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1. 村での暮らし

ここから三話ほど、ほのぼのとした日常になります。

 遠くに聞こえる朝鳴き鳥の声に起こされ、私の意識がぼんやりと浮上する。そのままもぞりと体を反対に向ければ、すやすやと寝息を立てて眠る姉がいた。

 寝ぼけ眼をこすりながら、姉を起こさないように静かにベッドから出ると、肌着の上に素早く服を着る。そして、そのまま部屋を出て一階へと下りた。


「今日は私が一番乗りだね」


 しんと静まり返った台所に人の気配はなく、私の呟きだけが台所の中に響く。私は水甕の近くに置いてあった桶を手に取ると、鍵を外して扉を開けた。

 外に出た瞬間、ひんやりとした冷たい空気が頬をなでる。季節の上では春が始まったばかりだけれど、山間にあるこの村の朝はまだまだ冷え込む。私は朝が明けたばかりの澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、共同の井戸に向かって歩き出した。


 周りを海に囲まれた国――ユースィミア国の南に位置する火の州。ここティート村は、火の州の中でも州都から遠く離れた山間にある田舎の村である。

 葡萄作りを主な産業としているティート村では、家々のすぐ近くまで葡萄畑が広がっているけれど、まだ芽の出ていない葡萄の枝は、春の暖かさを待つように沈黙している。

 途中、すれ違う近所のおばさんに挨拶しながら井戸へ着いた私は、いつもの様につるべを落として井戸から水を汲み上げた。重たくなった桶を両手で持ちながら家へ帰ると、起き出した母が台所に立っていた。


「アリーチェ、おはよう」

「母さん、おはよう」


 竈に火を点けている母に元気よく挨拶すると、私は桶の中の水を水甕に入れた。私はその後も家と井戸との往復を繰り返し、水甕が満ちる頃には台所に食欲をそそる香りが広がっていた。

 温められた昨晩のスープの匂いに引き寄せられたのか、兄のサントと弟のフィンが目をこすりながら起きてきた。家族六人のうち四人が台所に揃ったので、まだ寝ているのは姉と父だけだ。

 朝の準備が残り少しとなったところで、私は姉を起こしに二階へと上がった。私と姉の部屋の扉を開け、イモムシのように丸まっている姉に声を掛ける。

 

「ルフィナ姉さん、そろそろ起きて」

「うぅん、もう少しだけ……」

「そろそろ父さんが起きてくるよ」


 流石に父より遅くなるのはまずいと思ったのか、姉は欠伸をしながら身体を起こし、のろのろと準備を始めた。


「ふあぁ、眠い」


 そんなに眠いなら夜更かししなければいいのに、と思ったけれど、賢明な私はその言葉を飲み込んだ。姉が夜中に家を抜け出して恋人と会っている事は、私以外の家族は知らない。

 もし、恋人との逢瀬の事を指摘したら最後、「父さんが聞いていたらどうするの!」と姉に怒られるのは目に見えている。姉を思っての言葉でも、恋人に熱を上げている姉には余計な一言なのだろう。

 まあ、父親にバレたら不味いのは、姉の外出を黙認している私も同じだ。口数が少なく普段は物静かな父だけど、怒らせたら怖いのは私も姉も重々知っているからね。


 この秋で十五歳になる姉のルフィナは、妹の私から見てもとても魅力的な女性だ。出る所は出て、引っ込む所はきゅっと引っ込む。小柄で凹凸の少ない私と比べると雲泥の差である。


(あと四年で私もこんな風に成長するのだろうか……)


 姉と私のベッドを整えながら、支度をしている姉の身体をじっと観察しているけれど、別段姉のようになりたい訳ではない。

 魅惑的な身体に加え、姉は容姿も整っていて、愛想も良い人である。だから、男性によく言い寄られるのだけれど、考えなしに愛嬌を振りまくものだから、他の女性から不要な嫉妬を買っているのも事実なのだよね……。

