step.18 二つの真実
「やぁだぁ~!アリス、泣いてるわよ!え?あんた、どんなスパルタしたのよ、ヤマネ!」
「はぁ?なぜ、私が、何かしたとなる。私は、〈ルール〉に従った、までだ。むしろ、アリスに、力など振るっていないし、騙くらかしてない。どこぞの、陰険オカマとは違い、ちゃんと、アリスに、〈分からせる〉、そういうものだった、はずだ。だからこそ、こうして私は、アリス側にいる。そうだろ?」
「そう、〈対峙して、己に、勝った〉からこそ、アリスは、私達の元へ、帰って来れた」
「...え?三日月rabbit、それは...」
「「アリスは、本当に、鈍チンで、〈臆病者〉!!」」
「ちょっと、そこのネコども、何、アリスを苛めてるの!アリスを苛めたら、私が、容赦しないんだからね!」
復活してきていたハートの女王は、あの時みたいに僕の前に立つと、そう言って、胸を張り、腕を組み、威嚇している。
「これだから、脳筋馬鹿は...」
ぽつりと、空寝ヤマネが独り言のように零した言葉を、ハートの女王はしっかり聞いていて、空寝ヤマネにズンズン近づいて行くと、食ってかかるように顔を寄せた。
「コバンザメ!!〈嫉妬〉狂いの、どチビが、何、いきがってるの!」
「はぁ?チビにチビ、言われる言われはない。誰が、〈嫉妬〉狂いか!詫びろ!いや、アサド、跪いて許しを乞うまで、やってしまえ!」
「はっ、マイレディーの、仰せのままに」
陰のように、空寝ヤマネの後にひっそり立っていたアサドは、手を胸に当て、軽く頭を下げる。
「ハートの女王、口は禍の元と言うことを、その身を持って、この私が、直々に指導しよう。いざ!!」
「ちょ、ちょっと待って!!喧嘩は、ダメだよ。そ、それに、これから、レクスの所へ行かないと、でしょ?」
僕は慌てて、動き出そうとしたアサドの方へと駆け寄って、ハートの女王を庇うように背後に隠した。
アサドはことの他、ゆったりとした足取りだったが、僕とアサドの距離は、ものすごく近く、アサドの息遣いが分かる。
僕の目を、アサドは一瞬、じっと見つめ、黙ったまま、空寝ヤマネの方に視線を送る。
空寝ヤマネが、小さく一度頷けば、アサドは、空寝ヤマネの後ろへと、控えた。
「ハイハイ、もう大詰めなんだから、落ち着きましょ。そう、レクスに会うんだから、しっかりキメていかないと!さぁ、どうしましょう!......はぁ!!!ちょっと、アリス、なんで、そんな薄汚れてるの?信じられない!立ち向かう騎士たる者、こんな時こそ、きちんとしないとダメよ!!」
園児をあやす保育園の先生の如く、マッド・ハッターは、パンパンパンと軽快に手を叩いた後、そう宥めるように言っていたのに、僕をまじまじ見つめると、グッと眉根を寄せて、忙しく言葉を続けると、パチンと、指を鳴らした。
一変して、シックな、深緑を基調としたヨーロピアン風な、おしゃれな部屋に、僕達は移動する。
置かれている様々な家具も、こだわりなのか、高級そうなものばかりだ。
「本来、意に沿わない他人を、自分の部屋に入れたくないんだけど、アリスだけ、連れて来れないから、仕方ないわよね。ほんと、......〈契りの鎖〉は、厄介ね。まぁ、いいわ、アリスに似合う洋服を選んであげる!ウフフ、服を選ぶのは、本当に、楽しくて、ウキウキしちゃうわ!どうしようかしら」
マシンガントークで、一方的に話し、終わらせると、マッド・ハッターは、パチンと、指を鳴らす。
すると、ドンと、アンティークな扉に施されている模様は、繊細で美しく、やけに縦も横も長い、長年使われてきたかのような、味わいのある木製の、重厚な四ドアのワードローブが、マッド・ハッター目の前に出現する。
