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できればこのお方のこんな姿は見たくはなかった。






「どうかお助け下さい!!!!!!!!」


ゴツンと音がなるほど勢いよく頭を床につけているのはこの国の第一王子エマニュエル・カニス・ルプスである。

カニス・ルプス家(栄光ある王家)の跡取り、未来の国王が地に平伏しているなど外聞の悪いことこの上ないがエマニュエルには今そんなことを言っているほどの余裕などなかった。

同時にいつもならばそれを窘める役割をするはずの彼の婚約者マグダレーナ・リコーサ公爵令嬢も困惑してそれどころではなく、豪奢な椅子に腰かけたまま固まっている。

そして珍しくもエマニュエルが人払いをしてしまったために、土下座をする王子とそれを困惑したまま見下ろすことしかできない令嬢というなかなか混沌とした状況を納めることができる人はこの部屋にはいなかった。


何故このような状況に至ったかといえば、遡ること二週間ほど前のこと。


その日エマニュエルとマグダレーナは定例のお茶会をこなしていた。

こなしていたという表現の通り二人の間には燃えるような恋情はなく、ただ政略のための婚約上お互いの信頼度をあげるために定期的に言葉を交わす機会を作っているだけだった。

冷え切っているといえばそうなのかもしれないが、冷えるも何もそもそも着火すらしていないのだからその表現は少しばかり的外れというものだ。

一応親愛のようなものはお互いに芽生えているが、それ以上でもそれ以下でもないのが現状だった。

しかし、その二週間前のお茶会の日、その全てがひっくり返ってしまった。

実際ひっくり返ったのはエマニュエルだったのだが。


いつも通りお茶会を終えてマグダレーナを見送るべく馬車寄せまでエスコートしていたエマニュエルは、運悪く階段を踏み外してしまった彼女を庇い自分が落ちてしまった。

第一王子が転落という一大事に城の誰も彼もが慌てふためいたが、幸いにして大事を取って一週間はベッドの上の生活となったものの命に別状はなかった。

しかし、この時すでに彼には大きな変化が訪れていたのだ。


それからしばらくの間彼は自室に引きこもり必要最低限の者としか会おうとしなかった。

与えられた学園の課題や執務は問題なくこなしているもののそれ以外では他者を拒むような素振りを見せる彼に、本当は相当に具合が悪いのでは、実は身体に支障が出ているのでは、と悪い憶測が城内でも出始めてしまっていた。

しかしそんな周囲の心配もよそにきっかり二週間がたった日に彼は何事もなく部屋を出てそれまで通りの生活を送り始めた。

心配かけたね、と笑みを浮かべながら声をかける様はすっかりと元通りの理想の王子様だった。


エマニュエルの快復を父から聞かされたマグダレーナも安堵で胸をなでおろした。

もしも憶測の通りエマニュエルの体が不自由になってしまったとしたらそれは間違いなく自分のせいなのだ。

自分を庇い落ちたエマニュエルが階段の下で意識を失っているのを見て血の気が引いた。

一命を取り留めたはずの彼が全く表へ姿を現さなくなったと聞いて毎晩祈りを捧げた。

もちろんそれで自分が罰せられるかもしれないという考えも少しはあったが、何よりも彼からこの先の人生の選択肢を奪ってしまったのかもしれないということがただただ恐ろしかった。

男女としての恋情はなくとも、兄妹のように育った親愛と将来支えていくべき主への敬意はあったのだ。

多少人との壁が厚すぎる気はしたが統治者としては問題なく、むしろ今以上の繁栄が期待できうるほどに彼は優秀だった。

そんな彼の未来が潰えたかもしれないと考えただけで恐ろしく、この二週間マグダレーナは自責の念で押しつぶされそうなほどに憔悴しきっていた。

だからこそ快復の知らせを聞いて喜び、その後すぐに呼び出されたお茶会には緊張の面持ちでありながらすぐさま応じたのだった。

それがこんな展開を向かえようとは誰が思おうか。




「つまり、殿下は留学先で出会ったご令嬢と恋に落ち、わたくしを捨てると?そのうえわたくしをよくわかりもしない罪で断罪すると……そう、おっしゃいまして?」

「まあ、要約するとそんな感じ、かな……」


頭を床にすりつけるのはやめたもののいまだ床に座ったまま項垂れつつ肯定したエマニュエルにマグダレーナは隠すでもなく顔を歪ませて最大な溜息をついた。

かつてこんなに情けない姿のエマニュエルを見たことがあっただろうか。

マグダレーナはできることなら見たくはなかった光景に痛み始めた頭を抱えた。


いつも通り城へとあがってすぐにエマニュエルの執務室続きの応接間へと通された。

ここからしていつもと違っていておかしなことではあったが病み上がりでも精力的に仕事をしているとも聞いていた彼女は執務の合間に時間を作ってくれたのだろうとさして気にするでもなく促されたソファへと座った。

そしてまた常ならぬことに彼は人払いをしたのだった。

いくら婚約者であっても彼がそういった配慮に欠けることをしたことはなかったのでマグダレーナは戸惑ったものの、その真剣な表情から何か重要な話があるのだと自身の背筋も伸ばして聞き始めた。

