俺、これが終わったら将軍の婿になるんだ
「では、再び轟鉄城に赴くとしよう」
ミコトの転移ではどこに飛ぶのか選択する事は出来ないので、ここは無難に歩いて行った方が良いだろう。
砂浜、森と乗り越えて、堂々と聳え立つ石の城に向かって行く。
「お主、確か剣が欲しいと言っていたな」
「ああ。見ての通り、これは鈍らでさ」
「それを鈍らと言うのなら、城にある剣や刀もお目に敵わないと思う」
「ん?どういうことだ?」
まるで、今ハルが持っている剣が技物であるかのような言いぐさに思わず首を傾げる。
「お主、どれだけその剣を修復した?」
「10回以上はしてる筈だ」
どっかの武器屋で買ったこの10,000ゴールドの剣は、ハルが異世界転移初期から使っている代物だ。一人でのダンジョン探索や冒険で、攻守共に擦り減って何度も修復している。
さっきも、ミコトに研いでもらったばかりだった。
「確かに切れ味は凡庸だ。一部は錆びつき、刃こぼれもしている。しかし、妾が研いだだけでも息を吹き返した。間違いない、これは『不滅金属』で出てきている」
それは超合金属よりも遥かに弱い金属だが、決して折れる事の無い不滅の剣。その希少性故に、Sランク冒険者でも手に入れる事が出来ないと、ハルは耳にしたことがある。
「え?これそんなにいい剣なの?」
「普通の剣は、それ程の修復に至るまでに必ず折れる。素人では見分けを付けるのも困難故、運よくお主が入手出来たのであろう」
「そうなのか。――でも、もういらないや。カッコイイのが欲しいし」
「そういうものなのか?」
「そういうもんだ」
これがとんでもない金のなる原石だと知れたのは、ハルにとって僥倖だった。
不滅か何だか知らないが、帰ったらレギオに渡して競売にでも出して貰う事をハルは決意する。
「あとどれくらいだ?」
「この先に小さな湖がある。そこから、道なりに沿うと直ぐだ」
なるほど。つまり、俺がミコトと結婚する時も近いと言う事かと。
現在絶賛頭の茹で上がっている黒い瞳は、ただその未来だけを覗いている。深緑の中でも見失う事の無い、ピンク色の天使にハルはぞっこんだった。
やがて森を抜けると、二人は見渡しの良い湖に出る。将来はこんな静かな場所で家族を築きたいものだと、ハルが心中で吐露するが、
「よっ、兄さん達。遅かったじゃあないの」
自然とは程遠い『理不尽』が、ほとりの切り株に腰を下ろしていた。酒瓶を片手に、やはりキモノの着こなしが見るに堪えないのは、紛れもない一将ユキシロだった。
「お前さんも飲むかい?今度は、ちゃんと替えを持って来た。間違っても逃がさないように、な」
「ありがたいけど、俺は未成年だ。この国ではどうか知らないが、少なくとも俺の世界ではな」
「……兄さん、あれだけあっしにやられたっちゅうのに、全く恐れを抱いちゃいないのな」
「恐ろしさとか、そんなの『絶望』に比べれば何ですかって感じだ」
「やっぱり、あっしは兄さんの事を好きになれそうにないぜよ」
「奇遇だな」
ハルとユキシロは暫し冗談を言い合って微笑する。その直後、
「今度は弱さを認めさせる」
「今度は倒す」
低く二人が唸って、直後衝突する。
基礎能力が戻った今、ハルがスピードに付いていけない事はない。
師匠に習った『流れ』は所詮付け焼刃に過ぎないが、力だけの焦点を当てた場合、ユキシロよりもハルの方が数百も上手だ。
仮にそれが1.1倍の成長だったとしても。
「――この2日間で変わったな、兄さん。技で流せそうじゃないぜよ」
それは1単位での流れを操る技の極人にとっての十分な脅威と成る。
「負けて、敗北の酒でも味わんだなッ!」
(技だけじゃない。この兄さん、動きまで変わってやがる)
迷いがなくなった――いや、何か推進力を得たような動きの変化に、ユキシロの眉が上がる。
さっき望遠鏡で見たアホ面は、こちらの油断を誘う為の演技だったのかと勘繰った。
一方。
「俺は俺の未来の為にお前という道を切り開く!!!(意訳:俺、これが終わったら将軍の婿になるんだ)」
「お主この戦いにそれほどまでの覚悟を――!」
ハルの脳裏に過るのは愛だった。普通にそれ以外が考えられる程には、大馬鹿になっていた。
時折上がる口角は決して強者との再会に心躍っているのではなく、普通にやましい事を考えているからである。
そんな愛の使途と化したハルではあったが、女の為に戦う男児が強いのは万国共通である。
授かった『流れ』の扱いを差し引いても、ハルの動きは断然良くなっていた。
しかし、攻め切る事が出来ない。あくまで、ハルは一将と同じ土俵に立てただけなのだ。
そして『力』と『技』の停滞は、後者が徐々に追いあがってくるのが定石。
「どぉらぁ!!!」
「――見切ったぜ」
しばらく続いた均衡に鋭い一太刀。ユキシロの紅が閃く。
「がっ!」
「まだぜよ」
