13. 私の選択
先日のベルラさんの提案には本当に驚いた。まさか本当の子供にならないかと言われるとは、思ってもいなかったよ。
故郷からひとり遠く離れた私に掛けてくれた言葉としては、これほど親身で思いやりに溢れた言葉はないだろう。だからこそ、申し訳なさが先に立つ……。
ベルラさんはゆっくり考えたらいいと言ってくれたけど、色々と考えて私が出した答えは、故郷に帰りたい、だった。この選択は困難な道であることは理解しているけど、やっぱり心からの願いに嘘はつけないよね……。
「何の関わりもない私にここまで親切にしてくれて、本当にありがとうございます。ここの子になったらいいと言ってくれて凄く嬉しかったけど、やっぱり私、家に帰りたい……です」
「そう……、では街に行くのね」
二日前と同じ夕食後の時間、同じ様に話を切り出すと、小さくため息をつきながらベルラさんが肩をすくめた。
「せっかく言ってくれたのに、本当にごめんなさい」
「良いのよ、アリーチェならそう言うんじゃないかと、なんとなく分かっていたから。ここ二日は、前にもまして上の空だったでしょう」
うぅ、やっぱりバレバレだったか。でも、気付いていても、何も言わずにそっと見守ってくれていたのだね。
「本当に、凄く大変よ?」
「大変なのは覚悟の上です」
「奉公はどうするの?」
「もし何か言われたとしても奉公に行かずに済むように、支度金分のお金も稼いでから帰るつもりです。その分、帰るのはかなり先になるとは思うけど……」
もし何か言ってきても支度金を返せるようにしておけば、何とでも対応できるだろう。それにお金を貯めるのにかなりの年数がかかるだろうから、死んだと思われている人間のことは微塵も気にかけない可能性だって高い。
「……アリーチェの気持ちは分かったわ。じゃあ、せめて街までは送らせてちょうだい」
「それは……」
「心配しなくて大丈夫よ。ドンテが近くの村や町へ木炭を売りに行くついでに送っていくだけだから」
「そうなんですか?」
私が視線をドンテさんに向けると、ドンテさんは無言で頷いた。
「最近はずっと若い人に任せていたんだけど、少し前まではドンテもよく売りに行っていたのよ。ちょうどそろそろ売りに行く時期だしね」
「ああ、任せておけ」
「お二人とも、ありがとうございます」
こうして、私は三日後にこの村を去ることが決まった。
その残された三日間、私はベルラさんたちの家で出来る限りの手伝いをして過ごした。
ここに来た当初は羊の毛を梳いてふわふわにする作業を手伝っていたけれど、その作業はベルラさんと私の二人がかりですでに終わり、今は羊毛を糸に紡ぐ作業を手伝っている。
「アリーチェは、教えれば教えただけ上達していくわね」
「ベルラさんとミアさんの教え方が上手いからですよ」
ベルラさんの娘であるミアさんが、私の糸紡ぎを見て上手に出来ていると感心の声を上げる。今日は、ベルラさんとミアさんと一緒に、おしゃべりしながら羊の毛を糸に紡ぐ作業をしていた。
ミアさんは沢山の羊を育てる羊農家で、合間の時間で羊毛作りや機織りもしているらしい。ベルラさんほどの細かな織物は織れないけれど、ミアさんもそれなりの腕前みたい。
今日は私がもうすぐいなくなるということを聞いて、一緒に手仕事をしながらおしゃべりに花を咲かせていた。
「このまま冬までいたら、機織りも教えてあげられるんだけどね。きっとあなたなら素晴らしい腕前になるんじゃないかしら。今からでも考え直さない?」
「ミア……」
「母さんだって本当はアリーチェがいてくれたらって思ってるでしょう? 私もアリーチェが居いてくれたら、父さん母さんの心配がなくなるもの」
私は曖昧な笑顔を浮かべながら、何も言えずにいた。娘の立場からしたらその気持ちは分かるけど、それが理由で決めたことを覆すわけにはいかない。
