【閑話】神楽風夏の加速的体験
朝が好きだった。
新しい未知の始まりが、一日の中で一番心が高鳴った。
でも、過去形だ。
何時からだろうか、『風』を感じなくなってしまった。朝焼けと共に吹いていたあの風がないと、実感が無くて退屈なことこの上ない。
でも実際、ちゃんと毎朝風は吹いている。揺れるカーテンが、それを定義してしまっている。
でもならどうして、わたくしは風を感じないのでしょうか。
――簡単な話ですわ。わたくしの心は風を感じる余裕がない位、錆びついてしまっていますもの。その原因は、考えなくとも分かりますわ。
あの日、一年半前。最愛の弟が突然いなくなった時から。
忽然と姿を消した弟――ハルは未だ手掛かりすら見つかっておらず、わたくしはただ瞳を暗くする事しか出来ない。
どこに行ってしまったのか、そんな考えても仕方ない思考ばかり浮かぶ。もう本当はこの世界のどこにも――死んでしまっているのではないかと。最近ではそんな不穏な考えも脳裏を過るようになった。
その度に心が荒む。それでも、諦める事が許される訳がない。
姉として、気高く美しく在らなければどうして弟が帰って来れるか。
だから父と母、警察すらも半場諦めかけている今、わたくしだけは手掛かりを探している。
かといって、まさに『神隠し』にあったが如く姿を消してしまったハルの影を闇雲に追うのは、時間の無駄以外のなにものでもない。
ならば、その『神隠し』の可能性を探ればいいのではないか。
そんな非現実的な事は有り得ないと、多く者は口を揃えて言うだろう。父と母に相談でもすれば、頭が可笑しくなったと思われるに違いない。
―それでも、最近とある夢を見た。
南国の島、砂浜で「俺は今が楽しいよ」とわたくしに告げる弟の笑顔を。
それはわたくしが知らない場所。何よりも、そんな笑顔を姉であるわたくしが見た事はなかった。
『異世界』。ハルが再三口にしていたその単語がふと思い浮かび、わたくしは一縷の望みに賭ける事にした。
ハルが神様に連れ去られてしまって、何処かの世界で生きているという幻想に。
インターネットで色々調べたが、出てくるのはやはり与太話の類。そもそも、インターネットという不確定な情報の海の中から、手掛かりを見つけ出すのは至難の業。
ならば――と。わたくしは今、市の図書館に訪れていた。
足を運ぶのは、異世界に関してのコーナー……は勿論ないので、馬鹿馬鹿しい都市伝説のコーナーだ。
その中での"異世界"に関して取り扱っている本を捜索していると、
「いたっ……!もう、なんですの!」
運悪く、頭上から落ちて来た本がわたくしの頭を直撃する。
暫く鈍痛に唸ったが、誰が悪い訳でもないので直ぐに落ち着いた。
本棚に戻す為に拾い上げようとするが、やけに重い。そんなに分厚い訳でもないのに、赤と銀の装飾がなされている本には物理的ではない『重さ』があった。
まさか神様からわたくしへのメッセージ……?この中には、異世界に関しての知識が――。
とは異なった。ページを捲って目に入るタイトルにはただ、フィリウス・ラリーJrと。
目次もなく、ただ彼に関する伝記が続いていた。そしてその内容が何とも、"つまらない"。
本の厚さに対して、文字が描かれているページは僅か一部。10分で読める文量にも関わらず、内容はただその男が如何に最強であるかを綴っているだけだ。
そしてその終わり方も釈然としない。男は魔王と激闘の末に、自らの速度で他の世界に行ってしまったと――。
「他の世界……異世界?」
探していたワードの思わず発見に暫し思考が固まる。
刹那、ぼわんと。突如本棚が立ち並ぶ視界に黒い狭間が現れ、そして飛び出す。
「どわぁああああ!?」
静寂を主とする図書館にはあるまじき声量。規律を重んじるわたくしにとっては、到底許されるべきではない不埒。
