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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第七章 光の騎士

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102. 絶望の起点

一部、暴力表現があるため、苦手な方はご注意ください。

「メルクリオの街で逃がしたって……どういう意味?」


 思わず言葉が口をついて出た。男の言葉は耳に入っていたのに、その意味が理解できず、混乱して反射的に聞き返していた。

 男はにやにやと口元を歪めたまま、勿体ぶるようにゆっくりと答える。


「言葉通りの意味だよ、アリーチェ。君のことは、メルクリオにいた時から目をつけていたんだ」


(メルクリオで? そんな馬鹿な……)


 胸がざわつく。記憶を手繰るように過去の断片を思い起こすけれど、心当たりは一つもない。

 そうでなくとも、州都へ向かう旅の途中で私は初めて自分に魔力があることを知ったのだ。あの時は、魔術具の効果が強まったことでロッコさんが気づいたけれど、メルクリオにいた頃に私が魔術具に触れるような機会はなかったはず。

 メルクリオで洗礼式も受けていないから教会も関知していないし、当然戸籍にも載っていない。公的に記録されている情報から私が魔力持ちだと知れるはずがないのに、どうして……。

 メルクリオで私を探る人たちがいたけれど、この男も関係していたのだろうか?


「あなたは、どうやって私が魔力を持っていることを知ることができたの? 誰も知る人はいないはずなのに……」


 言葉が震えないよう努め、気丈な視線で男を見据える。


「さて、どうしてだろうな」


 男は肩を竦めるようにあざ笑うだけで、説明の言葉はない。まともに答える気など最初からないのだろう。耳元をかすめるような男の笑い声に、不快感が背筋を走った。


 そもそも、誘拐犯はどうやって魔力を持つ子供の情報を得ていたのか。私は神殿から情報が漏れたのだろうと漠然と考えていたけれど、私が洗礼を受けていない以上、それもあり得ない。


(なら、別の方法……?)


 メルクリオにいた頃の私は、自分の魔力に気づいていなかったけれど、誰かが何かの違和感を感じ取っていた可能性はある。もしくは、魔力を探る類の魔術具を使って探知されたのかもしれない。

 考えても答えは見つからず、どうして私が狙われたのか、その糸口も見つからないまま、混乱の渦に飲み込まれていくようだった。


「――あの男には感謝しなければならないな。あいつのおかげで君を見つけることができたのだから」


 男の言葉に、私はどくりと心臓が跳ねた。その可能性は低いと考えていたし、もしメルクリオで目をつけられていたなら、ルキス様はまず関係ないと思っていた。けれど、不意に聞いた「あいつのおかげ」という言葉が胸の奥をひどくかき乱す。


「あいつって……一体誰のことを言っているのですか?」


 問い返すと、男はにやりと笑って答えた。


「君もよく知っている男さ――光の騎士ルキスだよ」


 その名を聞いた瞬間、頭を殴られたような衝撃が走り、くらくらと目眩を感じた。ルキス様の名前を、こんな場所で耳にするとは……。


「まあ、君にとっては不運と言うべきか。あの男のせいで、今ここにいるのだから」


 私が顔色を変えたのを見て、男はますます機嫌よさそうに言葉を重ねる。


「……彼が何をしたのですか?」


 震え声で尋ねると、男は肩を竦めて鼻で笑った。


「何も」

「……え?」

「あの男は何もしていない。いやむしろ、しなかったからこうなったと言うべきか」

「それは、どういう意味ですか……?」

「光が強ければ影もまた濃くなる。あいつを疎ましく思う者は少なくないということだ。素直に頭を垂れていれば済む話なのに、望まれた役割を足蹴にするような真似をするから、結局こうして目をつけられる」


(ああ……、そういうことか)


 男の言葉に合点はしつつも、胸の奥にざらりとした嫌悪が広がった。ルキス様自身が情報を流したのではなく、彼を快く思わない者たちがいて、その者たちが彼と縁のある私の情報を流したのだろう。

 そして、その情報がこの男の耳に入り、メルクリオから目をつけていた子供――私を見つけたという寸法か。

 おそらく政敵との争い、そういう類の構図だと理解すると、胸の中の重みが少しだけ軽くなるのを感じた。


(よかった……)


 疑ってしまった自分を恥じつつも、ルキス様が直接関わっていないことが分かってほっと胸を撫で下ろす。

 とはいえ、私が危機的状況なのは変わらない。私は捕らえられ、この男の胸先三寸で運命が決まる。少しでも時間を稼いだり、どうにかしてこの人たちから隙を引き出さないと……。

 そんなことを考えていたからだろうか、次に男が発した言葉の意味を理解するまでに、私はいくばくかの時間を要した。


「言ってみれば、君がこんな目に遭うのも、全てあいつが元凶だなぁ」


(……は?)


 あまりの唐突さに、私は言葉が出なかった。目を大きく見開いて、呆然と男を見返す。


「恨むならあいつと、あいつに関わってしまった自分を恨むんだな」


 そのなぶるようにも聞こえる言葉に、頭の中がひやりと冷えていく一方で、胸の奥には煮え立つような怒りが湧き上がる。

 目の前の男は、一体何を考えて発言したのか。私をさらに絶望させたかったのかもしれないけれど、むしろ逆効果だ。


「……馬鹿も、休み休み言ってください」


 侮蔑を込めた冷たい声が、私の口を突いて出る。自分でも驚くほど、その言葉はひやりと冷たかった。


「子供を誘拐するような頭のおかしな人間が、論理的思考を持ち合わせていないのは当然でしょうが、それにしてもお粗末すぎて呆れます……。あなたが悪である事実は、何の疑いようもない。ここに私を閉じ込めたのも、子供を使って誘拐させたのも、全てあなただ。ルキス様が元凶だなどという浅はかな責任転嫁は、ただの恥の上塗りですよ。その程度の分別も、理解が難しかったですか?」


