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氷結の海原で

「お前こそ、わざわざ俺に復讐でもしに来たのか?」


「バカが、この状況でそんなことするか」


 そういって視線を落とした大男。どうやら左足が凍てついて思うように動かす事が出来ないらしい。


「で、なんでお前みたいな悪い奴が片足だけ済んでるんだ?」


「悪い奴が氷るなら、歓楽街の1割は永久零度に消えるぞ。――これは俺の予測だが、この冷気は内側の魔力に反応する。俺は生まれつき、魔力の内包量が少ないからな」


「普通の娼婦でも凍ってるのに、それよりしょぼいお前って何者?」


「るせぇ、ゼロ魔力に言われたかねぇよ!!!!!」


 ゼロだと逆に美点にできるが、中途半端がどうしようもない。と、この場以降、二度と物語に登場してこないであろう大男の話はおいておくとして。

 どうやら俺がこうして凍らずにいられるのは魔力が関係しているらしい。


 しかし、それ抜きにしても立ち止まり続ければ凍死するほどの零度は厄介だ。


「この冷気の正体は?」


「テメェに教える義理なんざ、一ミリたりともねぇが……このままだと俺もパキっちまう。歓楽街の中心、『(やかた)』の上に気持ちわりぃ鳥が陣取ってやがる。そいつの羽がこの冷気の正体だ」


「おっけー。なら鳥退治だ」


「待て待て。テメェら純粋な冒険者は知らないだろうが、歓楽街には多くの裏組織の奴らが住まってる。Sランク冒険者ながら大罪を犯した奴や、王都で最重要指名手配している奴らも居た。そんな奴らでも、あの鳥を前に意味をなさなかった。


「俺ならどうにかできるだろ」


「テメェの噂は聞いてる。だが相手が悪い。後で気付いたが、その鳥は第六迷宮の迷宮主(ハイエスト)、怪鳥コルヤックだ」


 冒険都市の周囲に点在するダンジョンは計七つ。各迷宮には個性があって、どれも最下層を攻略するのは『偉業』とされるが、第六迷宮は『難攻不落』と名高い。


 たった一度だけ。最強(フィリウス)という例外だけはその迷宮攻略に成功したが、それ以降誰一人として最下層に辿り着くことはあっても攻略まで結びつかない。


 それこそ、彼の怪鳥が原因だ。

 強さではなく純粋に近づく事が出来ない。怪鳥コルヤックは己の10m以内を絶対領域として何人も踏み入らせないのだ。


 フィリウスは距離を無視する『加速』があったからこそ怪鳥をぶっ飛ばす事が出来たが、それを持たない他に資格はないと。

 大男は血管を隆起させてイライラしながらも語った。


「無理ゲーじゃん」


「戦いたいなら勝手にしろ。俺はさっさと逃げさせてもらう」


「おう。バイバイ」


 別れの言葉を告げて、大男はその場を離れる――素振りを見せた。せっかく怪鳥から逃げてきたのになぜかそのまま立ち去ろうとせず、何かを待つように俺の少し後ろを徘徊している。


「…………そのーあれだな。見ての通り、俺の左足は使い物にならない。今都市がどうなってるかはよくわかってねぇが、このまま逃げても俺は死ぬだけだ」


「だから?」


「助けてくれ」


 土下座をした。首を垂れて助けてくれと、かつての敗北に煮える心を殺して潔い懇願をした。

 見事だった、いっそ美しいほどに。


 せっかく強者の雰囲気を醸し出しているドラゴンタトゥーの顔がなぜか間抜けに見えた。


「悪いが先を急ぐ。構ってる暇はない」


「……いいのか?」


「あ?」


「確かに俺は魔力の内包が少ない。だが曲がりなりにもBランクの俺様が凍ってないのはおかしいだろ。――俺の『スキル』が迫りくる凍土の風を阻害してる」


「それがあれば、怪鳥を倒せると?」


「倒せるかは分かんねぇが、テメェと俺がこの都市から離れるまでこの風を阻害することはできる」


 怪鳥を倒さなければ、俺は歓楽街を駆け抜けることはできない。徒歩でここを抜けるとなると、数十分は掛かってしまう。

 その話に乗るしかないが、今の俺にこの大男を安全な場所に連れていく余裕はない。ここに来るまで大勢を見捨てて来たのに、こんな悪人を助ける道理はない。


 俺が頷いて了承しても、こいつに救済は訪れないだろう。


「…………分かった、話に乗ろう」


 逡巡、後に下したのは非道な判決だった。

 安堵したのか、ほっと胸を撫でおろす大男の表情を見ることはできなかった。――ややあって。


「あれが怪鳥だ」


 幸いな事に元居た場所から怪鳥までの距離は近く、数分で到着する事が出来た。

 『館』と呼ばれている、各国の要人や有名冒険者訪れるそこはまるで豪奢な城のような場所だ。荒れ果てている歓楽街の中でも目立った破壊は行われておらず、妖艶な光が溢れ出ている。