だが、それよりも。
「いぃやあああああ!!!」
何処からともなく現れた男は裸だった。形の良い骨格と筋肉処か、下半身まで曝け出す正真正銘、真性の変態である。
「何だ――?っておい、貴様!そこで一体何をしている!」
わたくしの叫びに常駐している警備員が直ぐに駆け付ける。
「おーっとこれは不味いな」
もう弁明も出来ない状態に、しかし男は静かに片目を瞑った。少し落ち着いた今気付いたが、この世の人間とは思わない紅蓮の瞳だ。
その髪色も一瞬、何色か見誤るほど不思議な蒼で――。
(あれ?この特徴は、確か――)
「フィリウス……?」
今しがた読んだばかりの伝記に出て来る主人公に一致する容姿と名を結び付ける。
「お前さん、俺さんの事知ってるのか?いや今は、それどころじゃないな」
「其処から動くな!!!!!」
「動かんよ。――ただ、加速はする」
パッと紅蓮の瞳を開いた直後、その姿が――いや、わたくしの視界がぼやけた。
「…………なん、ですの?」
そして焦点が戻った頃、わたくしの五感が異常を感知して、思わず目を丸くした。
聴覚は静寂を、嗅覚は古本の独特なにおいを。間違いなく、わたくしは遂数秒前まで図書館に居た筈なのに――今は何故か太陽の下、大勢が行き交う街道に出てしまっていた。
「すまんね、お嬢さん。場所を変えさせて貰った」
「何時の間に服を……」
恐らくこの状況を生み出したと推測される男――フィリウスは衣服を身に纏って、特徴的な容姿は帽子とサングラスで隠している。
「貴方、一体何者ですの?」
「そりゃあ、フィリウス・ラリー・Jrだろ」
「お名前を聞いているのではないです。あの本は何ですの?どうして本の中の登場人物が――」
「ああ、そういうことな」
一見、燃え滾る情熱を彷彿とさせる紅蓮だが、それは理知的な光も孕んでいる。
「どうやら俺、異世界転移しちまったらしい」
そうやって、うんうんと腕組みをするフィリウスはやはり分からなかった。
◇◇
「――貴方は異世界からお方、という事でいいのですの?」
「ま、そういうことになるな」
わからないことをわかるためには、対話が必要だと。得体の知れない大人の男性と二人は不用心だと思いつつも、今はこんな偶然の出会いに縋るしかなかった。
ですが、喫茶店で色々お話を聞いたところ、どうやら悪い人ではなさそうですわ。何もわからないわたくしを無知と笑わずに真摯に話を聞いてくれますし、話に納得できるだけの説得力がありました。
そんな彼が異邦から来たお方だと認識するのは容易でした。そもそも、見た目が人間離れしてますし。
「しかし異世界から来たというのに、やけに落ち着いておりますわね」
「まあ帰れない訳じゃないしな」
「でも帰る手段はない、そうですよね?」
痛い所を突かれたな、とフィリウス様は静かに笑う。
どうやらこの世界には『すきる』や『魔法』の概念がなくて、前の世界と同じ強さではいられないらしい。そしてそれは、限界加速度まで達して世界を超えて来た彼にとって、元の世界に帰る方法がない事を意味する。
「致し方ないです。わたくしがフィリウス様が元の世界に帰るのをお手伝いしょう」
「無料でこんな別嬪さんがエスコートしてくれるとは、俺さんも罪におけないな」
「まあ、お口の上手いこと。ですが先ほど申したように、異世界への行き方を探る事はわたくしの弟を探す事に繋がりますから」
「さっきちらっと言ってたが、お嬢さんの弟が異世界に――それも俺の世界に来たって保証はあるのかよ?」
「確証はないですわ。でも最近、夢を見ますの。知らない土地で知らない表情を浮かべる弟を。――そんな時、異世界から来たと言う貴方に出会った。ならば、その運命に乗っかるだけですわ」
