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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕は僕っ娘ではない

目隠し

作者: 佐竹梅雨

 「無物」を先に読むことを勧めます。

「騎士黒鯨。少しばかりの時間をくださいませんか?」


 


 黒い甲冑を着た大男が僕の方に振り返る。顔と頭を覆うフルプレートからは、表情は読み取れない。


 


「失礼だが、貴方は何者か。私の目によると、あなたは日本海軍の中佐と見える」


 


 どうやら、この紳士は僕を存じ上げないようだ。それもそう。僕と彼では、積み上げて来た功績が違う。


 


「私の名前は魔弾です。私は日本海軍第一特殊戦闘隊に所属している者です。以後お見知りおきを」


 


 黒鯨は納得したように言う。


 


「なるほど、あなたは日本の鬼人か。あの、鷹を撃ち堕とした者か」


「私をご存知でしたか。感謝します」


 


 黒鯨。何時から存在するかが不明の鬼人。駐英日本海軍の特務機関に拠れば、黒鯨の記録は19世紀のトラファルガー海戦まで遡れる。それほど古い鬼人だ。


 


 そんな人物が目の前に居ると知ると、どこか高揚感を覚える自分が居たのを否定する記憶はない。僕にはやはり、少し子どもじみた所があったのだろう。


 


「それで、魔弾殿。私に何の用事ですか?」


「ドイツ帝国艦隊について聞きたいのです」


 


 そう言った瞬間。黒鯨の雰囲気が変わった気がした。今まで親和的だった空気が、急に重苦しくなった。喉が詰まる。


 


「魔弾殿、どうしてもドイツ帝国艦隊について私の話を聞きたいのですか?」


 


 僕は頷く。特務機関やイギリス海軍の情報で、ドイツ帝国艦隊の全容は把握できている。だけど、あの海戦を直に見て、体験した人間の話は一度も聞かなかった。


 


「貴方は殿を務めていた筈です。なら、ドイツ帝国艦隊について、詳しく知っているかと私は推測して、聞きました」


 


 黒鯨は直立不動のまま、動かなかった。2分程経って、黒鯨は急に僕の右腕を掴んだ。


 


「どうしましたか?騎士黒鯨」


 


 黒鯨の思わぬ行動に、僕は驚きながらも平静を装って聞いた。


 


 黒鯨は答えた。


 


「私はあなたの聞きたいことを話しましょう。しかし、此処で私と貴方が話すのは好ましい事ではありません。なので、これから私の家でこれを貴方に話します。付いて来てください」


「了解しました」


 


 僕は黒鯨に連れられて、彼の住処に招待されることになった。彼の車に揺られること10分。彼の家は海軍基地の近くに存在した。


 


 門の脇には、大柄の英国海軍兵が二人、立って番をしていた。


 彼らの頭の上には、ハンマーを咥えた鯨の紋章が、黒々と光り輝いていた。


 


 鉄の門扉の先に広がる、廊下のカーペットの上を歩いて行く。木の廊下の壁の左右には、優しい光を漏らす照明が、整然と並んでいた。


 


 匂い、色、音、空気。


 


 その全てから、彼がこの国のトップに愛されているのだと犇々と感じた。海軍が僕に向けるものとは、同じ結果を導き出すけど全く違う性質のもの。そんなものを受け取れる彼の環境を羨望の眼差しで見てしまう。


 


 隣人の家を欲しがってはいけない。


 


 新約聖書の一節が脳裏に浮かび、目に籠った気持ちを霧散させる。欲しがるな。それは僕のものじゃない。


 彼に案内されて、僕は一室に通された。複数の絵画と、壁を埋め尽くす本棚。中央には、簡素な机と、椅子が置いてあった。彼の書斎だ。


 


 彼は僕の腕を離すと、此方に振り返った。


 


「これで私は貴方と話せますね」


「そうですね」


 


 彼は椅子に座らず、立ったまま僕に話し始めた。


「魔弾殿、あなたは我々王国海軍がどれ程の被害を被ったか、ご存知ですね」


「えぇ、知っています」


 


