7-3 バカと祭りと村の怪
「きさらが様ねぇ……」
「明日調べてみっかー」
村に来て一日目の夜、俺らは脱衣所で汗ばんだ服を脱ぎながら駄弁っていた。
今日の分の提灯吊りが完了し、小塚家に戻ってきたのは夕方五時半。結局あれ以降「きさらが様」なるものについて、もしくはそれ以外のめぼしい情報は得られなかった。村の大人達から得た情報も、藍ちゃんが調べたことと変わりなかった。
汗だくなった俺らは夕飯の前に風呂に行ったほうがいいと言われ、今こうして脱衣所にいる。ちなみに小塚姉妹は夕飯作りを命じられ連れて行かれた。
「犬や猫でも飼ってんじゃねえのか?」
「犬猫をわざわざ神社の社に? しかも変な札を貼って?」
「……」
怪異否定派の透山が意見を出すが、俺の反論に奴は黙った。棚の上に浴衣とタオルを置く。
「調べるって……喜お前、神社行く気か!?」
「おー」
「怒られるぞお前……」
「アマヒコも来るんだぞ」
「なんでだよ!!」
ぎゃいぎゃい言い合いをしながら、汗で張り付いた肌着を脱ぐ。小塚家は民宿も兼ねている。風呂は温泉を引いているらしく、大きいと聞いている。温泉というワードだけでワクワクするな。
「俺墨入ってるんだがいいのか」
「先に言っとけよサキー。他にお客いねーから大丈夫だろ」
「おう」
そんな会話をしながら透山がスキニーを降ろす。とっくに素っ裸になった喜は頬の絆創膏を引っ張り剥がした。その下に覗く傷跡、懐かしいな。
高校時代、三人が「一番度胸があるのは誰か」という勝負を始めた際、自転車ごと川に突っ込みできた傷跡。……これだけ言うと馬鹿みたいだが全部事実だ。そんなことを思い出しながら透山の方に視線をやると、目に飛び込んできたものにぎょっとする。
「お前タトゥー入れてんのか!?」
「ああ」
「知らなかったっけアマヒコ」
奴の下着から覗く内腿、左脚には浮かぶ傷跡、そして右脚。そこには花をモチーフにしたと思われるタトゥーが刻まれていた。
「お前法学部だろ!!」
「ここならバレねえだろ」
「そういう問題じゃねぇ……」
「いちばんのりー!」
とっとと風呂場へ向かってしまった喜。タトゥーに関しては驚いたが……一番乗りは譲れない。タオルをつかんで後を追う。
タイル貼りの床、洗い場、奥に見える浴槽。すっげえデカい! あまり温泉や銭湯に行った経験が少なかったためテンション爆上がりだ! 早速シャワーを浴びて汗を流す。
「明日天気崩れるのって夜だっけ?」
「午前中で提灯吊りと覆いが終わるらしいから、午後から行ってみよーぜ」
「んな軽い……」
透山とシャンプーへ伸ばした手が重なる。手の甲を叩かれ先に奪われた。お前な……。
「風呂出たら祝にも連絡すっかー」
「しなくていいだろ」
「ひでえよサキ」
そんな他愛もない話をしながら全身洗い、頭から熱いお湯を浴びて泡を流す。ようやく待ち望んだ風呂だ。
肩まで浸かると三人同時にうめき声のような声を上げた。声を出すというよりかは出てくるという感覚。気持ちがいい。
「神社までの道のりはコンコンやアイちゃんに聞こうぜ。流石に村出身のふたり連れてくのは悪いだろー」
「そういう思考があるのは驚きだ」
「シッケーだなサキ!!」
「俺らなら、勝手にぶらついて入っちゃったっていえばなんとかなるかもな」
湯をすくって手の中を見る。温泉独特の濁りが少し。天井を見上げた。
「……なあ喜、きさらが様ってのは十中八九怪異だろ? 何か感じたりするか?」
俺の問いかけに、透山はまたくだらない話が始まったとばかりに肩をすくめ、喜はん、と返事した。
「多分だけどきさらが様は怪異じゃねーよ」
「は!?」
何根底から覆すようなことを。喜はばしゃばしゃと湯をすくって顔を洗った。
「きさらが様が実像型なんだとすりゃ、この村に入った時点で気づく。こないだちょっと実像型の側に行く機会があったけど……あいつらの気配は重くてわかりやすいからな。じゃあ虚実型か? 虚像型か? っつったらこれも違う」
実際その場で起きた事件や事故から生まれる強烈な怨念がそのまま形となった存在、「実像型」怪異。
その場所で起きた事件や事故により生まれた念に噂が絡みつき生まれる「虚実型」怪異。
元となる話は一切なく、流れた噂が形を成し生まれる「虚像型」。
そのどれにも当てはまらない?