また、マッド・ハッターが、パチンと、指を鳴らせば、扉が自動的に、真ん中の二枚だけ開く。
そこにはハイブランドのような洋服から、高級そうな着物、民族衣装のような服、女性も、男性も、関係なく、沢山の服が驚くほど、ハンガーに掛かって、綺麗に整頓されて、並べられている。
「さぁ~て、私は......まぁ、今の私が、好きなのよねぇ~。だから、不要ね、私はいいとして、ちょっと、煩いわね!人の部屋なんだから、大人しく、座ってなさいよ!あんた達、壊したらどうなるか、分かってんでしょうね!」
あっちこっち、バタンバタン、遠慮なしに開けて、ガサ入れみたいに見回ってる、他の仲間達。
ただ、空寝ヤマネとアサドは、ただ興味なさそうに、突っ立っている。
鬼のような形相で、マッド・ハッターは、睨みを効かせ、高級そうな革張りのソファーに、座るように、きつい視線を送る。
「...まぁ、ここはマッド・ハッターのテリトリーだから、大人しくするわよ。アイアンメイデンで、不意打ち串刺しは、勘弁して欲しいもの」
物騒なことを言って、ハートの女王は、ドカッと真ん中に陣取り、足を組んで偉そうに座ると、その他の仲間も、行儀悪く、各々、様々の体制で座る中、空寝ヤマネは、きちんと姿勢正しく座り、アサドもきっちり、空寝ヤマネの真後ろに、姿勢正しく控えている。
「さて、とりあえず、騒々しいのは、落ち着いたわね。えぇ~と、アリス...ここは私のだから、イメージ合わないわねぇ~」
そう言って、マッド・ハッターがまた、パチンと、指を鳴らせば、服のラインナップが一気に全部変わって、男性ものになる。
「んー...そうねぇ...これ?ん?これ?...あぁ、でも、〈今のアリス〉、なら、これかしら?」
ハンガーに掛かった、洋服一式を取り出して、僕の方へ一旦向くと、空で当てがっては、戻し、を繰り返して、最後に選んだのは、真っ白なスーツ。
マッド・ハッターが、パチンと、指を鳴らせば、僕は途端に、真っ白なスーツに身を包む。
「あら、やっぱり、似合うわね、白。これで、清潔感UP、ね。さぁって、仕上げ、仕上げ」
ウキウキしながら、マッド・ハッターは、また、パチンと、指を鳴らす。
中央の扉が閉まり、今度は、左側の扉が、開く。
そこには、数え切れないほどの、さまざまな変わった、香水瓶が並んでいる。
ガラス製で、透明なのもあれば、色とりどりなものもあり、何かを模した瓶もある。
綺麗に整頓されて並んでおり、香水の小さな博物館みたいで、煌びやかで、楽しい。
「さ・て・と、どの子がいいかしら...。あ、この子にしましょ!特別な日には、特別な香水を。そして、特別な、瓶で演出するの。この瓶は、オーバーレイ技法を使ってて、綺麗でしょ?」
マッド・ハッターは、黄色いエナメルのクッションの上に、前足を上げ、器用に後足で座り、首にはブラックとクリームカラーの千鳥格子模様の生地に、沢山の花々を刺繍したリボンをした、可愛らしい犬の、艶消しが施された瓶を持って、僕に見せ、パチンと、また、指を鳴らす。
瓶の中に、淡いピンク色の液体が、湧水のように溢れ、半分くらいできて、止まる。
「じゃ、目をちょっと、閉じててね」
そう言って、最後にパチンと、指を鳴らせば、ふわっと様々な花のブーケの香りが、僕を包む。
どこかで、嗅いだことがあるようで、違うような、ただ、とてもいい匂いで、落ち着く。
「アリス~。もう、いいわよ」
僕は、ゆっくりと目を開ける。
淡いピンク色の粒子が部屋を漂って、すぅーと、僕達を包み込んだように見え、消えた。
