12. これからのこと
私がドンテさんのお家にお世話になって一週間と少し、いよいよこのままでは不味いと焦りだした。
することは沢山あるから生活は充実してるし、ドンテさんやベルラさんも優しくしてくれるから居心地もいい。ベルラさんは、着のみ着のままの私のために下着を一式作ってくれたり、替えの服を調達してくれたりもした。
とても良くしてもらってる一方で、お世話になっているだけては何も進展しないと、私の中で焦りがどんどんと大きくなる。このままでは、故郷に帰るのも夢のまた夢だ。
帰りたいけどどうすれば……、とジレンマを抱えたまま悩むこと更に二日。夕食後、これならばと考えた案を思い切って二人に相談することにした。
「このままずっとお世話になるのも心苦しいので、そろそろここを出て家に帰ろうと思います」
「どうやって家に帰るの?」
持っていたコップをテーブルに置き、ベルラさんが心配そうな顔で私を見た。
「とりあえず街に行って、働いてお金を稼いで、お金がある程度たまったら、火の州を目指して旅しようと思っています……」
「アリーチェ、それは無茶よ。あなたくらいの子供が働ける場所なんてほとんどないわ」
「確かに私に出来る仕事は少ないと思います。でも、大きな街に行けば何かは見つけられるんじゃないかと思っています」
「……もし、あったとしても碌なものはないわ。それに、旅をするにしても、女の子の一人旅は危険よ。街道に出るのは野生の獣だけじゃないんだから」
野生の獣よりも、野盗の類の方がずっと危険だということは、私も分かっている。街道は魔獣避けがあるから魔獣に襲われる心配はしなくていい。でも、それ以外に関しての備えはない。
乗合馬車に乗ればある程度の安全は保証されるけど、乗合馬車に乗るにはそれだけのお金を稼ぐ必要もあるということなんだよね。
私が稼げるお金なんて微々たるものだろうから、乗合馬車に乗れるほどのお金を稼ごうと思ったら、どれだけ時間がかかるやら……。
「私はまだ幼いから、男の子の格好をするのも手だと思っています」
「駄目よ、子供というだけで狙われるもの。とてもではないけど、危なくて送り出せないわ」
ベルラさんはとても不安そうな顔で、首を左右に振った。ベルラさんの心配が痛いほど伝わってくるから、私は何も言えずに黙り込む。
「アリーチェは、そんなに故郷に戻りたいの?」
「はい」
「戻ることが必ずしも良いとは限らないのよ?」
「……え?」
(戻ることが良いとは限らない……?)
ベルラさんが言った言葉の意味が理解できなくて、私は首を傾けながら不思議そうな顔を向ける。
「あなたは貴族の屋敷に奉公に行く予定だったのでしょう。故郷に戻ったとして、再び奉公に出されるのではないの?」
「分からないですが、死んだと思われていた平民が数年後に戻ったとしても、流石に奉公しろとは言われないのではないでしょうか? それに隣の領地だから、そこまで伝わらないだろうし……」
「村に戻れば、そこを治めてる貴族には話が届くと思うわ。であれば、隣の貴族に伝わる可能性は十分ある。そうなれば、約束通り奉公へ来いと言われるかもしれないのよ?」
「……?」
ベルラさんの切羽詰まった様子に、私は更に訳が分からなくなる。
それの何が不都合なのだろうか? 最初からそこへ行く予定だったのだから、家に戻った後に再び奉公に出されても、それは予定通りと言えると思うのだけれど……。
「別に、奉公に行っても構わないです。元々そのつもりだったのだし」
「駄目よ!」
ベルラさんの大きな声に、私の身体がビクリと震えた。お世話になってまだ日数は浅いけど、ベルラさんがこんな大きな声を出すなんて余程の事なのだろう。でも、ベルラさんがそれ程までに慌てる理由が、私には良く分からなかった。
「その貴族の所へ奉公に行っては駄目よ。その話は明らかにおかしいもの……」
「おかしい?」
「そうよ。わざわざ自分の領民ではなく、隣の領地の平民を奉公させるなんて、普通はあり得ないわ」
そんな事、考えたこともない。今まで五、六年ごとに村から奉公の女の子を出していたから、その事に疑問を持ったことは一度もなかった。
「どんな小さな領地の貴族だって、求める条件と合致する平民の女の子なんて山ほどいるのよ。仮に、顔立ちが整っているという条件を加えたとしても、わざわざ隣の領地から呼び寄せるほどの手間をかける貴族はいないわ」
「でも、実際に私は奉公に……」
「実際にあるから問題なの。そんな手間をわざわざ掛けるなんて、余程後ろ暗い理由があるからに決まってる」
「でも、そんな噂なんて、誰も何も言ってなかったわ」
「そりゃ、誰も帰って来てないなら、本当のことなんて知りようがないわ」
確かに、今までに村から奉公に行った子で帰ってきた子は一人もいないし、今その子がどうしているかを、噂で聞いたこともない。大きな街に出たら田舎の暮らしが嫌になるものだと大人たちが言ってたから、そういうものだとばかり思っていた。
ベルラさんの言葉の意味を深く考えれば考えるほど、私の背中に嫌な汗が流れていく。
「隣の領地とは良く考えられてるわね。逃げ出したくても土地勘のない場所、頼れる人は誰もいない。何かあったとしても、遠く離れた場所なら何の連絡もなくても不思議じゃないわ」
そんなはずないって言いたいのに、ベルラさんの言葉を否定するものが、私には一つもなかった。
「それでも、いくら貴族が直接治めていなくても、村の大人たちは薄々気付いていたかもしれないけど……」
ドクンと私の心臓が大きく音を立てる。思い出されるのは、奉公に行くことを決めた時に、村長の息子であるカルロに言われた言葉……。
『はっ、みすみす貴族の慰み者になるつもりだったのか』
分からない……、大人たちは裏がある話だって知ってたの? 父さんや母さんも……?
