彼らの化けの皮の薄っぺらさに驚いた。
しかし、そのエマニュエルのマグダレーナを庇う仕草がよりマリアの気を逆なでしたようだ。
「……んたね…」
「マリア?どうしたんだい?」
「あんたが!あんたが全部狂わせたんでしょ!?あんた転生者ね!?どうりでおかしいと思ったのよ!マニーのイベント起こしても全然好感度上がる気配ないし!むしろどんどん下がってんじゃない!それもこれもあんたが四六時中べったりしてるからじゃないの!」
「マ、マリア?」
今まで聞いたこともないような低い声がマリアから聞こえたことに、カルロスもその取り巻きも驚いたように彼女を振り返った。
そしてそこに見えた表情にまた驚き固まってしまった。
そんな彼らにもかまわず、マリアは鬼の形相のまま言葉を続ける。
「ふざけんじゃないわよ!あとはマニーだけで逆ハールートいけたってのにあんたのせいで台無しよ!脇役は脇役らしく隣国でひっそり破滅してなさいよ!」
「マ、マリアどうしたんだい?何のことを言ってるんだ?落ち着け!」
彼女の言っていることの所々意味の分からないことはあるが、それでも最後の単語だけ聞いてそれが全体的にまずいことを言っているということは理解したらしい取り巻きが慌てたように彼女を落ち着かせようとしていた。
けれど、そんな気弱な制止で止まるはずもなく、彼女の罵声はなおも続く。
「何とか言ったらどうなの!?」
「破滅しろ、だなんてずいぶんと物騒なことおっしゃいますのね」
「自業自得じゃない!王子が傍にいないからって好き勝手に権力使って悪いことばっかしてれば破滅するに決まってんでしょ!」
「悪いこと……?わたくし何かしておりまして?」
「してんでしょ!あんたの屋敷の部屋を調べればこの一年間の悪事の証拠がたーくさ、ん……」
勢い任せにマグダレーナを糾弾していたマリアが気が付いたように言葉を止めた。
それを見てマグダレーナはことさら綺麗に微笑み、やや芝居がかった仕草で首を傾げて見せた。
「おかしなことおっしゃいますのね。わたくしはこの一年間ずっとエマニュエル殿下の侍女としてこの国に滞在しておりました。もちろん殿下の侍女としての滞在でございますので、わたくしの屋敷などというものはございませんわ」
「間違えただけよ!滞在してる部屋のことよ!」
「ソルフィデース国王より殿下へとお屋敷をご用意くださり、わたくしも殿下の続き部屋をいただいておりました。しかし侍女として付き従っておりましたので寝るとき以外はほとんど部屋には帰っておりません。そのお屋敷にはソルフィデース国王が同様にご用意くださった使用人や護衛のみなさんもいらっしゃいますから、ご確認いただいてもかまいませんわ」
その言葉の通りこの一年間、マグダレーナは唯々諾々とエマニュエルに付き従って歩いていたのを使用人や護衛のみならず、多くの学生たちもみていたことだろう。
恰好は違っても彼女の黒髪と煌めく金の瞳はとても特徴的で印象に残りやすい。
彼女が彼の傍を離れるのは授業中や女性の立ち入ることのできない場所のみ、その時だって他の使用人や護衛たちと共にすぐに彼の声に反応できるように待機していた。
寝る前のティータイムだけはエマニュエルに望まれ、婚約者として同席していたが、その徹底っぷりは完璧であり誰から見てもおおよそ彼の婚約者とは思えないものだったろう。
初めの頃の使用人たちのやりづらそうな顔を思い出せば申し訳ないと思うが、次第に打ち解けていった彼女たちが嘘をついて二人を貶める心配もない。
その証拠にちょうどこの時も貴賓席のそばで待機していたソルフィデース国王城のお仕着せを着ていた侍女も、マグダレーナの言葉に大きく頷いている。
彼女だけではなく他の使用人や護衛も求められればすぐにでも駆けつけて証言してくれそうだった。
「うるさいわね!そんなの、買収でもすれば簡単に丸め込めるじゃない!ほらマニー!その人はどんな悪事だって簡単にできちゃうんだよ?マニーは騙されてるんだよ!わたしと一緒に幸せになるのが一番なんだよ!マニーだって本当は心の奥底では私のことを愛しているでしょ!?だから、今ならまだ間に合うから!私のところにおいでよ!」
周りの見えていないマリアはゾッとするほどの笑顔で必死にエマニュエルに手を差し伸べている。
