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1章 「奴の名はマンティス 1」

 この世には、人間の住む世界以外に、もう一つ世界がある。それはインセクトワールド。……人ならざる者達が存在する世界である。


 これは、人間界と……インセクト達が住まうインセクトワールド。二つの世界を巡る戦いの物語である。

──────────────────

 うたた寝していた鎌足真也は、自分が瞼を閉じているという状況に気付き、ハッと目を覚ます。


 彼の大学の名物講師が、せっせと呪文を唱えていた様だ。鎌足は慌ててノートに内容を写し始める。


「……寝不足か……な」


 隣に居る、鐘崎颯馬がひそひそ話しかけてくる。


「珍しいな。寝不足?」


 ふと彼のノートを見ると、模範的な字で先程までの講義の内容を丁寧に書き写している。彼は大学で知り合った時から秀才で、しかも親切だった。


「……うーん。何だろうなあ」

「ちゃんと寝ろよ。講義終わったら昼飯行こうぜ」


 彼は明るい声でそう言ってきた。鎌足は軽く頷くと、急いでペンを動かし始めた。


 やがて講義が終わり、鎌足と鐘崎は大学の食堂に向かった。


 にこやかな笑顔を見せる食堂の夫人に軽く会釈して、二人は注文をする。


「……じゃあ僕はカレーライス」

「俺は唐揚げ定食で」


 早速鐘崎が噛み付いてくる。ひそひそと話しかけた。


「カレー? あんまり美味しくないだろ。辛いだけで……」

「それがいいんだよ。ひたすら辛いから目が覚めて気持ちいい」

「……変な奴」


 二人は盆を受け取り、席に向かい合い、食べ始める。周りは学生達で賑やかだ。


「なあ、真也。お前んとこの叔父さん、元気にしてるか?」

「ん? ああ。響介叔父さん? 元気だよ。相変わらず、昆虫採集してるみたい」


 鎌足はふと、彼の言う叔父の鎌足響介の事を思い出す。


 彼は生まれて早々に、父と母を交通事故で亡くした。彼も同じ車に乗っていたのだが、その時の記憶は無い。


 そしてそんな彼を拾ったのが叔父の響介だった。彼は昆虫採集が趣味で、よく森に出かけては昆虫を採集してくる。


「……ほら、これとか」


 鎌足はスマホにある画像を見せた。そこにはケースの中に入れられている、白いハナカマキリの姿がある。威嚇をしている姿がまるで花の様に美しい。


「……へえ。ハナカマキリか。綺麗だな」

「そ。偶然見つけたんだってさ。……ほんと、元気過ぎて困るくらい」


 苦笑いしながら、鎌足はただ辛いだけのカレーを口に入れた。

──────────────────

「叔父さん、ただいまー」


 鎌足の家……もとい鎌足響介の家は、大学から十分程歩いた場所にある。住宅街の中に、ひっそりと建っている。


 扉を開けると、玄関には沢山のケースがある。その中には、蛙やらカブトムシやらが蠢いている。


「おお。おかえり、真也」


 部屋の奥から、響介が顔を出した。エプロンを着て忙しなさそうにしている。


「もうちょいで夕飯出来るから、待っててな」

「はーい」


 真也は鞄を下ろし、ケースの中の虫達に軽く挨拶しながら自室へと向かった。

──────────────────

 ここは鎌足真也の大学の職員室。一人の講師が頭を抱えていた。


「……クソっ、カスめ!」


 自分の弱さと劣等感に耐えきれずに彼は机を叩く。彼の悩みは、最近この大学に入ってきた講師だ。


 その講師は、有名大学卒のエリートで、講義も分かりやすく、親切だと評判だった。


 だがそれにより問題が生まれた。彼の今までのポジションがその講師により奪われたのだ。


「なんだアイツめ……俺より若い癖しやがって……クソ!」


 あまりにも安っぽい欲望だ。その欲望を沈めようと、煙草を持ってその男は外へと向かった。


 雨が降る夜。静かに雨が冷たく降る。そんな雨を憎らしく見つめながら、その男はライター片手に煙草を吸う。


 その欲望を静かに鎮める様に。


 ふうっと息を吐くと、焼ける様な臭いと共に黒色の雨の中に煙が消えていく。このまま逃げ出してやろうかと思った時。


