本当にこんなことする人たちがいるなんて思わなかった。
ソルフィデース王国ではその日、その国の最高学府である学園の卒業パーティーが行われていた。
彼らはみな一様にそれまでの学園生活の思い出話やこれからの人生の期待に話を弾ませていた。
しかし、それに水を差すものが七人。
この国の王子カルロス・パンテラレオは彼の婚約者でもあるブリジット・エラピディ公爵令嬢を大きな声で呼びつけた。
「ブリジット・エラピディ!貴様この可愛いマリアをいじめていたそうだな!お前のような悪女を婚約者に据え、これから王妃になるなど考えただけでも末恐ろしい!私は今ここでお前との婚約を破棄することを宣言する!」
「っそんな!殿下!それは何かの間違いです!」
「往生際が悪いな!こちらは証拠を揃えているんだぞ!観念して潔く認めろ!そうすれば極刑は免れよう!」
「わ、わたくしは……」
怯えて震える可憐な少女の腰を抱き、彼女をいじめていたという悪女を糾弾する姿はさながら物語に出てくる英雄。
その勇ましい姿に傍らの少女のみならずこの断罪劇を見守っている少女たちもうっとりと彼を見つめていて、その光景にマグダレーナは寒気すらも感じた。
正直な話、婚約者がいるにもかかわらず他の女性にうつつを抜かす王子も、婚約者がいることを知っていて近くによるその少女も、それらを暴露しているのにも関わらずそれを良しとしている周りにも嫌悪しか湧いてこない。
それはマグダレーナの国が生涯唯一のパートナーだけを愛しぬく神獣カニス・ルプスを始祖に持つが故だろう。
そもそもからしてこの一応友好を築いている隣国とマグダレーナの国では始祖の違いから結婚に関しての倫理観が真逆なのだからしかたがない。
ハレムを築き、それを守ることで己の強さを誇示しより良い子孫を残していくパンテラレオを始祖に持つソルフィデース国。
生涯一人のパートナーと共に協力して自身の群れを守っていくカニス・ルプスを始祖に持つルナプレナグラティア国。
全くもって逆の考えを持つ二国はそれゆえに今まで政略結婚での友好を築いたことはない。
それをしたところで必ず支障を来たし両国間に溝を作りかねないことは目に見えているからだ。
だからこそもっと別の様々なアプローチで両国は友好関係を保っており、マグダレーナの婚約者エマニュエルもその一端としてこの国に留学していた。
事前に彼に聞いていなければこんなことが起こったことにただただ狼狽えたことだろうが、その場合そもそもこの場にいないので狼狽えるのはこれからもっと先の自分が同じ状況に陥ったときだっただろう。
そう言った意味では事前に聞いておいてよかったと心底思えて、彼女は感謝しながら自分の婚約者へと目をやった。
彼は母国の礼装に身を包み、注目を集めている一団から近くも遠くもない位置からことの成り行きを見守っていた。
内心では記憶の通りに事が進んでしまったことに呆れていることだろうが、微笑みを象ったままの彼の表情からその本心を見抜ける人などほんの一握りだろう。
むしろこの場においてはきっとマグダレーナしかいない。
今にも踵を返して母国へ帰りたいと思っているだろう彼に、もう少しの辛抱だからと笑いかければ気を取り直したようにその背筋を伸ばした。
シナリオ通りに話は進み、次々と断罪されていく攻略対象者の婚約者たち。
何も知らず打つ手もないままにこうして切り捨てられることにはいささか憐れみは生まれたが、こちらとしても自分たちのことで精いっぱいだったので容赦してもらいたい。
よりにもよって一番めんどくさい選択肢に進まれて、エマニュエルもマグダレーナもてんてこまいだったのだ。
どこまでゲームの強制力が働くのかもわからないまま手探りで対策をしていき、ようやく自分たちへの影響を無くせたと思ったころにはすでに彼女たちはシナリオに絡めとられていた。
彼女たちの行いがいじめとなるかは幾分か疑問にも思うが、嫉妬心に任せてした行為はたくさんの目に晒されている。
意地悪についての証拠は自業自得として潔く受け入れてほしい。
苦汁の表情を浮かべる婚約者たちを勝ち誇ったような目で見下すカルロス王子とその側近たち。
その傍らの少女、マリア・カトゥスも優越感を抑えきれていない表情で彼女たちを見下ろしていた。
その表情のあくどさに、むしろ彼女のほうが悪女ではないかとマグダレーナの思考は白けていく。