今、わたくしは全く見当違いな事をしているのかも知れない。
それでも、何もしないより何かした方がずっといいに決まっている。
仮に1mmしか弟に近付けないとしても、粉骨砕身を胸に頑張るのが姉としての役目だ。
緑葉の瞳宿る決意に、フィリウス様はやれやれと。
「覚悟を決めた女ってのは、てこのように動かないのは俺さんも良く知ってる。どうせ断ったとしても、お嬢さんは意地でも俺さんに付いてくるだろ?」
「ええ。淑女として付き纏わさせて頂きます」
「いいな、気に入った。だがな、お嬢さんは一番必要な質問を俺さんにしてないぜ?――弟を知ってるか、普通最初に聞くだろ」
「確かに盲点でしたわ……」
知らなくても仕方ないが、仮に知っていた場合はフィリウス様を送り届ける事は弟との再会を意味する。
情報量が多すぎて思わず失念していたのもそうだが、無意識に心が遠ざけていたのかも知れない。知らないと言われた時に覚悟が鈍ってしまうのを避けるために。
「…………名はハル・カグラ。黒髪黒目の青年で、特段特徴の無い子ですの。見聞きした事はありまして?」
「ハル……?あ、そうだそうだ。確か話題沸騰中の異世界から来た勇者の名前――」
「本当ですの!?」
先ほど、図書館であれだけフィリウス様の大声に眉を顰めたにも関わらず、わたくしは思わず飛び上がった。
当然、静寂を楽しむ周囲の客はわたくしを一瞥する。
「こ、こほん。失礼しましたわ。それで、容姿は一致していますか?」
「ああ、確かに俺さんの記憶はそんな奴だったと言ってる」
「じゃあ確定ではありませぬか!?」
次は思わず武士口調で。「お客様、お静かにお願いいたします」と、お店の人から叱咤されてしまう。
羞恥心で一度静まり返る事になるが、間もなく沸々と感情が再点火する。
「ハルは……弟は元気でしたか?」
「うーん、どうだろな。実際、俺も本人と話した訳じゃなくて、偽物と戦っただけだからな」
「――!?よく分かりませんが、その勇者様がハルではない可能性があると?」
「いや確かに名前はハルだった筈だ。ただ言いにくいが――かなりの『畜生』で有名らしい」
「じゃあ、ハルではないですの」
ハルは優しくて、一度だってわたくしに粗暴な振る舞いをしたことがない。
「嬢さんの弟が消えたのが1年と少し前って言ってだろ?勇者が召喚されたのも、その頃と一致する」
「じゃあ、ハルに違いないですの。――もっと見聞きした特徴をお願いしますわ」
「死んだ魚の瞳をしていて、かなり捻くれてるらしい」
「じゃあ、ハルと違うですの」
真っすぐな瞳を忘れる訳がない。
「だが確か勇者としてはかなりの腕で、沢山の人々を救ってるらしい」
「ならやっぱり、ハルですの」
身体能力も勉学も平凡なハルだが、一度決めたらやり遂げる力がある。そんな弟が文化として未発展で、弱者の多い異世界に行ったなら、沢山の人々に救いの手を差し伸べるに違いない。
「あ、あと、ペットとして飼われているとも聞いた」
「ほな、ハルとちゃうな」
「でもよ、そのすまほ?とやらの画面に映ってる奴は、俺の前に現われた奴に違いないぞ」
「なら、ハルとちゃいますの!!!!!」
「だけど――」
「もうええわ!!!!!」
ハルの偽物だとかよく分からないが、フィリウス様の世界に弟がいる可能性は限りなく高いだろう。勿論、確証は出来ないが、それでもやる価値は十分にある。
もっとも、やれるか否かは別の問題ではあるのだが。
「…………超集中的な力の加速が、異世界への扉を開く。という事で、間違いないですの?」
「ああ。それも一つの方法だ。他にも心当たりはある。一度空いた世界の扉は直ぐに閉まらない。ここに来るときに俺があけたそれが、この世界の何処かにある筈だ」
