出会い
私の人生はいつだっておかしな事ばかりだ。
この絶え間ない情報の波が押し寄せる現代社会、聞きたくないことも見たくないことも強制的に脳内に流れ込んでくる。
なぜ私だけがこうなってしまったのか、どうして他の人はこうではないのか。いくら問いただしたところで答えはでない。
そうして今日もただ一人、情報の波を受け止める。
聞きたくないことを聞き、見たくないことを見る。
まるで機械のように、まるで修行僧のように、延々と、ただ集め続ける。
そうして今日もまた、厄介ごとが舞い込んでくる。
早く終わればいいと、私はそう思った。
「はぁぁぁ……」
奇譚大学校内食堂、その座席に顔を突っ伏して項垂れるショートヘアの女学生が一人。
「いい加減機嫌直したら? もう一週間なんでしょ?」
座席の正面の座っている女性がそう言う。
「それでもさ、やっぱり推しがいなくなるのはメチャ辛いのよ……」
「まあ運がなかったわね、まさかあなたの推しがスキャンダルで消えるなんてね」
「あああああぁぁぁ…………」
会話で少し元気が出たように見えたものの、すぐにまた机に沈む。
「なんで二股するのよ、どうして撮られるのよ、せめてテレビの中くらいは夢見させてよぉ……」
机に突っ伏したまま呻く彼女に呆れたようにこう呟く。
「あんたってホント男運ないわよね。……あのね、落ち込んでるところ悪いけどお願いがあるんだけどいい?」
「……内容による」
「できればこれを図書館にいるある女に届けて欲しいのよ」
そう言ってカバンから大きめの茶封筒を取り出す。
膨らみから察するに、本か何かでも入っているのだろうと彼女は思った。
「自分でやりなよ、今私は何もしたくないんだけど」
「ごめん、どうしても外せない用事ができちゃって、ほんとお願い!! 今度何か奢るから!!」
パン、と勢いよく両手を合わせて頼み込んでくる。
尋常ではないその様子に体を起こして尋ねる。
「そこまでして何で行きたくないのさ? たかがそれ一つ渡すだけでしょ? パッと行ってサッと渡してはい終了、ってわけにはいかないの?」
「……ごめん、私ちょっとあの人は苦手でさ、できれば会いたくないかな」
「中学にいたセクハラ教師よりも?」
「あれば殴ればいいけど、あの人が悪いわけじゃないから、それはちょっと」
じっと見つめると罰が悪そうに目を逸らす。
「はぁ……しょうがない。で、誰に私ばいいの?」
「ありがとう遊ちゃん! その人はね、図書館の四階の一番奥、普段は誰も近づかない第四資料室にいると思うわ、あとは……まあ行けばわかるから!」
「間違っても知らないよ?」
「多分間違えないと思う。一目でこの人だって感じの容姿をしてるから」
そう言うと彼女はそそくさとその場から立ち去ってしまう。
よほどその人物に会いたくないのだろうと遊ちゃんと呼ばれた女性、水口遊子はそう思った。
「……まあ、気晴らしにはなるかな」
よっこいしょと重い体を起こし、手荷物を茶封筒を持って遊子は大学内の図書館へと足を向けた。
奇譚大学附属図書館は県内でも一二を争う蔵書量を誇る大図書館である。地下三階地上四階の建物に凡そ七百万冊の書物が集められており、学生のみならず県外の人間もよく資料などを求めこの図書館を利用している。
しかし、その反面最上階となると誰も人が近づかないことで有名である。
地下三階から地上三階までは一般書物、つまりは世に出回っているような書物が集められ公開さているが、最上階だけは特別で学生か事前に許可を得た外部の人間しか入ることを許されていない。
よほど歴史的に重要な書物があるのかといえばそうでもなく、外部の教授や研究員たちも三階までの資料があれば十分なため滅多に四階に立ち入ることはない。
