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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第八章 闇の神紋者

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110. ユーノスフィア創世譚

第三部、開始です。

 ――世界にまだ形という概念すらなかった遠い昔。

 深淵の海が広がる世界に、始まりの神が一本の杖を差し入れた。


 その杖は光をまといながら海底へと沈み、やがて海を割ってひとつの大地が姿を現した。これが、後に“始まりの島”ユーノスフィアと呼ばれる地の誕生であった。

 

 島の中央、杖の先からこぼれ落ちた木片が大地に根を張り、やがて二本の大樹となった。

 眩いばかりの光を宿した大樹からは光の神が、もう一本の夜のような深い影をたたえた大樹からは、闇の女神が生まれたという。


 始まりの神はさらに杖を砕き、その欠片を各地へと投じた。

 東方に芽吹いた大樹からは水の神が、南方に芽吹いた大樹からは火の神が、西方に芽吹いた大樹からは風の女神が、北方に芽吹いた大樹からは土の女神が生まれた。


 神を育んだ大樹は神樹となり、その枝葉からは無数の神々が生み出された。また神樹からは、さまざまな草木、目に入らないくらい小さな生き物や虫、地を駆ける獣、空を翔ける鳥、海を泳ぐ魚――世界を彩る命が次々と生み出されたという。

 そして、最後に神樹が生んだのは、神々の姿を模して生まれた“人間”だった。


 光の神は昼を紡ぎ、闇の女神は夜を編み、水火風土の四柱は季節を巡らす。

 神々の加護のもと、ユーノスフィアは昼夜、四季が調和する楽園となった。


 やがて、悠久に等しい時が流れた。

 神々と人々が共に暮らしていたユーノスフィアへ、始まりの神がふたたび降り立つ。

 始まりの神はユーノスフィアに住まうすべての神々を集め、「我ら神々は天へと昇る」と告げた。

 そして神々は、去りゆく前に人間の身を案じた。爪も牙も持たぬ人間が、己の力だけで世界に立つにはあまりに脆く弱い。


 そこで六柱の神は、自身の力の一部を神樹に注ぎ、奇跡を操るための力を人に授けた。

 その奇跡の力は、のちに人々の間で“魔術”と呼ばれることになる。


 やがて神々は天へと昇り、人々は深い嘆きと共に夜を迎えたが、残された神樹の加護と奇跡の力を頼りに、彼らは一つの国、すなわちユーノスフィアを築き上げたのである。




「――以上が、神代史の第一章となります」


 語りが終わると、部屋の中に静けさが戻る。朝の光がカーテンの隙間から差し込み、机の上に開かれたページを淡く照らしていた。

 子供の頃、故郷の礼拝堂で何度も聞いた神代史。淡い記憶の残滓が、胸の奥をそっとくすぐる。

 懐かしい気持ちになりながら読んでいた本から顔を上げると、私は語っていた青年に視線を向けた。


「ここまでの流れは理解できましたか? あなたが不勉強でなければ、神殿などで一度は耳にしたことがある話でしょう」


 前に座る紺色の髪を一つに束ねた青年が、静かに私の方を見る。

 彼の名前はアルフィオ・リエンツィ。整った顔立ちに知性を感じさせる灰青の瞳、そして一見柔和な笑顔が印象的なイグナツィオ様の補佐官だ。


 今朝の朝食の席で、補佐官のアルフィオが私の教師役となったことをイグナツィオ様に告げられた。

 学院入学には試験を受ける必要があるとは知っていたけれど、まさかその試験に向けた教師役にイグナツィオ様の補佐官がつけられるとは思っていなかった。

 アルフィオとは、イグナツィオ様から臣下を紹介された時に一度顔を合わせているけれど、補佐官という肩書にふさわしい理知的な雰囲気を持つ人だった。


 筆頭の文官を私の教師役に当てるということは、ただの平民だった私が学院に入るというのは、それなりに難しいことだと判断されたのだろう。

 故郷にいた頃から本を読むのは好きだったし、州都に来てからも、屋敷の書庫や神殿図書館でいろいろな本を読んでいた。

 まったくの無学ではないから、学院の試験もそれほど問題はないと思っているのだけれど、実際に入学試験に向けた学習をしたわけではないから、ここは黙って学ぶ方が賢明だと思っている。

 できると高らかに言ったのに、実は全然学力が足りませんでした……なんてことになったら、さすがに恥ずかしすぎるものね。

 それに、新しい知識を得ることは私にとって好きなことだから、学ぶことを嫌がる理由なんて最初からなかった。



 今、私がいるのは、イグナツィオ様の屋敷の一室。屋敷の三階にある日当たりの良い部屋を使わせてもらっている。

 イグナツィオ様の臣下や屋敷の使用人たちは、突然現れた私に対して、思っていた以上に親切だった。

 突然私に仕えるように言われたにもかかわらず、キアーラは嫌な顔一つせずに服や食事の世話、部屋の整えなどにも気を配ってとても良くしてくれている。

 私自身がメイドとして働いていたからこそよく分かるけれど、そういう意味で、キアーラは本当に侍女の鏡のような人だった。


 そして、言葉こそ厳しいけれど、アルフィオもまた彼なりの誠実さでもって私の教師役を買って出てくれていた。

 今日、アルフィオと最初に顔を合わせたとき、彼は穏やかな笑みを浮かべながら、開口一番こう言った。


「私が教える以上、あなたにはこの冬に行われる学院の入学試験に合格できるように学んでもらいます。学力が足りなかったのに、イグナツィオ様の後ろ盾があったから入学できた、などと陰口を言われないよう、しっかりと励んでください」