どちらも現実的ではない。フィリウス様の『加速』とやらがどの程度かは分からないが、技術でそれが出来るのなら、今頃あちらの世界には大勢の科学者がなだれ込んでいる筈だ。
それが起きてないと言う事は、技術では追い付けないと言う事。実は何処かの国の研究機関が成功させている可能性もあるが、そんな『もし』に頼った所で。
後者に関しても、世界がどれだけ広いと思っているのか。それに、海底や火山の中にあるかもしれない。
「無理じゃないですの」
「正直、俺さんも割とそう思ってる。でも諦めない、そうだろ?」
「ええ。ですから、わたくしある妙案を思い付きましたの――ずばり、Utubeですわ!」
「……?俺さんにはよくわからんが、それはどんな魔法だ?」
「魔法じゃないですの。Utubeとは、動画を投稿するSNSコミュニティの事です」
「悪い、それらの単語を俺さんは全く理解出来ないが、それでも趣旨とずれてる事だけはわかるぞ」
「遠回りこそが最短の道、という言葉があります。今のわたくし達では、異世界へ行く方法を手繰り寄せる事が出来ない。なら、向こうから寄って来るのを待てばいいのですのよ」
何時の時代でも、資金と名声があればどうにかなる。それを体現する現代で最も簡単なツールこそ、Utubeであると。
資金があれば、ある程度の『自由』が手に入る。名声があれば、普通では手に入る事の出来ない『情報』が手に入る。
自由と情報、それがあって初めて『未知』とは切り開かれるのだ。
「闘技場で有名になって、騎士や有名冒険者へと成り上がる剣士の真似事をしろと。――言っておくが、俺は『最強』だぜ?生涯で一度として成し遂げられなかった事はない」
「そもそも、"異世界から来た最強"というコンテンツ力が強すぎます。直ぐ100万バズは確定ですわ!」
案外、早く異世界への道しるべが光刺すかも知れない。――――そう思っていた、わたくしも昔は居ましたわ。
初めての動画投稿から一か月、わたくしたちは絶賛伸び悩んでいました。
異世界からやって来た最強の男、という唯一無二過ぎるコンテンツ力にを生かしたのにも関わらず、登録者はまだ1万程度。
勿論、素人でその数字は褒めるべきですが、それ以上の伸びしろが必ずある。しかし良くも悪くも、フィリウス・ラリー・jrという男が余りにも規格外過ぎた。
素手で川を割ったり、サンドバックを彼方遥かの空まで吹き飛ばしたり。そんな理知外の事を当然とやってのける彼はその容姿も相まって、動画の全てがCGだと思われてしまっている。
実際、コメント欄は「よく出来たCGだなぁ」「編集お疲サマー」とか、「リアル過ぎて逆にキモイ」とかで埋まっていた。
勿論、時間を掛けて色々な企画に挑戦し続ければ、必ずどこかでバズって急上昇する完璧なポテンシャルはある。
それでも、時間は決して有限ではない。もし帰る方法が、フィリウス様がこの世界に来た時に生じた『扉』だけなら、何時閉じても可笑しくないのだ。
「申し訳ないですわ。わたくしのプロデュース力が低いばかりに……次はどうしましょう。ヤクザの事務所を潰してやった。体力測定、宇宙新記録更新……!。全裸で街を徘徊しても、最強ならバレない説を検証……」
「倫理的に不味いのが結構混じってるな」
「やはりここは過激にいかないと。でないと、既に成熟期にあるUtube市場では輝けない……!」
それらしいことを言って悩むわたくし。
そんな姿に、フィリウス様は溜息を吐いて、
「無理に色々な事をしなくてもいいんじゃないか?」
「ですがそれでは……」
「遠回りこそが最短の道、って言ってただろ?俺さんには、どーも空回りしてるように感じるな」
「むむ。確かに知らず内にわたくしは早って…‥‥。――そうか、そうだったのですわ!」
とここで。わたくしは真理に辿り着く。