 姉の周りで起こる小さな諍いを見ている私からすると、やはり何事も普通が一番なのだと思う。


 そのうちに姉の着替えが終わったので、姉と共に一階に下り、私は朝食の準備に戻った。テーブルに朝食が並び、姉が朝の支度を済ませたところで、ちょうど父が起きてきた。

 姉は、まるでずっと前から起きていたかのような顔で振る舞い、他の家族と混じって父に挨拶をする。その容量のいい姉の姿を、調子がいいんだからと思いつつも、憎めない気持ちで見つめていた。

 私も父に挨拶をしながらテーブルに着き、今日も姉の夜の外出がバレなかったことに、心の中でほっと安堵の息を吐いた。



「大いなる神々の恵みに感謝します」


 皆でそろって食前の祈りを口にした後、朝食を食べ始める。


「アリーチェ、今日も森に行くのかしら?」


 硬いパンをスープに浸して柔らかくしていると、母が今日の予定を聞いてきた。私はパンを食べながら今日の予定を思い出す。


「今日は学びの日だから、午前はフィンと一緒に礼拝堂だね。午後は森に行く予定だよ」

「そう、なら虫よけの草が切れそうだからお願いしてもいい?」

「分かった、集めておくね」


 葡萄農家をしている我が家にとって、葡萄に付く虫は大敵である。新しいツルが伸びる時期だし、害虫対策は重要事項だった。


「母さん、俺も集めるよ!」

「ありがとう、それじゃ二人共よろしくね」


 俺も、と手を上げるフィンが母にお願いされて笑顔を浮かべる。まだ草むしりくらいしか手伝えないフィンにとって、家業の手助けができるのは嬉しいのだろう。

 フィンと一緒に採取をするなら今日は草取りだけに集中かな……、と今日の森での行動を頭の中で計画しながら、私は残りのご飯を黙々と口に運んだ。


 朝食後、葡萄畑へ向かう両親と兄姉を見送り、私は行き渋るフィンを連れて村の広場の側にある礼拝堂へと向かった。

 村の礼拝堂では、洗礼式を終えた七歳以上の子供を対象に、週一回の学びの教室が開かれていた。しかも無償で受けられるのだから、とても有難い話である。

 ちなみに、フィンは「頑張って勉強しても村ではそれほど役に立たないじゃないか」と言って学び教室に行くのは乗り気ではない。でもそれは表向きの理由で、本当は気になっている女の子に下手な文字を見られたくないというのが一番の理由だということを、私は知っている。

 そんな所がまだまだ可愛らしい弟だよね。渋りながらも結局欠かさずに通っているし、思考を切り替えて、勉強で良い所を見せるぞ!とやる気を出してくれたらいいのにと、こっそりと思っていたりもする。


 一方、私は礼拝堂へ行くのが何よりも楽しみだ。本を開くときの高揚感、知らなかった物事を知り、知識を深める瞬間の喜び――それは、私にとって何より日々を輝かせてくれる。

 とはいえ、学び教室で教えてもらえることを全て学び終えた私は、勉強を受けている子供達の横で、本を読み進めながら自習に励んでいるのが現状だったりする。

 村の子供達の大多数は、フィンと同様に勉強に対して消極的なので、礼拝堂の神官様から見ると、私のような勉強熱心な子供の方が珍しいみたい。


 今日も、礼拝堂の学び部屋の隅で本を読んで過ごし、皆が勉強を終えると、へとへとになったフィンとともに来た道を戻る。「今日もお疲れさま」と優しくフィンをねぎらうと、疲労困憊の様子で「頭が疲れた……」とフィンが呟く。

 一度家に帰って勉強道具を置いた後、今度は籠などの採取用の荷物を持ってそのまま二人で森へ向かう。注意が必要な場所、行ってはいけない場所などは熟知しているので、私たち二人でも問題はない。というか、この村の子供達は時間が空いている時は大抵が森へ行くため、森の浅い部分は子供の遊び場と言っても過言ではないのだ。

 村の北側にある魔獣避けの植え込みを抜け、森の中へと入っていった私達は、母に頼まれていた虫よけの草が群生する場所へと足を進める。頭を使う勉強の時間と違って、森を歩くフィンの足取りはイキイキと軽やかだった。