「これで、〈みんな、同じ〉、いい匂いね。アリス、何があっても、これで〈見失うことはない〉はずよ」
「うん、ありがとう。マッド・ハッター」
「アリス、私達は、いつも、〈一緒、仲間〉よ。〈貴方が決めた選択〉なら、〈誰も咎めはしない〉わ。だから、〈アリスの思うよう〉に、決めなさい。私からの最後の、アドバイス、よ。悔いがないように、祈るわ」
僕は、マッド・ハッターの言葉を噛み締め、小さく頷いた。
僕達は戻ってきて直ぐ、アサドに道案内してもらって、港へと向かった。
空寝ヤマネは、〈正式なルート〉を辿らないと、辿り着けない、対、敵に対しては無慈悲、完全無欠仕様なのが、TOKACHIだと言う。
だから、正確な、アサドが適任だと。
今は、木製ボートの船の中。案内されていた時、アサドの背中をずっと見ていた。
分からないが、なんだか懐かしくて、〈いつもみたいに〉、背中に寄り掛かって過ごせたら、〈安心〉するのにと、不意に思った。
アサドとはさっき、会ったばかりなのに。
二匹の雄鹿の像が左右に立てられ、出入口を見守っている中、アサドが、オールを動かして、海を漕いでいく。
辺りはすっかり夜で、雄鹿の目から光線が伸びて、一点を照らしている。
まるで灯台のようで、僕達は、そこへ向けてゆっくりと、海を渡って行った。
海を渡り切れば、広大な砂漠が広がり、真っ正面には、ピラミッド。
入口には、巨大なスフィンクス、二体。
門番、といったところだろうか。
相変わらず、アサドが先頭。
元々は、レクスの直下だったわけだから、適任ではある。
「この気難しい門番は、一つの問いを投げかけます。それに正解すれば、問題ありません。ですが、それ以外の言葉は発しては行けませんし、目を合わせても、いけません。いいですね?問いには、私が答えます。貴方は、よく聞いていることです。ここを通れるのは...それが〈答え〉です」
アサドは、僕の頭を一度、軽く撫で、そう言った。その顔はとても優しく、悲しい目をしていた。
「さぁ、答えよ。ここを通る資格があるのなら!一つの声をもち、四つ足、二つ足、三つ足となるものは何か?」
入口を前にして、スフィンクスの声が上から轟く。
自分より、遥かに大きいスフィンクスは、それだけで威圧感があるが、恐ろしいと思わないのは、女性的な声質によるものなのか、僕の頭が、先程からピリピリ痺れて、麻痺しているだけなのか。
「〈人間〉!!」
大きな声で、アサドは上に向かって発した。
僕達は、沈黙したスフィンクスを通り抜け、静かにピラミッドへと入って行った。
一変して、夜なのは変わらず、空には無数に散らばった、星と、満月。
空寝ヤマネの記憶で見た森に囲まれた、気高い城が目の前に姿を現した。
そこは、夜空は晴れているというのに、しんしんと雪が降り、景色を白一色に染めている。
そこへ時折、青白く光る蝶々が、人魂みたいに飛び回っている。
肌は冷たいと感じないのに、心が冷えて、少し寒い。
雪を踏むしめながら、真っ直ぐ城へと向かう。
寒いのか、寂しくなったのか、二人は両側に分かれて、僕の手をぎゅっと握った。
小さくて冷たくなった手を、重ねると、ふと、双子と重なって見え、抱きしめたい衝動が湧くが、抑え、代わりにぎゅっと、手を握り返した。
アサドが、扉をドン、ドン、ドンと勢いよく叩けば、ギギギギギィと、鈍い音を立てて、扉はひとりでに開いた。
僕達は、黙ったまま、中へ入る。
室内は暖かで、雪化粧した僕達は、すっかり元通り。
城の中なのだが、蝶と花の装飾がされた黄金の鳥籠の中、と言えばしっくりくるだろうか。
ただ、だだっ広いので、圧迫感は全くない。
