冒険日誌Vol31
その後も、ハルはエリアルと共に地上を目指して進んでいった。
気付けば、落っこちて来て数日経っていた訳だが、それでも上る事が出来たのは一層だけ。
「大きな進歩です。深層から出る事が出来れば、希望はある」
そう言ってエリアルが瞳を一切曇らせない為、ハルは迷宮の闇に呑まれる事がなかった。ただ毎回、囮としてモンスターと戦っている為、一切経験値が入らないのがネックだった。
Levelは未だに2のまま。だが圧倒的レベル差の環境に居るおかげか、目は段々と慣れて来た。
風の加護の力も相まって、初撃だけなら何とか避けれるようにもなった。このまま彼女と一緒に、地上に辿り着きたいと願った。
「どうしたのですか?そんなに私を見て。言っておきますが、エルフのお肉は美味しくないですよ」
時には厳しいエリアルだが、根本は凄く優しい人だ。きっと地上に戻ったら、そんな彼女は遠い人になってしまうだろうし、やっぱりこのままでもいいかもとハルは思った。
(いいや、駄目だ。勇者だろ、お前は)
だが、まだ馬鹿げた英雄願望を抱いているハルはぶんぶん首を振って自制する。
「いや、その……やっぱ、エルフの人って綺麗だなぁって思って」
「おだてても何も出ませんよ。――突然ですが、この携帯食をあげます。美味しいですよ」
それはエリアルが好んで食べているやつだった。やっぱり彼女はツンデレエルフだった。
「でも、いいんですか?貴重な食べ物をこんな所で」
「腹が減って判断能力が鈍るよりましです。それに、この階層は緑が多い」
「確かにさっきも水源がありましたね」
「地下の迷宮ではありますが、自然がある場所には果実や食用草が存在する」
「ほんと、エリアルさんが居て良かったです。――あ、あそこにキノコがありますよ」
「あれは猛毒を有しています。触っただけでも手が腐敗するのでお気を付けて」
仲間に置いて行かれて奈落に落ちてしまったのは不幸だが、重ねて金髪エルフと出会ったのは幸運だったとハルはひしひし感じる。
食べられる食材を探す為に暫く進むと、大きな水源を囲む木々がある空間に辿り着いた。
「安全地帯です、私達も運がいい」
「モンスターが干渉できない空間……やりましたね!」
「この階層に人が来るなら待っていいのですが……深層に冒険者はそう訪れない。助かった訳ではありませんが、今は疲労した体を癒しましょう」
幸い、木には食べられる果実が実っていた。ダンジョンに来てからの時間の感覚はないが、眠くなって来た事を考慮すると、きっと外は日が落ちているだろう。
だからして、ハルとエリアルは睡眠をとることにしたのだが――。
「あ、あの……」
「何ですか?」
「その、ですね。何か、近くないですか?」
安全地帯は広い訳ではないが、男女二人が自由にできないほど狭い訳でもない。だというのに、ハルとエリアルは横並びに寝る姿勢をとっている。
勿論、エルフの寝込みを襲うべく小心者が近付いた訳ではない。
「私が離れると、焚火が勿体ない」
「いや、エリアルさんなら剣と石を擦り合わせるだけで火くらい起こせるーー」
「何かいいましたか?」
「いや、何でもないです」
良くわからないが、このままハルは受け入れる事にした。――しかし、眠れない。
ここに来るまで仮眠をとった時は、どちらかは必ず起きていたし、何時モンスターが襲ってくるか分からない状況に気がいっぱいいっぱいだった。
この静寂な空間では、エルフの吐息がやけに艶めかしい。健全な男の子としては、目が覚醒ハイパー状態継続である。
「ひゃう!」
天上に菊の花のごとく敷き詰まる魔石を眺めていると、突然エリアルの指がハルの腕に触れた。邪な気配を感じ取って、もしや怒っているのではないか。
そんな考えも一瞬過ったが違った。エリアルの手は冷たく、少し震えているのだ。
「怖いですか?」
「……貴方はデリカシーの無い人だ」
「生憎、女心の扱いには自信がないので」
「貴方が羨ましいです。力がなくても気丈に振舞う事が出来ている貴方が。私は冷静を装って、恐怖を殺す事しか出来ない」