 途中、同じように籠を背負って野草を摘んだり木の実を拾う子供達に声を掛けながら進むこと少し、私たち姉弟は目的の場所に到着した。日射しが入りにくい湿気た小さな窪地には、びっしりと虫よけの草――葉が渦巻き状にくるくるしているフーモ草が生えていた。


「草を摘む前に、パンを食べようか」

「そうだね」


 フーモ草は摘むと手がとても臭くなる。その臭いのおかげで虫を追い払うことができるのだけれど、臭くなった手でパンを食べたいかと聞かれたら、私もフィンも全力で拒否するだろう。

 私たちは窪地の手前に並んで座り、荷物の中からいつものパンを取り出した。スープがないので、持ってきた水を使って、口の中で硬いパンをふやかしながら少しずつ食べる。ここへ来る途中で摘んだ野苺とパン、これが今日の私たちの昼食だ。

 決して多いとは言えない食事を早々に平らげたフィンは、まだ食べ足りない様子で私の手元に残る野苺を見る。育ち盛りのフィンには、それだけでは足りなかったのだろう。


「野苺、もう少し食べる?」


 一応聞いてあげると、満面の笑みとともに「食べる! ありがとう、アリー姉ちゃん!」と元気な返事が返ってきた。私の残りの野苺を分けてあげると、指についた汁まで舐める勢いであっという間に食べてしまった。

 私の背が伸びない理由って、こうやってフィンにちょくちょく食べ物を分けてあげているからだったりするのかな? まあ、フィンが嬉しそうにしているから、いいのだけどね……。


 食事が終わると、私とフィンは窪地に降りてフーモ草を集め始めた。丁寧な採取が必要な薬草でもないので片っ端からプチプチと葉部分をちぎる。根が残っていればまたすぐに新しい葉が生えてくるので、摘むのはあくまで葉だけだ。


(この場所だけでも十分に生えているから、別の場所への移動は必要なさそうだね)


 持ってきた籠の半分くらいまでフーモ草が集まった所で、何かが下草を鳴らす音が聞こえた。私が手を止めて顔を上げると、同じ様にフィンも顔を上げて周囲に注意を払う。森の浅い場所とはいえ、野生の獣と遭遇することもあるため、何かが移動している音には注意が必要だった。


「おーい、アリーチェはいるか?」


 私の名前を呼ぶ声に、私とフィンは顔を見合わせながらそっと息を吐く。


「チェロンさん、私はここよ!」


 私は聞き覚えのある声に返事をすると、立ち上がって窪地から顔を出した。


「ここにいたか。会えて良かった」


 私たちの姿を確認すると、顎と頬にヒゲの生えた熊のような大柄な男性が、片手を上げて近付いてきた。私たちに声を掛けてきたのは、この森の猟師、チェロンさんだ。この人は私の罠猟や薬草作りの師匠でもある。

 獲物を捕まえることを目標に、チェロンさんから罠作りを教えてもらう子供はそれなりにいるけれど、実際に獲物を捕まえる所まで習得できる子供は意外と少ない。

 罠猟で獲物を捕まえるには、獣の痕跡を探して獣の通り道を見極めたり、獣にバレないように罠を仕掛けるコツも必要なのだ。チェロンさんに許可をもらって罠を設置できる子供は、私も含めて村に四人しかいない。それは、私の密かな自慢だったりする。


「チェロンさん、何かあったの?」

「おまえさんの仕掛けた罠にこいつが掛かっていてな。相手が相手だったもんで、すぐに仕留めておまえさんを探していたんだ」


 そう言いながら、チェロンさんは背中に担いでいた獲物をどさりと地面に置いた。地面に転がされた獣はウサギに似た風貌をしているけれど、ウサギではない。大きさは通常のウサギの二倍以上もある上、額には立派な角が一本生えていた。


「角ウサギ!」


 角ウサギはただの獣ではなく、魔獣と呼ばれる魔力を持つ獣である。角で突進してくる少しばかり厄介な相手だけれど、魔獣としての脅威度はそこまで高くない。対処には注意が必要だけれど、私でも対処が可能な魔獣だ。そんな角ウサギが罠に掛かっていたなんて、とても幸運だったね。