「村の伝説ってあっただろ? それにうまいことなぞらえた怪異なのかなーとか、それとも誰かの適当な噂から生まれたのかなーとは思ったんだけどよ。おかしいじゃねーか。怪異が生まれるほど具体的で強烈な噂、なんで大人達に広まってねーんだ?」
子供達は大人には内緒、と言っていた。そしてあのあとさり気なく村の噂や怪しいことについて尋ねてみたが……きさらが様という名前は大人達からは聞かなかった。
あの場にいた大人達が知らなかったという考えもできるが、提灯吊りには村のあちこちから参加している。現実味は低い。
「相当具体的な噂が広まらなきゃ虚像型は生まれない。噂を聞いた人が『本当にいるんじゃないか?』って思ったり、その姿をイメージしたりする。その際に少しずつ作られてくもんだ。もしこの村の子供達みんながあの噂を知って考えたとして……虚像型は生まれねー。姿の情報もねーし、イメージもしずれーからな」
キャンプ場に出た怪異も、サークル棟に出た怪異も、SNSのおかげか噂自体はかなり広まっていた。対してこの村、子供達は大人にバレないように隠れて人伝に広めるしかない。広めたとして、たかが知れている。
喜は「それに」、と前置きして口を開いた。
「……噂はあくまで『神主が怪しい動きをしていて、社の中に札が貼られてた』ってだけだ。実際『きさらが様』に会ったなんて言う話はなかった。きさらが様が出たっつったら怪異かなとは思うけどなー。……つまりよ、噂以前に神主様は誰もいない社へ毎日食事を運んでるわけだ」
怪異関連以外でそんな奇妙な行動を取る理由……思いつかない。頭を抱える俺の横で、透山が長くため息をついた。
「飯を運ぶ、というのが信仰の形なのかもしれねえだろ。祭り自体も、村の開拓を行ったとされる大蛇を崇め、豊作に感謝するものだ。飯を、ひいては村で取れた作物を捧げるのも納得だ」
「だとしたら神社本殿でいいだろ? わざわざ離れた社、しかもその中が空っぽだって……」
俺の心配をよそに、喜は勢いよく立ち上がった。飛沫を浴びながら顔を上げる。
「とにかく実際見てみりゃわかるだろ!! とっとと上がって飯食おーぜ!!」
「お前が言い出したんだろう全く……!」
俺らもばしゃばしゃと立ち上がり、風呂を出た。
──────
「紺も藍も、村歩いたんやったら月さんとこの息子さん見ぃひんかった?」
「月さん?」
「ほら、村長ん家のお隣さんの。今大学の先生やっとるとかいう……十五年前に婿いってしもたから今名字ちゃうらしいんやけど。なんて言ったっけな……」
「そのへんまで覚えてから言うてやばあちゃん……。あ、センパイらご飯おかわりいります?」
「自分でつぐよ」
「気にせんとってください〜お客様やもんね」
小塚家の面々に囲まれての夕食。香ばしいトンカツだ。「暑いときこそ熱いもん食わなあかんねん!」とのこと。旨い。小塚父もようやく帰宅。小塚祖父はもう少し遅くなるらしい。祭りの準備だとか。
「おじいさん、お祭りの準備って……何やってるんですかね」
「大蛇様のハリボテ修理よぉ。ま、それが終わったあとの飲み会がほとんどやけどねぇ」
笑いながら話す様子は心が落ち着く。俺は白米をかっこみながら話に耳を傾けた。
「トーヤマ? さん浴衣ちょっと裾足らんかったねぇ。街の子は背が高こえ脚が長いから」
「大丈夫です」
今着ている浴衣は民宿から出してもらったものだ。平均身長並な喜や、平均身長に毛が生えた程度の俺はぴったりだったが、横幅が無い癖に縦に長い透山は脚が出ている。悔しい。
「提灯吊りの続きは明日の朝九時かららしいわぁ。ちょっと遅れてもええやろから気にせんと休んでね」
「はーい!」
元気よく喜が返事をした。紺も笑って麦茶を呷る。小塚の両親もお婆ちゃんも皆笑顔。その時玄関の扉が開く音がした。紺が廊下から顔を覗かせる。
「おじいちゃん! おかえりぃ!」
「おおー紺か! 久しぶりだなぁー」
のれんを持ち上げ現れたのは小塚祖父。白髪頭、刻まれた皺。優しそうなお爺さんだ。紺もこれが久しぶりの顔合わせらしい。目があった俺らは頭を下げる。
「あんたこなに遅くなってしもて! ハミ出たら危ないやないな!」
「ちゃんと気ぃつけて帰ってきたわ……」
お婆さんがお爺さんにきつく言った。ハミ? 首を傾げる俺に透山が「マムシのことだ」と小声で言った。蛇か。てかなんで透山そんなこと知ってんだ?