そんな彼女たちをエマニュエルはいまだに穏やかな笑みで見守っていて、そんな彼が一人だけ少し離れたところにいることを気にかけるようにマリアは周囲に気取られないように見やっていた。
その視線に気づいていながら無視を決め込んでいるのだから我が婚約者ながら人が悪い、とマグダレーナはこの一年で着慣れてしまっていたいつもの服とは違う煌びやかな衣装と装飾品に身を包み、貴賓席からその様子を見守っていた。
マグダレーナはゲームではモノローグでしか出番のなかったことが幸いして比較的エマニュエルよりは自由に動くことができた。
強制的にイベントへこじつけられてしまう彼がシナリオに取り込まれないように、そのあとすぐに現実へと引き戻すことで彼もここに至るまで正気を保てたと言っていい。
普通は婚約者の帰りを待っているべきところを、侍女として同行し彼の傍に控えることを例外的に許してくれた父とルナプレナグラティアの国王には感謝しかない。
エマニュエルもその想いを昨夜手紙にしたためて、この件が済んだらすぐに国王へと届けられるように手配していた。
あの衝撃の告白から二人は対策を考えに考え抜いていたが、やはりどう考えたって二人だけで乗り切るには無理があった。
だいたいエマニュエルが隣国に入った時点で詰みなのだ。
彼が留学した時には物語は既に始まっており学園へ足を踏み入れた日にイベントが起こり、彼はシナリオへと取り込まれて行ってしまう。
ならば留学自体を無くせばと考えたところで、既に決まったものを理由もなく撤回するには心証が悪いと却下されてしまう。
かといってマグダレーナが無断で付いていくわけにもいかず、どう対策を取るにも国ないし国王の協力が必要となってしまうことに気が付いた二人は潔く事情を彼に話した。
最初こそマグダレーナ同様信じがたい様子だったが、エマニュエルの記憶から国王を納得させるだけの情報を引き出したことで彼もまた自分の息子の言葉を信じて協力することを了承してくれた。
彼としても優秀として名高く有望な息子が他国で醜態を晒すなど如何としてでも止めたいところなので、早急に対策を練るために信頼のおけるごく少数の重臣たちを集めた。
これはある意味で国の一大事なのだ。
ああでもないこうでもないと議論を重ねる親たちの傍らで、エマニュエルは申し訳ないと思いつつ、自分も将来このように重臣たちと議論を重ねてこの国を盛り立てていきたいなと改めて決意を固めていた。
斯くしてルナプレスグラティアはできるだけの前提を崩し、打てるだけの布石を打って彼らをソルフィデースへと送り出した。
これだけやって強制力に絡めとられるのならばそれもまた運命と受け入れるしかないという覚悟も決めて。
そしてそんな国を挙げての対策のおかげかエマニュエルは今この瞬間無事に正気を保ったままこの場に立っている。
しかしそれを噛みしめる間もなく、マリアはなおもエマニュエルに対して意味深な視線を送っている。
その視線の意図するところを考えるとマグダレーナさえゾッとするのだからそれを実際に受けているエマニュエルは心底背筋が震えていることだろう。
彼の話すゲームにおいて、主人公は一人に対して攻略対象は七人もおり、それぞれと恋愛を繰り広げることをルートと呼んだ。
エマニュエルルートやカルロスルートなど普通はそれぞれ別ルートとして一番好みの人との恋愛を楽しむのだそうだが、一つだけ一人に絞らずに全員から愛されるルートというのがあるらしい。
俗にいう逆ハーレムルートと呼ばれているもので、そのルートに入れば身分国籍問わず全員が主人公のことを愛し、時には奪い合い時には時間を共有するのだそう。
普通に考えればありえないと一蹴してしまいそうなものだが、実際もうすでにありえないことが起きており、その強制力がどの程度のものなのかわからない以上警戒するべきと結論が出ていた。
どのルートを選ぶにしても序盤は全く同じシナリオであり、全員に等しくフラグが立てられる。
そして進めていくうちに攻略対象の選択をして的を絞っていくのだが、その逆ハーレムルートだけは最後まで均一の好感度を保たなければならず、ゲーム中最高難易度を極めるらしい。
その難関ルートをマリアが選択したと確信を持てたのはわりと早かった。
全員の出会いイベントというものをこなしてフラグを立てたあと、彼女はまんべんなく、そして効率的にそれぞれの好感度上昇イベントを発生させていった。