 容赦のない言葉に一瞬驚いたけれど、そこに嘲りはなく、むしろ本気で学ばせるために、私に発破をかけているのだと感じられた。

 案の定、授業はとても丁寧で、私の理解に合わせて教える内容を選んでくれているのがよくわかった。

 今日の神話の授業でも、ただ暗記させるのではなく、神々の時代が今にどうつながるかまで丁寧に解説してくれていた。

 最初こそ緊張していたけれど、話を聞くうちに自然と肩の力が抜けてきて、アルフィオ相手にも自然とタメ口で話していた。

 ここでの生活を始めた頃と比べて、敬語を使わないことにもすっかり慣れていた。案外、馴染むのは早いものだね。



 アルフィオの説明は、次の章――神代から人の時代へ進む。


「カーザエルラ公爵家は、もともと水の神樹に仕え、管理していた一族が起源とされています。神代から人の時代へ移る際、各神樹を守護していた一族が代表して集まり、ユーノスフィアという国を築きました」


 語られる内容は、神殿で読んだ神学書とは少し内容が異なるように感じた。


「中央が国の中枢とされたのは、地理的な位置だけではなく、光と闇、二本の神樹があることにより、中央の発言権が自然と強くなったことに起因します。建国当初は、光と闇に仕える一族が国の代表を務め、他の四つの一族――水・火・風・土がそれぞれの地を治める形でした。つまり、当時のユーノスフィアは王国ではなく、いわば共和国に近い統治体制をとっていたのです」

「共和国……?」


 耳慣れない言葉に、私は思わず呟いた。

 それを聞いたアルフィオが“共和国”について説明してくれたけれど、どうやら現在のような王権ではなく、各地の代表者により政治を行う国を共和国と言うらしい。

 神殿で習った歴史では、神の加護を受けた者たちの中から各地を治める統治者が生まれ、その中でも中央を治める者を王とし、国を築いたという話だったはず。


「やがて時代が下り、国の代表を“王族”と定め、共和国から王国へ移行しようという流れが生まれた時、各地の一族が異を唱えました。そして、彼らはそれぞれ独自の理想を掲げ、別々の国を築く道を選んだのです。当時のユーノスフィアに残ったのは、土の神樹を守る一族のみ。水の神樹の一族――カーザエルラ公爵家は、この地に新たな王国を建てました。それが、水の国カーザエルラです」

「ここは……王国だったの?」


 思わず口をついて出た言葉に、アルフィオがゆるやかに頷く。


「ええ。この街がいくつもの内壁で囲まれている理由も、そこにあります」


 そう言われてみれば、確かに……。

 初めて州都に来たとき、私はその広さと複雑さに圧倒された。

 幾重にも内壁を重ねて街が広がっているのは、都市が拡大した結果でもあり、かつて王都としての防衛構造を持っていた名残だったのだろう。

 政治体制が各州に分散しているのも、その流れによるものなのかもしれない。


(……世が世なら、イグナツィオ様は王族だったのか……)


 想像を超えた話に頭が追いつかず、ひとまず別の細部について質問を投げかけた。


「土の州が独立しなかったのは何故なの?」


 思わず口を挟むと、アルフィオは少し目を細め、手にしていた本を軽く閉じた。


「いい質問ですね。土の州は他の州に比べて環境が厳しかったのが理由です。冬が長く、夏が短い。土地も痩せており、農作物の収穫量も限られていたため、人口も少なく、他国と対等に国を築くだけの力を持たなかったとされています」

「……それで、ユーノスフィアに残ったのね」

「いいえ、最終的には、水・火・風の独立から遅れること百年ほど、土の神樹の一族も独自の国を建てました。つまり、最終的に五つの国が存在していたことになります」

「五つ……」


 私は驚きに息をのんだ。今の国は五つの州で成り立っているけれど、それが全て独立した国だったなんて想像もしなかった。


「共和国だったこともだけれど、昔は五つの州がそれぞれの国として存在していたことも初めて知ったわ。少しは学んでいたつもりだったのに、まだまだ全然ね」


 思わず口に出すと、アルフィオは息を吐き、少しだけ肩をすくめた。


「あなたが今まで神殿で教育を受けてきたのなら、知らなくて当然のことです」

「当然……?」

「神殿で学べる知識や歴史は、すべて国によって管理されています。平民に知らされる情報は、必要最低限に限られているのですよ」

「え……」


 私は驚きに言葉を詰まらせた。確かに、私が歴史について学んだのは故郷の礼拝堂でだけだけれど、まさか神殿が国の指示で教えることを選んでいたなんて……。

 私が知っていると思い込んでいた知識が、表面的なようなものだったことを知り、混乱のあまり足元がぐらりと揺らぐような思いに襲われる。


「……何故、国はそんなことをしているの?」

「それは、四百年前にあった外国からの侵略が原因です」

「侵略……?」


 あまりに縁遠い言葉に、私は目を瞬かせてアルフィオを見つめた。


歴史のお勉強タイムです。

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