では何がそこにあるのかと言われれば、その四階が学生たちの間でこう呼ばれていること関係がある。
《奇書館》
古今東西ありとあらゆる奇書を集めて公開しているのが四階である。
凡そ一般的な書物は一つもない代わりに読んだら気が狂うと呼ばれる奇書から名前も知らない作家が書いた奇書など有名無名問わず奇書を収集し続けている。
そんな奇書が詰め込まれた書架を通り抜け、奇書館の最奥、薄暗い電灯に照らされた扉の前に遊子は立っている。
《第四資料室》、そう書かれたプレートを見つめ、確かにここだと確信する。
「失礼しまーす……うっわ」
ゆっくりと扉を開け、中を見て、絶句した。
そこは第一から第三資料室のようなありふれた、資料などが押し込まれた小綺麗な場所とは大きく異なっていた。
まず扉を開けてすぐ下の床に絨毯が敷いてある。これを土足で踏んでいいのか少し纏ったが、靴を脱ぐような場所も見当たらないので仕方なくそのまま足を踏み入れる。
壁には怪しげな絵画や剥製の数々が飾られていてそれら全てが遊子を見つめているような錯覚に陥った。
中央にあるテーブルとソファーは学生には分不相応な立派なものではあるが、これも古臭く、さらには所々汚れていたりして雑に扱われていたことがわかる。それと理由はわからないが近づきたくないと彼女は思った。
そして資料室としては少なく思えるけれど、ここにも初夏設置されている。
「すいませーん、唯ちゃん……長浜唯さんからのお荷物を届けにまいりました〜」
ちょっと大きめに呼んでみるが、返事はない。
留守と判断し、勝手に上がらせてもらうことにした。
「うへぇ、近くで見てもやっぱり不気味……。なんでこんなの飾ってるのよ」
折角なので、と絵画を見て回るが、彼女の嗜好とは合わないようで不気味な絵画としか思えなかった。
「……ん?」
窓際まで進むと、どこかから小さな音が漏れていることに気づいた。
カチカチと何かを押すような音が部屋の奥、書架の向こう側から聞こえてくる。
音の聞こえた方を向いてみると、書架の向こう側に奥行きがあるのが見える。どうやら部屋の一部を書架で区切り、奥に謎のスペースを作っているようだった。
「……」
ゆっくりと近づいていく。
このような場所で発せられる不気味な音の正体が気になって仕方ないようだった。
書架に手を掛け、そーっと首を伸ばして奥を覗く。
「え?」
まず遊子が思ったのは、なぜ?という一言に尽きる。
彼女から見て奥、つまりは入り口側の壁の付近に一つのパソコンに対し複数の画面が設けられた、いわゆるマルチディスプレイと呼ばれるごく一部の人たちの間でしか使われない特殊なパソコンにヘッドフォンをつけた女が向かい合っている。
女は一心不乱に画面を見つめ、忙しそうに手に持ったコントローラーを動かしている。
それらがカチカチと音を鳴らしていることから発生源はそれに間違いないだろう。
つまり何が言いたいかというと、
「え、なんで対戦ゲームしてんの? ここ大学の資料室だよね一応。しかもPC付きって……」
と言うことである。
遊子の考えは間違っておらず、他の大学でも、いやここ奇譚大学でもこのように資料室でオンライゲームなどすれば一発で没収、もしくは何かしらの罰則が与えられることは明らかである。
よくよく見れば彼女の座っている椅子は通販サイトとかでたまに見たことがあるゲーム用チェアで、その値段は軽く数万円といったところだ。
その上パソコンが設置されている机の下には小型の冷蔵庫があり、まさにゲーマーの部屋と言ったものが取り揃えられている。
周りに目をやると、あちら側には怪しげな本が並んではいたが反対側の書架には本の代わりに様々なゲームが取り揃えられていてもはやここが資料室なのを忘れそうなほどだった。