「でも、父さんたちはそんな反応じゃなかったわ。知ってたら、私の意思を聞くようなことはわざわざしないと思うもの。それに、支度金を返せば奉公の話はなくなるわけだし」
「アリーチェ、それは奉公の話自体がなくなるという話じゃないのよ。そのお金で別の女の子が奉公に行くだけの話よ」
「え……、私の代わりに誰かが行ったの?」
「貴族との約束だもの、誰も出さないなんて許されないわ。アリーチェの村にも、生活がギリギリの人はいたでしょう? おそらく、そういう人が名乗りを上げたと思うわ……」
さっきから心臓がずっと激しく律動していて、自然と息が荒くなる。
一緒に奉公に向かう女性の中には、確かに親の借金を返すために奉公に立候補したと言っていた人もいた。つまり私が嫌がれば、ティート村でも私の代わりに誰かが奉公に行ったということ……。
「アリーチェが流されても無事だったのは幸運だけど、崖から落ちたこと自体が、幸運だったのさ。そのまま奉公していたらどんな酷い目に遭わされたことか……。貴族は、本当に恐ろしいんだよ」
ベルラさんの声に震えが交じり、何かを堪えるような苦しい表情を浮かべた。隣で無言で見守っていたドンテさんの顔も固く厳しい顔になる。
それから聞かされたのは、ベルラさんが実際に体験した貴族の恐ろしさについての話だった。
もともと、ベルラさんはここパンニ村の出身ではなく、この村の南東方向にある貴族が治める町の生まれだったみたい。その町では、領主が町を視察している時は若い女性は外に出さないし、普段でも年頃の女性は着飾らずに地味な服装で過ごすのが日常だったんだって。
理由は簡単、もし領主に気に入られれば、領主の屋敷に来るように命じられるから……。それがどういう意味なのかは、今の私でも分かる。
領主は、婚約者がいても結婚していてもお構いなしで、拒否したり逃げたりしたら、目を付けられた女性本人だけでなく、その親兄弟にも不当な刑罰が課せられたり、財産が没収されたりすることもあったみたい。
そんな勝手な横暴が当然のことのようにまかり通るなら、平民が貴族を恐怖する気持ちも良く分かる。
「私の友人は、運悪く領主に目を付けられてしまってね。家族が不当な刑罰を受けることを恐れて、泣く泣く領主の元へ行ったの。とても美人な子で婚約者もいたのに、結局いろいろあってその子は町を出てしまったわ……」
ベルラさんは、そんな貴族の理不尽さが嫌で、木炭を売りに来ていたドンテさんの元へ押しかけるように嫁いだのだって。この村はその貴族の直接統治ではないから多少はマシだけど、それでも影響がないとは言えないみたい。
ベルラさんの様子は苦しさと貴族に対する恐怖に溢れていて、話を聞いているだけで息が詰まってくる。語っていないだけで、話した以上の辛い記憶があるのだろうと、私は思った。
「もちろん、全ての貴族が悪だとは言わないよ。でもね、アリーチェが行こうとしていた貴族は絶対に何かあるはずだよ」
「……」
今の私には何が正しいのか分からない。でも、私が行く予定だった奉公先が普通ではないことだけは分かった。
「アリーチェ、もし世話になっていることを申し訳なく思っているなら、いっそ本当にうちの子になってもいいのよ」
「……えっ」
「ベルラ……」
ベルラさんの言葉に、私だけでなくドンテさんも驚きの声を上げた。ドンテさんとの相談を経ての話ではなく、ベルラさんからの急な提案だったみたい。
「無茶をするよりずっといいわ。ねえ、いい考えでしょ?」
「…………そうだな」
急な提案に混乱していると、ドンテさんも少し考えた後に同意した。
(そんなあっさりと!)
真剣な様子から冗談ではないことは分かるけれど、そんなこと突然言われてもすぐに返事できないよ!
「急がなくても良いのよ。ゆっくりと考えてちょうだい」
一人おろおろと戸惑う私を、二人は孫を見るような優しい眼差しで見ていた。
ベルラさんに投げかけられた言葉に、驚愕しました。
全く疑いを持っていなかったアリーチェには、寝耳に水の話ですね。