14. 伯爵領メルクリオ
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メルクリオ近くの村に泊まった私とドンテさんは、翌朝早くに村を出発した。ここまで乗ってきたロバと荷馬車は村に預けて、私達は徒歩で街へと向かう。
村には同じ様に朝早くにメルクリオの街に向かう人がたくさんいて、慣れた足取りで道を進み、橋を越えて門の内側へと吸い込まれていく。
大きな橋や門にも驚いたけど、街に入るだけでお金を支払う必要があることにも驚いた。通行税というらしく、私達は旅人という扱いだったけど、多くの商品を持ち込む商人だと、通行税は更に高くなるらしい。
ちなみに、私の分の通行税はドンテさんが支払ってくれた。ギリギリ支払えるだけのお金はあったのだけど、遠慮するなと言って払ってくれたのだよね。ドンテさんには本当に色々と感謝しかない。
「うわぁ、凄い……」
街へと入った私は、好奇心の赴くままに、あちらこちらを見回しては「凄い」と連呼する。さっきから凄い以外の言葉をまともに喋っていない気すらする。それ位、メルクリオの街に入った私は驚きの連続だった。
今私が見える範囲で、全ての道は石畳で舗装され、全ての窓には窓ガラスが嵌め込まれている。
もちろん私が生まれ育ったティート村にも窓ガラスも石畳もあった。でもそれは大半がくすんだガラスで、透き通ったガラスは礼拝堂や村長の家、裕福な大作人の家などに嵌め込まれていただけだったし、石畳にいたっては村の中央広場の周辺に敷かれていたのみだ。
移動の際に通った町でも、敷かれた石畳や窓ガラスが多くて驚いていたけど、それと比べてもこの街は規模が違いすぎる。
更に驚くべき事に、ここから見える窓ガラスの全てが濁らず透き通っているうえに、明らかに窓の面積が広いのだ。もしかしたら大通りに面した限られた場所だけなのかもしれないけど、それでも凄いとしか言いようがない。
周りを確認しながら進むドンテさんの後ろを、私はキョロキョロしながら進む。ドンテさんは以前に来たことがあるからか、確認しながらではあるけれど、その歩みには迷いがない。
門から通じる大通りを直進し、十字路を更にまっすぐ進んで突き当りを左に曲がる。先程の大通りほどではないけど、こちらの道もそれなりに大きな道だね。
様々なお店や工房が立ち並ぶ道を、私はさっき以上に興味津々で眺めながら進む。
食料品を売るお店に、靴屋に煙草屋に薬屋、宿屋からは朝の支度を終えた人が出発する姿もあった。
キョロキョロしすぎて歩みが遅くなっていた私に、ドンテさんが「こっちだ」と言って横道を指差す。ワクワクしている私に反して、街に緊張しているのか、ドンテさんは少し固い表情をしていた。
今いる通りに比べて、そちらの横道は少しだけ道幅が狭く、人通りがまばらで、まだ閉まっているお店が多い。私がドンテさんの後に付いて歩いていくと、その道を少し進んだところでドンテさんの足が止まった。どうやら目的の場所はここのようだ。
二階建てで、外から見る限りしっかりとした作りのようで、白や黄土色が基調となっている建物が多い中、この建物は目立つ赤茶色の外壁をしていた。
(そういえば、この通りは全体的に壁の色が派手な建物が多かったような……)
ふと浮かんだ考えに、左右の建物に視線を向けると、店を示す為の看板が私の目に入った。
(――マグと……花?)