そもそも存在自体に現実味がないフィリウス様に、非日常的な事をやらせるのが間違っていた。
「最強の日常の調和……!生み出されるハーモニーは万人の心を掴む――!これですわ、これしかないです!そうと決まれば、撮りますわよ!」
「もうやりたいようにやってくれ」
ここが転換期となって、わたくし達の動画――"最強の日常channel"は加速度的に伸び続けた。
何か大がかりな企画をする訳ではなく、ただフィリウス・ラリー・jrという男の日常を撮影して投稿するだけのそれは、瞬く間にバズったのだ。
時には現代技術に苦戦して眉を歪める姿が可愛いと。動物園に行っただけで、全ての動物が突然息を顰めて、彼に跪いてしまう光景がシュール過ぎると。
日常なのに、日常にはならない。そんな奇想天外な面白さが、多くの人の心に刺さった。
一週間で10万人、一か月で100万人。生配信中、突っ込んで来たトラックと正面衝突して無傷だったフィリウス様の動画は、海外にまで拡散されて初めて単体で1億再生を突破した。
海外字幕も付けて、ただの食べ歩き動画でも1000万をアベレージで叩き出す程に有名になった彼はやがて、
――Utube界の『最強』となった。
半年でサラリーマンの生涯年収の遥か数十倍の資金を獲得して、『世界で最も影響力のある人物』にもランクインした。
「フィリウス様、あちらにちょうどいい川があります。あそこで水切りをしましょう」
「へいへいお嬢の成すがままに」
街をぶらぶらと散策している時に見つけた川。川のせせらぎに耳を傾けて、ふとレイフォンス様が小石を拾う。
蒼髪を靡かせて、ふっ!と小石で水を切る。勿論、通常のそれとは訳が違うが。
フィリウス様の手から勢いよく放たれた小石は音を置き去りにした。
――水切り、何て陳腐な表現では留まらない。平衡に投げた小石は跳ねる事はなく、水着した瞬間に川の一帯もろともに蒸発してしまった。
「いい絵が取れましたわ。これで今年のベストUtuber賞は間違いなしです」
サングラスの奥で光る緑の瞳が空を仰ぐ。
ハル、今あなたは何をしていますか?わたくしは今、敏腕マネージャーとして頑張っています。きっと異世界から帰って来ても、一生養ってあげられる程のお金を手に入れました。
だから、早く帰って来てくださいね――。
何故だろうか。悠久の空が何時もより近く感じた。
―完―
「じゃないですわ!!!」
洒落た帽子とサングラスをその場で投げ捨てて、わたくしは本来の目的を思い出す。
「翌々考えると、朝も昼も夜も全部Utube関係のお仕事をしていますの……。こんなので、手掛かりが見つかる訳ないでしょう!!!」
既に自由や情報を手に入れる事が出来る土台は十分あるのに、Utube活動に専念しすぎて、すっかり元の目的を見失ってしまっていた。
さらりと流していた黒髪を纏め上げて、わたくしは今一度弟に会う決意を示す。
「とは言ってもよ、一応やることはやったぜ?動画でも情報を募ったし、金を積み調査も頼んだ。だが以前と『異世界』に関する話は出てこない」
「なら我々自ら探すしかないです」
「いやぁ……俺さんの体、今の生活気に入っちまって中々動こうとしないんだよ」
「知らないですわよ!?」
紅蓮の瞳を静かに据えて、頬を綻ばせているフィリウス様はどこか不思議な寂寥感を漂わせている。
「俺さんは最強だろ?だから、元の世界ではそうであること以外は許されなかった。でも、この世界では誰も最強を必要としてないし、俺の自然体を受け入れてくれる。それが嬉しくってよ」
「…………帰りたくない、ですの?」
「ん?いや、めっちゃ帰りたいが。というか早く帰らないと、妻から殺される」
「――なら、悲しい雰囲気を漂わせないくださいまし!」
