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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第七章 光の騎士

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109. いつか届く手紙

 荷物をまとめたカバンはキアーラさんが持ち、私はその隣に並んで階段を降りる。

 三階から二階へ降りたところで、私はゼータさんに声を掛ける。


「ゼータさん、応接室へ戻る前に、厨房へ寄ってもいいですか?」


 屋根裏に行った時と同じように、ゼータさんは一階の使用人区画を通らないように、二階を経由して応接室に戻るつもりのようなので、私はその進路に待ったをかける。

 ゼータさんは一瞬驚いて私の後にいるキアーラ達に視線を向けた。少し迷う素振りを見せたけれど、私の気持ちを察したのか、やや困ったように微笑みながらうなずいた。


「分かったわ。案内しましょう」


 そのまま階段を降り、一階の厨房へ向かう。昼の仕込みを終えた後の厨房からは、ゆるやかな余熱と香ばしい匂いが漂っていた。

 厨房に顔を出すと、キッチンメイドのノエミが小鍋を磨いているところだった。


「ノエミ」


 私が声をかけると、ノエミや他のメイド達も手を止め、こちらを振り返った。一瞬、ぽかんと口を開けたまま固まり、次の瞬間、目を丸くして大声を上げる。


「アリーチェ!? 本当にアリーチェかい!? 今、帰ってきてたのは聞いてたけど、旦那様と話してたんじゃないのかい!?」


 あまりにいつもと変わらない声に、胸の奥がきゅっと縮んだ。まるで日常に戻ったような錯覚に包まれて、思わず笑みがこぼれる。

 ノエミの視線が私の後ろの二人に移り、さらに目を見開いた。


「えっ、なに? 護衛まで連れてんのかい? そういや、服も随分と綺麗になって……」


 今日、私が着ている服はイグナツィオ様が手配してくれた衣装だ。急遽用意したため、既製品を私のサイズに調整したものになっているけれど、それでもかなり上等な部類だ。

 今後はオーダーメイドで衣装を作ることになるらしく、私が持っていた衣装のほとんどをこの屋敷に置いていくことになったのは、それが理由だった。

 なんと説明したものかと少し言葉を探していると、奥の洗濯場の方から洗濯メイドたちが顔を覗かせた。


「ほんとにアリーチェだ……! よかったぁ!」

「誘拐されたって聞いて心配したんだから!」


 あっという間に人の輪ができ、私を囲む。その中には仲の良い洗濯メイドのニルデの顔もあって、胸に懐かしさがこみ上げた。

 たった四日、屋敷を離れていただけなのに、もう随分と長い間離れていた気がした。


「心配かけて本当にごめんね。助けてもらえたから、私は無事よ」


 私がそう言うと、ノエミが少し顔を寄せ、小声で聞いてきた。


「でもさ……貴族に引き取られるって聞いたよ。大丈夫なの? 嫌なことされてない? その服や護衛もそうなんだろう?」


 私を案じる真剣な表情に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「大丈夫。今回のことで、私に“魔力”があることが分かったの。それが理由で引き取られることになったから、愛妾とか、そういう類のものではないの」

「へえ……あんたに魔力がねえ。それは驚きだ!」


 皆が驚きに目を丸くする。


「まぁ、なんにせよ無理やりじゃなくて良かった。あんたがどっかで幸せにやってるなら、それでいいよ」


 ノエミが大げさに言うと、ニルデも笑いながらうなずいた。


「ほんとに急な話で驚いたけど、アリーチェにとっては、危険が伴う長旅をするよりも、その方が良かったんだよね」

「うん……、そうだね」


 ニルデの言葉を肯定するように、私は固い笑顔を浮かべた。


「アリーチェなら、きっとどこでだってうまくやっていけるさ。アリーチェが努力家だってこと、皆知ってるんだから」

「ありがとう、ノエミ」

「ただし、体は壊さないように、程々にするんだよ」

「うん……」


 私を気遣う言葉に、思わず涙がにじむ。袖でそっと目元を拭い、それを誤魔化すように、私は懐から取り出した封筒をノエミに渡した。


「……これ、使用人の皆宛ての手紙を書いてきたの。良かったら、あとで皆で読んでちょうだい」

「分かった、ちゃんと皆で読ませてもらうよ」


 ノエミは両手でそれを受け取ると、胸にそっと抱きしめる。その顔には、私との別れを惜しむ気持ちが溢れているように見えた。

 すすり泣く声が入り混じる中、私は一人ひとりに視線を向け、静かに頭を下げた。


「本当に、お世話になりました。どうか皆さんお元気で」

「そっちこそ、身体に気をつけてね!」

「無理しちゃだめよ!」


 温かい言葉に背中を押され、私はそっと後を振り向いた。


「ありがとうございます。そろそろ戻りましょうか」

「……ええ」


 ゼータさんが頷くと、私たちは応接室に戻るために歩き始める。途中、厨房の方を振り返ると、ノエミたちが私に手を振っていた。私は笑顔でうなずき返すと、再び廊下を歩き出した。