その話のなんと荒唐無稽こうとうむけいなこと。






彼は二週間前、マグダレーナを庇い階段から落ちて気を失っている間にある夢を見たのだそうだ。

それは夢というにはあまりにもリアルでこと細かく、そして長いもの。

ふとある日ある時の瞬間を切り抜いたものではなく、ある一人の人生を追体験していたという。


その人は平凡なごく一般的な男性で、ごく普通な父とごく普通な母の下に生まれ妹が一人だけいた。

生活ぶりなんかはマグダレーナにはよくわからない単語が多くてしっかりと理解できなかったが家族みんなでちょっとだけ余裕のある幸せな生活をしていたのだという。

しかし、その男性は会社員として新たなステップへ踏み込もうとしたおりに不慮の事故で亡くなってしまったらしい。

トラックという乗り物に轢かれそうになった幼い子を助けようとした優しい男性の早すぎる幕引きに、彼のことを微塵も知らないマグダレーナもとても心を痛めた。


けれどエマニュエルの話はそこでは終わらない。

前世と呼ばれる自分の人生を大まかに語った彼はここからが大事なところだとより真面目な顔をして見せた。


彼の話によれば、より肝心なのは妹、というよりも彼女が楽しんでいたゲームのことだった。

この世界にもゲームというものはあるが、こちらのゲームとは少々勝手の違うもののようだ。

妹はそのゲームというものをたくさん楽しんでいたようで、その中でも乙女ゲームというジャンルを多く好んでしていた。

乙女ゲームというのは主に学園を舞台として、主人公の女の子が同級生だったり協力者となる男の子たちとの仲を深めるために正しい選択肢を選んで進める、いわば恋愛特化のアドベンチャーゲームのようなものだとマグダレーナは理解した。

その過程で重大な事件に見舞われたり、男児の好む冒険談のように強大な敵に挑んだりと、それは各々のゲームによってアレンジを利かせているらしい。

その男性自体はそのゲームにそれほど興味はなかったが、家に一つしかないテレビを独占してしまうものだから興味がなくてもいくらかのストーリーを知るくらいは見ていたのだそう。


そして重要なのはその妹がやっていた乙女ゲームの中の一つ「本能のままに愛して」というゲームだった。

そのゲームは神獣パンテラレオを始祖に持つ国の学園を舞台に、とある少女がその国の大きな闇と闘いながら同級生や教師と愛を育んでいくというのがざっくりとしたあらすじだ。

これもアレンジ要素としてそれぞれの抱える家庭や個人の問題だけではなく、身分や貧富などおおよそ学生が口出しできるとは思えない政治的な問題を対象者と解決していき、絆を深めていく。

そしてその過程でなんと彼女ははるか昔に失われたと言われている国の王族神獣シルヴェストリスの末裔だったことがわかり、平民から見事身分を勝ち得た彼女は幸せな人生を歩み始める。

そんな少し、いやだいぶご都合主義なねじ込み要素のあるストーリーのゲームが「本能のままに愛して」というゲームらしい。

そしてエマニュエルはそのゲームの攻略対象者というものらしく、留学先で主人公に出会った彼は一目で彼女に興味を持ち、紆余曲折あって恋をして母国にいる悪事を働いていた婚約者に婚約破棄を突き付けるらしい。


「たしかに、殿下の留学先であるソルフィデース国は神獣パンテラレオを始祖に持っておりますけれども…」

「……まあ、そんなにすぐに信じてくれるとは思ってないよ。でも本当に作り話じゃないんだ」

「そうは言われましても……」


これがまだ見知らぬ男性の人生を語っただけならばよかった。

この国では片手ほどの例しかないが、この世界中のいたるところに前世の記憶を持って生まれたという人は多くいる。

それはこの世界の物だったり、エマニュエルのようにまったく違う文化のものだったりまちまちだがたしかにそういう人はいるのだ。

突拍子もないはずのそれらが信じられているのは、まだしゃべり始めたばかりの子供が聞いたことのないはずの言語を流暢に話したり、行ったこともない国の仔細な習慣まで話したりと、そういった到底信じられないようなことがあったからだ。

