7-4 バカと祭りと村の怪
窓から差し込む陽の光と暑さで目が覚めた。スマートフォンをタップし時刻を見ると朝の八時。提灯吊りの再開は九時からだと聞いている。エアコンは深夜に止まったらしい。隣の布団を見る。喜の布団はすでに空、そして反対側の透山、頭から布団を被って丸まっている。俺の物音に気がついたのか透山が隣でうめいた。
「おはよう透山……」
「……おう」
寝起きが悪すぎる。俺は布団から起き上がり、喜の分も布団を畳んだ。寝間着の浴衣から私服に着替える。ジーパンに白のTシャツ、黒い薄地のベスト。俺が着替えている間も透山は布団の中でもぞもぞしていた。
「そろそろ起きろよ、飯遅れるぞ」
「……動けねえ」
低血圧かよ。布団を引っ剥がすが透山は転がるのみ。よっぽどだな、と呆れた俺が奴を引っ張り起こそうとした瞬間。
「夏バテだ……」
「は?」
──────
「昨日は慣れへん移動やったやろし、暑さにって疲れてしもたんやろなぁ。連れ回してごめんなさいねぇ。ゆっくり休んで」
「ご迷惑かけます……」
頭を下げるお婆ちゃんに、俺と喜はさらに深く頭を下げた。俺らがピンピンしている以上、奴が貧弱だっただけの話。紺や藍ちゃんも心配そうに覗き込んでいたが軽くいなした。
「今日はじゃあ留守番だなー」
「おう」
「ちゃんと水飲んで寝ろよー?」
「うるせえな」
心配して言っているのに何だその悪態は。俺はため息を付きながら鞄を持ち、布団で丸々透山に背を向け、下に降りた。
──────
『……あァ!? いきなり何だテメェ透山ァ!!』
「遅い。三コール以内に出ろ馬鹿野郎」
『出れるか!! 今たまたま休憩中なだけで朝からずっと走りっぱなしだこちとらァ!!』
「知るか。それでだが、何時頃着く?」
『知るかってテメェ……時間はそうだな……このままいきゃあ夜には村のそばの、駅には着くと思う。そっから雨の晩に迎えに来てもらうのは忍びねェし、夜押しかけても迷惑だろうから、一晩どっかで泊まってから自力で村探すなり迎え呼ぶなりするつもりだ』
「────今休憩中と言ったな。地図を出せ」
『あァ?』
「地図上に村が無いなんてのは嘘だ。俺が教える道を通って、何が何でも今夜中に来い。いいな」
──────
「なあ紺、村の場所が地図に無いってのは、村の人は知っているのか?」
「うーんどうなんでしょ。思い返したら聞いたことないですね。でも、聞くの怖ないです?」
「怖い」
俺は昨日と同じくせっせせっせと提灯を吊るしていた。喜は支柱立てで大活躍を見せている。喜より上背はあるが、あそこまでの力はないので俺は呼ばれたときだけ行くようにしている。
「紺はきさらが様、なんてのに聞き覚えねえんだよな」
「ないですねぇ。藍もやろ?」
「うん」
溢れるほど抱えた提灯を横に渡す。
「前の祭りのとき、神社に近づくななんて言う話は?」
「なかったと思います。私駄目や言われて止まるやつに見えませんやろ」
「それは同意」
この十年で生まれた話? うーんわからない。ひとまず情報をまとめてみよう。
この「きさらが村」は地図上に存在しない。だが村の人は最寄り駅、隣町への道順は把握してるし村の外にも行ける。だがそんな紺が調べても村の名前は出てこなかった。
現状祭りの内容に怪しい点は無い。普通の、収穫や豊作を祈る祭りだ。変な動物の肝を、とか村全員で儀式を、なんてことはなさそうだ。いざ当日とんでもないことが起きれば話は別だが。
祭りの準備を行っている間は神社に近寄ってはいけないと皆が言う。祭りと関係がない時期、偶然子供が見つけた神社の裏にあった社。そしてそこへご飯を運ぶ神主、社の中に貼られた「きさらが様」の札……うーん、うまく繋がらない。
「あ、そういえば……。お爺さんが言っていた『噂』の力がどうたらって……」
人の言葉は、噂は力を持つという発言。ありふれた話だがあの場、あのタイミングで出た言葉というから疑ってしまう。
紺や藍ちゃんには、怪異の発生条件について話してはいない。あんまり深く知れば知るほど、向こうに引っ張られるかもしれないと考えたからだ。あくまで、俺の考えではあるが。深淵を覗く者は深淵に覗かれるというではないか。まあ、憑依体質の俺は知らざるを得なかったが。
怪異は人の噂、もしくは強烈な念によって生まれるもの。以前あったサークル棟の一件でもうまくごまかした。紺はああ、と呟く。
「あの話ですやろ? あれ、村のお年寄りがみんな言うんよ。言葉には力があるから、変なことを言い回ったらあかんてね」
この村全体に? まあ、田舎ってそんなもんか? 夜口笛を吹くと泥棒が来るぞ、的な。
「嘘言い回ったら嘘でできたおばけが出てきて、悪い子を食うてしまうぞ……とかね?」
