「グラート」
「何だ?」
名前を呼ぶと、少し緊張した様子でグラートが私の返事を待つ。
「それって、ヤコポの意思はちゃんと確認したの?」
「それは……」
グラートが、気まずそうに視線を宙に泳がせる。これは、ヤコポに確認せずに私に打診したな……。
「では、駄目ね」
「そっか……」
「本人の意志が確認できたら、また言ってちょうだい。教える日の相談と、ヤコポがどれくらい勉強が出来ているかも確認しないといけないし」
「えっ、いいのか?」
断られたと思ったからか、私がさらりと提案した内容に、グラートはポカンとした顔になる。
「もちろん。基本的な内容にはなるけれど、ヤコポにやる気があるなら、私で良ければ教えるよ」
「ありがとう、アリーチェ!」
私が笑顔で答えると、顔に喜色を浮かべたグラートが大きな声を上げた。
その後、教えてもらいたい旨を、ヤコポ本人から直接お願いされ、私が勉強を教えることが決まった。
教える場所は孤児院の食堂を考えていたので、その事を孤児院の子供たちに伝えると、俺も私もと、年長組と年中組の全員が自ら手を挙げた。
(通えてはいないけど、やっぱり皆勉強への意欲を持っていたんだね……)
こうして、ヤコポ以外の北区の子供も加え、十数人を私がまとめて面倒を見ることになった。勿論その中には、ヤコポもグラートもいる。罠の講習会に比べればそこまで多くはないけれど、こちらも追々増えていくかもしれないね。
ちなみに、罠の講習会の方は希望者がどんどん増え、結局は森に通う子供の殆どが教えて欲しいと言ってきたため、人数を区切って順番に教えていってる感じだ。全員に教え終わるには、まだしばらく時間がかかると思う。
罠の講習会をすることにした時、孤児院長のマリサさんに立派な行動だと褒められたのは記憶に新しいけれど、勉強会を開くことになった時は、マリサさんからとても感謝されることになった。
孤児院の子供たちの学習を心配していたのは、マリサさんも同じだったみたい。とはいえ、マリサさんは毎日忙しくしているため、気になっていながらも手を打てずにいたらしい。
実情を知っているので、私にもマリサさんのもどかしい気持ちが理解できた。
マリサさんが忙しいのは、内職で書写の仕事を引き受けているからだ。ルッツィ孤児院は、領主からの出資を受けているとは言え、子供たちにちゃんとした生活を送らせてあげたいと考えたら、それだけでは十分ではない。
その足りない分は、マリサさんが内職で稼いだお金で補っているのが実情だ。
子供たちも日雇いや別の内職をしているけれど、それはあくまで、各自が成人になった時に必要なお金である。得たお金の中から僅かなお金を孤児院に入れているけれど、そこまでの額にはならないので、結局のところマリサさんの内職を減らすことも難しいらしい。
新しくお世話になった身としては、心苦しい話である。
(お金があることの重要性を痛感するね……)
「……アリーチェ、これでちゃんと書けている?」
名前を呼ばれ、他のことを考えていた私の意識が引き戻される。私を呼んだのは三人いる年長組の中の一人、シエナ。普段は、孤児院で年少組のお世話をしたり内職をしている、ふわふわの黄土色の髪が特徴的な物静かな女の子だ。
「ちゃんと書けているよ、シエナ。これで名前はバッチリだね」
「良かった……」
名前の綴りが全て合っていることを確認した私がそう伝えると、シエナはホッとした表情を浮かべた。
基本的に、孤児院にいるシエナは、最初は基本文字も読めず、計算が少しできるだけだった。その為、前回の勉強会の際に基本文字を教え、今回は自分の名前を練習していたのだ。
勉強会は今日でまだ二回目なのだけれど、空いた時間に勉強して、基本文字をしっかりと覚えたシエナの意欲は高い。
もちろん、それは今日の勉強会に来ている子供たち全員にも言える。地頭は良いと言っていたグラートの言葉通り、同年齢の子と比較した中で一番進みが速いのはヤコポだった。
ちなみに、日雇いの仕事によく出かけている年長組の男の子二人は、商業ギルドで張り紙を見て日雇いの仕事を受けたりするので、基本文字や簡単な単語、簡単な計算などは出来ている状態だ。とはいえ、読めない単語も多いため、二人もこの勉強会には参加している。
「次は何を練習したら良い?」
「んー、そうだね……」
料理によく使う野菜の単語をいくつか書いてあげると、シエナは真剣な表情で私の真似をして文字を書き始める。私はそれを確認すると、次の子の所へと移動した。
何人かの確認を終え、一瞬手が空いた私は、ふと視線を外に向ける。外は生憎の雨模様。薄く開いた窓の隙間からは、さあっと軽い雨の音が聞こえていた。
(今日はよく降るね……)
明日も雨の場合はどうしよう。二日続けて勉強するのもきっと疲れるよね、と考えながら私は窓の外を眺める。
私が勉強を教えることになった時、フレドやグラート達と相談した結果、勉強する日は雨の日ということが決まった。
雨の日は、北区の子供たちも森へは行かない。余程の理由があれば行く子供もいるけれど、大半は家の中で過ごすのが常だ。
勉強会が不定期にはなるけれど、森へ行けない事を心配しなくていいという点は、北区の子供たちにとっては重要なことだった。
今のところ雨が程よく降っているけれど、雨が続いた時、または雨が降らない時にどうするかを、フレド達と相談しておく必要があるね。
私がそんなことを考えていると、何処かで何かを叩く音が聞えた気がした。
――トントン
耳を澄ますと、再び音が鳴った。雨の音かと思ったけれど、どうやら誰かが扉を叩いているみたい。
「今、玄関扉が叩かれたよね?」
「そうみたいだね、誰か遅れてきたのかな?」
音に気づいたアガタが私に話しかけ、私もそれに肯定で返す。来るのが遅れた子供の可能性もあるため、「確認してくるね」とアガタに伝えて、私は席を立った。
「どなたですか?」
玄関を開けた先にいたのは、雨具を着た二人の男性だった。
シエナは年長組の十三歳の女の子です。
玄関先にいた二人の男性は一体……。
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