第32話 ちっぽけな意地(アリエッタ視点)
私はアリエッタ=ブライヒ。幻術師が強くなれるって証明を目の前で見た幻術師。そして、素晴らしい幻劇を見た凡庸な幻術師だ。
もう私にとって兄とした取引も、アルス君との約束も、ユーリッヒ=ファントムとの話し合いもどうでもよくなっていた。でも、仕事はやらなくちゃいけない。あの熱い試合の後に待っているのは冷たい現実だけ、ホントに世知辛い。あの試合をみてアルス君が自分の意志を曲げないことなんてわかり切ってるのに。確実にアルス君とユーリッヒ=ファントムの話し合いは破談になる。なんで、自分からわざわざ針のむしろに突っ込まなきゃならないのよぉ。
試合が終わった次の朝、アルス君を訪ねてユーリッヒさんとの話し合いのアポイントメントを改めて取る。さらに応接室の準備と丁寧な掃除。やらなきゃいけない、面倒くさい仕事。はあ、昨日味わった興奮や感動、アルス君が見せてくれた勇気があっても私は粛々と仕事をするだけの普通の女でしかない。こんなに胸が熱いのに。
そう、胸が熱くて昨日は眠れなかった。目元のクマは化粧で誤魔化して、時間が余ったからと気合を入れて手入れした黒髪。服はフォーマルなものだから胸間が見えるもの。なんで、女性のフォーマルな衣装って露出が多くなるんだろう。まあ、私は特に何もしなくても胸間ができるからいいけど。でも、子供に見せるにはセックスアピールが激しすぎないだろうか?
そんな、どうでもいいことを考えながらアルス君を迎えに行く。
「アルス君、準備はできてますか?」
アルス君の部屋をノックし、声をかける。もう、教会の授業は始まっているので貴族寮に人気はない。私も授業は別の先生に頼んできた。
「は、はい。ちょっと待ってください!!」
ドタバタとした音がする。事前に言っておいたはずなんだけど。男の人ってなんでこんなに全体的にズボラなんだろう。休みならいいけど、大事な時はちゃんと決めてくればいいのに。確か、兄も昔はこんな感じだった。今はそれなりになったけど。
「お待たせしました!!」
そういって、扉を蹴り破るような勢いでアルス君が出てくる。私が扉の真正面にいるとは考えなかったのだろうか?それに恰好もなんだかなあ。全体的に丈が余っている。それにちょっとピチッとしている。窮屈そうな印象だ。ネクタイはまっすぐに結べているが、それが余計に他の杜撰さを際立たせているようだ。
「アルス君、君って貴族だよね?」
遠回しに貴族としての当然の装いすら出来ないのかと糾弾する。
「え~~と、これはですね。試合に向けて鍛えすぎた弊害で合う服が無くなってました!!」
アルス君が意を決したように言う。まあ、それは仕方ないけど事前に何とかできなかったのかなあという感じだ。
「正直に言えて偉いけど、一旦部屋に戻って服を脱いで。」
「いえ、流石に女性の前で服を脱ぐのは遠慮したいです。」
何を10歳児が色気づいてるのだろうか。まあ、貴族としては当然か。でも、それなら装いも貴族として当然にしてほしかったなあ。
「なら、お風呂で着替えて服を貸して。簡単に繕うから。」
「わかりました。」
いい返事を残してアルス君は部屋に入っていく。急いで着替えるつもりなんだろう。ホントに時間に余裕を持たせておいて良かった。私は念のために持ってきていたソーイングセットを準備して、部屋に入る。
すぐにお風呂場からアルス君が楽な服に着替えて出てくる。私はアルス君から服を受け取って、丈のあってない部分を内側に折り返すようにして簡単に繕っていく。
私は作業しながらアルス君に尋ねる。
「アルス君は幻劇師になるつもりはないの?」
「ありません。俺は幻術師として強くなりたい。勇者を助けたいんです。」
はっきりとした答え。まっすぐな言葉。自分の事を僕ではなく、俺といっている。礼儀作法なんか気にしない、本心からの言葉なんだろう。決まりきった答えをもう一度確認する。
「うん、分かった。それじゃあ、その方向でユーリッヒ=ファントムさんとはお話しようか。」
「お願いします。」