どうやらこちらも前世持ちらしいその少女の行動はわかりやすくゲームの通りで、彼女の口から紡がれる無感情な睦言にエマニュエルは何度も吐き気をもよおしていた。
その徹底したスケージュール管理にはマグダレーナは思わずすごいと舌を巻いたが、エマニュエルにとっては笑い事ではない。
よりにもよって逆ハーレムなんて一番シャレにならない方向にもっていかれたら両国ともに滅んでいく兆しでしかない。
百歩譲ってソルフィデースはカルロスの他にも彼より出来のいい王子がいるからいいが、ルナプレナグラティアの国王の子供はエマニュエルしかいない。
エマニュエルを身籠ったのでさえも遅かったと言われている王妃がこれから懐妊することは難しく、王はお国柄側室を設けない。
現国王の弟たちに何人か子供はいるが、エマニュエルが優秀すぎたせいで誰も彼の後に王太子となりたがらないだろう。
そんなエマニュエルが、他国で一介の平民女性を愛する男たちの一人になり下がるなどあってはならないことだ。
場合によっては神獣カニス・ルプスから怒りの鉄槌が下されかねない。
そこまで考えて彼は改めて自分の置かれた状況にその身を震わせた。
妹が遊んでいるゲームをただ傍観している時ならば「なんてご都合主義」と鼻で笑えた物の本当の重大さはこんなにも重く恐ろしいものだった。
自分の挙動一つで母国の先行きが決まると思えば、前世を思い出すまでのエマニュエルが頑なに本心を隠し通したのは必然的なことだった。
一線を引き会話をしながらも常に傍観している部分を持ち、相手の動向を伺う。
けっして二つ返事で了承することもなく、徹底的に調べ上げてから信用に足るかどうかを判断する。
およそ10代の思考とは思えないが、そうせざるを得ない立場に彼はいた。
その重圧に耐えがたくなっていた彼は隣国では羽を伸ばそうと決め、そして羽目を外しすぎた。
あんな政治理念も外交問題もがばがばな設定のシナリオ通りに事が進んで国に帰れば待ち受けているのは身分はく奪、よくて継承権のはく奪だろう。
しかもマグダレーナはその道連れになるのだ。
そう考えるとマグダレーナは一番の被害者かもしれない。
王太子の婚約者で公爵令嬢という揺るぎのない立場で、隣国で起こっていることなど知りようもない彼女がわざわざ自分の身を滅ぼしかねない悪事に手を染めるとは思えず、モノローグに出てきた証拠でさえも疑わしく思えてきた。
なにせ彼女は最後の最後まで無実だと訴えていたと綴られていた。
それは往生際の悪い悪役の印象付けだったが、もしも彼女の言葉が真実であるのならばそれは主人公と一緒にいたいエマニュエルの考えた策略なのではないだろうか。
今となっては確かめようもないがその方が酷くしっくり来てしまう。
他ならぬ自分のことだから、そうすることもあるだろうとエマニュエル自身納得できてしまったのだった。
ゲームの、それこそ倒れる前の自分ならばシナリオ通り主人公の甘言にその身を堕としていただろうとエマニュエルは思う。
けれど今は違う。
エマニュエルがふと視線を上向かせれば見知った黒髪が目に入り、彼の視線に気が付いたイエローダイヤモンドが細められて笑う。
この数か月一本も零れることなくひっつめられていた濡羽色の髪は編み込まれた場所以外が豊かに背に流され、王家の象徴でもある月とルピナスの花をあしらった髪飾りをつけている。
質素を極めていたお仕着せも今は脱ぎ、マグダレーナの瞳よりも濃いエマニュエルの瞳色のドレスを身に纏っている。
令嬢として育てられた彼女がお仕着せを着てまで自分の傍にいてくれた。
常に侍女として立とうとする彼女に二人きりの時だけと婚約者として接するように願えば戸惑いつつも嬉しそうに照れていた。
そんな健気で愛らしい女性が傍にいながらどうして他にうつつを抜かすことができようか。
最初こそ強制力が働いたのかマリアの言動に妙に落ち着かない気持ちになったが、後半はまったく動じることもなくなっていた。
エマニュエルはシナリオ通り、隣国にて真実の愛を見つけたが、その相手は残念ながら衆人環視の中心でほくそ笑む少女ではない。
完全勝利を目の前に漏れそうになった高らかな笑いをグッと微笑みに抑え込み、ずっと彼女と共に付き従っていた侍従に彼女をこちらへと連れてくるように指示を出した。
一目で高貴な身分の見慣れぬ令嬢であることがわかるのかパーティーの開始から彼女を伺い見る貴族は多くいた。
