偶然の出会い。
「久しぶりだね」
えぇ、そうね。
「最近全然会わないね」
だってあなたを避けているもの。
二つ年上の幼馴染みである、あなたの婚約が決まってから、ずっと。
学園へ向かう馬車は時間をずらして。
すれちがいそうな廊下はすべて避けて。
ランチは誰もいない温室へ逃げて。
そうしてやっと心の平穏を保っていたのに、ダンスパーティーでばったり会ってしまった。
このパーティーはデヴュタントを済ませたけど、まだ物馴れない若者のため、予行練習と親睦を兼ねて学園主催で開かれたもの。
だから一人で参加している者も多いし、雰囲気もゆるい。私も会場で友人たちと落ち合い、何気ない会話で楽しみ……ふと振り向いたらあなたが立っていた。
隣に美しい女性を連れて。
「紹介するよ。僕の婚約者だ」
彼女は彼より一つ年上だと聞いた。
私の入学と入れ違いで卒業しているから、顔を見たのは初めてだ。
彼の紹介で二人、名乗り合い愛想笑い。
すぐ直後、彼女がふと気付いたような表情を作る。
「あなたのパートナーはどちらにいらっしゃるの?」
「え?」
「まさかお一人ではありませんよね。ぜひ、ごあいさつをさせて頂きたいわ」
「あいさつ?」
「えぇ。あなたのことを日頃から彼が本当の妹のように思ってると聞かされているのよ」
「そうですか…」
「ならば私にとっても妹だわ。妹の友人に失礼のないようにしないと」
意地悪な人。
この一瞬で私の思いや立場、彼の気持ちが誰に向いてるのか、正しく把握して、放つ毒矢。
それに私は射貫かれて立ちすくむ。
「君は本当にやさしいなぁ」
彼は目を細めて彼女を見つめる。この険悪な空気に気付かないなんて、おめでたい人。
二人は見せつけるように目の前でいちゃつく。
私は歪みそうになるくちびるを引き結び、笑った。
涙だけは絶対に出さない。
選ばれなかったみじめさを突きつけないで。
逃げ出すこともできず立つ私の肩に、誰かがそっと触れた。
「悪い、待たせた」
「えっ?」
「古い友人につかまってさ。さみしかったか?」
私の隣に長身の男性が立っていた。
肩より長い赤髪をゆるく一つに結び、少し身を屈めて私に微笑んでいる。
彫刻師が心血注いで作り上げた芸術品のように整った顔。
その表情は柔和で、琥珀色の瞳は私を愛おしげにとらえていた。
「もう私の話は終わったから、ここからは君と離れないで済むよ。……そちらは?」
男性は笑顔を崩さぬまま、彼らを見る。
突然現れた美形に二人は瞠目して固まった。
「友人かい?」
「え、と……」
戸惑い震えている私の手を一瞬強く握り、彼らに気付かれないよう、琥珀の瞳でウインク一つ。
私はかすれ声を振り絞る。
「知人、です」
「そうか、彼女の相手をしてくれてありがとう」
「あ、いいえ……」
笑みを向けられた彼女は頬を赤らめて男性を見つめた。
そんな婚約者を見て彼はしかめっ面をするが、彼女は気にせず男性へ上目遣いですり寄る。
「あの、初めてお会いしますけれど、お名前をうかがっても?」
「すまないね。今日は事情があって名乗れないんだ」
「そうなんですの? よろしければ少しご一緒しませんか?」
「遠慮しておくよ」
色を含んだ目でしなだれかかりかけた彼女を、男性は一蹴した。
「興味のない女性と親しくして、最愛の人に誤解されたくないからね」
「えっ」
「君らと話すより、愛しい彼女との時間を作りたい。さぁ、バルコニーへ行こう」
男性は私の手からシャンパングラスを抜き取り、給仕から新しいグラスを二つ受け取る。
「あの…」
「星を見ながら聞いてほしいことがあるんだ」
君だけに。
まるで彼らに見せつけるよう、顔を寄せて囁かれ、私は真っ赤になった。
バルコニーに出ると、夜風が庭園を静かに吹き抜けていく。
「寒くないか?」
「中が暑かったので、気持ちがいいです。あの、ありがとうございました」
頭を下げたら、くすりと笑われた。
「余計なことかなと思ったんだけど、君が嫌な目に遭っているように見えたから」
「助かりました。お恥ずかしいことですが、物馴れなくてうまく対応できず……」
あれくらいの当てこすりをさばけないようでは、これからの社交に差し障る。
対応の仕方は淑女教育で習っていたが、実際の場面に遭遇すると震えてしまった。
きっと彼女からしたら追いつめやすい獲物だっただろう。
デヴューしたてで、失恋に揺れていて、いたぶるポイントがたっぷりあった。
あそこで完全にマウントを取られていたら、今後も同じように絡まれる。
その空気は他の人にも伝わり、私の立場が弱くなってしまう。
ここで阻止できてよかった。
「本当に…ありがとうございます」
「女の戦いは大変だろう」
「いえ、勉強になりました。今後に活かしたいと思います」
「生真面目だなぁ」
彼はバルコニーの手すりにグラスを置いて上着を脱ぎ、私の肩に羽織らせた。
「やはり女性には少し風が冷たいかな」
「ありがとうございます」
「パートナーは本当にいない?」
「はい、恥ずかしながら」
