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15. 小さな縁

評価ありがとうございます! すごく嬉しいです!

(何故、こんな事になったのだろう……)


 理解が追いつかないまま、私は細い路地をひたすら走る。さっきの出来事が夢だったのではないかとさえ思うけれど、痛む脇腹がこれが現実であることを主張する。

 到着したメルクリオの街でドンテさんに連れられて行った先は娼館だった。ワケも分からず、このままでは駄目だと反射的に逃げ出したけれど、今の私には行くところなんてない。

 何処かにじっと隠れていようかとも思ったけれど、じっとしていると悪い想像ばかりが頭に浮かんでしまう。今にも見つかってしまうのではないかという激しい恐怖に襲われて、いても立ってもいられずに、ずっと街の中を移動し続けていた。


 商店が並ぶ通り、大きな市場に噴水、住宅地、墓地にと様々な場所を回る。本で読んだことのある噴水を初めて目にしたけれど、感動する余裕もなくひたすらに走って歩いてを繰り返す。疲れて足が痛んでも、這い上がる恐怖が足を止めることを許さなかった。



 どれくらい時間が経ったのだろうか。街の鐘は既に三回鳴っている。この街がどれくらいの頻度で鐘を鳴らしているのかは分からないけれど、太陽の位置を考えたら、とっくにお昼は過ぎているだろう。

 雲に隠れた太陽を見上げながら、朝のワクワクした気持ちで一杯だった自分を懐かしむ。何も知らなかった頃の自分は、なんと幸せで愚かだったんだろう。

 今の私は、移動し続けた足はズキズキ痛み、ぐっしょりと汗をかいた身体は服がピッタリと張り付いて気持ちが悪い。途中に見つけた井戸で水は飲むことが出来たけれど、お腹は空腹を訴える。森を彷徨った時はもっと酷い状態だったのに、今の自分の方がずっと惨めで愚かで、心の底から泣きたくなった。

 そんな心の内を表すように、ポツリと雫が空から落ちた。ポツポツだった雨は、やがて大きな雨粒となって地面を叩き始める。

 突然の大雨に、まばらにいた通行人は蜘蛛の子を散らすように散乱する。私も雨宿りできるところを探して小走りで通りを進んだ。


 少し行った所の裏路地で、ちょうど手頃な雨宿りの場所を見つけた。裏路地にひっそりとあった勝手口は、数段の段差がある上、二階がせり出しているので二重の意味で雨を防げる。裏路地入口からは少し陰になっているので、よく見なければ見落としてしまう、そんな場所だった。人が勝手口から出てきた時は、普通に謝ろう……。

 私は膝を抱えるように段差に座り込むと、喉の奥からこぼれ出るように深い溜息が漏れた。思えば、この街に入って初めて座るような気がする。通り雨かと思った雨は、今も夏の日差しに温められた石畳を濡らしていた。

 私は石畳を跳ねる雨粒をぼんやりと眺めながら、朝のことを思い返す。


(私、本当に売られそうだったのかな……)


 突然のことで、怖くなって思わず逃げてしまったけれど、ドンテさんは本当に私を売るつもりだったのだろうか……。

 もしかしたら建物を間違えたとか、看板だって私の勘違いかもしれない。実はあそこで別の仕事を紹介してもらうつもりだったという可能性だってあるじゃないか。

 やはり、あそこに戻った方がいいのだろうか。今ならまだドンテさんもいるかもしれないし、そしたら全部誤解だったって場合も……。

 ぐるぐると思考が空回りする中、私は再び溜息をついた。


(現実を見よう……)


 ちゃんとドンテさんは建物の確認もしていたし、看板だって見間違いじゃなかった。娼館で女の子が紹介される仕事なんて一つしかない。

 さっきの建物に戻れば真実が分かるかもしれないけど、もし私を売り払うつもりだったなら待っている未来は暗い。やっぱり戻れないよね……。

 走り回る事で気が紛れていたのに、座り込んで思考を始めたことで、ずっと目を逸らしていた悪い想像がどんどんと浮かび上がる。


 ずっとドンテさんとベルラさんは親切にしてくれたけど、本当は最初から騙されていたのかもしれない。優しくしてくれたのは、ただ無償の労働力が欲しかっただけで、行くあてのない子供なら従順で扱いやすいと思ったのかも……。

 ドンテさんとベルラさんに裏切られたことは悲しい。でも、正直に言うと、裏切られた以上に、私自身の人に対する見極めや洞察が間違っていた事が何よりショックだった。


(人を見る目はあると思っていたのに……)


 でも今日、その根底がガラガラと音を立てて崩れた。ドンテさんとベルラさんは、困っている私を助けてくれた優しい人達だと、頼りにして大丈夫だと思ったのに裏切られた。二人を信用した私の判断が、完全に間違っていたのだ。

 今までの自分の洞察の全てが間違いで、ただの独りよがりだったのかもしれない。自分の中の迷いや動揺が、猜疑心に変わってどんどん膨らんでいく……。


(私が二人を見誤っていたなら、他の人達は?)