 私の冷ややかな言葉に、一瞬、男の目がぎらりと光った。


「貴様!」


 怒声と共に男が鉄格子を叩き、甲高い金属音が牢内に鋭く突き刺さる。私は反射的にびくりと肩を震わせながらも、侮蔑を込めた眼差しは崩さなかった。

 けれど、男の怒りは一瞬だけで、すぐに自らの行為を恥じたかのように私を鼻で笑うと、唇を歪めて冷笑を浮かべた。


「……ふん、虚勢を張るのも今のうちだ。実験が始まれば、そんな生意気な口も言えなくなる。泣き喚き、私に許しを請うことになるだろう」


 男は、私の言葉をただの子どもの虚勢と嘲り、遅かれ早かれ屈服すると冷徹に断じた。男の冷ややかな確信が、胸の奥に重くのしかかる。 


「……実験?」


 私の声が喉の奥で震える。男はにやりと笑い、満足げに頷いた。


「ああ、そうだ。私は人を一段階上の高みへと導くための素晴らしい研究を行っていてね。君にはその実験に協力してもらうつもりだ。栄華の礎となれることを誉れに思うと良い」


 その言葉を聞いた瞬間、頭から血の気がすっと引いていくのを感じた。めまいがして足元がふらつき、軽く壁に寄りかかる。


(考えが甘かった……)


 誘拐されたとしても、どこかに売られるくらいで、命までは取られないだろうと、どこかで高をくくっていた。だから、誘拐されたと分かっても、平静でいられたのに……。

 男の言葉はそれを根底から覆し、非情な現実を私に突きつけていた。


「その顔は、どこかに売られると思っていたのか?」


 男は冷たく嗤いながら、私の動揺を面白がるように言葉を投げつけてきた。皮肉と侮蔑が混ざった調子に、私はただ絶望の眼差しを返すことしかできなかった。


「確かに、魔力を持つ平民の子供は高値で売れるだろうが、残念ながら目的はそんな低俗な物じゃない。なあに、心配することはない。君に素質さえあれば、生き残れるだろう」


 薄ら寒さすら感じる言葉の意味を、私は肌で理解した。売る目的ではないのに、ここが長期の軟禁に適さない場所であること、周囲に誘拐された他の子供の姿がないこと、そして、先ほどの男の言葉――その事実に気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走る。


(つまり、今まで誘拐された子供たちは全て――)


 ぶわっと全身が粟立ち、頭の中で警鐘が鳴り響く。ここに留まっていては終わりだ、何としてでも逃げなければ……。

 焦りと恐怖が混ざり合い、手のひらに汗が滲む。私は両手をぎゅっと握りしめ、その固さを拠り所にして何とか理性を保とうとする。


「さて、少し話し込みすぎたな。そろそろ時間だ、連れて行くぞ」


 男はそう言うと、すっと鉄格子から離れ、青年の方に合図を送った。青年は静かに頷くと、ゆっくりとした動作で腰に提げた鍵束から一本の鍵を取り出し、鉄格子の鍵穴に差し込んだ。


 ――カチャリ


 鍵が回る音が冷たく響き、軋んだ音を立てながら鉄格子が開いた。虚ろな眼差しの青年が牢の中へ足を踏み入れ、ゆっくりとこちらに腕を伸ばす。


 ――バッ


 距離が詰まったその瞬間、私は左手に忍ばせていた、床の隅からかき集めた埃を青年の顔めがけて思い切り投げつけた。砂塵をもろに浴びた青年が慌てて顔を背ける。

 その僅かな隙を見逃さず、私は彼の股の間めがけて全力で蹴り上げた。子供の力といえども、さすがにこれは効果抜群のようで、青年はカエルのような呻き声を上げて崩れ落ちた。

 そして、青年の横を駆け抜けた私は、眼前のにやにやと笑う男に向かって、右手に忍ばせていた石を全力で叩きつけた。

 けれど、石が男に届く一瞬前、見えない何かがそれを阻んだ。僅かに濁った透明の壁が男と私の間に出現し、石はその壁に当たって粉々に砕け散る。私の手のひらにも衝撃が返り、右手に鋭い痛みが走った。

 

(魔術の壁!? でも、止まるわけにはいかない!)


 透明な壁に向かって左手も突き出し、ばちりと焼けるような痛みが両手に走る。私はその痛みを無視し、身体中の魔力を両手に集めるように集中した。


(魔術で作られた障壁なら、魔力で干渉できるはず!)


 うねるような魔力が、私の両手から放出される。透明の壁が私の魔力を受けて、ほんの少しゆらいだ。

 男の表情が、にやけたものから驚愕へと変わる。私が壁を壊そうとしていることを察知したのか、男は透明な壁に向かって何やら集中し始めた。


(こんなやつなんかに……負けない……)


 歯を食いしばり、渾身の力で魔力を押し出すたび、全身の血が煮え立つように熱を帯びていく。今まで扱ったことのない魔力が、胸を突き抜け、腕を伝い、手のひらから迸る。

 男が何かを叫ぼうとしたその時、拮抗していた力が弾け、透明の壁が音を立てて破裂した。

 衝撃が一気に解放され、男の身体を後ろへと吹き飛ばした。男はそのまま石造りの壁に激しくぶつかり、呻き声を上げて崩れ落ちる。周囲に舞い上がった塵とともに、通路にしばしの静寂が訪れた。


誘拐犯との対峙。その結末は……。

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