ただ、真っ赤に咲き誇る、曼珠沙華に囲われ、置かれている光沢のある、朱殷色の大きなグランドピアノから少し離れ、雪のように真っ白で、上等な革の大きなソファーが、今、見ている部屋の丁度、真ん中に配置されている。
空寝ヤマネの記憶の時と違うのは、鳥籠、曼珠沙華、薄暗い、ということ。
ソファーには、レクスが横たわって寝ており、なぜか、鴉のように全身が、黒い。
ゆったりとした優雅な動きで、足を床に付けてから、一度、猫背気味にソファーに座ってから、背筋を伸ばして立ち上がり、グランドピアノの椅子へ、座った。
鍵盤の上にそっと、両手を置く。
一連の仕草は、気品があり、堂々と、それこそが、王たる威厳とでもいうように。
僕達はその一連の動作をただ、黙って見ていた、というよりは圧倒的な圧力に、動けなかったという方が、正しい。
何せ、レクスが僕達を目で捉えた瞬間、送られてきた視線は、氷のように冷たく、重々しく、背筋がゾクっとして、身が一瞬にして凍りついた。
外の雪は溶けたのに、心は逆に、やたら寒い。
レクスは、僕達のことなどお構いなしに、ピアノを奏でる。
アレンジされているが、ヴェートーベンの〈運命〉だ。
一音、一音が重く、地響きし、室内に広がり、反響し、見えない何かが、のし掛かったようで、重苦しい。
第一楽章の一部分を、一分間くらいの長さで弾き終わり、曲が盛り上がって、鍵盤の音が高々に響き渡った、瞬間だった。
ガァシャン!!!
僕だけが、前に吹っ飛ばされ、横たわった形で、床を滑っていく。
飛ばされていく途中、目にした光景は、仲間が、ガラスと金属でできた美しいピラミッドの中に閉じ込められ、パチンと、後から、指を鳴らす音がすると、海の藻屑のようになって、跡形もなく、目の前から消えた。
放心状態から、一拍置いて、僕は、驚愕で頭を抱えた。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
絞り出たように出た、呻き声。
でも、涙が、出ることはない。
その代わり、沸々と湧き起こる、怒り。
皮膚がヒリヒリして熱く、臓器が業火に焼かれているようだ。
ゆっくりと身を起こして、少しおぼつかない足取りで、立ち上がる。
床を見つめて、ギリっと奥歯を、強く噛んだ。
こんなにも、怒りを感じたことは、ない。
僕は、ゆっくりと顔を上げて、レクスがいる方へ、標準を合わせた。
ここはもう、何もない空間、黒一色で、塗りつぶされている。
ただ、夜ではなく、闇でもなく、黒。
不思議と、お互いの姿は、くっきりと映し出されている。
そう、レクスは黒と思いきや、光沢ある黒で、黒に、埋もれることは、ない。
これが、圧倒的な、存在感か。
ふっと、何かを、思い出した気が、する。
すごく、すごく、嫌な感情。
どろどろと、黒い、ヘドロのようなものが内部に流れて、吐き気、嫌悪、どうしようもない、気持ち悪さで、飲み込めない。
我慢して、奥歯を噛み締めれば、口の中が、血の味がする。
その味が、まだ、〈生きている〉と、実感させる。
更なる己のエネルギーとなって、血と混ざり、全身を巡る。けど、それは、美しくなく、禍々しいだろうと、小さく笑う。
笑いも出れば、余裕も出て、怒りは収まることを知らないが、頭だけが、やけに冷えて、スッと冷静になる。
「言葉など、もう、必要ないだろう?終わりを告げる時が、来たのだから。武装をして、武器を取れ。己の武器で、ラストダンス、始めよう」
じっと僕だけを捉えて、見つめていたレクスが、物静かにそう発すると、僕達は一気に、詰め寄った。
