8-1 バカと風習と村の怪
瞬きを二度、横を向いた視界。意識がはっきりしてくると、横を向いているのは視界じゃなくて俺自身だと気がついた。指先に血が通っていない感覚、手首が動かない。後ろ手に縛られた状態で床に転がされているらしい。手首に伝わるビニールの感触。気温は高く、じめっとした湿度を感じる。
視界に入るのは畳、ふすま、障子、板張りの天井。民家の一室か? 首は動くので周囲を見回す。視線の先、ふすまに持たれるようにして白いものが見えた。白い布地に黒の文字、「油断大敵」────
「喜か!?」
「しーっ、大きい声出すなアマヒコ!」
頬に貼られた絆創膏はよれ、日焼けした髪はいつものようにまとめられていない。そんな喜は思わず大きな声を出した俺にそう言った。
「わ、悪い……。てか、ここは……」
「村長の家だ。まーさか怪異関係なく『ラチ』されっとはなー」
そう言って肩をすくめる喜。ラチ……拉致!? というか俺は小塚家の風呂場から記憶がないが、喜はなぜはっきり村長の家などと言い切った!?
「おれ気絶してなかったし」
「なんで!?」
本当になんで!? いきなり頭殴られたんだぞ!!
「これ見ろ」
「はぁ?」
喜が見せてきたのは自身が着る、いつもの文字Tシャツ。書かれた文字は「油断大敵」……それが一体?
「おれはこのTシャツはカバンの下の方に入れてた。んで、着替えを持ってきたのはコンコン達かもしれねーが……服を出したのはサキで間違いない」
「いや紺ならやりかねねえだろ……」
「これを着るのは祭り当日って決めてて、カバンの相当奥に押し込んだんだよ。おれの中じゃ四文字熟語は正装だ」
知らねえよ。
「これを渡してきたのは意味があるだろーと思って身構えてたんだけど、まさか着てる最中に殴られるとはなー。着終わってたら反撃できてたぞ」
「お前身構えてる最中なら殴られても気絶しねえってのかよ」
「おう! アマヒコの倒れる音聞いてすぐに手を後ろに回したからな。手は痛かったぜ」
恐ろしい奴だ。しかし待てよ、俺らが拉致されたと言うことは……。
「小塚や透山がヤバい!!」
紺は家族といるらしいが……透山は部屋でひとり、藍ちゃんは俺らが濡らした床を拭いてくれている。まずい、特に小塚姉妹を巻き込むわけには。俺は起き上がろうともがく。
「安心しろアマヒコ。多分、コンコンやアイちゃんは大丈夫だ。俺らがいなくなったこと知って、心配してるかもしれねーけど」
「なんでそんなこと言えんだよ!!」
慌てる俺に喜はよいしょ、と言いながら後ろに回された手を動かす。すると見る見る間に縄から手首が抜けた。縄で擦れたのだろう手を回しながら、喜は立ち上がる。
「コンコンやアイちゃんは村の人だ。村から出ていっちまう人も多い中戻ってきてくれた……村の人からすりゃーありがたい存在。現状村に不満もなさそーだし、あわよくば将来もここで暮らしてもらいたい、そんな人をわざわざ拉致して『この村やべー』って思わせてもいいことねーよ」
それはそうかもしれない。村人からすれば若い子は手放したくないはずだ。神社での話を思い出す。小塚父はなんとか祭りの度に連れ戻せるだろうが、娘達はそうはいかないだろうと。となれば村を見捨てないように、村への愛着やいいイメージを壊さないようにするはずだ。
「だけど透山は! 祝にも連絡しねえと!! あいつらも俺達みたいに……!」
「サキはだいじょーぶだなー」
「なんでそんなこと言えんだよ!!」
立ち上がった喜は俺の後ろに回り、手首を結んだビニール紐を引きちぎった。手が自由になり、体が起こせる。散々騒いだが、人が来る気配もない。見張りはいないらしい。……普通素人のシティボーイが縄抜けできると思わないか。
喜の顔を見上げると、奴はにぃっと笑っていた。
──────
振り下ろされる布が巻かれたバットは、誰もいない空間を通過した。元々そこまで強い力が入っていなかったのか、布団を殴打する前に動きを止める。
