箸休め
俺と邪神の最後の一撃の余波は、ラベル島に眠っている莫大な魔力の源を消し飛ばしてしまった。
故に、3日目に大量出現する予定だったメタリン襲撃はなくなって、自由なバカンスの時間が冒険者達には与えられたのだ。
最近は冒険続きで、心身ともに疲労してしまっていた。
久しぶりにこんな日もいいだろうと、今俺はビーチで陽光を浴びながら寝そべってる。
ライアとリアは、ここにはいない。偶には一人で静寂の時間を謳歌するのも必要だ。
それに糞勇者共と鉢合わない為に、島の反対側までわざわざ来たわけで。
ビーチには疎らにしか人がおらず、何時も騒がしいホームタウンの冒険都市とは真逆のこの空間に浸るとしよう。
「――起きて下さいまし」
温かな自然にウトウトしていると、突然現実に引き戻される。しかし、今は誰とも話したくない気分なので、このまま無視を決め込むとしよう。
「今、瞼が動きましたわね。わたくしの目は誤魔化せませんわよ?」
「……うるさいなぁ。一体、誰が――」
目を開けて、直後に俺は硬直する。その人物が、余りにも想定外だったからだ。
確かに、その声にはよく聞き覚えがあった。上品な喋り方に相応しい、よく透き通る声は、聞き間違う筈もない。
なのに、目を開ける前に分からなかったのは、彼女がここに居る可能性を一切排除していたから。
そもそも、"この世界"に居る筈もない人物なのだから――、
「姉さん?」
確かに足元に影を落とす、虚栄ではないその姿に目を丸くした。
●●
時は数時間前に遡る。
事の発端は、ライアの一言だった。
―流石にハルは変わり過ぎじゃないのか、と。
勿論、人とは成長して変わっていく存在である。
しかし、ハルのここ1年の変化は明らかに悪い方向が顕著だった。勿論、捻くれた事で得られた強さもあるだろうが。
それでも記憶を失う前の彼をこの目で見たライアは、少しでも以前の純粋さを取り戻させようと考えて、それに同意したのがリアだった。
「一度変わった奴を戻すのは難しいが、どうするよ」
「記憶を失う前――前の世界で過ごして来たハルは純粋だった。なら、その思い出を刺激するのが一番だろうね」
「とは言っても、この世界に住んでる私達にどうにもできねぇだろ」
あちらの世界でのハルを知ってるのは、あちらの世界の住人だけ。
ライアの瞳を以てしても、過去を覗く事が出来ない。
「勇者パーティーの人達に聞けば、あるいはだね」
同じく束の間の休日を楽しんでいた勇者パーティーの元へ、ライアとリアは訪れて、そして『成果』を得た。
イリス曰く、ハルには姉が居ると。黒髪に優しい緑の瞳、上品な喋り方が特徴の弟想いな人だと、人物像まで教えて貰った。
「背丈は私とほぼ同じだし、変身スキルで……と思ったが、見たことないならどうしようもないな」
「見せてあげるよ。ほい」
イリスがリアの頭に手を乗せる。
瞬間、リアの脳内にはハルの姉の姿が鮮明に映し出された。
これでリアは変身可能になったが――、
「てめぇ、どうしてハルの姉を知ってやがる。勇者である以上、あっちの世界の人間なんだろうが接点があったのか?