イメージだけで、僕は、もう、美しい真っ白な甲冑を身に纏い、レクスは、光沢ある黒の甲冑を身に纏う。
両者、美しい片手剣を、左手に握る。
僕は、白銀の長剣で、装飾に青く光る星のような輝きが施されたの剣。
レクスは、漆黒の長剣で、装飾に青く光る星のような輝きが施された剣。
剣がクロスして、対峙する。
柄を左手で硬く握り、右手は剣先の方へ添え、力任せに押し潰そうと、互いが互いに押し出し、剣だけが、ガタガタ小刻みに震え、両者、一歩も引くことはない。
一拍置いて、互いに剣を横に流して、剣から金属が奏でる高音と、火花が散り、互いに、左足で、鳩尾を狙い、思い切り蹴り飛ばす。
互いに、吹っ飛んでいくが、壁などない空間、自分で体制を立て直すしかなく、互いに、剣を無理やり地面へ突き立てれば、衝撃で剣から手が離れ、地面にガッと、派手に音を立てて打ち付けられる。
普通なら、骨が折れても不思議ではない、それぐらいの衝撃。
でも、痛みなど、微塵も感じない。
少し遠く、真っ正面にいるレクスも同じ。
僕達は、同じタイミングで立ち上がり、姿勢を低くして、駆け出す。
手には、白銀のマスケット銃。
レクスは、漆黒のマスケット銃。
双方、走ったまま銃を構え、安全装置など、ない。トリガーを、引くだけ。
規則正しく引いて、乱射。
弾は光を帯び、光線となって、一直線に互いに向かい、飛んでいく。
甲冑に当たって、甲冑が凹むのを厭わずに突き進む。
互いの銃の、先端に取り付けられた細長い剣が、互いのこめかみ部分を通過、間もなく、互いに足を踏ん張り、回し蹴り、互いに銃を手放した瞬間、吹っ飛ぶ。
そのままの勢いで、地面に叩きつけられ、それでも勢いが殺せず、横になった状態で地面をスライドしていく。
だが、痛みはない。
痛みはないが、口の中が、ぬるっとして苦い。
閉じている口端から一筋、生温いものが流れ落ち、ぴちゃ、と地面に音を立てて消えていく。
血を袖で拭い、ゆっくり身を起こして、ふらつく身体を、バランスを取りながら立つ。
両脇に手を置いて、深呼吸。すっと、自然に、レクスを見据える。互いに、ボロボロだ。
まるで、〈写鏡〉。
そして、やっと、僕は、真実を、受け入れる。
そう、だって、目の前にいるのは、僕、自身ではないか。
いや、少し違う。
僕の父親、そのものだ。
僕であり、父親であり、全ては、今、完全に、欠けたピースが、ピタッと、はまった。
ガッシャっと、ガラスが派手に割れる音がして、今、この世界は、粉々に、散っていった。
僕は、くらっと立ちくらみして、その場に倒れる。
「はぁ...そろそろ、起きてもいい頃なんだけど。はぁ、もう、早くしないと、怖いんだよね。まぁ、ここまでよく頑張った、頑張ったけど、ここで動かないとかなしで。最初からやり直し...しんどい、しんどい。いい加減、休みたい。神使を扱き使いすぎ。心労、イカれが揃うと、心労。ねぇねぇ」
僕は、ブツブツ呟いている誰かの声と、背中に重さを感じて、パチっと、目を覚ます。
ただ、うつ伏せの状態で、顔だけ右に向いているという不自然な格好で、身体が軋んで地味に痛いし、背中に、確実に何かいるため、立ち上がることができない。
背中にいたものが降りて、重くなくなったので、ほっと一息つく暇もなく、僕の顔の真っ正面に、時計ウサギの顔が、ドアップに映り、ビクッと、小さく、身体が強張る。
「あっ!起きた!よしよし!アリス、行こう!さ!行こう!」
僕の横っ面を、そう言って、遠慮なしにベシベシと叩く、時計ウサギ。
痛くはないが、起き抜けで不愉快でないといえば、嘘になる。
だが、急いでいるようで、叩くのをやめない時計ウサギが、うざったくなる。