「文化人類学の講義で聞いた」
「ぜってえそんな話にはならねえだろ……」
そんな話をしている中、透山がふっと何かを思い出した顔をしたが、何も言わなかったのでそのまま流す。お爺さんは空いていた椅子に座って紺を手招き。
「紺、そんでこん中の誰が彼氏や?」
「ぶっふぉ」
米が勢いよく鼻に突っ込んだ。
「いっやぁー何言うてんのお爺ちゃん!! センパイらはそういうんじゃあらへんよ!!」
「むっかしからお転婆でなぁー一緒になったら苦労かけるやろけど」
「やーめーてーってば!!」
がははと笑うお爺さんの胸倉を掴む紺。落ち着け落ち着け。俺は鼻に行った米を出すために藻掻く。そんな様子を見て喜は笑い、小塚両親は肩をすくめた。
「にしてもうちらとしちゃあ祭りに来てくれるのは嬉しいけどよ、わざわざこんな山ん奥まで来てくれたなぁ」
酒が入った赤ら顔で麦茶を呷る。透山が箸を置いてお爺さんの方を見た。
「地域の文化や民話などに興味関心がありまして」
「おじいちゃん色々話してな?」
あいも変わらずびっくりするほど丁寧な敬語。常の透山を知ってる俺らからしたら怖気が立つ。お爺さんは唐揚げをつまみ口に放り込む。
「山に囲まれたうち独自文化や風習を知ってもらうんはええことやし、広めてくれるんもありがたいことや。せやけどな、兄ちゃん」
機嫌の良さそうなその目から一瞬酔いが覚める。それを俺らは見逃さなかった。
「言葉の力は強いもんや。もしあんたが適当なこと書いてそれを都会に持ち帰ってしもたらな……そっちがホンマになってしまうんぞ? 人の噂は力を持つ言うからな。あんたらが持ち帰ったもんが形になって現れたら、どないする?」
噂が形を、それは、正しく怪異の発祥。喜の目がすっと細められた。言霊という言葉があるように、人の言葉に込められた力という言い伝えはいくつもある。お年寄り独特の非現実的な言葉? だが、今この村でこの話が出るのは、妙だと勘ぐってしまう。
「何真面目にいよんよ爺ちゃん! センパイら固まってしもとるやんけ!」
「ああすまんすまん! まあ間違ったことは書かんようになぁ!」
紺がお爺さんの背を引っ叩いた。軽快な音と共に張り詰めた空気がほぐれる。俺は思わず伸ばしていた背を丸めた。食卓に明るさが戻る。だが透山と喜は少しだけ、張り詰めたような顔をしていた。
──────
「……ってなわけでさー。ノリボシー、どう思う?」
『オレの名前は祝暁星だ。調べてから連絡しろバカ』
三人揃って布団に転がり喜のスマートフォンを囲む。電話の相手はバイト終わりの祝。
『それにしても……駅からテメェらが言ってたような道を辿っても、きさらが村なんてのは見つからねェな。漢字がわかんねェとしても、なんとか村って記述がまずねェ』
「大深山自然公園って場所の側にある道を、山側へずうっと行ったら……」
行きの車の中で見た道順を説明する。大深山自然公園と書かれた看板の横を通ってきたはず。実際この村の子供や大人達は村の外へ出ても帰ってこれているのだ。地図上に村の記載が無いとしても、村があると思わしき場所はわかるはずだ。
『その自然公園の場所から道なり……つってたどり着くのは山の中だ。村見てェな平地もありゃしねェ』
「そんな……」
「村まで来れそうか? コンコンの父ちゃんが駅まで迎えに行ってくれるみたいな話はしてたけどよ」
『あァ──、もしかしたら、そうなるかもな』
「おっけー言っとくな」
無事にたどり着ければいいのだが。電話口の向こうから聞こえたあくびと、隣の喜のあくびが重なる。時刻はもう十時を回ったところだ。朝から移動しっぱなしで俺も疲れた。
「んじゃノリボシ気をつけてなー。無理すんなよ」
「雨降りそうだったら早めに避難しろよ」
「轢き逃げするなよ」
『テメェだけ一言余計だ透山ァ!!』
透山と祝の口喧嘩が始まる気配がしたので通話を切った。静かな部屋に透山の舌打ちひとつ。喜はスマートフォンを投げ出して布団の上を転がった。
「んじゃ寝るか! 明日も早いぞ〜」
「寝る前まで元気かよ! 賛成だけどさ」
「俺はまだ少し起きてる」
布団の中へ潜り込む俺と喜の横で、透山が鞄からノートパソコンを取り出す。そんなもの持ってきてたのか。
「何するんだ?」
「調べ物」
「ふーん」
「おやすみー」
速攻で寝息を上げ始めた喜に苦笑いひとつ。俺も枕へ頭を乗せ「おやすみ」と口にした。透山がん、と一言返事するのを最後に目を閉じる。
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「……もしもし、右太郎か」
『はいはーい! いつもあなたの右太郎さんでーす……ってどしました魁さんこんな夜に』
「事情があってな。……いくつか調べたいことがあるからひとつを任せたい。左吉もいるか?」
『ひとつと言わず何個でも任せてくださいよっ。左吉は明日朝から用事あるとかで速攻寝ました。明日ひとりぼっちっすよ〜俺も村連れてってくださいよ〜!』
「残念だったな。寝てるのなら仕方ねえか……まあいい。それじゃあ右太郎、うちの大学の講師について調べて欲しい」
『? いきなりなんです? まあいいですけど。何の講師?』
「文化人類学だ」