「はは、悪い悪い。お嬢は喜怒哀楽豊富で面白いから、ついな。――しかしあれだな、お前さん俺に惚れないのか?」
「…………はい?」
「いや、俺さんより強くてカッコイイ男いないぜ?」
実際、最近出版したフィリウス様の写真集はバカ売れしてる。男女問わず人気があって、その整い過ぎながらも鬼人の如く力強い容姿も、ここまで成功した理由だ。
確かにわたくしが見て来た殿方の中でも、容姿に関しては群を抜いている。それに性格も良い。
「ですが、わたくしの心は既に弟に預けています。ハルが帰ってこないと、わたくしの人生は始動しない」
「お嬢にそこまで言わせるとは、全く嫉妬するぜ」
「五月蝿いです。奥方様に言いつけますよ」
「それはまじで勘弁してほしい」
ともかく、一度Utubeチャンネルは休止して手掛かりを探すのに専念するべきだと。
そうして、その場を立ち去ろうとした二人だったが――、
「やはり、凄まじい力ですな。あらゆる血脈を有する最強の家系、儂も良く手を焼いたものです」
髪は加齢で白に染まって、皺の寄ったご老人。しかし傾斜が急な河川敷から降りて来るその足取りは軽く、年相応の体の不自由さを感じさせない。
「爺さんも、俺さんの事をどっかの本で読んだのか?」
「本、ですか?いいえ、そのようなものは特に」
「なら、そうだな……爺さん、もしかして元転移者とか?」
「流石の御慧眼ですな。儂の名は草薙健一。かれこれ50年ほど前に異世界に召喚された、今は朽ち果ててしまった老人ですじゃ」
どうやら、手掛かりは向こうからやって来たらしい。
こんなご老人まで届くとは、Utube恐るべしですわ。
◆◆
今から50年前。20歳の時に異世界転移した健一は先代の魔王を撃破して、無事に元の世界に戻される事になった
「ですが、儂はそれを望んでおらなんだ。異世界転移者の力は強大だからと、無理やり送還されたのです」
「酷いお話ですわ」
「それからというもの、儂はあの世界に行く方法を探し続けました。じゃが、スキルもステータスも失ってしまった一般人の身に何が出来ようか。ただあの大地に思いを馳せる日々。それでも、諦める事はなかった。大学で科学を学び、儂は研究者となって――右往左往50年、やっと完成したのが"これ"です」
言われるがまま健一様に付いて行ったわたくし達。電車を乗り継ぎして辿り着いた山奥――その地下には、広大な研究所があった。
ブルーのライトでやんわりと照らされる『地下の秘密基地』には、様々な実験道具が備わっている。その中でもひと際目に入る"それ"の前で、健一様は止まった。
「魔石加速器、と儂らはこれを呼んどります」
人が入れる程大きな水晶玉の中には、視認できる程強烈な電磁が駆けていて、その中心には極彩色に輝く『石』が浮遊している。
「こりゃあ又、最高級の魔石だな」
「儂が唯一握りしめていた、異世界からの土産です。現代科学と、異界の超絶不思議功鉱石。組み合わさって、これが出来た訳ですよ」
「ここにいる他の奴らは?」
「異世界などという、ふざけた儂の話を信じて力を貸してくれとる子達です。貴方様のファンらしいですから、握手でもしてやってください」
年齢は疎らな研究者たちだが、皆その瞳に少年のような輝きを宿しているように感じた。フィリウス様を見た途端、更にその輝きは増して大勢が詰め寄って来て大変だったが――ややあって。
「これで異世界との扉を開く事が出来ます。ですが、お一つだけ懸念点が。この加速器は、あくまで『扉』を開くだけで出口がないのです」
「それは、どういうことですの?」
「あちらの世界で扉を開いた場合、魔素が異空間に流れ始めます。魔素は言わば、道しるべのようなもの。それが無いと、迷子になってしまう」
「俺さんは道しるべを見なかったぞ?」