 第一次ユトランド沖海戦で、英海軍は戦艦15隻を被撃沈し、2隻が大破。独海軍の損害は確認されただけで戦艦2隻が中破しただけだった。


 


 米国海軍が参戦し、ヨーロッパに派遣されるまで、英海軍は黒鯨等英海軍鬼人の活躍で、辛うじて制海権を維持していた。


 


「私は喪われた戦艦たちのために、本国へ侵攻しに来るドイツ海軍を追い返していました。そんな中、海軍大臣からユトランドの惨劇の詳細が送られてきたのです」


 


 黒鯨の話していることは機密事項だ。本来、部外者である僕に話してはいけないことをその時話していた。


 


「幾つかの報告を読んでいて、私はその中に無視できないものを見つけたのですよ」


「無視できないものですか?それは......失礼ですが、全て同じなのでは」


 


 黒鯨は僕の意見に首肯する。


 


「えぇ、それはごもっともです。しかし、それは他の項目に比べても際立っていました」


 


 ユトランド沖海戦は、英海軍の権威に泥を塗った、屈辱的な戦いだ。世界最強の名を欲しいままにする英海軍の大敗は、英海軍内では早急に解決策を見つけ出すために徹底的な原因調査を行った。恐らく、その過程で衝撃的なものもあっただろう。


 


 その中で際立つものとは、相当な面倒事だ。


 


「ドイツ海軍の命中率です」


「命中率?」


 


 黒鯨は話を続ける。


 


「生還した戦艦ウォースパイト、エジンコートや救助された水兵の証言に拠れば、王国海軍の戦艦部隊は交戦開始20分で戦闘能力の半分以上を喪失しました」


「............20分?」


 


 20分。


 


 17隻存在した戦艦部隊が、僅か20分で戦闘能力を失った。それは、常識はずれにも程がある事実だった。ドイツ海軍は、それを2隻の戦艦が損傷するだけで達成した。ドイツ海軍が有利だったの一言で済ませられる事ではない。


 


 異常事態だ。


 


「計算が正しければ、彼等は無駄弾を殆ど撃たずに、我が海軍の戦艦群を葬ったことになる。極めて正確な射撃だ。此方の弾が、僅かにしか命中していないというのに............」


「そんな射撃が可能なのですか?」


 


 戦艦の弾はそう簡単に当たる物ではない。遠距離では静止している目標に一発当たれば御の字だ。


 


「不可能とは言えない。ドイツ海軍はそれをやってのけたのだから。しかし、王国海軍でもアメリカ海軍でもそれは無理だろう。しかし、私は心当たりはある。ドイツの異常な命中率は、今に始まったことではない」


「前例があると?」


 


 黒鯨は頷く。


 


「大戦初期に、フランス陸軍の総司令部が、ドイツ陸軍の砲兵部隊に破壊されたことがある。それも、周囲に弾痕は1つしかなかった。それ以外の砲弾は全て、司令部に叩き込まれていた。使用された砲弾は破壊跡から見て、35cmクラスと見られている」


 


「砲兵部隊で35cmクラスの砲弾を扱う隊が居るのですか?」


 


「あぁ、1つだけ存在するのだ。ドイツ帝国陸軍参謀本部直轄の第8砲兵師団。情報部が事前に存在を掴んでいたが、内部に潜り込ませていた全てのエージェントと一斉に連絡が途絶え、それきり詳細不明だ」


「全て消されたのですか」


「そう判断されている」


 


 消された。


 


 英国の諜報員だと発覚し、殺されたか逮捕されたのだろう。何れにせよ、防諜がかなり綿密にされており、機密性の高い部隊なのだろう。黒鯨の発言からは、そう推測できた。


 


「鬼人............ですか」


「.................................流石に察しがいいですね」


 


 1つの部隊にそこまで防諜するのは、普通ではない。怪しまれてでも隠したいことがあるのだろう。そこに何かがあると知られても、その内容を知られたくないのだろう。


 