 彼の隣に、彼も気付かない内に人が居た。


「……うおっ」


 百八十センチはあるだろうか。黒いロングコートを羽織る怪しい男だ。


 警備員を呼ぼうとした瞬間、男が話し始めた。


「……醜い欲だ。……これだから人間は嫌いなんだ」


 うんざりする様な嫌な声でその男は言う。何の事か分からず混乱していた講師の男。気味が悪くなりその場を立ち去ろうとした。だが。


 瞬間、その男は講師の男の胸に手を突き刺した。


「ぐっ……はぁ!」

「……醜い人間め。……私の仲間になれ」


 男のロングコートの中から、何やら黒い触手の様な物が飛び出る。そしてそれは講師の男の胸に侵入していく。


 鋭い痛みと苦しみを男は体感した。


「ぐああああ!!!」

「……ふん。……貴様は、今日から私達の仲間……ワイヤーワーム。……貴様の名は、エンヴィーワイヤーワーム!」


 そう言うと、男は手を離す。すると、その講師の男の胸から、先程の触手の様な……ワイヤーワームがぬるりと姿を現す。それらは男の体を覆っていき……。


 気が付けば男は化け物の姿に変わっていた。身体が全体が触手に覆われ、先程までの姿はまるで無い。


「……さあ、行けエンヴィーワイヤーワーム。……欲望のままに生きるのだ」


 化け物は月に向かって吠える。その声はもはや人間のそれでは無い。

──────────────────

 鎌足家の食卓に、今日は肉じゃがが並ぶ。色彩豊かな料理の数々。


 響介は鎌足を迎え入れると決めた時から、昆虫採集一辺倒だった自分を変え始めた。


 部屋の掃除をして、料理の仕方を学んだ。強面の顔も変えようと思って、髭を剃った。だが当時の鎌足が思っていたより純粋だった為、肩透かしを食らった思い出がある。


「「いただきます」」


 意気揚々と箸を持ち、ジャガイモを頬張る鎌足。その様子をじっと響介は見つめている。


「……美味いか? 真也」

「うん、美味しい」


 満足そうに料理を食べる鎌足を、響介は嬉しそうに見た。


「そうかそうか。良かった。真也が幸せなら、俺は嬉しいよ」


 響介はそう言いながら、胡瓜の漬物を口に入れる。ぽりぽりと子気味良い音が鳴る。


 鎌足はこの夕食の時間が幸せだった。何でもないこの時間。だが普段忙しい鎌足が、響介とちゃんと話せるのはこの時間しか無い。


 食事を終え、自室でノートを広げる。白色の草原が、机の上に拡がっていく。穏やかな風の吹く草原にて、鎌足真也は孤独で立っている。


 遠くで、トラックのエンジン音が聞こえている。これから配達に向かうのだろう。


 彼はふわあと欠伸を出した。だがこれから自らの頭に無駄な知識を詰め込んでいかなくてはならない。寝ている場合では無いのだ。


 鎌足はシャープペンシルを右手に持ち、クリックする。

──────────────────

 翌朝、ある程度の形としての学習を昨夜に終え、また鎌足は大学に向かう。響介が用意していた六枚切り食パンとインスタントコーヒーを消費して。


 小鳥が囀るのを聞きながら、鎌足は歩く。アスファルトの硬い感触を覚えつつ、彼は日光を浴びながら。


 大学は道の向こう岸にある。その為横断歩道を渡らなくてはならない。


 立ち止まって、信号が青に変わるのを待つ。辺りには誰も居ない。


 暫くするといつも通り、信号の中の人間が歩き始める。通りゃんせのメロディーが流れる。


 鎌足はその信号と同じ様に足を出す。いつも通りの日常だ。


 順調に横断歩道のゼブラ模様を進んで行く。やがて中程まで辿り着く。後はもうすぐ。


 その時に、鎌足は聞き慣れない……いや。


 この状況では、絶対に聞いてはならない音。


 鎌足はその音の聞こえる方向に、目を向ける。


 そこには、鉄の塊。重さにして約二十t。


 そんな暴虐的で、無機質で、残虐な。


 大型トラックが、本来守るべき交通法規を無視して、鎌足真也に突っ込んで来る。


 その時に彼は、確かな死の感触を覚えた。勿論、避ける余裕なんて無く。


 大人しくその運命を受け入れるしか無かった。

──────────────────

「……」