────!? それは正しく、怪異の発祥、では? 思考が止まる。いや、考えすぎか? ただの言霊的なアレか? 駄目だ判断がつかない。思考停止した俺を不安がり、紺が肩を叩く。
「天パイ? 大丈夫です? 水飲みます?」
「……あ、いや、大丈夫だ」
考えすぎだとしても……これは、喜に伝えなくては。俺は頬に押し付けられるペットボトルを押し返しつつ、汗を拭った。
──────
「ホンマにええんですー? 私らついていかへんで!」
「いいって言ってんだろこづ……紺、俺らだけで行くから」
時刻は午後二時。昼ご飯をいただき提灯の覆いが完了した俺らは、小塚家と神社の方の分かれ道に立っていた。神社までの道のりはすでにふたりから聞いている。透山がいないのは仕方ないが、俺達二人でも問題あるまい。
「コンコンとアイちゃん連れてったら、顔が知られてるから見つかったとき怒られるじゃすまねーだろー?」
「せやけどぉ〜……なんかあったらすぐ電話してくださいね!!」
「気をつけてくださいね」
「おう!」
不安げな姉に対して落ち着いた妹。ふたりに手を振り、喜がハンドルを握る自転車の荷物置きにまたがった。
「いくぞー!」
「おっしゃー!」
流石は喜、自転車は原付以上の速度で進み出す。ビニールに覆われた提灯があちこちにぶら下がっている。提灯吊りに参加した人達は家に戻ったり、自治会場に集まったりしているらしい。
天気はまだ晴れ。夕方にかけて天気が崩れていくらしいが、真っ昼間はかなり暑い。日差しは相変わらず、蝉の声がやかましい。
「昼飯のときさー」
「んー? 変なもんとかじゃなかっただろ」
「おう、美味かったけどよー。いっこ気になることがあってさ」
気になること? 俺には思い当たることもない。肩からずり落ちた鞄の紐を掴み持ち上げた。
「祭りでは山で採れた山菜やキノコや、畑で採れた夏野菜の料理を食べるって言ってただろ?」
「そうだな。藍ちゃんの報告いわく」
「おれらが昼飯貰いに行った集会所でもさ、奥でおばちゃん達が集まってたからてっきりそんななのかなーって思ったんだよ」
右手をハンドルから離し汗を拭う喜。片手を離したにも関わらず、自転車がブレることはない。
提灯吊りに参加したメンバーは昼食が貰える。飛び入り参加だった俺達も同様に。昼食を配布すると聞いた集会所、その台所ではおばさん達やお婆ちゃん達が忙しそうに手を動かしていた。
祭り当日に振る舞う料理の試作だと言っていた。毎回決まった味付けの同じような伝統料理を作るらしい。
「でも出てきたのは菓子パンとかおにぎり。そりゃー参加者が何人になるかわかんねーから仕方ねーってのはわかるけど、奥のおばちゃん達が作ってた料理、いや、使ってたものがよ」
「よくそんなところ見たなお前……」
食への執着心恐るべし。呆れた俺は喜の続く言葉に凍りつくこととなる。
「キノコや山菜を使ってたんだけど、ゴミ箱に袋が捨てられてたんだ。明らかに買ってきたっていうパックとかもな。おかしくねーか?」
「……祭りに、この村で採れたものじゃねぇもの使ってるってことか?」
「……だと思う。夏野菜とかは見えたんだけどな、山菜やキノコだけ」
もしかしたら今年は不作なだけかもしれない。山の幸は気まぐれだ。俺の言葉に喜は「そうだよな」と小さく返した。自転車はどんどん上り坂にさしかかり、山の方を目指す。
──────
「ちょっとおい紺!! お前この道でホントにあってんのか!?」
『神社の裏ですやろ!? ならそっち通るんですよ』
「だからってお前……これ、明らかにヤブの中じゃねえか……!」
正面から神社に迎えるわけがない。というわけで俺らはあらかじめ紺から神社の裏に出る道を聞いていたのだが……いざ来てみれば、明らかにヤブの中。神社は村を上から見て十二時の位置にある。後ろに山を背負う形、つまり端っこ。だから社は山の中にある。
社を発見した少年の家は十一時の位置にあるとのこと。当日一時の位置で遊んでいた彼は、神社の敷地を回って遠回りするより山を通過したほうが早いと思ったらしい。
実際、神社の裏は近道として子供達によく利用されているのだとか。だが社自体はその近道からは離れた位置にあり、存在を知らない子供達もいた。きさらが様を最初に見た少年は、森の中を歩く神主を追いかけ、社について知ったといった。紺は社の存在を知ってはいたが、そばまで行ったことはないという。
そして教わった道というのが、子供達に伝わる近道。適当な位置でこの道をそれればいいらしいが……。覆い茂る草の中、子供が踏みつけたと思わしき跡はあれど、俺らみたいな大学生が通ることを想定されていない!