 この時代、複数の諜報員を急いで消してまで隠したいことなど、戦略兵器と同等の価値を持つ鬼人くらいだ。その鬼人の能力に関する情報が漏洩すれば、その国の手札が1つ消えるようなものだ。


 


 尚更、対立する国に流れてはいけない。


 


「そこに何人の鬼人が関係しているかは不明ですが、私は第8砲兵師団やユトランドに関わっていた鬼人は、正確に射撃をする能力を持っていると推測します。例え20km以上の遠距離だとしても、誤差も殆ど無く命中させる能力です。貴方の様にです」


 


 確かに、僕の能力も似た部類のものだ。眼で捉えた狙いは外さない。


 だから僕は狙撃兵なのだ。


 


「貴方は鬼人だ。だから、ドイツと矛を交える時は注意してください。貴方と同等、いや、それ以外の能力を持つ鬼人が居るかもしれないことを」


「僕が狙撃兵なら、敵は砲兵というところですか」


 


 彼等は目視せずとも、フランス陸軍総司令部に砲弾を命中させた。僕は音速で飛ぶ鬼人を撃ち殺した。


 


 仮に、それが複数であったらの話だ。単独の鬼人であった場合、その鬼人は僕と同等、或はそれ以上の能力を持つことになるのだ。


 


「分かりません。全てを知ることができないのですよ。とりあえず、私が貴方に教えるべきと思う情報を流しました。ユトランドで王国海軍に甚大な被害を与えたのは、鬼人です。それも、20隻以上の戦艦の射撃を統率できる。注意してください。さもなければ、貴方は死にます」


 


「了解しました。騎士黒鯨」


 


「なら、もうお帰りください。貴方がこれ以上私と話すのは、王国海軍も日本海軍も好ましく思いません。私と違い、貴方の地位はそこまで磐石ではない筈です」


 


 黒鯨から、帰るように促される。鬼人は人ではなく兵器だ。自分達の兵器が、敵の兵器と話しているのを見て、疑いの目を向けない者は居ない。


 


「お心遣い感謝します。では、私はこれで戻ります」


 


 黒鯨に背を向けて、部屋の扉へ歩み出す。木造の荘厳な扉に手をかけると、僕はそれを開けた。


 


 そこに、黒鯨が居た。


 


「え?」


 


 黒い甲冑が、遥か上から僕を見下ろしていた。


 黒い金属の胴体が、僕の目の前に在った。


 


「戻るとは頂けませんな、百殿」


「は......え?」


 


 何故、貴方がその名前を知っている。


 


「何故?何故と言いますか百殿。私は貴女の言っていることが点で分かりませんよ」


 


 黒い金属の手が僕の両肩を掴む。そして、僕は床に押し倒された。両腕に、甲冑の全体重がのし掛かる。


 


「貴方、黒鯨ではないですね」


 


 両腕の悲鳴を我慢しながら、僕は甲冑に言った。甲冑は笑いながら言った。


 


「黒鯨ではない?当たり前でしょう?黒鯨は死んだのですから」


「..................死んだ?」


 


 黒鯨は生きている筈だ。僕がついさっきまで話していたのだから。この甲冑は何を言っているんだ。


 


「だって、貴女は知っているでしょう?黒鯨は第二次ユトランド沖海戦で死んだと」


 


 第二次ユトランド沖海戦............?


 


「それに、死んだのは貴女も同じでしょう。百殿。貴女はもう魔弾でもないんだし」


 


 死んだ。僕が。


 


「自分の身体を見てみなよ。貴女はただの長伊百という小娘だ」


 


 恐る恐る、僕は下を見る。


 華奢な身体。細い身体。小さな身体。括れた身体。僅に膨らむ乳房。白い肌。


 


 魔弾ではない。長伊百だ。


 


「お人形さんみたいだね。それもそうか、貴女を創ったのは人形師なんだからね」


 


 黒い金属の手に、服が引き裂かれる。肌が外気に触れる感触。


 