ハルに向かって寝返りを打った山吹色の瞳には暗がりが射している。
彼女は何でもできる凄いエルフだと、そう思っていた自分に嫌気がさす。ずっとエリアルは恐ろしくて、でも生き抜くために感情を殺していたのだ。
「俺も恐ろしくて仕方が無いですよ。でも、馬鹿げた夢を信じる事でなんとか。まぁ、盲目的って事です」
「ただ盲目な者は、自分よりも遥かに強いモンスターと対峙する事は出来ない」
「それほど、俺は馬鹿って事です。エリアルさんが居るから、こうして生きてるだけですから」
「…………やはり貴方は強い人だ。教えて下さい、どうすれば貴方のような強さが手に入りますか」
「そうですね……無理だと思います。人の感情ってのは、そう簡単に変える事が出来ない」
嘘でも体のいい言葉で誤魔化せばいいのに、ハルはそうきっぱり言い放った。
「だから変えようとするんじゃなくて、"騙しましょう"。自分は出来るんだ、自分は強いんだ!って。その『虚勢』が何れ自分をなりたい姿に変えてくれます」
「私にはそんな事…………」
ハルが言っているのは、自分をだまして嘘を信じるということ。堅物が代名詞のエルフの性格上、そんなやり方を採択できる訳もない。
「なら、俺を見ててください。弱いのにみっとも無く抗う姿を見てれば、きっと自分も出来るってそう思えますよ」
自分が『道化』になり下がる事で、相手を鼓舞する。自分自身を偽る事が出来ないなら、他人を見て勘違いをすればいい。
モチベーション論という奴である。
(あれ?以前も確か誰かに同じような台詞を言った気がするが……まぁ気のせいか)
「…………ありがとうございます。少し、元気が出ました」
こわばっていた頬を綻ばせて、エリアルは静かに笑った。射していた暗がりも心なしか薄くなって、今は水晶のごとくキラリと輝いている。
「奈落に落ちてしまったのは不運でしたが、貴方に会う事が出来て良かった。必ず、生きて帰りましょう」
「勿論です。地上に戻って、一緒に美味しいものでも食べに行きましょう!」
「それはデートのお誘いという奴ですか?」
「あ、いや……まぁそういう事になりますかね」
「物好きな人だ。普通、殿方は皆、私と居てもつまらないと零すのに」
「見る目がないだけですよ。噛めば噛むほど味が出る、てきな?」
「よく分かりませんが、お褒めの言葉と受け取っておきます」
めらめらと燃ゆる焚火の音と共に、会話は更けていく。何時帰れるのは分からない絶望的な状況でも確かに、その交わした言葉はハルの人生に残るひと時だった。
気付けば目を閉じて、ハルとエリアルは夢の世界に。
エリアルがどんな夢を見ているのかは分からないが、黒髪の青年は地上に戻って、金髪のエルフと笑い合いながら色とりどりな食事を口に運ぶ幻想を見た。
そこには一切の暗闇もなく、絶望がない。
こんな未来が訪れて欲しい。正夢になって欲しいとハルは願った。
でもその刹那に。
「――ぁッ!!!」
胸が熱くなって、手に持っていたスプーンを床に落としてしまう。「大丈夫ですか」と、夢の中でも優しいエリアルの声は消え入るように霧散した。
龍の舌に心臓を舐られているような灼熱と共に、夢の世界は崩壊する。
「ギィぁあああああ!」
そして目が覚めた現実でも、その熱さが鎮火する事はない。暫くハルはその場を転がって、地面に向かって何度も頭を打ち付けた。
そうすると暫くして、血潮が正常な熱を取り戻す。
「はぁはぁ…………」
一体何が起きたのか。悪い夢を見て取り乱してしまった訳ではない以上、外部から――現実で何か起きたのと推測するのが普通だ。
そして、その異常は直ぐにでも視界情報に入って来た。
ハルは確かに、迷宮に点在する小さな楽園の『安全地帯』に居た筈だ。なのに、緑も水もないただ荒涼とした空間に成り下がっている。
空間ごと丸ごと入れ替わったみたいに、ハルは別の場所に居た。そこに、エリアルの姿はない。
(俺だけモンスターに連れ去られた……?いや、そんなわけがない。そうだったら殺されてるし、そもそもさっきまで居たのは安全地帯だぞ?)
