第9話 教会での一日(中編)
午前の授業が終わったら、昼食だ。昼食では神への祈りをしてからご飯を食べ始めないといけない。ここは教会、信仰こそが絶対だから。ああ、めんどくせえ。
「いっただきまーす。」
そんな場所で教会において絶対に必要な品性に欠く食前の挨拶が響く。
「アルス、パパっと食べないと冷めるぞ。」
「ちゃんと祈ってからしか食べちゃダメなんだよ!!」
きちんとツッコミを入れてから神に祈りを捧げる。教会で信仰されているのは聖女教だ。天に絶対の神がいて、その使いとして聖女様が遣わされた。だから、食前には神様、食後には聖女様に祈りを捧げる。
「おい、そんな髪様に祈るなんて10歳で将来のハゲの心配か?」
品性に欠ける声はなおも僕に問いかける。食前の祈りを唱え終わってからツッコミを入れる。
「僕が祈ってるのは天にあらせられる方だよ、カドック」
そう、さっきから品性のかけた声を響かせ、食事のマナーを見守っているシスターのこめかみに深い皺を刻み込んでいるのは、燃えるような赤髪の美男子、カドック=クルガー伯爵子息だ。
「ちっ、三日でリタイアかよ。情けねえな、アルス。」
こんな物言いをすればすぐさま食事がマナー違反で減っていくが、カドックの食事はそんなことにはならない。教会の教育を曲げさせているのだ。伯爵家の権力ではない、金の力だ。それもカドック個人の金だ。こいつは賢者の中でも天才で現行の魔法に初級、中級、上級の区分を設けてそれを伯爵家の私兵に教育、それによって魔法を得意とする魔族に魔法で打ち勝った。現行の「魔法は個々人で全く違う」という常識を打ち破り、敗色濃厚であった人類軍を互角にまで持ち込んだ天才なのだ。そんな天才で無駄に豪華な食事のお金を全て自分で払えるお金持ちなんだよなあ。そうは見えないけど。
「人間はご飯を食わないと死ぬんだよ。それにしがない騎士爵子息は金がないんだ。」
「はっ、きちんと金を稼げ。魔族を倒せば報奨金でそれなりにもらえるぞ!!」
「幻術師には難しい話だよ。戦う術は欲しいけどそれは幻術師の能力を極めてからだ。そうしないとどっかで頭打ちになることは目に見えてる。」
「へえ、わかってるじゃないか。そうジョブの得意範囲以外の事は適正ジョブの半分くらいしかできない。だから、自分のジョブをどう生かすかが大事になる。」
そう、そうなのだ。ジョブで定められた得意分野以外を鍛えても最適なジョブを持つ相手には勝てない。それに僕は幻劇師になりたいわけじゃない。戦える幻術師になりたいのだ。そうしないと勇者の運命を変えるなんてできない。戦争で活躍した【英雄】が持てはやされる現状では戦闘能力がないことは何をするにしてもマイナスになる。
「まあ、三日でマナーに馴染んじまうやつには幻術師を極めるなんて夢でしかないけどな。幻術師は分かりやすく強くないからな。」
そう、失礼な発言をする。しかし、カドックは幻術師をバカにしない。それよりも強いと思っている節すらある。分かりやすく強くないということは、分かりにくい【何か】を学べば強くなれる?
「カドック、分かりにくい幻術師が強くなる方法を教えてくれないか?」
「駄目だ、本当に強くなりたいならな。ただ、アルスの考え方は間違えてない。」
理由は分からない。でも、カドックは僕を認めてくれている。俺がついつい教会最初の日に宣言してしまった、幻術師として強くなるという目標を否定しない。だから、正直嫌な奴だけど気になってしまう。
「ごっそさん、アルス頑張れよ。常識なんてものに縛られるなよ~。」
「ああ、頑張るよ。ありがとう。」
常識に縛られるな、カドックの口癖だ。天才の言うことはよくわからない。
「まあ、そんなことを言いつつ、午後からは常識とマナーの授業なんだけどな。」
ひとり呟き、黙々と昼ご飯を食べた。食後にもきちんと聖女様に祈りを捧げた。常識に縛られてるな~俺は。
――――
昼食後に始まるのはマナーの授業だ。こちらの授業は幻術師以外の貴族の子弟全員が参加するので教会にある大部屋で行われる。
「それではマナーについての授業を始めます。」
先生の開始の言葉で授業が始まる。マナーの授業の際も先生は幻術師の授業と同じだ。ただ、幻術師の授業と比べれば、先生のテンションが非常に低く眠たげにも見える。先生も幻術師の授業だけでは生活できないから、マナーの授業も仕方なく受け持っているのかもしれない。マナーは守らないとお腹が減るけど、極めれば腹の足しになるのかもしれない。
「それでは今回は礼について授業をします」
めんどくさいのが来た。この国での礼は非常にめんどくさい。ホントにめんどくさい。お母さまに基本だけは習ったが、基本だけでもめんどくさい。
「それでは礼の基本をカドック君答えてください。」
そこでカドックに質問を飛ばすとは先生も性格が悪い。いや、もしかしたらカドックこそがこの教会で一番礼ができてるかもしれないな。
「礼の基本は、礼の心が礼儀となり一礼で表す、だ。そして、礼の心とは自身の価値観に照らして、自身に何かを与えてくれる人間へと尊敬の気持ちだ。そして、それを相手にわかってもらう手段を礼儀といい、礼の気持ちが最も現れるのが一礼だという思想だ。」
おお、品性に欠け、教会で授業を受けている皆に礼儀知らずだと言われていても礼の基本は分かるのか。教室で授業を聞いていた他の貴族の子弟もカドックの流暢な説明にぎょっとした顔をしている。相当意外だったのだろう。まあ、よくカドックとしゃべる俺は何となく感づいてたけど。
「正解です、カドック君。流石、この教会にいる中で最も礼の心を実践している人ですね。そのうえでこの思想の問題点として、礼儀さえできていれば礼の心を偽装できるということです。そして、礼の心を偽装するのが現状の礼儀です。これを皮肉って【偽礼】なんていう人もいますね。」
先生も性格が悪い。だが、カドックが礼の心を実践しているのは事実だ。カドックが食事時などにマナーや礼儀という礼の心を表さないのは、あそこでカドックが食べていた食料が教会の教育内容にある食事ではなく、カドック個人の食料だからだ。料理人も教会の料理人ではなく、外部から雇っている。だから、教会のシスターや料理人はカドックに対して何も与えていない、だからカドックは礼儀を示さず、食前や食後の一礼に値する祈りも適当だ。まあ、それでも見ていて気分のいいものではないけどな。
「はい、この偽礼は文字から受ける印象が非常に悪いので【儀礼】と表記されることが多いです。さらに【儀礼】も悪い事ばかりではありません。あまり、礼の心を実践してばかりいれば礼儀を尽くされない相手は“価値のない人間”であるということになってしまうからです。なので、礼の心を持ちながら礼儀、儀礼ともに大切にしながら生きていきましょう。」
先生も大変だ。ここで儀礼を批判すれば、授業をうけた人間は間違いなく敵を作りまくる。カドックのように。それは味方を積極的に増やさなければならない貴族の子弟としてあまりに致命的だ。だから、玉虫色の結論で終わる。
それから、礼の歴史などの知識と一礼の練習を行い、授業は終わった。