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彼方の記憶

「やあ、ミコト久しぶりだね」


 多彩な欄間彫刻(らんまちょうこく)や飾金具によって装飾されている室内の奥。鬼気迫る表情の来訪者にも微動だにせず、座布団の上で老躯は茶を啜っている。

 白い髪に黒の瞳、その容姿は色とりどりなミコトとは似ても似つかない。


「なぜ悠長に座っている。妾が貴様と再びおうた時、始まるのは殺し合いだと他ならないその顔が言った筈だ」


 何時もの温厚なミコトとは違う。爛々と瞳を輝かせて、常に刀を抜けるように鞘に手を当てている。

 もし将軍に殺し合う気がないならこの場で行うのは、娘との対話であるべき。なのに、老躯の視線は俺の方に移った。


「そうか、君が……聞いていたよりも、ずっと平凡だ」


「俺、将軍さんと会った事あるっけ?」


「どうだろうか。ただ、私自身の記憶にはない」


 ほら、やっぱりミステリー系だ。ライアとはイリスとか、言葉の節々に靄をかけている典型的な奴。


「……妾を見ろ!どうして、どうしてなのだ……。なぜそうも昔から妾から目を逸らす!どうして、こんな眼を――!どれだけ……どれだけ苦しむ事になったか貴様に分かるか!?」


 悲憤が天使の衣を濡らし、暗い怒りが浮上する。

 俺にあの1年があったように、ミコトにも壮絶な過去があった。その内容も察する事も、ましてや同情する事も許されない彼だけの正当な怒りだ。


「知らないよ。だって私は、君の父親ではないのだから」


「…………は?」


 それは俺とミコト、どちらの驚愕だったか。ただ断言できるのは、それが親が子に言うべき言葉では決してなく、忌避すべき爆弾発言であると言う事。

 余りにも度し難く、それこそ即座に斬られても仕方のない発言。


 でも感情に任せてしまうと、それこそ負けだ。理由を問いただして、ちゃんと会話を――、


「そうか――分かった」


 俺と同じ考えで、ミコトも一度落ち着いたのだと一瞬だけそう思った。でも、違った。


「この眼を賭して、元凶(きさま)を討とう。――八龍殺し(スサノオ)


 止めようと思った。その刀が繰り出すより前に、剣で弾いてやろうと。

 だけど反応した頃には既に、閃光は空を切り裂き永久なる白で周囲を染めあげていた。その力を見たことが――いや、実際に使った事がある。

 