エリアルが寝ているハルを連れ出して、どこかに捨て去った。
そんな考えも一瞬過ったが、今までの振舞でそれを成したならとんでもないサイコパスだ。一番の可能性としては、そもそも安全地帯が嘘だったということ。
―深層は何が起きるのか分からない。
さっきまで居た空間が罠だった。そう考えるとさっきの生気が吸われていく感覚も納得が行く。勿論、それはハルの推測でしかない為、今は――。
「っ!エリアルさん!」
今はあの金髪エルフが何処に行ったのか探すのが先決だ。幸い万が一に逸れた時の為にと、互いの位置が分かる『魔磁石』を受け取っている。
息を殺して警戒しながら辿っていくと、血痕を見つけた。
まだ新しく、エリアルの痕跡で間違いない。"嫌な予感"で汗を滲ませて、魔磁石が刺し、血痕が続く方向へと走り出した。
「――――」
微かに銀の旋律が響く。間違いない、エリアルの剣技だ。
「エリアルさん!」
「貴方は――!良かった生きていたのですね」
大広間に出ると、銀のレイピアと共に舞い上がる妖精の姿があった。衣服が破けて、至る所から出血している彼女が戦っているのは、枝が複雑に絡み合って体が構成される木の怪物だった。
矢継ぎ早に繰り出される猛攻に木の怪物一切怯まない。愚鈍な動きではあるが、枝を変形自在に伸ばす事でエリアルを間合いから追い出す。
しかもどれだけ斬られても、瞬きの間に再生するときた。
「ちっ、厄介な……!」
舌打ちをして焦燥感を露にしたエリアルは、一度距離をとった。
「これ、回復薬です。飲んで下さい」
「貰います。そして、生きていて本当に良かった」
「何があったんですか?」
「恐らく、あの空間自体が『罠』だった。木々の一つに目の前にいる怪物、『悪辣な木』が擬態していたのです。私は取り込まれる直前に気付けましたが、貴方は地中に取り込まれて……」
「えっ、ならどうして俺って生きてるんですか?」
「私が聞きたいくらいです。再会の喜びは後です、今は――」
「何時もの作戦で行きますか?」
「いや、気を惹いたとしてもあの頑丈な枝木を私の細腕では突破する事が出来ないでしょう」
エリアルの繊細な剣技では、枝の中に埋もれている魔石を砕く事は出来ないらしい。
「でも諦めない、そうですよね?」
「ええ、貴方はここで見ていてください。私の剣で斬り裂く」
昨夜の言葉が少しでも心に響いてくれたのか、この状況でも全く臆していないハルの姿を目に焼き付けて、エリアルは力強く血を蹴る。
迫り来る枝の猛攻を避け、同時に詠唱も紡いで見せた。その姿は正に森を自由に駆け回る妖精、銀が纏うのは風の祝福。
「リル・ゲイル!!!」
荒れ狂う暴風となったエリアルは、間合いに入ってなお加速する。その速度に対応できない悪辣な木は、自らの枝を絡ませる事しか出来なかった。
宣言通り枝を斬り裂いて、そのまま魔石を突き抜ける。その砕けた結晶を浴びながら、エリアルはハルに向かって微笑した。
「すごい」
そんな小学生並みの感想をハルが呟くと、エリアルは地面に華麗に着地する。最初から最後まで、なんとも洗練されている戦闘の調和は金髪のエルフを更に美しく輝かせた。
「貴方のおかげです」
「俺は何もしてないですよ。エリアルさんの努力の賜物ってやつでしょう」
「この技は、一度使うと数秒の硬直に陥る。昨日までの私には、きっとこの場で使う事は出来なかった」
「褒めても何も出ないですよ。あ、回復薬いりますか?」
「貰っておきます」
傷は重症ではないにしろ、回復薬を一本飲んだ程度で治る軽傷ではない。周りにモンスターの気配がない事を確認すると、エリアルは剣を収めて手渡されたポーションを仰いだ。
その時だった。
「――ぁ」
それは一体どっち声だったか。唯一言えるのは、それが紛れもない『驚愕』を孕んでいるということ。
確かに、周囲にモンスターは居なかった。既に悪辣な木が灰に還る所を、エリアルとハルは視認している。
なら"それ"は何だ。今、地中から伸びて"エルフの胸を貫いている"その枝は。
掠れるようなその声は、エリアルが被った突然の苦痛によるもの。そして何が何だか分からないハルの愕然の証でもあった。
「逃げ、なさい……!」
「グォオオオオオオ!」
逃げろとハルを突き放そうとする白い手を、ハルは掴む事が出来ない。枝木が突き刺さったまま、地面が隆起してそのまま空中に縛られてしまったのである。
「悪辣な木……!」
出て来たのは、確かにさっき葬ったモンスター。だがさっきよりも体躯は大きく、瞳の位置から覗かせる赤い光は不気味だった。
さっきのはあくまで囮で、こっちが本命。しかし同族を駒に使うなど、モンスターの知能で有り得るのか。
いや、今はともかくーー。