その異様さにさすがのカルロスも彼女の狂気に気が付いたのか、後ずさりしようとしていた。
けれどエマニュエルに手を差し伸べながらも抱き着いていたままのカルロスの腕にも力が籠っているのか振りほどくこともできずにいる。
記憶の中のヒロインとは似ても似つかないマリアに、物語に固執すること、そして己の立場に慢心することの危うさを見たエマニュエルはほんの少しだけ可哀そうだと思い始めていた。
もしも彼女がもう少し現実を見られていたのなら、きっともっとより良い未来を得られていただろうに、この場において彼女はどの未来も失ってしまった。
それどころか人生さえも終わってしまうだろう。
それだけのことをこの短時間で彼女はしでかしてしまっている。
自業自得とはいえ、それはあまり気分のいいものではなかった。
そんなエマニュエルの動揺を誰よりも正確に読み取ったマグダレーナは心の中で溜息をついた。
この人はどれだけ自分が嫌な目にあったとしても、すっぱりと切り捨てることができないのだ。
元のエマニュエルであれば致し方なしと判断してすっぱりと忘れてしまえただろうけれど、今のこの人にはそれができないだろうことは一年ですっかりと身を以て知ってしまっていた。
国を統べるものとして切り捨てるべきものを切り捨てなければならないことはよくわかっていてもそれにいちいち傷ついて、優しすぎるのよと何度慰めながらも窘めたのかも覚えていない。
その度にマグダレーナは彼のそんな尊ぶべき部分が変わることのないように自分が補おうと決意を固めてきた。
だからこそ彼女は語り掛けられている対象であり王族たる彼を差し置いて代わりに口を開く。
「そもそもそのマニーが貴方を愛しているという前提から間違っておりますのよ」
「は?」
「エマニュエル・カニス・ルプスは留学で国を出る前にマグダレーナ・リコーサと始祖神獣カニス・ルプスの前で愛を誓っておりますの」
「だから何だってのよ。真実の愛はそんなまがい物の愛の誓いとは全く別物なの。どこの誰に誓おうが関係ないの!」
「……いや…マリア。それは、違う……」
「は?」
苦汁を飲むような面持ちで否定したのは取り巻きの一人、宰相の子息であるジェームズ・アキノニクスだった。
取り巻きの中でも頭脳派である彼は始祖神獣の見識も十分持っているようだ。
そして同時にマリアの発言の先に待つ結末に随分と憔悴しているようだった。
ちらりとエマニュエルに視線を向けるところを見ると彼の機嫌を損ねていないかと気が気がないのだろう。
それでも口を出してしまったのだからと彼は重々しく口を開いた。
「始祖神獣というのは我々にとっての起源。ある意味では唯一絶対の存在。その始祖神獣の前で誓った愛は決して揺るぐことはなく、違えた場合は神獣より鉄槌が下されるとも言う。特に神獣カニス・ルプスはパートナーを生涯唯一のものとし、片割れを失っても決して次の伴侶を持つことはない。その始祖神獣の前で愛を誓ったというのならばそれこそが絶対に揺るぐことのない真実の愛そのものだ」
「そ、んな…そんなのおかしい!そうだ!マニーは脅されたか騙されたんでしょ!?だから仕方がなく誓うしかなかったんでしょ!?だったらそんな誓いは」
「マ、マリア!」
「君はさっきから何を言っている?」
「え?」
いよいよ言ってはいけない言葉を口にしてしまったマリアに、取り巻きたちは慌てて止めようとしたが、もうすでに遅かった。
低く、唸るように発せられた彼の声なんて、マグダレーナも初めて聞いた。
驚きに見上げた横顔もまるで相手を射殺してしまいそうなほどに鋭く睨み、今にも飛びついてかみ殺してしまいそうなほどにギリギリと歯を軋らせていた。
「君は私を、いや我が家のことを何だと思っている?カニス・ルプス家が一介の公爵家に敵わないと?臣下に脅されて言うことを聞くと?一人の令嬢の策略に騙されたまま言いなりになるとでも!?そう馬鹿にしているのか!?」
「ヒッ!…いや、そういう、意味じゃ……」
「じゃあどういう意味だと?配下を御しきれないお飾りの王のような言われようをした理由をぜひとも教えてもらえるのだろうな!?」
エマニュエルにとってカニス・ルプス家に生まれたことは何よりも誇りであり、そんな家族を懸命に支えてくれている臣下たちのことも誇りと思っている