それに、ベルラさんの熱心な誘いを断ってしまったこともあり、今の私には少しだけ気まずい話題だった。
「うちの息子もあなたのこと気に入ったみたいなのよ。今日は一緒に来られなくてとても残念がっていたわ」
この前ミアさんが来た時は、息子も連れてきて私に紹介してくれた。私より一歳年下のそばかす顔の可愛い男の子だったけど、今日は父親の手伝いをしているらしい。
話をした印象では人見知りする子だと思っていたんだけど、ミアさんの話通りなら照れて恥ずかしがっていたのかな。
「絶対に街で働くよりいいと思うわよ。アリーチェ、今からでもやっぱり考え直さない?」
「私は……」
「ミア、止めなさい。アリーチェが困っているわ」
「はぁい。本当に残念ね」
ベルラさんが「ごめんなさいね」と謝ってくれるけど、突然転がり込んだ私を受け入れてくれたこの人たちには感謝の気持ちしかない。
ベルラさんとドンテさんは二人暮らしだから、娘としては同居する人がいたほうが安心なのも分かる。でも、それは誰でもいいという訳ではない。任せてもいいと思えるほど、信用されているということだ。
(こんなにも去ることを惜しんでくれているのだから、居る間はせめて精一杯恩返しをしなければ……)
そこから、残りの時間は手伝いと家事に明け暮れ、出発前日にはベルラさんとドンテさんがささやかながらもお別れ会を開いてくれた。
そして、私がここに来て二週間目、今日はいよいよ私が出発する日だ。夜が明けきらないおぼろの薄明かりの中、私は荷馬車に木炭を積む手伝いをする。ドンテさんの炭焼き仲間と共にどんどんと木炭を積んでいくと、あっという間に準備が終わった。
最後にロバに荷馬車を括り付けているドンテさんを横目に、見送りに来ていたベルラさんと挨拶を交わす。
「ベルラさん、お世話になりました」
「それじゃ元気でね、アリーチェ」
「昨日言ったように、少しの間、知り合いの所に身を寄せられるように紹介状を書いておいたから……」
「何から何までありがとうございます」
昨日ベルラさんに言われたのは、街にいる知り合いに紹介状を書いたから、街に着いたらドンテさんがそこに連れて行ってくれる、というものだった。ベルラさんの誘いを断ってからは、少しぎこちなく感じていたから、ベルラさんの変わらない優しさが嬉しかった。
後は、もし街が嫌になったら戻ってきてもいいんだからね、とも言ってくれた。
「……無理せずに、頑張ってね」
「はい、頑張ってきます!」
全ての準備が終わると、ドンテさんが御者台に座り、その横に私の荷物が積まれる。中身は着替えの服と下着類。これらは、この村でベルラさんが私に用意してくれたものだ。
「じゃあ、行くぞ」
掛け声と共に、ドンテさんが手綱を操り、荷馬車が動き出した。私は荷馬車の動きに合わせて、その横を歩き始める。歩きながら振り返って手を振ると、ベルラさんも肩の辺りで小さく手を振り返してくれた。
私は時おり足を止めては何度も振り返えり、姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
村を出てからは、休憩を挟みつつひたすら東に向かって道を進む。荷馬車には木炭が沢山積まれていて重いため、最初の村までは一人は徒歩での移動となる。休憩で徒歩役を交代しながら歩いていると、お昼前には最初の村へと到着した。
そこで木炭の三分の一を下ろすと、次の町へと出発する。今度は二人とも荷馬車に乗るので、徒歩の時に比べて随分と楽になった。途中、ロバの休憩を挟みつつ進み続けて、夕刻前に次の町にようやく到着する。
生まれ育ったティート村は山間の小さな村だったし、今まで移動した場所は全て村だった。町と言われる場所に来たのは生まれて初めてだったのだけれど、やはり町は違うね!
