Desire to Drink(漢の戦い)
フィリウスのおかげで魔王城に俺は直ぐに到着した。
周りは驚くほど静かだ。魔族が中に居る王を守るために目を輝かせている訳でもなく、かといって入り口が視認できないほど頑丈に守られているでもない。
扉は「どうぞ」と言わんばかりに開かれていて、いっそ不気味なほどの無防備状態だった。
「あんたは本当に入れないのか?」
「ほれ」
直後、重低音と共に加速したフィリウスだったが、その体は魔王城の中に入ることなく扉の前で止まってしまう。
「壁、というよりかは魔王城自体が異空間に近い。試しに腕を突っ込んでみろ」
「…………ほんとだ、右手だけ消えた」
恐る恐る扉に腕を伸ばすと、ある境目から完全に透明になってしまった。見えない腕は無くなってしまった訳ではなく繋がって血が巡っている感覚はあるので、ここから先は異空間で間違いない。
「主よ。恐らくこの先、妾は言葉を語る事が出来ない。だが心は常にこの剣とともにある。どうか武運を、そして最善の未来を」
「言われなくてもやるよ」
「……ハル、私に言う権利はないかも知れないですが、この数か月ずっと私は貴方を視て来た。だからこそ、今の貴方を誰よりも知っている。必ず勝てると信じています、そして全てが終わった後――いやこの話はとっておくことにします」
てかフライデー、お前居たのかよ。
すっかり存在価値がなくなってしまった便利AIへのそんな感想はおいておくとして、確かに彼女は俺の事を傍でずっと見て来た。
最初から『勝つ気持ち』で戦っていない俺には鼓舞など腹の足しにしかならないが、大人しく受け取っておくとしよう。
「というか、こういう時ってヒロインがなんか言葉をかけるのがセオリーだろ!」
最初の世界で、イリスがハルにとってのヒロインだった。だが今の俺は、"女のふりをしている男の剣"とただ"一枚の紙きれ"である。
「このフィリウスさんも、あんさんの勝利を願ってる」
あとついでに、最強の男も居たか。
まぁともかく、俺はこれを終わらせればきっと夢の異世界生活が送れると信じている。
「だよね?」
「うむ」
疑心暗鬼になりながらも、俺はぬるっと扉の先に踏み入れる。振り返ると、そこにフィリウスの姿はなかった。
というか、扉自体がなくなってしまっている。
逃げ場は用意されていないと言う訳か
「おーい、誰かいるか?」
だだっぴろいエントランスには、物々しいモニュメントが影を落とすだけだ。
生き物の気配を一切感じないし、本当に魔王だけが待っているのか。
「…………」
暫く待っても誰の反応もない。
玉座の間で待っているのだとしたら、呼び出した癖に何様だ。ぶん殴ってやりたい……と思ったが、今から戦うんだった。なら合法パンチオッケーだ。
などと、決戦を前に緊張感の無い思考をしている内に、遂にその『扉』に辿り着いた。魔王城の間取りに全く詳しい訳ではないが、この場所だけは"あの記憶"と共に焼き付いている。
前の俺が命を落とした場所、すなわち『玉座の間』だ。
ギィと重い音を立ててひとりでに扉が開く。堂々と臆することなく、そのまま先に進む俺の目に最初に移ったのは真紅のカーペットだった。
記憶通り、広い空間に対して何もない質素な場所。
しかし一つだけ相違点がある。
「来たか」
高い場所に椅子に座って見下ろすのが、魔王の定位置にも関わらず、彼は同じ目線の場所に椅子を降ろし座っていた。
加え、設置されるのは丸い机。そして魔王が座る漆黒の玉座とは正反対の"黄金の椅子"が、机を隔てて入り口側に用意されている。
「なに?ティータイムでも始めるの?」
「言い得て妙だ。座るが良い、貴様にはその資格がある」
そもそも何か仕掛けているなら、こうやって堂々と誘導してくることはない筈だ。そう考えて、俺は迷わず腰を下ろす。
見た目通りと言うべきか、座る場所は硬くて長く座るとケツが痛くなりそうだ。
「まず敬意を称そう。我のこの道以外の選択肢を潰した貴様には強者と呼ぶ価値がある」
「長い話は嫌いだ。用件を言え、用件を」
「そう急ぐな。この場は完全に外からは隔離されている。ここで10年過ごしたとて、外での1時間にする事は可能だ」
「浦島太郎になるのは御免だね、この後楽しみにしてる『お仕置き』が出来なくなる」
「口の回る男だ。かつての『真勇』としての面影がない。だがあの時よりも、今の貴様はよっぽど恐ろしい」
そう言って、魔王は肩までかかる長い夜色の髪を纏め上げる。
「先に言っておこう。この場は"運命の鳥かご"。我が魔法、不可避の運命によって作り出した檻。――既に貴様の膨大なスキルポイント変換の使用は出来ない。運命から大きく逸脱したその力を、使用する事は許されない」
「…………えっ、何?じゃあ俺の負けジャン」
「はやるな。あの時持っていた――最初の世界で貴様が有していたポイントの使用は可能だ」
記憶が確かだと、『彼』は570のスキルポイントを有していた筈だ。だが基礎能力の面で大きく劣っている俺では、あの時と同じ状態ではなくて大幅な弱体化を被っている。
いや、ちょっとズルくない?何か用意されているとは思っていたが、そもそもの力を封じられるとは思ってなかった。