黒尽くめの影は視界の隅で、身を起こし攻撃を交わした俺の姿を捉えただろう。一撃目が外れたことに驚いた一瞬を狙い足元、死角から距離を詰め一気に顎に向かって掌底。人間どんな図体をしていようが、顎を揺らせば脳も揺れる。
バランスを崩した体、それでも尚向かってくる根性に驚く。こちらへ放たれる手刀。だがどんなに強くとも勢いを流す「道」がある。手のひらで軌道を反らした。そのまま手首を取り、体をひねり、相手の脇の下へ肩をねじこむ勢いで───四方投げ。
黒尽くめの影は畳の上へ大きな音を立て落下した。まずいな、下にまで聞こえたか。腕の関節を逆に曲げてねじ上げ、拘束する。とにかくこいつは誰だ? 目出し帽を引っ張り脱がす。浴衣が乱れたし部屋も荒れた。最悪だ。
「なんだお前は」
帽子の下から現れたのは見覚えのある顔、小塚父だ。顎を揺らされ視界が歪むのか、苦しそうな顔をしている。小塚家族の前ではずっと大人しく振る舞っていたためか、突然の変わりようにも驚いているようだ。
床に落とされたバットを広い、押さえ込んだ手を離した。打ちのめされ、武器を奪われれば戦意も折れる。元々暴力沙汰に乗り気でなかったであろうしな。
「質問に答えてもらいたい。答えてもらえればすぐに解放する」
「……は?」
困惑も予想のうち。てっきり何をするだの許さないだの騒がれると思ったのだろう。だが俺はそこまで馬鹿じゃない。
「俺はなんとなく貴方達やこの村の隠してることが推測できている」
そう告げれば、意識が覚醒したのか小塚父の目が見開かれた。ぐっと唇を噛みしめる。
「さてどうする。予想とはいえ、まずいことを今すぐネット上に書き込まれたいか? 俺の知り合いは拡散が上手くてな」
はったりだと思っているのか、小塚父の噛み締めた唇が一瞬解ける。それを見過ごさず言葉を紡いだ。
「例えば……そうだ、この村の名前間違えててるな。直さなくていいのか?」
「!!」
俺の揺さぶりにわかりやすく動揺する。動揺は正解の証明、意地でも無表情を貫き通せばいいのだが。思わず肩をすくめる。眼前にバットを突きつけた。
「質問だ。小塚姉妹には何もしていないか?」
「……していない。娘だ、巻き込みたくない。悪いのは私なんだ」
「悪いのが誰かは聞いていない。無事なら何よりだな。以降も巻き込まないよう努めてくれ」
指折り示す。一本、次は二本目。
「この村には隠したいことがあり、それを隠し通すために『外から人を呼んでいる』。村の名前を間違え続けているのも、地図上に存在しないということを訂正しないのも、そのためだな? そして貴方はその隠したいことと関係があり、逆らえなかった。違うか?」
少しの沈黙、それから縦に首を振った。正解、か。推理とも言えない、事実を並べれば浮き彫りになる推測だったが当たっていた。
「夕善と天沢はどこだ。俺が襲われたってことは、あのふたりもとっくに襲われただろう。それとも、俺をやった後にふたりの元へ行く予定だったか?」
「……風呂場には、村長から遣わされた人達が行った。縁台の雨戸を開けておいたから、そこから……。あのふたりが本当に、神社に近寄っていたとわかれば今頃、村長の家だ」
神社に近づいた奴がいたとわかり、すぐに小塚家へ偵察を寄越したのか。随分と疑われている。おそらくあのふたりのことだから、神社の裏で見聞きしたことについて話したのだろう。それが証拠となり口封じされたと。迂闊な馬鹿め。なんのために油断大敵Tシャツを渡したと思っている。
「……質問に答えてくれてありがとう。さて、それじゃあ俺は家でひとり寝ていたから他ふたりがしたことなど何も知らなかった、そういうことにしてくれ」
すっと、眼前に突きつけたバットを引っ込める。話は終わりだ。
「と、友達のことはいいのか……?」