時計ウサギの手を退けてから、両手で上半身をゆっくりと起こしてから、両足を抱え込むように寄せて、ゆっくりと立ち上がる。
「早く!早く!!」
時計ウサギは、僕の方へ一旦振り返り、そう言い残すと、僕のことはお構いなしに、どんどん先へと、飛び跳ねて行く。
僕は、最初の頃のことを思い出しながら、時計ウサギを追い掛けるために、駆け出した。
意識が、ふっと、遠のいた後、良くは分からないが、外に出た。
見上げれば、夜空。
こぼれ落ちそうなほどの満点の星々と、黄色だが赤みを帯びた、大きな、大きな、まんまるお月様。
月明かりに照らされた、白黒のタイルでできた一本道が、目の前に、真っ直ぐに続いて、辺りはサファリ。
大自然が広がり、ライオンや、ヒョウの肉食獣、遠くには、アフリカゾウも見える。
ただ、こちらには全く気付きもせず、各々、のんびりと生活している。
そこを抜け切ると、トワール凱旋門が、姿を現す。
その門から見える、向こう側の景色は、煌びやかではあるが、ごちゃごちゃで、はちゃめちゃな、自由勝手な造り。
凱旋門を抜けると、正面には、サグラダ・ファミリアが、堂々と鎮座し、金沢城、安土城、名古屋城、会津若松城、姫路城、大阪城と、サグラダ・ファミリアを丸く囲うように建てられ、最後、一際大きな五稜郭。
サグラダ・ファミリアに比べれば、小さいが、蒼白くライトアップされ、地面の星が輝いているようで、とても幻想的で美しく、とても目立っていた。
さらに、その中央地帯には、自由の女神像が、存在感強めで、ど真ん中に、それを囲うように、エッフェル塔、東京タワー、東京スカイツリー、Nソウルタワー、63スクエア、ピサの斜塔、台北101と、少し斜めって、建っている。
高さは、あべこべだが、ビルの先端が、女神に、剣を捧げているようにも、見える。
どこも、かしこも、ライトアップや、プロジェクトマッピングで、闇夜を照らし出して、カラフルに彩っているから、本当に夜なのかと、錯覚してしまう。
ただ、そこには、僕と、時計ウサギしかおらず、豪華絢爛なのにも関わらず、シーンと静まり返って、逆に怖く、ゾクっと鳥肌が立った。
時計ウサギは、全く止まるということを知らず、迷いなく、五稜郭へと入って行った。
もちろん、その場を観光なんて気分にはなれず、後を追って、中へ入った。
入口を抜けると、巨大な水槽が広がる。
室内は、水中トンネルになっていて、鮫や、海鷂魚が、悠々自適に泳いでいるのが、水槽越しに見える。
時計ウサギは、その入口で、待っていた。
「そうそう、渡しそびれてた。はい、これ」
そう言って、放り投げられ、キャッチしたのは〈鍵〉で、〈翼の付いた鍵〉。
空寝ウサギが、右翼なら、今、持っている〈鍵〉は、左翼で、形が一緒であるから、対の〈鍵〉かと、思った。
そういえば、右翼の〈鍵〉は、どうしたかと思い、もしかしたらと、ポケットを探れば、沢山ある〈鍵〉の中に、入っていた。
二つ並べてみると、やはり、二つで一つの翼になる。
そう気づいても、今回は、何も起こらない。
景色は同じまま、水中トンネルの中だ。
ふと、水槽に映る自分の姿を見てみれば、マッド・ハッターに着せ替えられる前の白と水色の服装に、戻っていた。
視線を、自分のジャケットへと移動させれば、あの時のまま、薄汚れている。
パンパンパンと、服を叩いてみても、落ちないのは、変わりない。
なんだかよく分からず、混乱して、途中から、夢だったのかと、思ってしまう。
だが、唾を飲み込む時、口の中は苦く、少しヒリヒリする。
この苦味は、鉄を含んだ、血の味。