 暗闇。何も見えない。鎌足真也は、恐らく先程のトラックにより死に至らされた。もうこれ以上は何も出来ない。


 大人しく死が来るのを待つしかない。せめて、安らかな終わりを迎えたかったな、と今更後悔した。


 もう何も出来る事が無くなった。だが不思議と心が穏やかだ。死ぬとはこうなのだ、と分かったからだろう。


 そう鎌足は思った。その時だ。


「……待て。お前はまだ、死んではいない」


  声が聞こえた。


「……誰だ?」


 鎌足は聞く。暗闇で何も見えない。


「お前が鎌足真也か。……お前は、さっきの交通事故で意識不明だ」

「……やっぱりか」


 鎌足は声に応える。その声は構わず話し続ける。


「……時間が無い。手短にいく。俺と契約しろ。お前の命を救ってやる。但し、お前はワイヤーワーム族を絶滅させるのだ。誓え。決して逃げないと」


 その声は言う。


「……ワイヤーワーム族?」

「……人類と……俺達マンティス族に仇なす敵だ。お前には関係無い。……さあ、どうする? ……命を得て、ワイヤーワーム族と闘うか、このまま死ぬか。……死ぬのもお前の自由だ。俺は新たな継承者を探す」


 鎌足は、迷う暇もなく答えた。人間として当然の答え。


「……僕は生きたい。……ワイヤーワームがどうたらは知らない。……生きられるなら、それでいい!」

「……ははは。ははははは!!! その生への執着!! 素晴らしい!! やはりお前こそ俺の力を使うに相応しい!!」


 その声は高笑いする。その声を聞いていると、鎌足は意識が急速に上に行くのを感じた。

──────────────────

「……おい! 真也!! 真也!!」


 誰かが体を揺らしている。


「……ん……叔父さん」


 鎌足はゆっくりと目を開ける。白い光がばっと入ってきて眩しい。……その中に響介の姿を見た。


「真也あ!! 良かった……」


 響介は大きな声を出し、鎌足に抱き着いた。視界が揺れて気持ちが悪い。


「ちょっ、叔父さん……。……あ、そっか。僕、トラックに轢かれて……」


「そうだよ……。叔父さんびっくりして……心臓止まりそうになったよ……でも良かった……無事で……」


 柄にも無く、響介は涙をぼろぼろ流しながら鎌足に話しかける。


「……うん。ごめん。もう大丈夫だよ、叔父さん」


 誰だって、自分の家族が交通事故に遭って意識不明になれば、この世の終わりを想像する。


 そんな響介の気持ちを鎌足は何となく読み取った。


「……ありがとう。僕の事心配してくれて」

「何言ってんだ……家族だろ……!」


 抱きしめる腕に力が篭もる。その乱暴ながらも暖かい感触に、鎌足は幸福を感じていた。

──────────────────

 あれから数週間入院し、鎌足は問題無く退院出来た。医者も何故轢かれたのに身体が何ともないのか不思議で仕方ないと言っていた。


 そして鎌足は大学に向かい、鐘崎と会った。


「……あ! 真也! 大丈夫だったか!?」

「ああ。……何ともなく」


 彼は鎌足の姿を見つけると一目散に駆けてきて、肩を掴んできた。


 鐘崎を静止する中で、鎌足は意識不明になっていた時のあの声の事を考えていた。


 あの時はどうでもいいと思っていたが、所々に出てくるワードが気になっている。


 ワイヤーワーム。そしてマンティス族。後で調べてみたが、ワイヤーワームは……ハリガネムシ。マンティスはカマキリという意味。


 ハリガネムシはカマキリの天敵だ。……カマキリとハリガネムシが争っているのだろうか。だから闘えと。


 鎌足は何となく、変な出来事に巻き込まれた予感がしていた。だが今はそれより、自らの命が助かった事を喜ぶべきだな、と思っている。


 また皆に会える。……それだけで良かった。


 講義が終わり、二人は共に帰路につく。門を出るには、中庭を通らなくてはならない。


「そういやさ、真也。何でお前が交通事故なんかに遭ったんだよ?」


 鎌足はそう言われて、今までの事を思い出そうとする。


「……何だろうなあ。……事故に遭って意識が戻るまで……全部夢だったみたいな気がして、分からないんだよ。警察の人は、トラックの信号無視って言ってたよ。今調べてるみたい」