その看板には、ティート村でもよく咲いてる姿を見かけたサルビアの花と、ビールマグが彫刻されていた。
何故これがここに……? 私は頭が真っ白になった。心臓が激しく鼓動し、耳の奥がどくどくと脈打つ。
(そんな……、何かの間違いだよね)
「入るぞ」
ドンテさんの言葉が私の耳に届き、停止した世界が動き出す。私はぎこちない動きでドンテさんに顔を向けると、平静を装って小さく頷いた。
店は開いていない様子だけど、両面の扉のうち片方は開きっぱなしになっている。その扉から中に入るドンテさんの後に続いて、私も扉をくぐった。
中は外観から見たとおりに広く、大小のテーブルがいくつも並んでいる。吹き抜けの二階もあって、そこにもテーブルがいくつがあるのが見えた。入口の対面奥にはカウンターがあり、そこで何か作業をしていた強面の男性が手を止めて私達を見た。
「何か用か?」
ドンテさんは私を手で制止すると、ひとり男性の元へ要件を伝えに行った。低いボソボソとした二人の話し声が断片的に私に届く。店主に用事があって来たこと、紹介の手紙があること。
少し話した後にドンテさんが戻って来て、奥で少し話してくることを私に伝えると、テーブルに乗せられた椅子の一つを下ろす。そして、左奥の扉から出てきた別の男性と共に、ドンテさんは奥へと消えていった。
ドンテさんの後ろ姿を見送りながら、私の頭の中ではガンガンと警鐘が鳴り響く。さっき見た看板が頭からずっと離れない。
私にはティート村に幼馴染の女の子がいる。宿屋の娘で、繁忙期には私も宿屋の手伝いをすることもあった。その際に、宿屋に泊まる人達から街の話を聞くこともあったし、下世話な酔っぱらいの話を耳にすることもあった。
例えば、街にある娼館の話。酒屋の看板に花の絵があれば、そこは酒と春を売るお店。貧しい村では、口減らしの為に娘が娼館に売り飛ばされることもあるのだと……。
(ここにいては駄目だ。逃げなきゃ……)
私は目の前に置かれた椅子には座らずに、カウンターの方へ向かう。
「すみません、お手洗いは何処にありますか?」
「ああ、そっちの奥だ」
男性は、ドンテさんが出ていった左奥の扉ではなく、カウンターの右にある扉を指さした。私は早足にならないように気を付けながら扉に向かって歩き、ノブに手をかけたところで「待て」と声がかかる。
心臓がバクバク鳴っているのを気取られないように、自然な感じで首を傾げながら視線を向けると、男性は私が持っている荷物を指さした。
「手洗いに行くならその荷物は邪魔だろう。預かっといてやるよ」
「……ありがとうございます」
お手洗いに持って行くのには、確かに大きすぎる荷物。貴重品が入っていると言っても良かったけど、少しでも早くこの場から逃げたくて、お礼を言って持っている荷物をカウンターへと置いた。もともと身に付けていたポシェットだけを持つと、今度は呼び止められることなく扉をくぐる。
私が出た先は建物と壁で囲まれた小さな中庭だった。私は後ろ手に扉を閉めると、すぐに周囲を見回す。
隅っこにお手洗いがあって、井戸や物干し場もある。今出てきた建物とは別に左と前にも建物があって、全て繋がっている構造みたい。右側は壁で、多分隣の建物の一部。
逃げるならここ、と右側の壁にぺったりと身体をくっつけると、建物と建物の間に隙間が見えた。大人にはまず無理な幅だけど、子供でしかも小柄な私ならなんとかなるかもしれない。
望みをかけて隙間に身体を入れると、狭いけれどギリギリ通れそうな幅だった。
(いける!)
そのまま身体をねじ込ませ、焦燥にかられながら隙間を前へ前へと進む。隙間に転がるゴミに隠れる虫が驚き逃げ回るのを感じたけれど、それを気にする余裕もなかった。不安と恐怖で頭が一杯になりながら、ザラザラとした壁の間を必死に進む。隙間の最後に手がかかった時は、安堵で思わず泣きそうになった。
隙間から転がるように抜け出し、開放感から顔が緩んだのも束の間、突然現れた私を訝しがるように見る通行人の姿が視界に入る。
(早くここを離れないと……)
周りからの視線に、再び頭の中が不安と恐怖で支配される。私は息つく暇もなく立ち上がると、追い立てられるようにすぐさま走ってその場を逃げ出した。
思わず、反射的に逃げ出してしまったアリーチェ。
アリーチェが逃げる先には……。