だからこの世界の人々は前世もちの人々のことを受け入れている。


しかし、エマニュエルのこの話は別だ。

彼は生まれたばかりの幼子でもないし、一国の王子としての教育のために他国の言語や習慣は一通り教わっている。

そのうえ今のこの世界が異世界でのゲームの中の物だなんて、そんな話をどう信じろというのか。

そんな気持ちが表情から駄々洩れていたのだろう。

まあ普通は無理だろうということもわかっているのでエマニュエルもなんとかして信じてもらえるように頭を振り絞った。


「部屋のベッド裏」

「え?」

「部屋のベッド裏の仕掛けの中に、大事なものを隠しているだろう?日記とか幼いころの思い出の品とか、そういうものを」

「……ぁっ!な、なん、どうして!その仕掛けのことを!?」

「そのゲームに出てくるんだ。マグダレーナの罪を暴くために部屋を探してそこから日記や宝物と共に証拠が見つかったって」


そうエマニュエルが言えばマグダレーナの顔は驚愕で目が見開かれ一気に赤く染まった。


「っ見ましたの!?日記!」

「え?あ、いや日記はざっくりと幼いころの思い出話って説明くらいでメインは証拠のほうだったから、詳しくは……」

「そ、そう……」

「……信じてくれた?」


これを言われたら信じないわけにはいかなかった。

ベッド裏の仕掛けのことを知るのは持ち主であるマグダレーナの他にはそれを作った職人と一番信頼の置ける侍女の二人しかいない。

どちらも彼女が本当に信頼を置く人物であり、彼らがマグダレーナの秘密を誰にも言うことはないと言い切ることができた。

その聞き出そうとした相手がたとえ家族や婚約者であってもだ。

さすがに国王ならば言わざるを得ないかもしれないが、一国の主がたかが令嬢の小さな隠し事くらいを暴こうなんてしないはずだ。

そのゲームとやらの自分はその隠し事の規模がとんでもなくでかかったようだが、今のところは幼いころの自分の甘酸っぱい記録しかあの仕掛けには入っていない。

だから国が動いて調べたとかでもないのだろうから、彼の言っていることは本当のことなのだろう。

それに、そう思えば納得できることもある。


「慇懃さが少々欠けているのも、そういうことですのね?」

「え?……あ、ああ。そうか。まあ、引きずられている部分はあると思う。ただ、理想の王子(仮面)を完全に取っ払えば元々こんなものだよ」

「……そうですの」


エマニュエルは元々穏やかで話しかけやすい雰囲気を持っているが、その実態はとんでもなく人との垣根が高い。

臣民の話によく耳を傾け、その実現に最善を尽くす。

剣武にも精通し困っている人がいれば助けに入る。

賢く、弁舌も長けているので国王も安心して外交を任せることができる。

紳士的でリーダーシップに溢れる、まさに理想の王子。

けれどその理想的過ぎる振る舞いはマグダレーナにとっては逆に違和感を生み、まるで人形のようだと薄気味悪さを感じていた。

もちろんそんなことを誰かに言ったことなどはないが、常に貼り付けられたような微笑みを向けられながら、これから結婚をしてその後のことを思うと一抹の不安を覚えるほどの物だった。


それが今はどうだ。

きっと剣武や地頭の賢さは変わらないのだろうけれど、ほんの少し気が緩んでいるかのように纏まりきらないままに話す言葉にコロコロと変わる表情。

年相応な反応を返す彼はきっと理想的な王子像とは少しずつ離れていっている。

けれどマグダレーナには今のほうが人間味があり、魅力的に見えた。

今のエマニュエルのほうが安心して支えていくことができると思えてしまった。


これからきっと彼は大変だろう。

二つの記憶を持って生きるのはとても大変だと歴代の前世持ちたちの手記は物語っていた。

一方の社会が良しとするものがもう一方では堪えがたいものであったり、途中から記憶を持った人ならばそれまで好んでいたものが苦手になったり。

趣味嗜好、思考回路、人間関係の良しあし、いろいろなものに齟齬や変化が訪れる。

そのうえゲームの攻略対象だなんて面倒なことにも巻き込まれるらしい彼はきっとこれからせわしない中で信用のおける人を一から探していかなくてはならなくなってしまったのだ。

それを単純にいたわしいと思いながら、ふと頭をよぎった疑問をマグダレーナはそのまま口にしていた。


「どうしてわたくしなんですの?」


この話をしたのがなぜ自分だったのか。

自分のこれから起こすかもしない愚行を止めるというのならそれこそこの国の最高権力者である国王陛下や王妃殿下でもいいはずだ。

もしくは留学中も近くにいる予定である側近たちでもいい。

権力をもっているでもなく、その時期に傍にいるでもない自分に全てを打ち明けて協力を求める意図がどうしてもわからなかった。


「君のことを信頼しているからだよ」


これまでのエマニュエルの人生において、国王である父と実の母やこれから支えてくれる存在となる側近たちのその誰よりもずっと近しい位置にいたのはマグダレーナに他ならない。

正直なところ今までだって他の誰にも言えないようなことをポロリと漏らせてしまうのも彼女だけだった。

他の人はエマニュエルが理想の王子を演じていることすら気が付くことはないけれど、それが彼の仮面であることをマグダレーナは知っている。

これは間違いなく長い時間をかけて二人で築き上げてきた絆によるものだ。

政略結婚ではあってもお互いに手探りで最良の関係を探してきた二人は物語のような燃えるような恋をしていないけれど、その間には確かに二人にしか作れない愛の形がそこにはあったのだと彼はそうとは告げずに示してくれた。


「かしこまりました。まずは殿下の知っていることを全てもっと詳しくお話しくださいませ。それから、一緒に対策を考えていきましょう」


人離れしているようだった彼が相手であっても、信頼を勝ち得ていたという事実が嬉しくも誇らしくもあって、マグダレーナは久しぶりにエマニュエルへと心からの笑顔で答えた。



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