「何をするんだ」


「何って、こんな綺麗な身体をした娘を剥かないでどうするんだ?」


 


 やめろ、僕は娘じゃない。魔弾だ。


 


「ふふ、僕なんて言って。貴女には言葉じゃなくて身体で理解させたほうが早いね」


 


 やめろ。


 


 肌を冷たい金属の這う感触。僕の肌を、手は確かめるように揉んだり、指でなぞったりした。


 


 やめろ。


 


「ここはどうかな?まだ少ししか膨らんでいないけど」


 


 やめろ。そこは止めろ。


 


「そう言われてもねぇ。そんな真っ赤な顔で言われても、説得力ないよ?」


 


 金属の手が、僕の胸を覆う。


 冷たい指が、僕の乳房を揉んだり、叩いたりして弄ぶ。


 


 やめろ。触るな。僕は百じゃない、魔弾だ。女じゃない。僕の胸は触るものじゃない。


 


「そう言ってもね、貴女」


 


 もう、可憐な美少女だよ。


 


 


 ∗∗∗


 


 目が覚める。


 背中に硬い感触。


 背中の髪の感触。


 鼻に突く汗と衣類の匂い。


 激しい動悸。


 


「..................夢か」


 


 壁に持たれた体を起こす。凝り固まった背骨と腰を解しながら立つ。


 


 鏡に、長伊百が映った。


 


 白い肌、華奢な身体。そして、炎の色をした瞳と、青緑がかった長い銀髪。自分の姿ではあるが、受け入れ難い姿だ。


 


 というよりも、この髪と瞳の色はどうしたら良いのだろうか。橙色の瞳と青緑がかった銀髪......あいつ曰くエメラルドグリーンらしいが、こんな草みたいな色をして外を出る身にもなってほしい。


 


 あの時、無物が好奇の視線で僕を見ていたのも、理解できる。これはイカれている。


 学校に行って良い人間の容姿ではない。それは一目瞭然だった。


 


 あの後、僕はこの家に護送された。僕の戸籍や身分証明書は揃っていた。住む家も、権田市統制委員会は用意していた。後は、僕が昏睡状態から解放されるだけだったのだ。


 


 護送される途中に、無物から長伊百のバックストーリーを読み込まされた。何処で生まれて、何をして来たのか。両親は誰か、何処に居るのか、兄弟は居るのか、妹か、姉か、兄か、弟か。


 


 長伊百という少女の内容に、特に問題はなかった。せめて言うならば、保護者が人形師になっていたのが問題だった。あれが父親なのは勘弁して欲しい。


 


 そんな事をしながら、僕はこの家に運ばれて来たのだ。この、僕以外に人の居ない、山の中腹にある洋館に。


 


 誰も居ない。人は1人も住んでいない廃屋敷。草は伸び放題で屋敷を覆い、外からは人工物があるのかどうかさえ分からない。床に積もった埃と、這い回る油蟲と鼠。


 


 住む家を用意しているとは言っていたが、住める家ではなかったらしい。


 そこからは戦場だった。無駄に広い屋敷のゴミを掃除し、我が物顔に歩き回る油蟲と鼠を処分した。


 


 伸びている草は放って置いた。住む分には何も困らなかったからだ。そして掃除をしている内に夜がふけ、電気風呂を沸かして入ろうと思った時に、僕は自分が少女だと気がついた。


 


 風呂に入ることは、悪いことではない。それは分かっていたんだけど、自分の裸を直視する勇気が持てなかった。


 


 結果的に、入るか入ろうか迷って思案している間に時間は経過し、僕はそのまま眠ってしまったのだった。


 


「あんな事考えていたから............変な夢見ちゃったし......」


 


 あれは本当に嫌な夢だった。内容を思い出すのも億劫だ。二度と見たくない。


 


 僕はため息をつく。長伊百もため息をつく。結局、僕は長伊百という鬼人の少女だということだ。


 


 僕という存在の全てを、僕自身が決めることはできない。それに、鬼人であった僕にとって、それは特段異常でも珍しいことではなかった。


 