「さぁ」
「はっ、てめぇもチビと同じ性質かよ」
「僕の事をチビ呼ばわりしたのは置いておくとして、聞く限りでは姉君の性格はリアと似ても似つかないようだけど……」
「はっ、舐めるなよ。――わたくしがどれだけ自分の事を偽って来たか、教えて差し上げますわ」
「ほぅ」
光の粒子を纏って、瞬時にリアはハルの姉――神楽風夏へと成り代わったのであった。
●●
「姉さん?」
「わたくし以外に他に居ると思いまして?」
「いや、そうじゃなくて……どうして姉さんがここに」
「そんな事、どうでもいいじゃありませんの。今は疑念を捨てて、語り合いましょう」
はんなり笑う姉さんの笑顔も、記憶にあるそれとは違わない。
なるほど。どうやら、俺は夢を見ているらしい。
頬を引っ叩いて、現実に戻ってもいいが……。
「そうだね。俺も話したい事が沢山あった」
今だけはその夢に追い縋る事にした。俺だって、家族を懐かしむ位の感情を持っているからな。
「では少し、海辺を歩きましょうか」
「…………」
「どうしたのですの?」
「いや、手は繋がないのかなって……」
「んん!?」
「いや、姉さんは何時も俺の手を引っ張ってくれたからさ」
「ああ、そうでしたの!てっきり忘れていましたわ!久々に再開ですから!!!」
「なら、仕方ないね」
きっと、無意識に補正をかけているのだろう。だから夢の中なのに、姉さんが意表を突くような行動をする。
久しぶりの姉さんの手は、ただ優しかった。
でも何故だろうか、少し汗ばんでる。姉さんは多汗症じゃなかった筈だが……今日は暑いからか。
「父さんと母さんは元気?」
「元気ですわよ」
「良かった良かった。俺が居なくなって、悲しんでる?」
「それは――」
「ああ、やっぱりいいや。帰れるかも分からないのに、こんな事聞いても意味がないよね」
きっと優しい父さんと母さんは、俺の事を心配に想ってくれている。
真実ではない夢の中といっても、聞いてしまうとこっちも寂しく思ってしまう。勿論、何時か又会えるのなら、その限りではないが……。
「ハルは帰りたいですの?」
「うーん。どうかな」
「顔を見てれば分かります。ハルはこの世界ですっごく辛い思いをした筈です」
「やっぱりわかる?」
「わたくしは貴方の姉ですもの」
「……そうだね。凄く大変だったよ」
空と海が交わる地平線を眺めながら、俺は思い返す。
遂数か月前までは、こうやって自然を感じる余裕もなく、ただ生きるのに必死だった。
何度骨が折れて、血を流したのかも分からない。街を歩くたびに無能と罵られて、俺は孤独な1年を送って来た。
今では夢にまで見た異世界が、糞ったれと思う程に。
小数点以下の比率ではないと表せないほど、辛い経験の方が多かった。
「無理して戦う必要はありませんわよ。ハルが逃げたいのなら、今の全てを放り出してもいい」
「それは無理だよ。怖いアマゾネスがそれを許しちゃくれない」
「――きっとそのアマゾネスも、最初は怒るかもしれないですけど、いずれ納得するでしょう」
「……そうだね、案外あいつは優しいし――ってどうして姉さんが照れてるの?」
「な、何でもないですわ!」
確かに今の力があったら、俺は何処でも生きていける。
冒険者何か辞めて、勇者パーティーの奴らの事何か全部忘れて……所謂、異世界スローライフを送るのも、きっと許して貰える。
だが、それ以上に。
「姉さん、俺は今が楽しいよ。少ないけど仲間が居て、俺みたいな弱っちい奴が信頼されてる。――心配しないでよ、姉さん。俺は今の俺が大好きだから」
夢でもいい。
一度でいいから、俺は強くなったよと姉さんに言ってみたかった。
どうやら効き目は抜群だった様で、あの姉さんが目を丸くしてる。
「良かった、ですわーー本当にありがとう」
「うわっ!?急に抱き着かないでよ!」
「わたしなりの感謝の証ですの。黙って受け取りなさい」
優しい温もりに包まれて、ふと俺は違和感に気付く。
緑の瞳に黒髪、その身長も姉さんと違わない。なのに――、
「姉さん、胸が小さく――って、いったぁあああ!!!」
強烈な拳骨が、俺の頭に振り落とされる。
夢の中の姉さんは、何だか凶暴だった。




