第8話 教会での一日(前編)
アルス=ブレイン、10歳が教会に到着して一週間が経った。近くの地理の把握と貴族への挨拶も済んだ。教会での基本的な生活にも慣れてきた。自分の両親が治める村での生活とはまるで違う、規則正しい生活。息苦しくないと言えば嘘になるけど、自分と同世代の同じ境遇の人と一緒に学ぶのは楽しい。
教会で俺が受けるのは幻術師育成コースと下級貴族御用達のマナー講座だ。そして、二つのコースを受けることと自宅までの距離が遠いことを理由に教会に併設されている貴族寮で暮らす。男爵以下の貴族の子弟は教会でマナー等を学び、それ以上の爵位の貴族の子弟は貴族学校で貴族のイロハを学ぶのが基本だ。身分によって通う場所が違うのは身分によって学ぶことが違うからというのが表向きの理由、本音は下級貴族には貴族学校での子弟の生活を支えるほどの金がないからである。
そんな事情はさておき、教会にお世話になっている下級貴族の俺・・僕の朝は早い。朝の6時に起床が基本だ。それから、教会のシスターや神父と共に朝食。ここではマナーが大事。ちょっとした会話で俺は~と話していると、朝食のおかずが一品減る。ただでさえ、パンと野菜とハムしかないのに。つまり、三回マナーに反する行いをすると朝食が無くなってしまう。実際、ここにきて三日くらいは朝食を一口も食べることができなかった。4日目に食べた朝食はすごく美味しかった。マナーは守らないとお腹が空くものなんだ。
そのあとは、幻術師育成コースの一環で音楽と絵画の授業だ。自分の書いた絵や奏でた音楽が他人にどういった印象を与えるのかということをひたすら追求する。授業の最初に他人に抱かせたい気持ちが発表されるので、その気持ちを抱かせる音楽を奏で、絵画を描くのである。絵画や音楽でより普遍的な感性を鍛えることで幻術師としての技量が上がるらしい。
貴族の嗜みとして、絵画と音楽は少しだけ習っていたので問題はなかった。僕の成績は音楽、絵画ともに幻術師コースを受けている三十人の生徒の中で一番にはなれないがトップ5にはなれるくらいだった。
この日のパートナーは男爵家の娘、エミリア=バートナーだった。音楽ではいつも一番で絵画でもトップ10にはいつも名前がある才媛だ。薄青色の白に近い髪色でロングヘアー、清楚で落ち着いた女の子だ。性格は全然似ていないが、髪色から勇者になった後のシンシアを思い出す。
「アルス君、今日はよろしくお願いします。」
「はい、エミリアさんこそよろしくお願いします。」
お互いに挨拶をして、今日の課題に取り掛かる。今日の課題は「楽しい気持ち」だ。すごくふわっとしている。大体いつもこんな感じだ。
「アルスさん、音楽と絵画のどちらから始めますか?」
「そうですね、音楽からにしましょう。エミリアさんの竪琴の音色はすごくきれいですから。」
「お上手ですね、それでは楽しい音楽を作っていきましょう。」
音楽を作るといっても曲を作るわけではない。お題の気持ちになれる旋律を引くだけだ。そのため、お題によって楽器を変えることも認められている。
ピィィィィィン
エミリアさんが竪琴の弦の張り具合を確認し、楽しい旋律を弾いていく。その旋律はきちんと低音がリズムよく響き、不意に響く高音が嬉しそうな感情を表しているようだった。誰かと一緒に歩いていて、ふとした瞬間に嬉しくなってしまったみたいな、そんな印象を受けた。
「どうでしたか?」
「そうですね、友達と楽しく散歩をしているような気分になりました。」
「ふふ、楽しい気分にはなれたようで良かったです。」
こんな感じで絵の方も「楽しい気分」になれるモチーフを考え、スケッチしていく。いつも思うが、この授業風景を見たら、ふわっとしたものをふわっとした感性で意見し合っている頭のおかしい集団に見えると思う。僕も最初の授業でそう思ったし、クラス全員がそう思った事だろう。
なので、ちょうど横を通りかかった先生に質問してみた。エミリアさんも丁度絵の作成中だったので何も言わない。
「失礼します。この授業の目的を教えてもらえますか?」
質問すると授業の先生は機嫌よく答えてくれた。
「良い質問ですね、漫然と授業を受けるより目的を知った方が授業に一生懸命になれるでしょう。」
先生のテンションが急に上がった。先生の背後に黄色いオーラが見えるようだ。
「アルス君。将来の幻術師の就職先はどこだと考えますか?」
「そうですね、才能を生かすなら幻劇師になることだと思います。」
「はい、正解です。そのうえで幻術師の幻影は人間の視覚と聴覚に働きかける魔法です。そして、劇とは劇のテーマに沿った感情を観客に抱かせるべきものだとこの授業を作成されたユーリッヒ=ファントムは考えました。」
おお、ユーリッヒさん。確か、幻術師で最も成功した商人の人だ。
「なので、視覚と聴覚に訴えかける、絵画と音楽でテーマに沿った感情を抱かせる行為を多く行うことで観客に寄り添った劇を展開できる幻劇師が育つと考えたのです。さらに絵画と音楽を多く学ぶと視覚と聴覚を鍛えられるので、より高精度の幻影を作り出すことができるようになります。」
なるほど???理解できたような理解できてないようなという感じだ。ただ、わかる範囲でまとめると。
・幻術師の主な就職先は幻劇師。
・だから、劇の本質であるテーマに沿った感情を抱かせる訓練をする。
・また、視覚と聴覚を鍛えると高精度の幻影を作り出せるので、その一環でもある。
こんな感じかな?先生のテンションが高すぎる。
「丁寧なご説明ありがとうございます。」
丁寧な説明だったかというと微妙なところだがとりあえずお礼は言っておく。ここって礼儀マナーが大事だから。ホントにお腹が空くんだよ。
「いえいえ、それでは授業を頑張っていきましょう。」
エミリアさんと一緒に返事をする。先生はニコニコと笑顔で他のペアを見に行った。それを確認して、エミリアさんが声をかけてくる。
「アルス君、ありがとうございます。私も授業の目的は気になっていました。」
「それはどういたしまして、それにしてもテンションがすごかったですね。」
「ふふ、興味のあることについて話す女性はあんなものですよ。」
そうなのか。女性ってそうなのか。でも確かにシンシアは違ったけど、ジェリーはそんな感じだったかも?女性って難しい。
「勉強になりました。」
「それは良かったです。それではアルス君の楽しい音楽を聞かせてもらえますか?」
「わかりました。」
僕も竪琴を弾く。楽しい感情は高音のイメージでリズムよく、低音は少なめだけどきちんと地に足がつくように調整する、高音ばかりでは耳が痛くなってしまうから。
「ふふ、まるで興味のあることについて一生懸命おしゃべりしているようでした。」
エミリアさんがからかってくる。そんな遊び心さえ上品だ。
「はは、先生の印象が強すぎました。」
その日、僕が書いた絵画は女性と話す絵だった。女性のモデルはシンシアにして。なぜかエミリアさんが照れていた。
「アルス君、情熱的ですね。」
なにが?疑問は尽きないが午前の授業は無事終わった。