 僕の能力は、僕が決めたことではない。それで海軍に狙撃兵になれと言われたことは、自分で決めたことではない。僕が決めたのは、僕が狙撃兵になると決意したこと。


 


 そして、人を撃つのを決めるのも、僕が決めたことだ。


 


 初めてではない。ガワは違うけど、本質は一緒だ。今回は、それを権田市統制委員会と人形師が基礎を決めたということだけだ。それで僕が少女になるということ受け入れるのを決めるのも、僕なのだ。


 


 僕は少女にはならない。長伊百になる。魔弾に戻ることもない。魔弾は死んだのだ。


 


 そう思うと、僕の重心が定まった気がした。今まで放浪していた僕の腹が、定位置に収まったようだった。


 


「僕は長伊百、百だ」


 


 自分の瞳に、そう語りかけた。


 


 そして気づく、風呂に何時入るのだ、と。


 


「これ、入るしかないのかなぁ............」


 


 風呂に入らなかった経験はある。だけど、それは訓練時と航海中と戦闘時だけ。日常生活で風呂に入らなかったことは2、3度しかない。


 


 今日、風呂に入らないのはまだ良いかもしれない。僕は試しに着ている服の匂いを嗅ぐ。


 


「............臭い」


 


 いや、駄目だ。このまま風呂に入らなかったら、僕は二度と風呂に入らなくなるかもしれない。


 


 そしたら、完全に不潔で残念な人間になってしまう。だけど、服を脱ぐのは恥ずかしい。体を洗ったり風呂に入ったり着替えたりしたら、否応なしに自分の裸体を見ることになってしまう。


 


 自分の身体だとは分かっている。例えあの忌々しい人形師の創った身体だったとしても、今は僕の、長伊百の身体なのだ。


 


 だけど、昨日と今で僕の認識はまだ追い付いていないというのも事実。そんな不甲斐ない今の僕に、僕の裸体を見るのは非常に恥ずかしい。


 


 だけど、身体を洗わずに過ごし、差し迫る学校という社会へそのまま参入してしまえば、異常者に認定されるのは間違いない。それも恥ずかしい上に腹立だしい。異常者は僕ではなくあの変態だというのに。


 


 思い出すだけで腸が煮えくり返る。


 


「落ち着け落ち着け......今はあいつのことを考えてもどうしようもないじゃないか」


 


 この問題は解決しなければ、僕の名誉に関わる。海軍の時と違って、周りは鬼人だらけの権田市なんだ。鬼人であるだけで存在意義が発生しないんだ。そんな中で不潔という2文字は内憂なのだ。


 


 でも、自分の裸を見るのは恥ずかしいし............


 見ると恥ずかしい............


 


「そうか......目隠しをすればいいんだ!」


 


 僕は脱衣場に在った手頃なタオルを取ると、それを目の辺りに巻き付けた。これで、脱いでも僕は自分の裸を見ないで済む。これでいい!


 


 服を脱ぐと、風呂場の引き戸を開ける。ひんやりとしたタイルの感触が、足裏に伝わる。風呂場特有の蒸気は無かった。


 


「あっ、そっか。何時間も放置してたら冷めるよね」


 


 お風呂を沸かしたのは、もう6時間以上前のことだ。僕が6時間も寝たり考えたりする内に、お湯はもう冷めてしまったのだ。


 


 まぁ、仕方ない。別に冷水でも問題はないし。手探りで桶を探し出すと、浴槽から水を掬い上げて体と頭にかける。ひんやりとした水が皮膚を流れる。


 


 頭を洗うためにシャンプーを取ろうとして、手探りで掴もうと思った時、僕は気づいてしまった。


 


「ど、どれがシャンプーなんだ?」


 


 見えない。それは当たり前だ。目隠しをしているのだから。何処に容器が在るのかは、手探りで多分分かる。でも、何が入っているのか、何が書いてあるのかは目で見ないと分からない。


 


「どうしよう」


 