「貴様の膨大な力をただの魔法で抑制できるなど、そう都合の良い話はない。我自身も、本来の力より大幅に劣っておる」
「なら勝てる可能性は十二分にあると言う訳か」
「"あの運命"通りに進むのなら、貴様は負けるがな」
「俺は甘くない。徹底的にぶっ潰す」
「我もあのような苦い勝利を演出つもりはない。目指すは完全勝利、運命を我がものとする」
あれだけ運命に憑りつかれていた魔王が、こうして自ら運命を変える事を宣言している。その心変わりは、俺にとって厄介だ。
「話はそれだけか?」
「いいや、一つ『案』を提示させて貰おう。この戦いの結末がどうなるにしても、再び『やり直し』が起きる可能性がある、違うか?」
確かに俺が魔王に敗北したとしても土壇場で又、時が戻るような可能性はある。
魔王に関してもそれはないにしろ、逃げられたら面倒だ。
「確実に勝敗を付ける勝負方法がある。名付けて、アトラスの酒。西洋の言葉風だと『Desire to Drink』と言った所か」
「詳しく」
「簡単だ。必要なのは普通のテーブルとこの『ワイン』である」
言って何処からともなく魔王が取り出したのは、グラスと一本のボトルだった。
魔法で器用にボトルを開けると、とくとくグラスへと注ぐ。真っ赤で一瞬血と見間違うそのワインから仄かに漂うのはぶどうの匂いだった。
「俺は酒に強くない」
「ただの酒ではない。このワインは、意思無き者を酔わせて弱くする。そして、固い意志を貫く者には『力』を授ける。DtoDとは、強者ではなく『強き者』こそが勝利するゲームである」
「だがもし俺とあんたの意思の強さが同じだった場合、決着はつかなくないか?」
「そう、だからこそDtoDの本命は今から説明する『ルール』にある。【1】グラス一杯を飲み干すごとに『一撃』しか攻撃を仕掛ける事が出来ない。【2】如何なる『防御』も許容しない」
一つ目のルールは、酒を頻繁に口に運ぶ事で常に今の自分の意思を反映するため。
二つ目のルールは、互いの意志力の均衡が続く泥仕合を繰り広げないために。
つまるところ、これは無防備で殴り合う『漢の戦い』という事である。
魔王にそんな崇高な意志力があるとは思わないが、かといって俺に関してもびみょーだ。
全てを手に入れようとする『灰色の意思』はあるが、果たしてその欲が『意志力』と言えるのだろうか。
……いやそうか、そもそも意志力とは自分の力を貫き通す事を意味する。なら、内容が独りよがりであっても、それは立派な形となる。
既に在り方は決めているし仮に何度殴られても、そもそも"負けない"スタンスで戦っているので意志力の低下は予想できない。
なら、俺ってこのゲーム強くね?
「よし、やろう」
「……かなり自身がある様子であるな。流石は不屈の勇者と言った所か」
「何度もくじけて迷って来た俺のこれは、きっとそんなにいい言葉じゃないさ」
「ふむ、そうか。では始める――と言いたい所だが、実は我の意思はまだ完全に固まっている訳ではない。だから勇者よ、我が最後の敵である貴様に宣言しよう」
長くなるのは嫌だなぁと思いつつも、俺は魔王の言葉に耳を傾けてやった。
「かつての魔王は、ただ暴虐を尽くすだけの意思無き愚王だった。しかし我は違う、この身には尽くすべき『大義』がある。――貴様は、魔族をどう思う?」
「何って……『穢れ』とかで真面な奴いないんだろ?そりゃあ、糞野郎って感じだろ」
「多くの者はそう言う。そしてそれは間違っていない。だからこそ、魔族は同族を大切にしない。――だがこの身は『穢れ』がなく、人と同じような感性を持ちながら魔族に生まれてしまった」
稀に普通に優しい魔族が居ると聞く。その『例外』に選ばれたのなら、魔王として君臨するのは話として矛盾しているが……。
「我は魔族を『哀れ』だと思った。人並みの感情を理解する事も出来ない欠陥品、しかし同族であるこの身がどうして彼らを蔑める。其処で決めたのだ、彼等を助けると――王として導くのがこの感情を持っている者の定めだとな」
「そのやり方が、人間を殺しまくる事かよ」
「ヒューマンの貴様には分からぬだろう。魔族の『穢れ』とは決して癒える事の無い呪いだ。そんな彼らに出来るのは、敵対する全てを滅ぼして安寧をもたらす他なかった」
「守るために大勢を殺す、か。もっといい方法なかったのかよ、魔王さん」
「なかった、断言できる。我が王として出来る事は『破壊』だけだった」
本当は気付いてないだけで、お前にも『穢れ』があるんじゃないかと言おうと思ったが、その悠然と輝く瞳はその選択を後悔していない。
自分の魂の輝きを信じて、『正義』を貫いて来た淀みなき姿だった。
なるほど、どうして最強の男と呼ばれるフィリウスが魔王にずっと勝てなかったのか分かった気がする。
実力ではなく、その鬼気迫る意思に押し負けていたのだろう。
「砕いてみせよう、王として。そして『孤高』を貫き続けよう」
紫紺の魔力が滾る。その感じた事の無い圧に、しかし俺が気圧される事はない。
「――べらべら喋ったのは、失敗だったな。より一層、お前をぶっ倒したくなった」
その方法しかなかったから、やらざるを得なかった?