ここに来るまで人と出会うことはなかった。うまく紺が取り繕ってくれるとはいえ、神社に近づくことを止められているためありがたい。自転車は山に入る前、藪の中に寝かして止めた。
「おれの後についてこいアマヒコ!!」
「なんでお前半袖Tシャツでそこまで勇気あるんだよ……!」
虫とか怖えよ〜。紺に弱音を聞かれるわけにはいけないので声には出さないが。その時、喜がお! っと声を上げた。
「おーいコンコン! キノコ生えてる!」
『ホンマです? そんなとこにも生えとるんですねぇ』
「食えるかなー」
「やめとけよ喜……」
木の根元に生えているキノコ。流石にいきなり手を伸ばす真似はしない喜に胸を撫で下ろす。そのとき、電話口から聞こえた足音。
『……何してんだ』
『透山センパイ!! 起きて大丈夫です?』
『あぁ……あいつらと電話か。なら廊下でするなよ。家族に聞かれたら厄介だろ』
『そうでしたね、気ぃつけます……』
透山がたまたま部屋から出てきたらしい。てか廊下で電話するなよ紺。二階とはいえ家族に聞かれたら……。
「サキー! いるんなら見てほしいんだけどよ……コンコン! ビデオ通話できるか?」
『ああはい!』
すぐに画面が変わる。廊下に立つ紺と透山。透山は相変わらず不機嫌そうな顔だ。喜はカメラをキノコに向けた。白い傘に軸、一般的なキノコに見える。透山はカメラに目を近づけ、眉をひそめた。
『てめぇ……それ絶対持って帰ってくるなよ。毒だ』
「毒か」
『専門知識もねえのに山で生えたキノコに近づくな。それはタマゴテングタケつって、世界的に知られてる毒キノコだ。食べれば一日後に嘔吐、腹痛、数日後には内臓の細胞を破壊されて、最悪死ぬ』
「怖!!」
いや透山は法学部のトップだが、なんでキノコについて詳しいんだよ。
『たまたま調べててな……。とにかく天沢、夕善の馬鹿しっかり押さえとけ』
『ハミとか色々この時期おりますからねー? 気ぃつけてくださいよ!!』
「くっそー」
「任せとけ……」
どんな経緯があれば調べるんだ。紺からもしっかり注意され、改めて道を確かめ通話を切る。このまま草が薙ぎ払われたラインをなぞり、そこそこの位置で道を外れれば……。
社は神社の本殿同様、組まれた足場の上に小屋が乗っているような形だそうだ。足場の隙間や階段の下は空いていると思われるので、神主らしき人が来るまでそこに隠れるのをオススメされた。
「そんな毒キノコも生えてるんだな」
「怖えな〜」
少し歩き、そろそろかと道を外れる。いよいよ草の中に突入。スキニーにスニーカーとはいえ草の中は怖い。腕を気にしながら歩いた。喜は相変わらずガンガン進む……怖。帰りが不安だな、早めに帰ろう。
「もし神主さん来なかったらどうする?」
「その時は社の中覗いて帰ろうぜ」
「てか喜、ここまで来てなんか感じるか?」
昨日駅での会話を思い出す。あのときは何も感じないと言っていたが今は? 怪しい神社の側。そろそろ何かを察知していてもおかしくはない。喜は無言で首を横に振った。
「なにも。むしろ、なにか感じてた方がマシだ」
あの喜が怪異を感じない。感じていた方がマシ、とは。
「なにかいたら怪異のせいにできるけどよ……。それがわかんねーってことは、この村に関するいろんな変なことは、生きている人間のせいになるからな」
きさらが村という存在がネット上や地図に記載がないのも、きさらが様と書かれた札に神主が食事を運んでいるのも、小塚父が逃げるように村を出たのも、帰省を嫌がった小塚父が突然大人しく帰省に応じたのも──全部、人のせい?
そんなことはありえない。そう言ってしまえればよかった。
「お、見えたぞー」
喜の指差す方向。木々の隙間から差し込む日差しはあいも変わらず燦々と。そんな光に照らされる──古い木の、小さな社。中を見てみようと社の入り口に近づく喜を追いかける。覗き込む奥、スマートフォンのライトで照らした。喜が写真を撮る。
「……マジだな」
「……ああ」
黒く艶を持つお盆に乗った白米、味噌汁、豚の生姜焼き。それらはこの暑さで完全にやられてしまっているが、数日間も放置されていたとは考えづらい。長くても一日か、二日だろう。そしてその奥──壁に貼られた古い紙。
「よっしアマヒコ、待ってみようぜ」
「……乗り気しねえなぁ」
その紙に墨で書かれた文字──きさらが様。