 よく考えたら、選択肢が1つしかないのは分かっていた。でも、認めたくなかった。


 


 嬉々として付けた目隠しが、そもそも付けると体を洗うことができず、目隠しを取ると自分の裸を見る可能性が高いという事を。


 


「あぁ、もう後は野となれ山となれ!」


 


 意を決して目隠しを取る。


 目の前に、僕が居た。


 


「あっ、鏡」


 鏡の向こうには、水に濡れた美少女が居た。


 水も滴る良い男とはこういう事を言うのか。


 白磁のような綺麗な身体。水に濡れて輝くエメラルドグリーンの髪。そして僅かな膨らみと桜色の


 


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、馬鹿ぁ!」


 急いでシャンプーを確認すると、手に適量を垂らす。


そして、急いで髪に付けて、髪を1房1房丁寧に洗う。


 悔しながらも、人形師の意見に賛成してしまう自分が憎い。確かに綺麗だよ............髪がね。


 


 僕の姿が本当に人形だったら、素直に綺麗だと思えたのに。


 


 濡れたタイルの上に落ちたタオルこと、目隠しを拾う。すっかり濡れてしまったタオルを見て、僕は惨めな気持ちになった。自分の裸を見たくないという一心で、浅はかにも目隠しをしてしまった。


 


 よく考えれば分かることなのに。


 


 目隠しをしたら身体を洗う洗剤の種類が分かる訳がない。容器に点字がある訳ではないのだ。


 結局、僕は自分の裸をもろに見てしまった。それも、水に濡れているという妖艶な姿の。


 


 そんな濡れたタオルは、愚かな僕を象徴としているようだった。物理的にも、精神的にも、このタオルは僕によく似合っていた。


 


「今日、大きめのタオル買っとこう..................」


 


 激しく動く心臓を鎮めるように努力しながら、僕はそう言った。鏡を見ると、顔を赤くした僕が居た。四六時中顔を赤くしていたら、心臓は強くなるのかな。


 


 濡れた目隠しを付け直し、ボディソープを取り出すと、それで体を洗い始める。最初に右腕と左腕を洗う。腕は固いけど、細かった。それは、腹も同じだった。この身体は人形師が好き勝手に創ったせいか、身体は細いし白い髪や瞳は変な色をしている。


 


 それでも、何故か運動能力は高かった。肌は滑らかで柔らかいのに、隠れている筋肉が異様なほどに強くて固い。


 


 人形師は何だかんだふざけているけど、こういう身体性能はきちんと高くなるように創り上げているようだった。


 


 それすらしていなかったら、あいつはただの変態に成り下がる。


 しかし、あいつはここだけ柔らかくしやがった。あいつの掌に収まる程度の膨らみしかないのに。思い出すと怒りが湧く。検査という名の下にあちこち触られたり揉まれたりした出来事を。


 


 そして、そんな所を僕は洗わないといけない。この......触るのが憚られる膨らみに。見えないのが唯一の救いだ。


 


「んっ............」


 


 胸の動悸を抑えながら胸を洗う。


 これは洒落に入るのかな。全く笑えないけど。


 


 ∗∗∗


 


「..................」


 


 失念していたけど、このお風呂の浴槽に入っているのは湯ではなく水です。湯も水だけど。何のために苦労して湯のない湯船に入ったんだろう。


 


 僕は行水にでも来たのだろうか。思えば、湯船に入る最大の理由って、お湯に浸かって疲れを癒すことなのに、ただの水じゃ疲れを癒すどころか増えるだけな気がする。


 


 意味がない。


 


「出よ」


 


 両手を湯船の境につくと、体を持ち上げる。足をかけて出ようとして、僕は盛大に転んだ。


 


「うぅ......痛い。浴槽大きすぎだよぅ............」


 


 前屈みに倒れた僕は、そのまま頭をタイルに打ち付けた。胸の膨らみはクッションにすらならずに、不甲斐なくタイルに押し付けられていた。


 


 痛む頭を擦りながら、僕は風呂場を後にした。掃除しなきゃな。

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