そんな彼女が誰のもので、そして自分の心が誰のものなのかを知らしめる時は今しかない。
「ねえマニー!マニーも私の味方だよね!?」
時を同じくして自分に訴えかけるマリアを一瞥しながら、やはりエマニュエルは口を開かない。
そうこうしているうちにすばやく、それでいて音もなく傍らに立ったマグダレーナがエマニュエルに腕を自身のそれを添えたことを確認して、エマニュエルがもう一度一団へと目を向ければ彼らはみな同じように目を大きく開き固まっていた。
「カルロス殿下、どうやら卒業パーティーもいつの間にか終了していたようなので我々はお暇させていただきます。一年に満たない短い間でしたがクラスメイトなど学友の皆さんと過ごした時間は私にとってかけがえのないものとなるでしょう。今後とも両国にとってより良い関係の礎となれるようにお互いに尽力してまいりましょう」
「ま、待てエマニュエル!そちらの麗しいご令嬢は誰なんだい?」
それでは、と帰してくれるものではないことはよくわかっていたので今更驚きはしないが、まさか引き留め方がマグダレーナの正体を問うものだとはさすがに思ってもみず、二人は互いに顔を見合わせてしまった。
振り返って見たカルロスの目は完全にマグダレーナに釘付けだ。
エマニュエルの瞳色のドレスを身に纏い母国の象徴で髪を飾り、彼がエスコートしていることを考えればすぐにわかることだろうに目の前に現れた美女に完全に浮かれたカルロスには全く考えもつかないのだろう。
チッ、と口角の上がった口の中で打たれた舌はマグダレーナにだけは聞こえている。
彼女の前では完全に取り繕わなくなった彼が今更誰かに盗られるなどありえないと、今のマグダレーナは自信をもって言える。
秘密を打ち明けられてからずっと親身に話し合った自分たちの間にあるものが、今までと同じ親愛だけであるはずはない。
エマニュエルが日を追うごとにヒロインではなく自分に心を寄せて早く国に帰りたいと言うのを宥めていたほどなのだ。
もう揺らがないと確信してからも国へ帰らなかったのは単に帰ろうとすればことあるごとにその機会が潰されてしまったからで、これこそゲームの強制力なのだろうとエマニュエルが推測していた。
喜劇が終わるまで役者は舞台を降りられない。
例えそのシナリオが最初から破綻していたとしても始まってしまった物語は幕が下りるまでは演じ切らなければならないのだろうと。
その終幕の時にエマニュエルが手のひらを返すということも恐れられたが、始まってから一向にその気配がないことや今の態度を見ればそこまでの強制力はなかったようだ。
面倒くさそうな雰囲気を醸し出しながら、それでも完璧なまでの仮面をつけたままのエマニュエルがわざとらしくさも今思い至りましたかのような声をあげるのを聞いたマグダレーナは必死に笑いそうになるのを堪えた。
「これは失礼しました。そういえばご紹介しておりませんでしたか。彼女はマグダレーナ・リコーサ。ルナプレスグラティア国外務大臣リコーサ公爵の令嬢で、私の婚約者です」
「え!?」
「こ、婚約者!?彼女が……」
婚約者という言葉に反応したのはマグダレーナに見惚れていたカルロスだけではなくその横のマリアもで、彼女が小さな声で「何でいるの?」と呟いたのをエマニュエルの耳は聞き逃さなかった。
もうわりと序盤からそうだと確信してはいたがエマニュエルと同じ転生者だからこその反応だろう。
一国の王子の卒業式に要人が出席するのは何らおかしいことではなく、現に先ほどまでマグダレーナが座っていた貴賓席の隣には彼女の父にして外務大臣であるリコーサ公爵が座っている。
他国で行われているとはいえ婚約者の卒業式に父親と同伴で出席することは普通にあり得ることなのだ。
それなのにマリアはそれがおかしいと言う。
ゲームのシナリオではエマニュエルの婚約者はこの場どころかこの国にすら来ておらずモノローグでしか登場しない。
それを知っているからこそ、マリアはこの場に彼の婚約者がいることを不自然に思うのだ。
彼女はそのシナリオ上ありえない出来事に困惑しながらもマグダレーナのことを睨んでいた。
「とんだご無礼をお許しくださいね。なにせ彼女も留学中四六時中一緒にいたので既にご紹介したものと思い込んでおりましたので」
「四六、時中……?」