 以前、スキルポイントを100使用して、全身全霊の剣を邪神に放った時。その時の色と全く同じだった。

 いや、溜める必要がない事を考慮すると、技としての出来は確実に目の前のそれの方が上だった。


 将軍の体は光に呑み込まれて、赤い鮮血で白を上書きする。肉は勿論、骨まで断ち切られてしまっている老躯は重傷だった。

 微かに息をしているようだが、直ぐに息絶えるだろう。


「っがッ……」


 それほどの技を、ノータイムで使用したのだ。当然、反動はやって来る。

 武士の証でもある刀を手から零して、その黄金の瞳からは血涙が溢れ出していた。父を殺して涙しているのではなく、それは決別の証だった。


「…………」


 俺は何も言う事が出来なかった。誰かが悪いとか、そういう話じゃない。

 止められなかった第三者に、この光景に口出しをする権利はない。


 そして暫くの静寂の後、


「すまなかった」


 そう、死に体の将軍が零したのである。

 先ほどまでの感情が読み取れない表情とは違う、くしゃりと笑った老躯の謝罪に、ミコトの表情は文字通り爆発した。


「分からない、分からない……。なぜ、どうして!?あれ程苦しませて、さっき突き放したにも関わらず、どうして娘を見守る父の顔(そんなかお)を浮かべられる!!!」


「本当に、本当に君には悪かったと思っている。だけど、これが必要だった。――これこそが、望むべき未来に向かう為のシナリオだ」


「何を……何を言ってーー」


「全てはあの鎖国した日に始まった。今日まで1年と少し。やっと、"その時"が訪れた。――カグラ・ハル、君こそが『エンドポイント』だ」


 ミコトは言っている意味が分からずに、ただ困惑した。それは突然名指しされて、聞いた事の無い単語で呼ばれた俺も同様だった。


「鎖国は解かれる。私がずっと隠し続けていた秘密が露になる。終わりの時は、近い――」


 言いたい事だけを告げて、そのままこくりと。命が途切れる音と共に、将軍はぴくりとも動かなくなった。

 その何も分からないままの『終わり』を、ミコトは当然納得できない。既に事切れているというのに、何度も将軍を揺さぶって真意を問おうとした。


 宿主が失った血だけが、儚くミコトの膝を染め上げる。もう二度と帰って来ることの無い父の言葉に、ただ徒労感が募ったようにそのまま膝を付いた。


 ―ガキン。


 その時、一瞬だけ。鎖が千切れてしまったような音がした。


「…………ぁ――」


 そんな気のせいだとも納得できる幻の音に、ミコトは俯いていた顔をあげた。悲しみと怒りの二色に塗りたくられていた筈の表情が一気に変容する。

 口を開けて、どこか遠くの記憶を思い出す虚ろな瞳で。


「ぁ……あああ。そうだった、思い出したーー全部思い出したッ!」


「何か分かったのか?」


 以前、俺は記憶を失った事があった。同じようにミコトの記憶には制限がかけられていて、何か思い出したのだろうか。


「分かった、全部分かった。どうしてこの国が鎖国していたのか、妾がどうして()()()()()()()()()()()()()()()


「ちょ、待てよ。本当に、ミコトは将軍の娘じゃないって事か?」


「語るには余りに多すぎる。――それに、"あの王"が妾の存在に気付いた。今すぐにでも、行かなければならない」


 何もかもを思い出した。と言う割には焦燥感に駆られて、明確な焦りを見せている。

 ただ黄金の瞳は、より一層に――いや。


「オッドアイじゃなくなってる?」


 片方は桜色だった瞳が、黄金に浸食されて左右対称な双眸を輝かせている。疑問は募るばかりで、俺だけがおいてけぼりな状況。


「やがてすべて分かる。だが今はーー」


 俺の疑問には一切答える事無く、ミコトが採った行動は虚空を切り裂く事だった。

 何十層の振動が鳴り響き、転移の狭間が出現する。いつもと違うのは、狭間が『吸引力』を持っているという事。


 台風に呑み込まれるみたいに、俺の体は徐々に吸い込まれていく。


 何も分からない。まぁ、分からないものは分からないのだから仕方ないとして。


「約束の剣、寄こせよなぁあああああああ!」


 唯一の報酬も無いとは、全く馬鹿げている。俺は勇者でも便利屋でもなく、貧乏冒険者だぞ。

 ふざけるなと、追い縋ろうとする俺の意思に反して、意識はぐるぐると吸い込まれてしまった。


●●


 同時期、『武勇祭』の三日目が行われている王都。その離れ、常時であっても人っ子一人訪れないような掘っ立て小屋で。


「魔王さまぁ。そろそろ、件の勇者とフィリウスの試合が始まりますよ~?」


 フードの中から狂猛を輝かせる闇の住人は、帝王である漆黒のロングコートに話しかける。


「………………」


 しかし、頬杖を付いて紫紺の知恵を輝かせる帝王――魔王ヴェスタは反応を見せない。


「あらあら。珍しいですねぇ、魔王様が考え事なんて」


「……思い出した。フハハハハ、やってくれおるわ。まさか、我が権能を貫くために、国を盾にするとは」


 魔王は笑った。それは賞賛の証でもあった。

 そして又、魔王は嗤った。その愚かで無駄な足掻きが、今から無意味になるのだから。


「これより、"あの男"を殺しにいく。その余興を以て、終末(エンディングロール)を奏でるとしよう」


「何だか分からないですけどぉ、勇者ハルを殺すのかしらぁ?」


「違うな。あの青年がエンドポイントならば、万全を期しなければならぬ。よって、今から殺すのは――」

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