 生まれてからずっと一緒にいた家族に対しても、私は正しく見えていたの? 私が見えていなかっただけで、本当は別の真実があったりしないだろうか……。


(母さんは私を気遣ってくれていたけれど、本当にそうだった?)

 

(うまく言葉で誘導されただけで、どうあっても私を貴族の所に行かせようとしていなかった?)


(姉さんは本当に駆け落ちしたの?)


(貴族に売られるのが嫌で、私に押し付けて逃げたのではなくて?)


(ティート村の人達も、何も知らずに勘違いしたまま、貴族の所に売られていく私を、陰で嗤っていたの?)


 私が気付かなかっただけで、家族も村の人達も嘘をついていたのかもしれない……。

 疑いだしたら、全てが全て偽りに思えて、恐怖が際限なく広がっていく。ぐちゃぐちゃになった感情で涙がこみ上げてきて、私は膝を強く抱えた。

 一度流れ出した涙は止まることはなく、後から後から溢れて頬を濡らす。唸るような嗚咽が、私の震える唇からこぼれた。


(怖い……)


 寒くはないのに、ガタガタと体中から震えが起きる。私は自分自身を抱きしめると、ただただ小さくうずくまって嗚咽を漏らし続けた……。




 ふと、沈んでいた意識が浮上して、ぼんやりとした頭で周りを見回す。たくさん泣いて気が緩んだのか、どうやらあのまま寝てしまっていたみたい。雨もいつの間にか止んで、傾いた陽が裏路地に長い影を作っていた。

 朝早かったし、走り回って疲れたとはいえ、気を抜きすぎだ……。たくさん涙を流したせいか、瞬きをすると瞼が重かった。


(これからどうしよう……)


 さっきはただ恐怖しかなかったのに、泣いた分だけ今は少しだけ他の事を思考できるくらいにはなっていた。

 目下の悩みは、今晩どうするか。自分の手元にあるお金は僅かしかなく、宿に泊まることは難しいだろう。もし仮にお金があっても、私みたいな子供では相手にされないか、吹っ掛けられるかのどちらかだよね。

 街を出て、森の中で野宿する手もあるけれど、街に入る時にまたお金がかかる。

 ひとりで何とかする方法を考えないと……。また誰かを頼って信じることは、今の私にとって途方もなく難しく、かつ恐ろしいことだった。今は、自分の人を見る目が信用出来ない。

 私は暗い瞳で、地面に広がる水溜りをぼんやりと眺める。


(また判断を間違って裏切られるくらいなら、もうずっと独りでいた方が……)


「君、大丈夫か?」


 精神的に思い詰め、暗い思考に沈んでいた私は、突然かけられた言葉にビクッと身体を震わせる。考えに没頭していて、全然気付かなかった……。

 恐る恐る向けた視線の先にいたのは、ひとりの青年。夕陽を背にしたその人は、裏路地の入口近くに立って私をじっと見つめていた。


 その青年を目にした瞬間、私はよく分からない不可解な感覚に襲われる。何故か気になって目が離せず、そのくせこの場所からすぐに逃げ出したくてたまらない。そんな相反する感覚に自分自身も戸惑いを覚える。


(この人はこの家の人? それともただの通行人? 衛士ではないよね?)


 色々な想像が頭に浮かんで、私は注意深く観察する。さっきまであれほど不安と恐怖、猜疑心に苛まれていたのに、青年の姿を見ていると不可解な感覚に気を取られて、少しだけ心が軽くなるような気がした。


(さっきまであんなに心が暗く沈んでいたのに……)