そんなのただの良い訳だろ。確かに、本当に『道』が一つしかない時はある。
でもそれは、納得できる時にしか進んじゃならない。
仕方ないと進めば、それはどこかにあった『道』を潰す事になる。
魔王が今までどれだけ苦悩して来たか知らないし、それを知りたくもないが、それだけは間違っていると思う。
そんな誰でも分かるよーなことも分からない魔王に負けてたまるかよ。――さっさとぶっ倒して、自分が間違っていたと認めさせてやる。
「――ヴェスタ・アル・ユールフランテ。王を拝命せし、夜天を堕とす魔族の名だ」
「あーえーっと。カグラ・ハルだ、よろしく」
互いにぐびーっと酒を喉に流す。アルコールの成分は一切入っていないようで、代わりに胸の奥から熱くなって血潮が滾る。
あの膨大なスキルポイントを掌握した時まではいかないが、それに近い高揚感――つまり『力』が宿った。
「先行を譲ろうではないか」
席を立って堂々と立ちはだかる魔王――ヴェスタも又、俺とは違うが溢れんばかりの紫紺に覆われている。
その夜色の髪は苛烈に美しく輝き、夜空と見まがうほど。
「お言葉に甘えて。――いきなりやられるなよっ!」
まずは手始め。スキルポイントを5消費して、炎を宿した拳で思いっきりヴェスタの腹をぶん殴る。
小さく苦悶を漏らすが、一歩仰け反る事もなかった。
「いきなり拳と来たか。確かに防御禁止であるなら、直接が一番効果がある。不慣れではあるが、我もやらせてもらおう」
ロングコートで隠れているが、ヴェスタは決してフィリウスやタケのような優れた肉体を有している訳ではない。
背が高く華奢なタイプだし、近接戦闘には不慣れだと思った。
だがその『拳』はただの手段に過ぎない事に、次の瞬間気付く。宿るは破壊の紫紺、瞳が穿つは必中。
殴るとか、そう言った次元じゃあない。それは高密度な『魔力災害』に等しい。
その圧に何かしらの防御策に出たくはあるが、それはルールに反する事になる。ただの口約束ではあるが、魔族とは『契約』に五月蝿いと聞く。
もし破れば、その瞬間に俺の体が消し飛ぶかもしれない。
ヴェスタの拳は次の瞬間斜線となり、彗星の如き速度と破壊力を以て俺の体に激突した。
(――――――は?)
あれだけの前振りがあって、大してダメージはない。そう思ったが良く自分を俯瞰すると、まだヴェスタの拳は完全に俺に直撃している訳ではない。
まだ、腹の肉にちょっとめり込む所。
そうだ、これは"時間が引き延ばされている"。痛みを感じるまでの数瞬が、今の俺にはハッキリ認知できる時間となっていた。
このまま痛みを感じたくないが、それだと永遠のこの時間の牢獄に閉じ込められる事になる。来たる、途方もない衝撃に俺は備えなければならない。
(来る、来る。来た、もう直ぐ――ッ!)
腹への一撃は、俺を遥か後方へと引っ張り上げてくる。
血が出る程歯を食いしばる事で、意識と体をもっていかせない。摩擦で赤いカーペットを燃やし削りながら、10mほど後方の場所でやった俺の体は止まった。
骨は……折れてない。致命傷にはなっていないが――。
そうやって安堵した直後に来るのは、俺の踏ん張りを貫通した余剰分の苦痛だ。息はしずらいし、腹筋は攣って体内をナマズ走っているような気持ち悪さ。
あれほどの暴力を受けてなお、この程度で保てているのはあの『酒』が原因であろう。確かに、何時もより格段に防御力が向上している。
「これで決めるつもりでいたが……やはり、そう上手くはいかないか」
「普通……最初は、ならしだろうが……」
「全力ではないぞ?全てをこの拳に賭すのは、勝機が切り開かれた時以外有り得ぬ」
騙されないぞ、そうやって絶望させる事で俺の『意志力』を鈍る事を狙ってる。本当は、今のがヴェスタの本気に違いない。
…………だよね?てかそうであって欲しい。
「次は俺の番、だ」
涙と鼻水を啜りながら、誤魔化すようにグビィと注がれた『酒』を飲み干す俺だった。