「……そうか。真也は悪くないのに、災難だったな」


 そう言うと、鐘崎は少し憐れむ様に鎌足を見た。そんな鐘崎の心象を察して、彼は鐘崎の背中をぽんと叩く。


「いいよ。僕は何にも気にしてないから」


 そう明るく言って、鎌足は鐘崎の前を歩き出した。


 中庭を間もなく通り過ぎようとした時だ。二人は突然に甲高い悲鳴を聞いた。


「……!? 何だ!!」


 咄嗟に二人は後ろを振り返る。そこには、この世の物とは思えない、人型の化け物と名状される物がいた。


 その化け物は、一人の若い男性講師の首を掴み、釣り上げている。


「……ぐう……」

「……ようやくだ!! 俺はお前が……ずっと憎かったんだよ!!!」


 その声は、ようやく日本語だと判別出来るレベルで、人間の声をしていない。


「俺は力を手に入れたんだ……お前を殺せる力をなあ!!」


 その瞬間に、男性講師の首が曲がった。ぐきりと鈍い音がして、皆が男性講師が殺されたのを理解した。


 そうすると、更に周りから絶叫があがる。皆が一斉に散り散りになっていく。


「……やばい……おい! 逃げるぞ!!」


 鐘崎も非日常感に飲み込まれ、鎌足の肩を叩き逃げようとする。

 だが、鎌足の足は依然止まったままだった。


「……真也……?」


 鐘崎はふと鎌足の顔を覗き込む。


「……何故だ……何故争うんだ……何故殺すんだよ……何でだよ……」


 鎌足真也の目の辺りから頬にかけて、何か黒色のギザギザの模様……まるで涙の様に出来ている。そしてその額からは、細長い、風に揺れる……触覚の様な物が生えている。


 それはまるで、鎌足自身が、何かの虫の様で。


「……真也……お前……」


 鐘崎の顔が青ざめる。


「……逃げて、鐘崎君。……僕がやらなきゃいけないんだ」


 鎌足はそっと鐘崎の背中を押した。鐘崎は何度も彼の方を振り返りながら、去っていく。


「……許さない……。僕が……お前を止める!!」


 その瞬間に、鎌足が天に向かって吠えた。


「ウガアアアアアア!!!!」


 鎌足の服が破け、そこから黒色の身体が姿を現す。その胸は、灰色の筋肉のボディへと姿を変えていく。


 彼の黒色の目は緑色に染まっていき、口は変形して牙が見えてくる。


 そして気付く頃には……。鎌足は、人以外の異形へと姿を変えていた。


「ウバシャアアアアアア!!!」


 口の牙が上に開き、そこから鎌足の絶叫が聞こえる。


 鎌足は化け物に狙いを定めると、一目散に駆けていく。速い。


 化け物に追い付くと、その勢いに乗せて右腕で突きを顔に当てる。


「ぐはあっ……貴様あ! 何者だあ!!」


 化け物は鎌足に聞く。だがどうやら声が聞こえていない様で、無視して鎌足はパンチの応酬を化け物に浴びせていく。化け物は防戦一方だ。


 その威力の高いパンチに、遂に化け物が怯んだ。後ろによろける。その隙を逃すまいと、鎌足は力を貯める。


「ウバアアアアア!!!」


 鎌足は渾身のキックを化け物にぶつけた。それを喰らうと、化け物はその勢いに負けて五メートル程吹っ飛んだ。


「ぬう……まずい、避難だ!!」


 化け物は鎌足を恐れて、走っていく。……だが速くて誰も捕まえられないだろう。


 全てが終わった事を察した鎌足。化け物が逃げて行くのを見ると、ふっと力が抜けて、その場に倒れた。


 先程までの黒い身体や灰色の筋肉が溶けていく。やがて、元の鎌足の姿に戻った。


 一部始終を見ていた人達は、その倒れている鎌足に何も関与出来ずに、じっと見つめている。


 すると、鎌足に近寄る影が出て来た。


「……ったく。まさかシックルも使わずに変身するなんて。無茶な事するよなあ。……まあいいや」


 その青年は、ビジネススーツに身を包み、前髪にL型の何か鎌の様なヘアピンを止めていた。鎌足の上体を起こすと、肩で鎌足を支え、持ち上げる。


「……よっと。じゃあ行くかな」


 青年は大学の門の方へと歩き出す。それを止められる者は、誰一人居なかった。

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