自分達で拉致しておいて妙な態度だ。脳裏に夕善達の顔が一瞬浮かぶ。
「俺はいい。あいつらがいるのは村長の家だろ? この村の中にいるなら自力で戻ってくるだろうし、俺はこの推測が当たっているかどうかを────」
ふと、降りてきた思考。待て、夕善達は風呂場で拉致された。その時小塚一家は台所に集められていた、小塚姉によって。風呂場へ意識がいかないようにと、小塚姉が必死で引き止めていた。
「おい、小塚姉からどうやって離れた?」
「と、トイレに行くと嘘をついた……だからそろそろ戻らなくては」
トイレは風呂場とは反対側の位置にある、故に小塚姉も大丈夫だと判断したのだろう。……ならば今、小塚姉は母と祖父母と共にいる。しかし小塚妹、彼女は夕善達が風呂場まで行く際濡らした床を拭いていた。
「小塚妹は、村長の偵察と鉢合わせした……」
風呂場は家の奥にある。玄関から上がってまっすぐ廊下を進むか、縁側を回って一周するかしないと辿り着けない。夕善達が襲撃され、連れ出されたのなら必ず小塚妹と遭遇している。
「母親はこの村のこと、貴方のこと、なにか知っているか?」
「し、知らない……何も話していない……!」
小塚妹が俺達に協力しているとわかれば? 小塚姉も加担していると思って間違いない。そして小塚祖父母は村を守りたい側。何かしらの行動に出ていても──おかしくはない。
人を縛る一番の鎖は罪悪感。小塚姉妹が村の真実を知ったところで、恐怖を覆す「罪悪感」を埋め込めば、一生村に縛ることが可能になる。まさしく父親と同じように。
「クソ! めんどくせぇ……!」
スマートフォンを取り出し、送りかけたメッセージを止め電話をかける。このために用意した「秘策」、頼るのは癪だが、仕方ない。
「村長の家の位置を教えろ!」
繋がるまでの間に俺が尋ねると、小塚父は顔を真っ青にし何度も首を縦に振った。その間も続くコール音。早く出ろクソ馬鹿が。夕善達がどんな目に合おうと知ったことではないが、怪異だなんだに無関係な人を巻き込んで無視できるほど、俺は薄情ではないのだ。
──────
「サキは強いぞー? 合気道や空手の経験者だ。力は弱いくせにな」
「知らなかったな……」
「さーてーとっ」
立ち上がりあたりを見渡す。四方のうち向かい合う二面はふすま、もう二面は障子。大きな和室をふすまで区切っていると思われるので、おそらく障子の外が廊下だろう。人影はないし話し声は聞こえない。
「どう逃げる?」
「待てよ、逃げる前に透山に連絡を……」
って、スマートフォンがない! そうだ、神社からの帰りカバンに突っ込んでそのままびしょ濡れになって、服と一緒に脱衣所だ!
「喜、スマートフォンは!?」
「ズボン履いたときにポケット入れてたんだけどよ……盗られてた」
「取り返さねえとじゃん!!」
ロックはかけているとはいえ、スマートフォンの中を見られれば……俺らが村に来た目的も、姉妹が村を怪しんでいたこともまるわかりになってしまう。
「家の位置はわかってっけど……連れてこられたとき、縁台から中に放りこまれたから間取りはわかんねーな」
「誰がスマートフォン持ってんのかな……俺のも盗られてねえとはかぎんねえ」
「縁台から逃げ出すのは簡単だけど、そうはいかねーな。家中探し回ってみっか」
しかし長居はできない。俺らが拉致されてるのを知った紺が祖父母や大人に詰め寄る可能性もある。村にとっても大事、と扱われるのはあくまでも「都合のいい」間だけ。大事にすることによる利益より不都合が勝れば──無事では済まない可能性だってある。
「とにかく脱出! 安心しろアマヒコ、全員おれの敵じゃねーよ」
「知ってるよ」
俺らはしゃがんだ体制のまま障子に近寄る。喜は目配せのあと、勢いよく開け放ち縁側に飛び出した。
縁台の硝子窓に雨粒が叩きつけられる。土砂降りの空は灰色で、今が真夏であることを忘れるようだった。