「そもそも『扉』に入る前でなければ、出口を設定する事は出来ない。貴方様がこの世界に来たのは、きっと過去に何度も扉が開いたことがあったからでしょう。――話が逸れましたが、つまりこういう事です」
――魔素の概念がないこの世界からはどうやっても、あちらの世界に行く事は出来ない。
「数万とある異世界で、何処に辿り着くか分からない。それが儂たちの研究成果です」
肩を落として、直面したくない現実に目を伏せようと思った。というか、以前のわたくしなら絶対にやっていただろう。
ですが、わたくしの横に居る殿方の顔が。紅蓮の瞳が全く淀みを孕んでいないのを見て、わたくしも又、緑葉を毅然と据えた。
「……ですが、そんな事を伝える為にわたくし達に接触したわけではない。そうですね?」
「おっ、初めて譲さんに先を越されたな」
フィリウス様が動じない限り可能性はある。それが半年で分かった、わたくしなりの指標だ。
最も唯一動じているのは彼が奥さんの話をした時だけな為、確証性はないのだが。
「ええ。可能性としては一つだけ。簡単な話、向こうの世界から『扉』を構成する異次元空間を覆い尽くす程の魔素が放出--つまり、"とんでもない威力の魔法"を誰かが使用すれば良いのです」
簡単な話、とは言ったがそれは実現性に関してではなく、あくまで過程の簡潔さに関して。
健一様がおっしゃっているのは、とどのつまり他力本願に過ぎない。
「ま、なら大丈夫だろ。俺さんがこんな所で終わる訳ないしな」
「その自信は美徳でもありますが、可能性とはして砂粒ほどのものかと存じます」
「俺さんの存在は、砂漠から砂粒を探すような作業よりもずっと『複雑』だ。――世界は俺という最強を中心に回っている。可能性は見出した、なら運命さんがこちらに来るのを後は待つだけさ」
説得力の欠片もない納得を、しかしフィリウス様の容姿は否定しない。彼は自身の信じる己に従って、この状況をさして難しくない『壁』だと言った。
わたくしには彼のような自身に対する絶対的な自信はない。そもそも異世界がどうたらの話をまだ理解しておらず、向こうの世界に居る『誰か』を頼ろうにも誰一人として知らないお方達だ。
でも、もし本当に向こうの世界に弟が――あの夢が本当で、わたくしの記憶の中の青年よりもずっと成長した勇者が居たのなら。
「――――わたくしはハルを信じます。待ちましょう、彼の勇気がこの地に届くまで」
「お嬢にそこまでの信頼を置かれる本当のハルに、俺さんもあいたいぜ」
これより二人は『待ち人』となった。加速した物語は一度休眠期間に入って、後の"その時"をただ待つ事となる。
――――そして一旦、風夏がこの場を去ったあと。
「……信じる力、ですか。儂もそれが在ったのなら」
「50年も頑張って、爺さんは元の世界の誰にあいたかったんだ?これでも俺さんは教養が深い。ここまで土台を揃えてくれたお礼に、分かる範囲なら答えるぞ」
「そうですね…………」
もう前の事過ぎて忘れてしまっているのか。それとも、未だ胸に抱えている想いが多すぎるのか。どちらにせよ健一は深く深く思考をして、唇が渇いてしまった頃に。
「アーテーという教団を知っていますか?あの頃、魔王と同等の脅威だった奴らに儂の知り合いも多く殺されてしまった。既にこの老躯には復讐の炎などやどっておりませぬが、叶うならこの手で解体して、知己達を弔ってやりたいのです」
「勿論知ってるぞ。俺が数年前に壊滅したしな」
「………………アーテーは、大陸中に信徒を抱える不滅の集団です。長が命を落としても、それに代わる者が出て来るゴキブリの如く生命力のある教団。所詮それは、貴方様が倒したのはその一角でしか――」
「ああ、違う違う。一人の残らずボコボコにして、完全に壊滅させてやった」
――年に一度、悪い奴らの大掃除!