その絆こそが何よりも大切であり、よりよい未来に繋げていくものだとずっと思っていたし、この一年でよりそう思うようになっていた。
マリアの発言はそれを踏みにじるようなもので、エマニュエルの怒りを逆撫でるものでしかなかった。
「わた、わたしは、ただ……だって、私はヒロインなんだもん…ヒロインだから、みんなに愛されるのが当たり前で…」
獰猛な獣の咆哮にすっかりと腰を抜かしたマリアはそれでもぶつぶつとヒロインだからと繰り返す。
現実逃避しているようなその姿は愛してくれるはずのキャラクターに牙をむけられてもなお彼女はシナリオにすがるしかないのだとでもいうようだった。
取り巻きたちももうすでに彼女に対する陶酔が抜けきっているのか、奇妙なものを見る目を向けていた。
静観するだけだった生徒たちも同じだ。
マグダレーナだってエマニュエルによって全てを聞かされていたからこそその姿を冷静に見ていることはできるが、知らなければその得体のしれなさに気色悪いと侮蔑の視線を送っていたことだろう。
もうこれ以上はこの場にいたところでお互い何も得るものはないと、マグダレーナは彼女を連れていくようにエマニュエル付の護衛に指示を飛ばした。
主でも対象でもないものに指示をとばされるのはどうなのだろうと思うが、当のエマニュエルはまだ怒りを収めることができずに彼女が出ていき扉が閉まるまでの間ずっと睨みつけているのだから仕方がない。
そうして彼女が扉の向こうへと姿を消した途端、その鋭い視線は彼女を助長させた原因とも言える人物へと向けられるのだった。
「さて、カルロス・パンテラレオ殿。ここからは王族としての話をしようじゃないか。貴殿の恋人の我が婚約者への暴言への責任はどのようにとってくれるというのだ?」
「あ、あれは俺の恋人なんかじゃ」
「ほう?先ほどあれが恋人であると、その恋人をいじめたと自らの婚約者である令嬢を断罪したのはどこの誰だろうな?自らの不貞も棚に上げ、よく調べもせずにこのような場で女性を辱めたのではなかったか?」
「それは、っ騙されたんだ!俺は騙されたんだ!あの女は言葉巧みに俺を騙して!」
「はっ!騙された、ね……」
あくまでも自分の責ではないというカルロスの言葉をエマニュエルは一笑しチラリと周囲を見渡す。
それに倣うようにマグダレーナも周りに目をやれば、多くの生徒たちの感情が読み取れた。
言い逃れしようとする未来の君主候補に、どれほどの人が失望したことだろう。
その視線を受けてもなお、自分は正しいと胸を張って立っていられるのだから、ある意味では王としての素質はあったのだろう。
けれどそんなものだけで堂々たる太陽の王の加護は得られない。
いや、彼が加護を得るなど月の王が決して許しはしない。
カニス・ルプスだけではなく、この場に招かれた同盟国の使者も同じ気持ちだろう。
ソルフィデースとルナプレナグラティアを含む周辺の5つの国は同盟を組むことでお互いの国交の均衡を保っている。
今回のようにいいように踊らされるような王がいればその均衡はたちまち崩れるのは考えずともわかることでそんな危険を孕んだ王を擁立しようものならば同盟はたちまち解消されることだろう。
ソルフィデースは軍事力においては他の追随を許さない強国ではあるが、外交においてはルナプレナグラティアのほうが数倍も上手なのである。
先ほどこれからもよい関係をと口にしたばかりだというのに残念なことだと微塵にも思っていない声で呟いてからエマニュエルは改めて"優しく穏やかで理知的な理想の王子"の仮面を被りカルロスへと微笑んだ。
もとより整った顔のエマニュエルのその微笑みは男でも思わず生唾を飲むほどに美しいもので、カルロスも例外なく目尻を赤く染めた。
その悍ましい反応に表情を間違えたかと、次の瞬間には嫌悪感を滲ませ侮蔑の視線を向けた。
「貴殿の言動にはほとほと呆れかえる。常よりの好色さ、周りへの態度、意見を聞き届けない高慢さは品位が欠けているように見受けられる。今回の騒動も然り。何をもってして自身が王となるに相応しいとしているのか理解しがたい。もしも貴殿がこの国の王となるようならば、今後の関係も考えさせていただく」
「なっなんだと!」
「お言葉ですがエマニュエル殿下!それは些か越権行為が過ぎるというものでは?」