町の周りは煉瓦の壁でぐるりと囲まれていて、魔獣よけの生け垣がその壁から少し外側に植えられている。出入りする門の所には人の往来を見守る衛士の姿もあった。
ティート村の防壁は肩くらいの高さの土塁が主で、所により石壁と生け垣だったから、防御壁を見ただけでも規模の違いが良く分かる。
門を守る衛士に声を掛けて町の中に入り、そこで残りの全ての木炭を下ろした後は、知り合いの家に一泊お世話になった。今日泊まる家は、木炭を売りに来た際にいつも宿泊させてもらってる家みたい。ドンテさんの話によると、ドンテさん達は普段、今日訪れた村や町を含む四つの村町に木炭を売ってまわっているらしい。
翌朝、私達は朝も明けきらないような時間に起き出すと、荷馬車に乗り、今度は北の方向へと伸びる街道を進みはじめた。聞いた話では、これから領境を超えて隣の領地を目指すみたい。
ちなみに、ドンテさんは普段無駄口をしない人だから、私が話しかける時以外は、ドンテさんと私の旅は基本静かなものだ。
その数少ない会話の中で聞いた話だと、ドンテさんとベルラさんがまだ若い頃、今の私達のように二人でこの道を通って、目的の街まで行ったこともあるんだって。なんでも、ベルラさんが年単位の時間をかけて完成させた織物を売りに行ったらしい。
街の話をしていると、時おり物言いたげな様子でドンテさんが私を見ることがあった。「どうかしたの?」と聞いても特に返事はなく、何も言わなかったけれど、やっぱり私が街で働くことに対して心配事があるのかもしれない。
私が街で就く仕事の内容については、仕事を紹介してくれる人次第だから今はまだ分からない、と言われた。
小休憩を挟みながらずっと移動し続け、一つの村と一つの町を通り過ぎた。今日はかなりの距離を移動しているので、身体をほぐしと気分転換も兼ねて、時折荷馬車から降りて歩いたりもしつつ、ひたすらに先に急ぐ。
そして私達が進む道の先、夕陽に染まった麦畑のそのまた先にそれはあった。
「見えたな……、メルクリオの街だ」
伯爵領都メルクリオ、ドンテさん達が住んでいた場所周辺で最も大きな街。街をぐるりと囲む外壁は高く、各所には見張りの塔も備え、街の手前にある川には大きな橋がかかる。この距離から見て、あの高さと横の広がりなのだから、どれほど巨大な街かがよく分かるね。
外壁を超えて頭を覗かせているのは鐘楼塔と言われる建物だろうか。もしかしたら、神殿や領主の屋敷の一部だったりするのかも。
「わぁ、思ってた以上に大きな街ですね」
想像を超えた光景に、私の口から弾むような声が漏れる。
「私、あの街で働くんだ……」
思わず出た呟きには、山間の田舎から来た私があんな大きな街で働くのだという興奮と、そもそも仕事を見つけられるのだろうかという不安が込められていた。
「ドンテさん、今からあの街に向かうには遠すぎない?」
「わしらが泊まるのは、あの村だ」
ここから街まではまだ距離があるので、辺りが真っ暗になってしまうのではという心配は、ドンテさんの言葉によって否定された。さっきは街の大きさに目を奪われていて気付かなかったけど、街の手前、ドンテさんが指差した方向には麦畑に囲まれた村が一つあった。
(距離の近さから考えて、あの街に食糧を供給することを目的とした村なのかも……)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。私の勝手な想像だけれど、多分この予想は当たっていると思う。私がこれから向かう場所は、自分が今まで育った環境とは全く異なる場所なのだと、私は改めて認識した……。
夕闇の訪れとともに、荷馬車はガタガタと音を立てて麦畑を進む。鮮やかに染まった紫と朱色の空が、私の胸の内に不安を広げていった。
炭焼き夫婦の元で暮らせば安泰だったかもしれないですが、故郷へ帰ることを諦められませんでした。
メルクリオの街でアリーチェを待ち受けているものは……。
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