即座に答えが返ってくる。私の気も知らないで。そんなことを思ったからか。ぽつりと本音が漏れる。
「私はね、幻劇師になりたいんだ。」
「え~と。」
アルス君が困った顔をしているのがわかる。まあ、先生にこんなことを言われたら困るよね。でも君のせいでこの後、私は大いに困ることになるんだから。ちょっとくらい君も困ればいいんだよ。
「もう大人になって働いているけど、それでも目指してるんだ。だから。君も目指し続けるんだよ?」
辛くても惨めでも目指し続けている。現実は冷たくてうまくいかないことばかり。挫けそうになることなんて日常茶飯事だ。アルス君の夢は不可能の代名詞といってもいい。でも、君は目指し続けるんでしょ。だから、昨日みたいな試合ができるんだ。勇気ある試合。幼い覚悟を貫いて、それを折れない勇気に変えて、それでも君は前に進むんだ。
「はい、目指し続けます!!不可能だからって諦めてやりません!!」
強いなあ。そんなこと、10歳の時に言えなかったよ。君の試合が私の胸に火を入れたんだから当然か。消えかけていた火が今では燃え上がっている。胸が熱い。私の幼い覚悟は“勇気”なんてカッコいいものにはならなかったけど。君の勇気とおんなじものが私の胸にはあるんだ。だから、私も目指し続けるんだ。もう、諦めるなんてことはできない。胸に灯る火がそんなことを許してくれない。
「うん、その意気だよ。頑張れ!!」
「はい!!」
私もアルス君の元気のいい声に負けないように言う。アルス君も元気よく答える。ホントは私も目指し続けるから、なんて言いたかったけどそこまでの自信はない。
この会話は確認作業だ。アルス君はアルス君で、私は私でしかない。同じ幻術師かもしれないけど、違う夢を目指している。だから、それぞれに頑張るしかない。それはある意味当然のこと。
それでも、私は幻劇師になれるチャンスを不意にするアルス君に自分を重ねていた。全然違うのに。分かっていても止められなかった。
でも、昨日の試合を見たらそんな想いは吹き飛んだ。私には、軽戦士に勝つことなんてできない。負けそうな状況で傷つくのを承知で前に出ることなんて私にはできない。アルス君に出来て、私には出来ない。それを意識して、私がやっていたのはみっともない嫉妬でしかないって気づけた。
だから、私は幻劇師を目指す。アルス君の才能に嫉妬していたから。嫉妬するくらい夢への想いが真剣だったから。比べることなんてできないけど、アルス君の夢と同じくらい。
幼いころに抱いた夢。家の領地に来たファントム劇団の幻劇をみて抱いた夢。だから、幼い夢を叶えるために固めたのは幼い覚悟。そんなものを、大人になってまで胸に秘めている。アルス君のような“勇気”ではない。もっと単純でカッコ悪いそれでも捨てられないのは“意地”でしかない。だからこそ、私はそのちっぽけな意地でもって夢を目指し続ける。
アルス君の服を繕い終わった。アルス君に急いで着てもらったら、丈はきちんと合っている。けれど、ピチッとした見た目は変えられなかったみたいだ
不格好だけど、最初よりはマシだ。まあ、こんなものだろう。
「それじゃあ、アルス君。行くよ。」
「はい!!あと、今日の先生はとっても綺麗ですよ。」
「なにそれ!!そういうのは最初に言わなきゃだめだよ!」
「緊張しちゃってました。でも本心ですから!!」
一生懸命にアルス君が言いつのる。まだ、女性慣れはしていないみたいだ。
「あはは、ありがとう!!」
笑ってしまう。あんな試合をしておいて、こんな簡単なことができない。今だって胸が熱い。こんな熱い想いを抱えて、夢を諦めるなんてできない。
本当にありがとう。君のおかげでまた夢を目指し続けられる。
そう、思ったから頬にそっとキスをしてやる。アルス君の顔が真っ赤になる。
「せ、先生!!!」
「ありがとうのキスだよ♪褒めてくれたからね。」
夢を諦めかけていた。夢に縋っていた。冷たい現実に負けそうになっていた。でも、これからはちゃんと目指す。ちっぽけな意地を抱えて。私だって不可能だからって諦めてなんかやらないんだから!!!