「そうだ!それは貴様が決める立場にないだろう!」
マリアが退場し、心持ち正気を取り戻したのかジェームズは随分と冷静にエマニュエルへと進言した。
先ほどはあんなにも顔色を窺っていたというのに、少しでもせっつくことのできる箇所を見つけた途端にこれだ。
この男も随分とわかりやすく狡猾な男だと二人は彼へも同じ侮蔑の目を向けた。
「越権行為ね…その言葉そっくりそのままお返ししよう。ありもしない罪で権限を持っていない断罪を行い追放刑を処すると発した貴殿らほどではないと思うがね。そも国王の認めた婚約を勝手に破棄することすら越権行為ではないか?」
「ぐ…」
「私は今ここにルナプレナグラティア第一王子として立ち、自身の発言に国の名代としての責任を持って発している。留学にあたってこの国のありのままを見て判断をし、発言するだけの権限を与えられているのだから越権行為などでは断じてないよ」
大人の意見を仰ごうともせず真実の愛とやらに踊らされ黙って行動を起こしたカルロスとは違うのだ。
エマニュエルはたとえそれまでの理想的な後継者のイメージが崩れようともそれを厭わず、先人たちの意見を仰いだ。
そして力を貸してほしいと頭を下げ、何かあった時に対応できるように権利を貸し与えられた。
エマニュエルはここでの自身の発言にこの首をかけるだけの覚悟を持って発している。
ただのかっこつけの張りぼて王子とはわけが違う。
「これはルナプレナグラティア王国としての声明である。国王の定めた婚約という契約すら軽率に破棄するようなものなど、いつ国同士の契約を反故とするかわかったものではない。よってわが国はこの先ソルフィデース国第一王子カルロス・パンテラレオが王座につくこととなった場合において五か国同盟からの脱退を宣言する」
その宣言に情勢の把握も怠ったカルロスは鼻で笑い飛ばした。
たかが一か国が同盟から抜けたところで大した損害はないと考えたのだ。
けれどことはそれほど軽いものではなかった。
五か国同盟国に参加している国はほとんどソルフィデースを囲んだ形に位置している。
元々武力に頼り他国と友好関係を上手く築けていなかったソルフィデースが主導となって結ばれたものであったが、他三か国はルナプレナグラティアが結ぶならと渋々加入したようなものだった。
そうするだけの関係をルナプレナグラティアは周辺国と築き上げていたのだ。
そのルナプレナグラティアが脱退するというのならば、他の国も何かと理由をつけて脱退しようとするだろう。
それは事実上の解散ともいえ、同盟がなくなれば今なお他国と友好的と言えないソルフィデースは孤立した状態になることも予想された。
それを国の重鎮たちが許すはずもなく、そうならないためならなんだってするだろう。
そして自身に慢心していたカルロスはすっかりと失念していた。
この国は年功序列ではなく必ずしも長子が後を継がなければならないわけではないことを。
一人しかいないのならば話は変わるが、基本的には複数いる後継の中から最も優秀なものが新たな王となる。
それはもちろん現国王や大臣などの官僚が資質を見て決めることになるが、その判断材料には貴賤問わず国民からの支持も含まれる。
カルロスは素行は少々悪くとも出来は悪くなく、それなりの支持を得ていたからこそ王太子に任命されていた。
この場には卒業生の親も多く来ている。
これまでのやり取りで大半の貴族からの支持を失っただろう。
エマニュエルの宣言で心を決めた有力者も少なくない。
さらにこの学園は平民の生徒も受け入れていたのだからもちろん平民の卒業生もいる。
彼らから今日の醜聞が漏れるだろうし、そうなれば国全体に広がるのも時間の問題と言える。
支持率の低下に国益への影響が上乗せされれば、カルロスの先行きは想像に易い。
「先ほど口にした通り、ソルフィデースとはぜひとも今後とも良い関係を築いていきたいと思っている。賢明な判断を期待しておりますよ」
カルロスと視線を合わせながらのそれはカルロス以外へとあてられたものだった。
きっと見守っていた貴族たちは十分にその意味を汲みとっただろう。
ただ一人、いまだ自分の将来を疑わないカルロスは不遜な態度でエマニュエルを追い出そうとしており、エマニュエルももうここに用はないとばかりに踵を返し会場を後にした。