 だからだろうか、館の頂上に設置される時計に居座っている"それ"の姿は不気味だった。

 そもそも怪鳥と呼ばれる所以である『異形』。翼を有する鳥が獲物を狙うために、生活を維持するために必要な『くちばし』や『足』がなく、本当に鳥に分類されるのかも怪しい。


 蝶のように空を羽ばたく四枚の翼。近付けば近づく程、漂う極寒の冷気の出処はそれが原因だった。


 あの翼を斬り落とすのは簡単だろうが、そこまで近づくのが至難の業。10mの距離を保っているが、少し足を前に伸ばしただけでそこが死地だと脳裏に境界線が敷かれている。


「で、どうやって無力化する」


「俺のスキルは『体温調節』。肉体の温度を自由に調節する事が出来る。言わば俺様は怪鳥と火と油の存在よ」


「それだと相性がいい事になるが」


「るせぇ。兎に角、超高温で体を包めば俺はアイツの元まで辿り着けらぁ」


「援護が必要か?」


「テメェ、何か魔法が使えるのか?」


「使えない。弓も持ってない。ただ、この剣を投げて一度だけなら援護できる」


「怪鳥は強さ自体は大した事ねぇ。必要ないと思うが、万が一の時は頼む」


 そう言って口数少なく、怪鳥の絶対領域へと踏み込む。俺と1mしか離れていないのに、まるで猛吹雪の中を進む登山客のごとく、鈍足な足取りで大男は目を細めた。

 体温調節という、一見役立ちそうにないスキルだが、季節が滅茶苦茶なダンジョン内では凍傷や熱傷に常日頃から冒険者は対策を講じなければならない。


 その点、装備や魔法を必要としない体温調節が出来る大男のスキルはコスパが良い。勿論、直接的に戦力へ響く事はないだろうが。

 一歩一歩と進み、間もなく怪鳥への距離が半分に迫る頃。


「――クェエエエエエエエエエエエエ!!!!!」


 突然、怪鳥が耳障りな咆哮を轟かせて四翼を勢いよく羽ばたかせる。生じた更なる冷気は『凍土の波』となって、今まさに灰色に覆われてしまっている歓楽街の空ごと周囲を凍り付かせてしまった。


「ぐわぁっ!?」


 大男も耐える事が出来ずに、吹き飛ばされて振り出しに戻ってしまう。


「無理だ。俺の温度でも、あれは凍えちまう」


「ちっ、使えな。もういいよ後は俺で何とかする」


 俺は残念な結果に終わったが、大男にとってはこれが良かったのかも知れない。仮に怪鳥に辿り着いて無力化したとしても、勇者ハルがこいつを助ける事はない。

 ならまだ無傷の内に、さっさと都市外に逃げた方がまだ希望がある。


 さて、ではどうするか。一つ方法があるとするなら、この距離から全身全霊で剣を投げる事だろう。ただ10mの距離もあるとなると、避けられた際に面倒だ。


 今の俺の速さなら周囲の小石を何度かヒットさせるだけで翼をもぐことが出来るかも知れないが関節が耐えきれるかどうか。

 時間がない以上、それしか方法がないか。俺は剣を槍のように構えて、深呼吸をする事で狙いを定める。


「おい、待てよ」


 そして折角、体制が整ったというのに大男が俺の肩を掴み静止して来た。


「何だよ」


「無理とは言ったが、ありゃ嘘だ。俺なら恐らくアイツの元に辿り着ける」


「さっき無残にも吹っ飛ばされただろ。その根拠は?」


「お前に語るつもりはない。たがやってやる代わりに条件がある。――俺に金を寄こせ。この戦いが終わって得られる大量の報奨金の内半分を俺様に譲渡すると約束しろ」


 がめつい男だ。助けるという条件は勿論、金も寄こせとは。


 どうせ助けるつもりもないのだ、そんな条件も適当に肯定しておけばいい。――と思ったが、ふと気づく。


「…………お前、死ぬつもりか?」


 絶対領域一帯の空、『氷結の海原』を見上げる大男の瞳が何処か遠い。それは覚悟を決めた戦士の瞳ではないが、死を予感するどうしようもなさの表れだった。


「この左足、ただ凍ってる訳じゃない。徐々に内部に進行してやがる。俺はもう助からない」


「――諦めるなよ」


「白々しい。テメェも元から、俺の事なんざ助けるつもりないだろ。その瞳は、もっとずっと『前』を見てやがる。その果てに、俺みたいな奴がいらねぇことは重々分かってんだ」