 応接室に戻ると、部屋に残っていた人たちが私を迎える。


「お待たせしました」

「準備は終わったようだな」

「はい」


 旦那様はアントンさんに軽く合図を送り、アントンさんが私の前に小袋を差し出した。


「それは今月分の給金だ。今までの働きに対して、多くはないが退職金も付けておいた」

「……ありがとうございます」


 私は小袋を受け取ると、その重みを噛みしめるように両手で包み込んだ。

 それを懐にしまうのと入れ替えに、私はノエミに渡した手紙とは別の数通の封筒を取り出した。


「こちらは……商会の方々と、メリッサ宛ての手紙です。短いものですが、別れの言葉をまとめました」

「随分と用意がいいな」

「あまりにも急なことで、商会の皆には伝える機会がなかったものですから、せめて手紙だけでもと……」

「分かった、必ず渡そう」


 私は目を伏せて旦那様に小さく頭を下げたあと、アントンさんへ手紙を手渡した。


 その後、一同で応接室を出ると、玄関ホールへと向かう。ホール近くまで差し掛かかったところで、ざわざわと人の気配を感じた。

 不思議に思いながら足を進め、ホールが視界に入った瞬間、私は思わず息をのんだ。

 広いホールいっぱいに屋敷の使用人たちが集まっていたのだ。それは、普段表に出てこないキッチンメイドや洗濯メイドはもちろん、馬丁のオリンドや守衛のナリオたちに庭師まで、ほぼ全員が顔を揃えていた。


(こんなにもたくさんの人に、見送ってもらえるなんて……)


 皆の顔を見ていると、胸の奥がきゅっと締めつけられる。旦那様が私の方へ一歩進み出て、ゆっくりと口を開いた。


「希望者は集まるよう伝えたのだが、どうやらほとんどの者が揃ったようだ」


 そう言って微笑む旦那様の瞳には、穏やかな光が宿っていた。


「これまでしっかり働いてくれて、ありがとう。君のおかげで、屋敷でも商会でもずいぶん助けられたよ。やはり、君を迎え入れた私の判断に間違いはなかったようだな」


 その言葉を聞いた瞬間、目の奥が熱くなり、私は慌てて深く頭を下げる。


「こちらこそ、本当に……ありがとうございました。このお屋敷でお世話になれて、私は幸せでした」


 頭を上げると、お嬢様がこちらに駆け寄り、勢いそのままに私の手をぎゅっと握る。


「アリーチェ、今まで本当にありがとう。アリーチェと一緒に過ごせたこの一年半、私、とっても楽しかった。アリーチェは私にとって姉みたいな存在だったわ」


 私を見つめるお嬢様の目には、涙がにじんでいた。


「そう言ってもらえて、嬉しいです。私も、お嬢様と過ごした日々はかけがえのない思い出です」

「私、あなたがいなくなると、すごく寂しい……」

「……そんな顔をしないでください。最後は笑って見送ってほしいです」

「うん、分かっている……。でも、やっぱり寂しいわ」

「私も、ですよ」


 そう言って涙を浮かべながら微笑み合うと、周囲からもぐすりと鼻をすする音が聞こえた。


「もし……いつか、大丈夫になったら、手紙を送ってくれる?」

「……ええ、大丈夫になったら、私から手紙を送りますね」

「ありがとう……アリーチェ。私、待ってるね」


 そう答えると、お嬢様は堪えきれずに私に抱きついた。私よりも少し小さな背中を、私もそっと抱きしめ返す。


「お嬢様……本当にありがとうございました。どうかお元気で」

「あなたも……必ず幸せになってね」


 涙声で告げられたその言葉に、私は深くうなずいた。



 皆との別れの挨拶をすべて終えると、私は外で待っていた馬車へと向かう。玄関の外にはまだ皆が立っていて、静かに私を見送ってくれていた。

 ルキス様が最初の時と同様に私に手を差し出し、私は無言でその手を取る。席に座ると、窓越しに屋敷の人々が見え、誰もが笑顔で手を振ってくれていた。


(みんな、ありがとう……)


 胸の奥で小さく呟きながら、私も皆に向かって手を振った。

 馬車が動き出し、思い出と恩を胸に、私はそっと胸の前で手を重ねる。石畳を刻む車輪の音はまるで、新しい道を告げる鼓動のように、静かに響いていた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

ブックマークや評価、いいねの応援、感想、とても励みになっています。


今回の話で第七章が終わり、ここまでが第二部の区切りとなります。

第三部は一週間お休みした後に開始になるかと思いますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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