「ええ、他国で見分を広げるために学ぶ私を健気にも支えたいと私の身の回りの世話を買って出てくれまして……不慣れだというのに懸命なその姿に私も逐一癒されました」
貴族令嬢が侍女の真似事などありえないと思われるだろうが、そこは国の習わしだのなんだのと言い訳を考えていた。
しかし思いもよらない展開に誰もがそれに至らなかったようで深く追及される兆しはなかった。
なのでエマニュエルはこれ幸いと畳みかけるように持つべきものは献身的に愛してくれる唯一ですね、とぐっとマグダレーナの腰を抱き寄せながらマリアに向けてバッサリと切り捨てる。
何も煽ることもないとマグダレーナが彼をせっつけば彼は思い出したように彼女へ挨拶を促した。
「御挨拶が遅れましたことお詫び申し上げます。ルナプレスグラティア国外務大臣リコーサ公爵が長女マグダレーナと申します。ソルフィデース国第一王子殿下におかれましては本日のこの良き日をお迎えになられたことにお祝い申し上げます。今後とも良き隣人として殿下のご健勝とご活躍をお祈りいたしますわ」
「あっああ、ありがとう。そなたのようなご令嬢がいるのに私へ一度も紹介しないなんて、エマニュエルも人が悪いな。ぜひとも君とゆっくりと話をしたいものだ」
常々惚れっぽい男だと思っていたが見目と愛嬌さえよければ何でもいいらしい。
たった今友好国の王子の婚約者と紹介されたばかりの女性を誘うなど何を考えているのかと呆れてしまう。
会場にいる人のほとんどがその言動の危うさにはらはらとしていることが目に見えてわかる。
この色ボケが、とつい口を突きそうになるのを堪えてマグダレーナは一切のほころびもない外行きの顔で笑いかける。
「申し訳ございませんがわたくしはこの式の後すぐに国へと帰り準備しなければなりませんので、ご面談は難しいかと」
「準備?なんのだい?」
「私たちの結婚式だよ。残念ながら半年は後になるが、もうすでに国を挙げてその準備を整え始めているんだ」
「へえ……半年も先なのか」
二人の婚礼は既に国中に周知されているものなのだから変な気を起こすんじゃないぞ、という言葉を何重にもオブラートに包んだエマニュエルの言葉の真意を果たして理解したのか。
いや、相変わらず鼻の下が伸びているところを見ると全く理解していないのだろう。
半年もという言葉の先にどんな馬鹿げた考えが巡ったのか、知りたくもないが考えずともわかってしまった。
いまだに舐めるような嫌な視線を向けるカルロスにマグダレーナが背筋を震わせたのをエマニュエルは機敏に察してすぐに半歩下がらせる。
「ということなので我々としてはすぐに帰国したいところなのです。それでは……」
「待て待てパーティは終わっていない。最後まで楽しんでいけ。今日のめでたい日に合わせてとっておきのワインも用意されているんだ。味わわずに帰るなどと勿体のない。マグダレーナ嬢も是非に」
「お気持ちだけありがたく貰うよ。残念ながら我が国の規定ではマギーはまだ未成年なんだ。まさかカルロス殿も彼女の御父上がいる前で母国の法を犯せなどとは言いませんよね?」
そう言いながらチラリと貴賓席に目をやったエマニュエルを辿るようにカルロスたちも目を向ければ、そこには鬼のようとまではいかないながらも渋く表情を顰めたリコーサ公爵がいた。
それにはカルロスも渋々ながら引き下がったが、その表情はいまだに諦めが付いていないことを物語っていた。
ここまでのやり取りでも十分に外交問題に発展しそうなものであるのに、その上友好国の婚約者を酔わせてどうにかしようとしたなんてことになれば宣戦布告ととられたっておかしくはないことだ。
その諦めの悪さと頭の悪さにもはや感服してしまいそうだった。
そこでふとマグダレーナは妙におとなしいマリアが気にかかり彼女のほうへと目を向け、そこにある顔に思わず目を逸らしてしまった。
唇を噛みしめ眉根と眦をあげたその表情は恐ろしいほどに怒りを表していて、それまでの庇護欲をそそる可愛らしい少女の仮面を取り繕うことも忘れているようだった。
幸いにもカルロスを始めとする彼女の取り巻きには見えていないようだが、彼らの正面側にいる人々には丸見えのようで幾人かは驚きに息をのんでいる。
その中にはもちろんマグダレーナの隣に立つエマニュエルが含まれており、彼はうわ、と若干引いたような声を出して、それでもマグダレーナを守るかのように彼女の前に手を出し一歩下がらせた。