 図星以外の何者でもない指摘に俺はバツの悪い顔はしない。それよりも、何故?と。


「どうして最初から分かってるなら、こうして俺に付いて来た」


「…………俺は昔から、金持ちになりたかった」



 大男――ガイリ・フォックスは地方貴族の生まれである。幼少期から勇猛果敢で体格にも恵まれていたガイリは、フォックス家を再編し立て直す事を期待されていた。


 今の時代、権力とは強さによって勝ち取られる。だからガイリは冒険者となって、まずその名を売る事を図った。

 しかし体格に恵まれこそ、彼は『スキル』には見放されてしまっていた。『体温調節』は自分を温めて冷やす事は出来ても、仲間を守る事は出来ない。

 

 それでもどうにか頑張ってBランクまで漕ぎつけたガイリだったが、ある日、共に冒険をしていた仲間が全滅してしまった。

 あと少し手が伸びていたなら。その少しを埋める『スキル』があったのなら。


 そんな『もし』を語っても仕方が無いし、ガイリのようにスキルに恵まれていない者は五万と居る。だが掲げていた理想が砕かれてしまった彼は、既に立ち上がる事が出来なくなった。


 だから金に目ざとくなった。金の価値は平等で、積めば積むほど『強さ』が手に入る。

 どんな手を使っても生き残る冒険者ではなく、どんな汚い手を使っても金を手に入れる悪党となった。


 上手く行かないから悪い事に手を染めるなんて、全く酷い『癇癪』だと自分が一番分かっている。今更贖罪をしようにも、既にガイリは多くを傷付けて来た。

 最後の瞬間に『有終の美』を飾りつもりもない。


 あの時、冒険者を辞めた時に。既にこの身は生涯『悪党』だと決めている。


「だから金を寄こせ、無能勇者。俺様の墓に大量の花と一緒にな」


 返答は待たなかった。そもそもガイリをこっぴどく負かして生き恥を晒させた張本人の顔が、最後の眼に焼き付くなど御免だ。

 一歩踏み進める度にパキパキと関節が凍る。明確な理由もなく、冒険者を辞めてからも鍛え続けて来た鋼の肉体からあっさり熱が失われていく。


 きっとこの死は誰にも語り継がれる事はない。

 本当にあの無能勇者が墓に金を持って来たとて、使える訳でもあるまいし。


 それでもガイリは脈動を打って、ただ己の体温を上昇させ続ける。氷結の海原の中で、只一人輝き続ける。


 寒くて凍って。もうとっくに視界なんてものは失われてしまっているのに、何故だかガイリは心地よかった。


(ああ、そうか俺は――)


 やっぱり、金よりもガイリは冒険が好きだった。己を賭して何かを手に入れようとする冒険者の味を、このドラゴンタトゥーにあの日刻んだことを思い出した。


 上がる、上がる、上がる。

 己の体温に筋肉や内臓が喰い殺される程に、暴力的な高温をガイリは身に纏う。間違いなく彼は今の瞬間、この都市で一番熱く輝いていた。


 そして次の瞬間、絶対零度の風をガイリは上回った。


「グェエエエエエエエ!?」


 それは敵を追い返す為の咆哮ではない。今まさに身が危機にさらされている叫喚だった。

 怪鳥の元に辿り着いたガイリは、何をしたわけでもない。ただそのドロドロに溶け始めている手で翼を少し毟った。


 其処を起点に生じた風が、ガイリから供給を受けて周囲に『熱風』を旋回させる。

 風で『凍土』を実現している怪鳥は皮肉な事に、その風で熱風を増幅させてしまったのだ。


 怪鳥コルヤックにとって、目の前の大男こそが『凍土』そのものだった。


「苦しめ、焼き鳥」


 上昇、爆炎。熱く、燃え尽きる。

 それは歓楽街を凍土に包んだ怪鳥の成れの果て。同時にある『悪党』が最後に見せた魂の雄たけびだった。

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