 夕暮れの光を浴びて、青年の金色の髪がキラキラと光る。夕日が照らしているからだろうけれど、私には何故か青年自身が優しく光っている様に見えた。

 そんな場合じゃないと頭では分かっているのに、綺麗だな……と場違いな感想が頭に浮かんだ。


「体調が悪いのか?」


 尋ねながら青年が数歩足を進めると、自分でも何とも説明できない感覚がさらに強まる。私は混乱しながら、ただ首を横に振った。

 青年は少し首を傾げると、路地に出来た水たまりを踏みながら私へ距離を詰める。路地を進むにつれ、逆光で陰になっていた青年の顔立ちが明らかになっていく。

 本来なら、いざという時にすぐ動けるように立ち上がるべきなのだけれど、私は根を下ろした大樹のように動けずに、歩いてくる青年をただ見つめていた。その理由は簡単、その青年がとんでもなく美男子だったから。

 ふわっとした柔らかな白金髪に、キリッとした金の瞳。私が今まで目にしてきた男性の数はそう多くはないけれど、絶対に一般的でないのは良く分かる。ここが大きな街だとしても、こんな美形がゴロゴロいては世の女性も男性も困ることだろう。


(あれ、もしかして変な感覚はそれが理由だったりする?)


 美形に目が眩んで気が緩むとは、仮に不可解な感覚の原因がそれだとしたら、少し複雑というか……。

 私がそんな風に考えていると、青年が私の近くで足を止めた。


「それとも、ここの家の子かい?」


 言葉だけを聞けば探られているのかと思うところだけれど、柔らかい表情で問いかける様子は、私を怯えさせないように気遣っているように見えた。

 私を窺うような青年の視線に居心地悪さを感じながら、私は喉をつまらせながら「……違います」と小さく呟いて、青年の視線を避けるように顔を下げた。


「では、何故ここに?」


 すっと青年が腰を下ろして私と視線を合わせる。その動きはあまりにも自然だったけど、私はその姿を見てギョッとした。

 地面は石畳で舗装されているとはいえ、少し前まで降っていた雨で地面は濡れている。膝をついたことで、青年が纏っているマントの裾が、水を吸って色を変えていた。

 濡れることを厭わずに目線を合わせたことには驚いたけど、それ以上に驚いたのは青年の服装だ。簡素な格好をしているものの、仕立ての良い服でどう見ても普通の平民が着るようなものではなく、その上、腰には佩剣していた。私は頭から血の気が引くのを感じながら、慌てて立ち上がる。


「あの、ここで雨宿りさせてもらっていました」

「わざわざ神殿区域で?」


 青年も立ち上がりながら、更に質問を重ねる。そうか、ここは神殿区域だったのか。あちこち走っていたから、ここが神殿区域ということに気が付いてなかったよ。

 神殿区域に入ること自体は問題ないと思うけど、私みたいな子供が用事で通りかかる場所でもない。こういう場合はなんと答えたらいいのだろうか……。娼館に売られそうになって逃げて来たなんて説明できないけど、何となく嘘をつくのは止めたほうがいいと、私の中の何かが警鐘を鳴らしていた。


「墓地に行って、戻る時に回り道をしてたら雨に降られてしまって……、ここで雨宿りしているうちに眠ってしまったみたいです。ごめんなさい、すぐに出ていきます」


 ここに来る前、いろいろ回った中には墓地もあったから、噓は言っていない。もし彼が神殿に仕える騎士や貴族に準じる立場であれば、不審がられると命の危険に繋がる可能性もあるため、私はすぐさま頭を下げて謝意を示した。

 頭の中では、ベルラさんが言っていた貴族は危険という言葉がぐるぐると回っていた。


「神殿区域は比較的治安が良いとはいえ軽率だ。うたた寝するなんて不用心過ぎる」

(あれ……思っていた反応とちょっと違う)


 注意を受けるのではないかと焦ったけれど、青年の態度は私を気遣うもので、声には優しさが込められているように感じた。私は頭を少し上げて、青年の表情を遠慮がちに見つめる。

 様子を見る限り、この人は私を心から心配してくれているように見えるけど、本当の所は分からない。もしかしたら、また私が見誤っているかもしれないし……。

 私が不安そうに目を向けていると、青年の金色の瞳と視線が合って、ふわりと柔らかく微笑まれる。馴染みのない秀麗な笑みに、なんとも言えない動揺が心に走った。


(この人……、自分の顔立ちの良さを理解したうえで、それを武器として使っているのではないだろうか)


 穿った見方かもしれないけど、あながち間違いではないと思う。そんな風に考えていると、気が抜けたといえばいいのか、胸に巣食っていた不安が少し解けていくのを感じた。

 思考がすこし横に反れたけど、とりあえずは、ここにいた事を咎められる心配はなさそうで、私はホッと胸を撫で下ろした。


この話の1場面が、プロローグとなってます。

ようやく最初と繋がりました。


この青年は一体……。

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