英雄の一幕
「おい、あいつ無能勇者じゃないか?」
この場に居る大勢のベテラン冒険者にとって、弱者は気にするにも値しない。
しかし今彼らは、一人で戦い続けている青年が、その二つ名を冠する冒険者だと気付いた。それは同時に、無能の烙印の剝奪だった。
「そうさ。彼は遂数か月前まで、何も出来ない弱い人間だった」
吟遊詩人のように語り始めるのは、突如現れた金髪の美少年だった。
「だが今、彼はここにいる誰も倒すどころか、前に立つことさえ許されない敵に単独で立ち向かい、それを打破しようと奮闘している」
徐々に、一手一手とハルは駒を進めている。
事実、常に距離を意識している筈のハーゼリスが、己と相手との距離を見誤り始めていた。
「燕返し!」
真正面から魔法を切り捨てて、そのまま地を蹴って斬り返す。
「っ~~~~~!小僧如きがァ!」
そして初めて、その白い肌に傷を付けた。
対話を望むはずのハーゼリスは徐々に口数を少なくして……すなわち、言葉に魔力を乗せる『強さ」が減衰している証でもある。
「今一度、彼の事を認識するといい。名はハル、性はカグラ。――これから魔王討伐の一端を担うであろう、稀代の英雄さ」
誰よりもハルを買っているライアは、少し誇張しながらも忌憚のない意見を告げたのだった。
●●
「英雄って、俺はそんな柄じゃないが」
ライアの一言で、野郎どもの声援が飛び交い始める。
だが少しも力の足しにならないし、この『後少し』を埋める事は出来ない。
というのも、やはり邪神というべきか。距離を縮める程、可能性が生まれるのは違いないが、逆に大魔法を至近距離で被るリスクを負う事になる。
使い物にならない左腕もあってか、そのあとちょっとが久遠に感じた。
「おいフライデー、この左腕治せないのか?」
「多少時間がかかります、得策ではないかと」
「なら、どうにかしてくれよ!」
「貴方には今、143のスキルポイントがあります。勝機は多分に。ですが、ここも『通過点』なのは忘れない方がいい」
「温存しとけって事か……断る」
其処まで先の未来を視る余裕は、今の俺にはなかった。
それに手を抜いて勝てる程、楽な相手ではない。
「――おい、ライア!少し、頼めるか?」
と、そこで。俺は妙案を思い付く。
「援護が必要かい?しかし僕の力では、邪神に対する力添えにはならない」
そう言って静かに片目をライアは瞑った。元より、ミステリー美少年の力はあてにしてない。
「お前の目で、転がってる冒険者達を強制的に動かす事は出来るか?」
「ああ、可能だけど……でも所詮は強制の力。彼らは実力の10分の1も出す事は出来ないけど」
「"それでいい"。おいお前ら、俺の為に働け。そして、盾に成れ」
少し位は役に立てと、地面に這いつくばる事しか出来ない冒険者達を嘲る。
「ふざけんな!俺達を殺す気か!」
「俺は、自分と自分の大切な人以外は、割とどうでもいいと思ってる」
「畜生が!」
「どうやら、完全に記憶は戻ってるみたいだね……分かった」
ライアの金瞳が悠然と輝き、命令する。
それは所詮は、強制の力。ここにいるベテランの冒険者達なら、拒否する事も出来ただろう。
しかし、その目に魅了された――いや、"魅了されてやった"彼らは動き始める。
「お前、邪神と対話はしないと言った筈だ――!」
「していないさ?」
一瞬、ライアの瞳が変わった気がする。
と、それよりも。冒険者達が肉壁になっている間に、俺はやるべき事があった。
「100ポイントだ。その全てを、この鈍らに賭ける」
「なるほど。貴方らしい、確実な決着だ。しかし、多少時間が掛かります」
「聞いてたか、お前ら。俺の為に道を開けやがれ」
「覚えてやがれよ、無能勇者が!」
「はっはっは。お前最低だぜ、ハル」
ヒューマンが、エルフの青年が。皆が文句を垂れ流しながらも、邪神に盾突く。
「素数を数えて下さい。100まで達したとき、変換は完了する」
「素数だな分かった。――素数って何だ?」
聞いた事はある気がするが、良く分からない。
というか、この最終局面で回るほどの頭を俺は持っていなかった。偶数と奇数の親戚か何かだろうか。
「2以上の自然数で、正の約数が1と自分自身のみの、割り切れない数字ですよ!」
「えーっと。じゃあ、2,3,5、7、9……いや、9は違うか」
「「おせぇ!」」
幾人かの冒険者達の悲鳴があがる。
「いい。お前らが再び無意味な対話を望むなら、邪神は先に駆逐する。全く以て、理解不能だ!!!」
力強く、邪神が瞼をかっぴらく。
生じた竜巻が冒険者を吹っ飛ばし、落雷が四肢を穿つ。隆起した地面は均衡を奪って、天変地異が繰り広げられる。
「43,47、53……」
さっき、俺は知らない『他』をどうでもいいと切り捨てたが、それは選択を迫られた時の話。
救える余地が救うならするし、今だって本当に彼らが死にそうになったら、きっと素数を数えるのを辞めて助けにいく。
それをしないのは、彼等冒険者達が10分の1の状態にあっても、培って来た精神力で耐えているから。
そして赤髪の男が一人、戦場を自由に駆けまわっていたからである。
「さっきのやり返しだッ!オレの拳で砕けいや」
武蔵、皆からはタケと愛称で呼ばれている筋肉武人が、拳で魔法を打ち砕く。
そういえば、先ほどまで彼はこの場に居なかった。恐らく何処かで危機を伺っていたのだろう、その耳栓は邪神の声に対する対抗策だ。
タケに限らず、能力を制限されているアオイとイリスも奮闘している。
あいつらとは共闘しているつもりも、これが終わって仲直りするつもりもない。言うならば、俺はあの糞共を使ってやってる。
……あいつらごと吹き飛ばすのも、悪くないな。
「83、89……91は違うか。7で割り切れるもんな」
「「学習するな!」」
「おーっと、悪い悪い。97……あ、これで終わりか」
「変換が完了しました。それでは」
勇気の光とは違う、純粋な力が濃縮して剣が色を纏った。
敵を焼き払う灼熱の赤でも、斬り裂く風の緑でもない。一点の淀みもない白、どんな色の中にあっても存在感を失わない『永久の白光』だ。
だらりと垂れる左腕、折角、史上最高の一振りを持っているのに、俺の姿は余りにも不格好だった。
「…………邪神は――私は何時しか、対話を望むようになった。私にとっての対話とは闘争、命を削り合う死合だ。そうする事で、『答え』が手に入ると信じていた。だが終ぞ、私と対話できる者は現れなかった。――お前は、どうだ?どうなんだ?」
「言葉が必要か?」
「――いや、いい。ハーゼリス・ヴァリエ」
「ハルだ。名字はカグラだが、あんまり好きじゃない」
何時の間にか、冒険者達は左右にはけていた。互いの視線の直線上には、ただ倒すべき敵が一人。
今まで戦闘中、散々会話をして来た互いだったが、この瞬間だけは息も顰めていた。
黒き邪神の全力と、白き剣が今、交差する――。