前に戦った時よりも苛烈な追撃、刀をまるで鞭のように変形自在に振り回して、ハルに付け込む隙を一切与えない。
「手は出すな!」
揺れ動いた桜色の瞳。ユキシロの全集中が黒髪の青年に向かっている今こそ、絶好の好機だとミコトは刀に手柄をやった。それを視界の端で捉えたハルは断固拒否して静止させる。
負けなければいい、そんなかつての考えよりも『漢の意地』が勝ったのである。
「ッツアァ!!!」
「……!大胆な行動をとりやがる」
銀の色が錯誤する視界の中、隙を作る為の思考を張り巡らせる事は難しい。ならこの体で隙を作るしかないと、ハルは自ら前に重心を傾けて掌を刀で貫かせる。
「渾身切り!!!」
間合いがなくなって、反撃手段を防いだ上で数少ない技の使用。閉じたハルの瞳が暫くの静寂の後、かっぴらく。
常人なら――いや優れた冒険者であっても、簡単に骨ごと綺麗な断面を露にするであろう剛力の一振りに、しかしユキシロは冷静だった。
「あっしが操るのは『流れ』ぜよ。決して、刀じゃあない」
戦いの際中も肌身離さず持っていた酒瓶を手に、ユキシロはハルの剣に対抗する。片方は世にも珍しい『不滅属性』を有する剣、対して地面に落とせばパリンと割れてしまうような瓶など笑止千万。
だが『技術』とは馬鹿げたことを実現する為の術である。
「なぁー!?」
ユキシロが手首を捻った事によって微かな『回転』を帯びた瓶は、ハルの剣をあらぬ方向に弾き飛ばす。
衝撃で足が浮いた青年の掌から刀を奪い返して、そのまま後方に蹴り飛ばした。
湖上で水切りのように何度もバウンドして、ハルは受け身を取る前に水の中に沈んでしまう。幸いな事に湖の底の浅く、寝そべった状態でも呼吸器官が塞がれる事はなかった。
「大丈夫か!?」
そんな醜態をさらすハルの元に、ミコトが飛んでくる。
大丈夫か、何て笑わせる。貫かれた掌はじんじんと痛いし、今の蹴りで肋骨が何本か折れてしまっていた。俺には相性が悪すぎるし、このままやっても結果は見えている。
と、そんな愚痴を心中で吐露しながらも、ハルに諦める気は毛頭ない。
だって目の前には天使が居る。愛に値し、愛を注ぐべき、女が居た。
カッコ悪いとこを見せてどうする。俺が行動しなくてどうする。
なら、ハルが立ち上がるのは任意ではなく必然だ。
「だい、じょうぶだ。少し油断した」
「ここは一旦退こう。心配はいらない、妾がお主を逃がすだけだ」
「いや、俺は戦う」
「もしやりきれなさを嘆いているのなら、師である妾が謝ろう。想定していたよりもずっと、ユキシロの技術は卓越していた」
それでも、ハルは逃げる意思を示さない。証拠に、ミコトがどれだけ言葉をかけても桜色の瞳に映る事はなかった。
わかった、と将軍の娘――一介の武士として理解する。譲れない意地を超える『何か』があるのなら、傍観者足るこの身は見守るだけだ。
「……分かった。しかし少しばかり助力させて貰う」
ミコトは甲冑を外して、布一枚となった身にハルを引き寄せる。昔から、他のヒューマンと比べて彼女の平均体温は暖かい。
それが偶々か、果たして心で滾る情熱の熱さかはさておいて。
(ンンン?????)
熱く抱擁されるハルの脳内は爆発していた。何が起こったのか、という基礎的な思考能力まで侵されてしまっている今の状態は、さしずめ蠍の猛毒を被った瀕死の蛙のようだった。
濡れた体では血肉が正常に回っていかないだろうから、少しでも温めてあげる。そんなミコトの意図とは反して、昂り過ぎたハルの血肉は沸騰寸前だ。
もうこれで終わっていいや。皆様、今までありがとうございました。
濡れた体で天使に抱きしめられるその一枚絵に、物語のラスト頁を見たハルにとってここは終点だった。
そんな何処かフワフワとした感慨に耽っていると。
――――――ん?
現実に大きく引き戻される『違和感』が五臓六腑を駆け巡る。
今、ハルはミコトに抱きしめられている。ならば当然、布越しではあるが彼女の柔肌が押し当てられている筈だ。
その体は武士らしからぬ、女性としての線の細さに違いはない。胸はリアと同じように、絶望的なまでに平らではあるが、それも今は良しとしよう。
なら下の"それ"は何だ?何故ある筈もない"それ"が其処にある?
どうして性別を定義する『矛』が股座に付いている?
「………………ミコト、お前温泉には行った事があるか?」
「何事だ急に。威国では武士の家系以外は風呂を有する事が許されていない。だが、妾も皆と同じように、行く事はある」
「その時、男湯と女湯、どちらに入る」
「――?何か意図があるなら妾には図る事が出来ていない。そのままの意味で解釈して答えるのならば、勿論『男湯』だ」
「お前って、男なの?」
「そうだが」
「そうなの?」
「おうとも」
風が吹いた。
さっきよりもずっと、ハルの体温は冷たかった。