10年ほど前から1月1日に開催されているこれは、フィリウス・ラリー・jrが存在するありとあらゆる悪を大掃除してしまう大イベントである。
おかげで、魔族以外に大きな組織的な敵は、最近めっきりと姿を隠してしまった。
どうやって無数に蔓延る悪を殲滅したのかは、一重に『スキル』の影響。
「俺さんはスキルを大小含めて1000と少し持ってるからな。基本どうにかなる」
どこまでも規格外。それがこの男だった。
これには、健一も顔を引き攣る事しか出来なかった。
「で、では、デルフィ神殿で神器の番人を務めている、炎龍ボルクニスは?あの龍に儂は計100回の戦いを繰り広げて――」
「今は俺さんの家でペットやってる。今頃妻の膝上で眠ってるぞ」
「そ、そうですか……。安心しました、良かったです。これでもうあの世界への悔いはない」
「爺さん、嘘下手過ぎだろ」
くしゃりと笑った健一に、思わずフィリウスは眉を顰める。
「50年。それはヒューマンの爺さんにとって人生の大半だ。その全てを賭けるに値する想いはしょーもない教団を倒したり、龍退治をする事じゃないだろ」
「…………馬鹿げた話です。それでもお聞きになりますか?」
「最強にとっては全てが馬鹿げていて小さな事だ」
「なるほど、ならば気兼ねなくお話しできます。――儂はずっと恋煩いに囚われてしまっとるのです。あの緑の妖精に出会った時からずっと」
異世界に召喚されて、勇者として各地を駆け回っていた健一は基本的に孤独だった。現地で仲間を募って、強敵に対峙する日々。
当時も今もそれが嫌だったわけではなく、一期一会の共闘は脳に深く焼き付いている。
どちからというと、健一にとって彼のエルフは厄介者だった。勇者としての強さを気に入ったのか知らないが、何処に行くにしても付き纏ってきて煩わしい事この上ない。
知恵族のエルフなのに、口が悪くて品もない。
「魔王を倒す前に会って以降、儂はあのエルフと再開できなんだ。――ですが、この世界に帰ってあの声が聞こえないことが妙に心地悪かったのです。別れの言葉を言えばよかった、感謝を伝えれば良かった。――何よりも、偽っていた自分の気持ちを吐露すれば良かったと。馬鹿げた話でしょう、この年になっても一人の女を想っているとは」
「俺さんは今の妻を手に入れる為に、12の試練を不眠不休で1ヵ月続けた」
「貴方様も相当に馬鹿げてらっしゃる。老人の戯言を聞いて頂きありがとうございます。深緑の髪、透き通る翠色の瞳。もしあの緑色のエルフに会う事が出来たのなら、よろしくとお伝えください」
「………………ぷは。ガハハハハハハ」
健一の言葉に、フィリウスは笑い転げた。品もなければ、敬意もない。
明らかに相手を馬鹿にしている最悪な笑い方だった。
「やはり、馬鹿げていたでしょう?」
「あー笑った笑った。いやいや、俺さんにとっては相当に馬鹿げた話だったぞ。――だって爺さんと同じこと言ってるエルフに俺さんもあった事があるからな」
随分と前に聞いた話で、話の途中では気付く事が出来なかった。だが、その深緑の髪と翠色の瞳で容姿が思い浮かび記憶と結びついた。
ウィール・オルレアン。同族なら誰もが知っている、最強の魔導士の名。
同じ『最強』の称号を有する者同士、何度もフィリウスは彼女と言葉を交わした事がある。そして珍しく酔っぱらった彼女はこう言っていた。
――今は何処かに居るのかも分からない一人の勇者をずっと探していると。
「私と同じことを……?」
「これ以上は言わないぞ。確かめたいなら、扉があいた時に一緒に来るといい」
ま、馬鹿らしい再会にはなるだろうけどなと、フィリウスはひとしきり笑ったのだった。