「今、助けますーー!」
「だめ、だ。逃げ、なさい。私はもう駄目だ」
喀血する妖精の華奢な体に突き刺さっているのは、一般男性の腕と変わりない太さの枝。女性には負担が重すぎるその怪我は、今にも彼女を『永久』へと導く。
それでも、まだ彼女は生きている。なら、助けない手はない。
「はぁあああああ!」
「ッ!逃げなさいと、言っているでしょうに!!!!!」
剣を握りしめて突貫。同時に、苦痛に歪む顔を怒りで塗り潰したエリアルの怒号が響く。
まずは、彼女を空中に捉えている枝を切り落として――。
だが、ハルはエリアルの元に辿り着く事が出来ない。彼女自身が、風の魔法で突き放したのだ。
「分からない、のですか……!この化け物は、通常の個体よりも賢い。今も、間合いに入って来るのは確実に狙っている……貴方では、勝てない」
「でも、そんなのーーそんなのは……」
「ごめんなさい、約束……果たせなかった。ご飯を食べる、約束を」
「いや、駄目だ。駄目です、まだ俺は貴方と一緒に――」
物理的な距離が離れていっている訳ではない。その声が、美しい銀の声色が輝きを失って、枯れ果てた遠き場所に向かおうとしている。
連れ戻して、まだ一緒に居たい。なのに、弱き勇者には声を震わせる事しか出来ない。
「貴方、に……ハルに風の加護を――どうか、逃げて――」
そよ風が吹き抜けて、その金髪が微かに揺れた。
「エリアル、さん……?エリアルさんッ!!!」
今の風に魂が連れ去られてしまったのか、電池切れの人形のように脱力したエリアルはもう動かない。
「フォ」
悪辣な木が、エルフを地面に捨てた。その残酷な意味に、一瞬の間を置き。
「あああああああああああああああああああ!!!」
形成される血だまりを、もう見ていられない。最後に彼女が紡いだ言葉――『逃げて』の三文字を実行するべく一心不乱に走り出した。
悲しみの慟哭を影に押し殺して、ただ前に前へと。
だが、非道な迷宮は逃げる者を許さない。
「ギィォ」
「スカルボア……!」
続く道には、何度も戦った牛の怪物の姿が。しかし、一人になってしまったハルにとっては、そのカタカタ小刻みに揺れる骨は絶望の音だ。
それでも、戻る事は出来ない。
初撃は角の発射、何度も捌いて来た攻撃を今回も剣でいなす。
(攻撃は駄目だ、俺の力じゃ倒せない!)
もう、英雄気取りの勇者では居られない。『逃げろ』の言葉を思い出して、そのままスカルボアの横を駆け抜ける。
当然、逃がすまいと必殺の角をハルの背後に放った。
―ハルに風の加護を。
彼女が最後に遺してくれた力を。微かな速さを駆使して、間一髪でしゃがみ避ける。
切り抜けられたと安堵したのも束の間、次に立ちふさがったのは無数のモンスターだった。スカルボアは勿論、戦った事の無い未知の怪物も。
(あ、死んだ)
もう抗う事も出来ない絶望を前に、ハルは足を止めてしまった。現実逃避をするべく、頭が真っ白になってしまった。
そして意識が浮上した頃、兎の怪物にハルは肉を数か所引きちぎられていた。
「ぅああ」
見っともない声を上げて、尻餅をつく。臆病な小指が逃げようと小刻みに震えだすが、迫り来る絶望はもう痛みなんて忘れてしまうほどに恐ろしくて、剣を手に取る事も出来ない。
でも、ハルはこれでいいと思った。エリアルを見捨てて、汚く行き抗ってどこかで野垂れ死ぬよりも、まだ彼女との思い出が焼き付いたまま終わる事が出来るのなら。
だがそんな微かな願望を拒否すべく、ガタガタと。突然ハルの頭上で迷宮の崩落が始まって、瓦礫でモンスター達を圧し潰したのである。
まるで哀れな黒髪の青年を助けるべく起きた『奇跡』のおかげで、ハルは砂粒すらも被ってない。
「どうして、だ」
どうせ、もうハルは生きて帰る事が出来ない。なのに生き残ってしまったせいで、今から彼女を失った悲しみと肉体の欠損による激痛に苦しむ事になる。
だが自殺をする勇気はハルに無かった。
暫く休憩して、ハルは先に進む事になる。既に希望は尽きて、どうにか死にたかった。
でも死ねなかった。どれだけモンスターに襲われても『奇跡』が起きて助かるし、大きな傷を被っても『全快の泉』を見付けたり、冒険者の骸から回復薬を見付ける事で助かった。
そう、ハルは運命に生かされているのだ。
彼はまだ知る由もないが、これが二度目のカグラ・ハルとしての異世界。一度目の世界では魔王に敗北して命を落とした彼は、運命が死なせない。
『生』という大きな事象には、大きな作用が働くからだ。勿論、運命を変換するほどの力があるなら別だが、今のハルにはない。
これがイリスが課した『絶望の渦』。終わらない恐怖を受け止め続けなければいけない、救済なき地獄だった。