「……ふぅ」
遊子が呆気に取られ、しばらく惚けていると彼女は唐突にコントローラを置いた。どうやらゲームが終わったようで、液晶画面には《1位おめでとう》と言った表記とそれを祝うようにクラッカーが鳴らされている。
「で、君が長浜さんの代わりに荷物を届けてくれる人?」
唐突に振り返ってそう尋ねる。
しかし、遊子はそれに応える事ができずにいた。
同じ女性でありながら見惚れていたのだ、彼女の持つその容姿に。
長く伸びた全ての光を飲み込む漆黒の髪、黒曜石のように輝く瞳、そしてそれに相反するような透き通るような白い肌。
彼女が見てきた人間の中で間違いなく一番美しいと断言できる女性がそこにいた。
「ねえ、聞いてる?」
何も言わない遊子を不審に思ったのか、腰をあげ、こちらへ近づき顔の前で手を振る彼女。
それを少し続けていると、はっと我に帰った遊子が話し出す。
「あ、ええとはい! これ、唯ちゃんから預かってきたものです!!」
緊張もあってか勢いよく差し出される茶封筒。
それを受け取ると彼女はすぐに中身を確認する。
「おおー! やっぱり実物を目にすると違うね! 質感といい雰囲気といい大分いい感じ。明日あたりにでも書架に並べてしまおう」
目をキラキラと輝かせ、それを掲げる少女。
見た目に反して子供のような反応を見せる彼女に戸惑いながらも、遊子は反射的にこう尋ねた。
「え? それを?」
遊子が驚くのも無理はない。彼女が手にしているのは普通の書籍ではなく、表紙こそハードカバーの書籍と見間違うかもしれないがそれは少し厚めの日記帳であった。
通常、他人が書いた日記を制限があるとはいえ公の場に出すと言うことは考え難く、何かの冗談か、彼女が何かと勘違いしているのかと思ったほどだ。
「そうだよ? まあ確かに他の本と比べると些か質が落ちると言わざる負えないが、これはこれで味がある一品だからね。コレクターが見れば万単位の金が動くと思うよ。こう言うのはかなり貴重だからね」
「数万円!? こんな日記が!?」
「そうそう……。あ、君は読まない方がいいよ。まともに読むと夜眠れなくなるよ」
「何それこわ」
パラパラとページを捲る彼女。
欠損や汚れがないのか調べるためかと思えばその瞳が目まぐるしく右へ左へ動いているところを見るに、おそらくその速度でも内容を把握できているのかもしれないと遊子は思った。とてもじゃないが遊子には真似できない速読技術である。
「うん、中々に興味深いものだった。けどやはり内容が少し過激気味だから貸し出しは厳禁で、見せる人も厳選しないと」
そう呟くと机の上に置いてあった太めの付箋を一枚取り、『閲覧許可必須、貸出不可』と記して貼り付ける。
「君もお疲れ様、よかったら何か飲んでいくかい?」
そう言うと彼女は冷蔵庫からエナジードリンクを取り出して進めてくる。
「い、いえ結構です」
「そう、それは残念」
流石にそれを常習する習慣はないので断ると彼女は少し残念そうな顔をしてそれを開けた。どうやら自分で飲むようだ。
「でもそろそろいい時間だと思うけど、君はいいのかい?」
そう言ってパソコンの上方、壁にかけられている時計を指さす。
時間は午後の五時を過ぎていた。
「やっばバイトに遅れる! すいません、これで失礼します!」
「ああ待ちたまえ」
急ぎ帰ろうとしたところを呼び止められる。
何かと振り返る遊子に対し、エナジードリンクを少し飲んでから彼女はこう言った。
「嫌なものを見たくなかったら今日は少し遠回りして帰るといい、私からの忠告だよ」
「? はい、まあわかりました」
その言葉の意味を知ることになるのはこれより四時間後の午後九時のことである。
そしてこれが水口遊子と大学一の奇才、篠原春花との長い物語の始まりでもあった。