 とはいえ、角ウサギは森の浅い部分で見かけることはなく、本来はもっと森の奥で見かける魔獣のはずなのだけれど……。


「これが私の罠に掛かっていたの?」

「ああ、少し先の大岩近くの仕掛けだ」

「大岩の近く……」


 私はこの森の数カ所に罠を仕掛けさせてもらっているけれど、罠の場所は全て浅い森だけだ。さっきチェロンさんが指摘した場所も例外なく森の浅い部分だった。


「浅い森に魔獣が現れるなんて……どうして?」


 私は思わずチェロンさんの言葉に眉をひそめた。


「魔獣が浅い森に出たとなれば、村長に知らせておかねばならん。こいつは村長に見せてから、後で家に持って行くのでいいか?」

「ええ、もちろんよ」


 村の規則どおり村長に報告するのは当然だけれど、それ以上に、この異変の原因が気になった。ただ迷い込んできただけであればいいけれど、魔獣の数が増えすぎた結果だったり、強い魔獣が生まれてそれに追われてのことだったりする可能性もある。

 後日に、どういう理由で浅い森に現れたのかを調査するはずだけれど、結果がわかるまで気を抜けないね……。


「チェロンさん、私に手伝えることがあったら言ってね。もし罠が必要ならたくさん作るから」

「そりゃまた気が早い。まあ、いつもの迷いウサギだろう」


 髭だらけの顔をくしゃりと崩して笑うと、チェロンさんは「心配いらん」と言いながら、再び角ウサギを担いで森の出口の方へ向かって歩いていった。

 明日か明後日には、装備を整えたチェロンさんが森の奥を調べに行く事になるだろう。危険がなければいいのだけれど……。

 チェロンさんの後ろ姿を見送っていると、服の端がくいくいと引っ張られた。


「アリー姉ちゃん、もしかしてさっきのやつって食べられる?」


 さっきまで静かにしていたフィンが、目をキラキラさせながら私に尋ねる。角ウサギを捕まえたのは初めてだったけれど、以前チェロンさんが食べられると言っていたはず。


「ええ、食べられるわよ」

「やったー!」


 跳び上がりそうな勢いで、フィンは両手を高く上げた。

 わが家の食糧事情からすると、お肉は毎日食べられるものではない。お肉が出たとしても、主たる労働力である両親と兄姉が優先されるため、私やフィンに回ってくるお肉の量は微々たるものなのだ。

 母は、自分の量を減らしてでも私たちの食べる分を増やそうとしてくれているけれど、母がそれで倒れでもしたら、その方が大変である。私は母が無理を重ねないように目を光らせている一方、私のお肉をフィンに分けて上げることもあるから、結局、食べている量が一番少ないのは私、なんてことも……。

 罠猟に獲物が掛かった日は肉の量が普段よりも多いので、私もフィンもお肉がしっかり食べられるご馳走の日なのだ。最近お肉を食べていなかったから、そろそろ罠に掛かって欲しいなと思っていたのだけど、まさか魔獣が掛かるとは……。

 角ウサギとは予想外だったけど、これで母の助けにもなるね。


「あっ、いつものようにご近所へお裾分けをしなきゃだから、その分少なくはなるわよ」

「もちろん分かってるって。でも、普段のウサギよりも倍の大きさってことは、取れるお肉も倍ってことだよね!」


 後でがっかりさせないようにお裾分けの事を伝えると、ちゃっかり皮算用したフィンが腕を広げて満面の笑みを浮かべる。


「しっかり計算出来ているみたいだね。それじゃ、早く帰ってお肉の下ごしらえをするためにも、残りの草集めを頑張ろうか」


 私がクスクスと笑いながらフーモ草の入った籠を指差すと、「任せて!」とフィンは元気よく窪地にしゃがみ込んだ。さっきよりも早いスピードで手を動かすフィンの隣に私も腰を下ろすと、再びフーモ草を摘み始めた。


アリーチェは山間の村で暮らしています。

父母、兄姉、本人、弟の六人家族で、食糧ヒエラルキーは一番下です。


お読みいただきありがとうございます!

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