薄い血の味の唾液が、口の中に溜まって、気持ち悪くて飲み込めば、血の味が広がって、やっぱり現実だと、また、実感する。
実感することで、ドッと、疲れが溢れ出て、動かすと関節が、鈍く痛みが走る。
袖を捲って見てみれば、アザだらけ。
思い出してみれば、激しい戦いだったなと、思う。
甲冑を付けているのに、動きは、人間離れし過ぎるし、剣だの、銃だので、やり合って、普通なら、命を落としてもおかしくない、そんな戦いだった。
袖を戻しながら思うのは、今は、全く、あの時の、燃え焦げてしまいそうな怒りは、全くない。
仲間を失ったというのに、とても、心は落ち着いて、冷静だ。
現実だと、受け入れているのに、どこか、夢心地なのに、諦めの気持ちがあって、よく分からない。
はぁっと、小さく、ため息を付いて、辺りを見たら、独り。
僕は、寂しさと、恐怖で、慌て、トンネルの先へと急いだ。
「うぅわぁ!!マジで!!」
全然知らない青年の声が、入口手前で聞こえ、僕は、そろりと、足音を消し、警戒しながら入る。
そこは、見覚えのある場所。
そう、規模は違うが、父親の書斎、そのまま。
部屋の真ん中に、アンティークのプレジデントデスク。
その上に、アンティークの地球儀、アンティークなペン立てが置いてある。
そのデスク囲うように、本棚がびっしりと後方に設置され、多種多様な本がびっしり埋められているが、中央部は、段が少なく、壁面積の方が広い。
中央棚、一番上の段には、織田信長の兜を模した、立派な折り紙が置かれていた。
特殊な、厚めの折り紙で頑丈で、金色部分は金箔が混ざって、豪華。
小さい頃、すごくカッコよくて見えて、好きで、よく眺めていたのを思い出す。その上の壁、中央は、少し小さめのモザイクタイルで描かれた、モナリザが、額縁に入って飾られ、その両脇に、二個ずつカラフルな切り絵が飾られている。
右には、八重桜、クラウン。
左には、ドラゴン、スフィンクスが、これも額縁に入って飾られている。
エナメル紙に、さまざまな色を飾り、ただの切り絵ではなく、彩りがあり美しい。
タイル画も、絵画には精度は落ちるものの、優しい感じが滲み出て、味がある。
そう、このなんだか、ごちゃごちゃして、不器用な感じが、温かみがあって、好きだった。
それも、どれも、これも、綺麗に扱われていて、新品とはいかないまでも、ピカピカに磨かれたみたいに、大切扱われていたのは、子供心にも、分かっていた気がする。
だから、義理の父が死ぬまでは、双子と一緒に、この部屋でよく遊んだ。
子供だから、ちょっと粗相しても、両親は怒らず、ただ優しく、大切に扱うように諭してくれたと思い出す。
けど、あの日、義理の父が亡くなった時を境に、僕はこの部屋を一度も訪れていない。
唯一、大切な、大切な宝物のように思っていたのに、僕は、現実に立ち向かい、生きるために、〈捨てた〉のだ。
今更、感傷に浸りながら、デスクの上を見れば、猫の曼荼羅の切り絵が、デスクシートに挟まれて、見えた。
父は、猫がとても好きだったと、母が言っていて、身体が弱かった父は、動物を飼うことを、禁止されていたらしい。
それでも、飼えばよかったと、少し悲しそうに、母が話してたのを思い出した。
なぜ、今、僕の家族は、誰もいないのに、思い出さないといけないのかと、胸が苦しくて、痛くて、目を瞑る。
心臓の上に左手を置いて、数回、深呼吸し、心を落ち着かせる。
ゆっくりと、目を開けば、右手の握り拳が、目に止まる。
ゆっくり手を開けば、二つの〈鍵〉。
父と、母は、この場にいないのに、その〈鍵〉から、面影を感じ、不思議と、涙が流れた。