「別に恥ずかしくないよ、そういうパーティーだし、私も一人だ」
「そうなんですか?」
こんな素敵な人が一人なんて、さぞかしお誘いが多かっただろう。
そう言えば、大きなため息と苦笑が返る。
「私は義理で顔を見せただけで…誰かと踊る気はない。君が良ければ…このまま私と一緒にいてくれないか?」
「私と、ですか?」
「うん、こうしているだけで声は掛けられないし、踊らなくて済む。先程も言ったけど、名乗れないのであまり目立ちたくないんだ」
本心からの言葉のようで、私でよければ…と頷いた。
バルコニーには小さなベンチがあり、私たちはパーティーが終わるまで、とりとめのない話を続ける。
切れない会話に笑い合っていたら、パーティーの終了を知らせる音楽が流れ始めた。
私たちは、はたと顔を見合わせ目を瞬く。
ほどほどのところで帰ろうと思っていたのに、結局最後までいてしまった。
男性も同じ考えだったようで、二人で苦笑する。
「今日は付き合わせてすまなかったね」
「いえ、とても楽しかったです」
「私もだ。家まで送るよ」
「未婚の男女が同じ馬車では…外聞が悪いです」
「侍女が一緒ならば問題ないだろう?」
「でも今日は侍女を連れずに来たので……」
「私の侍女がいる」
流れるような仕草で男性の馬車へエスコートされた。
乗り込む寸前、どこからか強い視線を感じ取る。
横目で確認したら、彼と彼女だった。
彼はなんだか難しそうな顔で、彼女は憎々し気に私を睨んでいる。
また足が震えそうになったけど、男性が視線から私を守るように背でかばってくれた。
「さて、君の家は…」
「ダウンズヴュー通りです」
「……ということはゴドウィン伯爵家かい?」
「はい。ご存知ですか?」
「お父上や先代と我が家はお付き合いがあるよ」
「まぁ、偶然ですね」
「うん……素晴らしい偶然だ」
男性は侍女に目配せした。侍女が馭者に行き先を伝え、馬車が静かに動き出す。
「今晩は気乗りしなかったけど、君と会って思いがけず楽しめた」
男性は車輪のカラカラという音をバックに私に微笑む。
「参加してよかったよ、ありがとう」
「はい、私も……ありがとうございます」
頷きながら、この時間が終わってしまうのが惜しいと思う。
それをうまく言葉にできなくて、無言になってしまったが、男性も何も言わない。
見上げれば、男性も私を見つめていた。
しばらくそのまま見つめ合う。
その状態が照れくさくて視線を外した。
沈黙が続いても居心地の悪さはなくて、それぞれに今日の名残を噛みしめているのだと分かる。
会話がないまま、馬車は我が家に到着した。
男性は玄関までエスコートしてくれる。
「やぁ、おかえり。パーティーは楽し、かった…かい……?」
玄関ホールで出迎えてくれた父親が私たちを見て絶句した。
確かに一人で出掛けたはずの娘が男性を連れて帰ってきたら驚くだろう。
あ、でも家同士の付き合いがあるってさっき聞いたから、変な誤解は受けずに済むかな?
「こんばんは、ゴドウィン伯爵」
男性が微笑むと、父親の背後に控えた侍女たちが頬を赤らめて目を潤ませた。
やっぱり彼の端正な顔は、女性受けするようだ。
しげしげと隣を見上げれば、彼はさらに甘く微笑んだので、私も真っ赤になる。
慌てて視線を外せば、私付きの侍女と目が合う。
侍女はとてもうれしそうに何度も頷いている。
なんだか大きな誤解を受けているようだ。
あとでちゃんと言い訳しなくちゃ…って考えて、男性と私の手が繋がったままなのに気付く。
「あ、失礼を」
「こちらこそ。ぶしつけにいつまでも握っていてすまない」
「いえ…」
繋いでいる状態があまりにも自然だった。
手を離しうつむく私の横に立ち、父親が男性に話しかける。
「あの、これは一体……」
「パーティーで知り合った。当家のご息女とは知らなかった。……偶然だ」
「さようでございますか。娘をお送り下さってありがとうございました。よろしければ上がってお茶でも…」
「いや、今日はもう遅いので遠慮しよう。明日にでもまた」
男性は私の手をそっと取り直し、キスをする。
「今日は楽しかった。おやすみ」
「おやすみなさいませ」
ドキドキしながら背を見送り、馬車が去る。
胸は高鳴ったままで、ついため息が零れた。
「はぁ〜」
私より大きなため息が聞こえて振り返れば、父親が肩を落としている。
「お父さま?」
「お前は彼がどこの方か知っているのか?」
「いいえ。家同士の付き合いがあるとは聞きましたが…」
「そうか…」
そこへ二階から母親が駆け下りて来た。
「あなた、今のはオランジュ公のご子息ではなくて?」
「そうだよ、まさかこうなるとはなぁ」
「ゆっくりお話を進めるなんて、抵抗するからですよ」
「けれどまだ早い…」
「偶然の出会いは運命というのですよ、逆らってはいけませんわ」
「まだ嫁に出したくない。……もう寝る」
「お待ちください、あなた。ご子息は明日とおっしゃっていたわ。正式な書状が来ますよっ。あの様子では、書状を持ってくるのは使者ではなくご本人だと思いますけどっ? 今のうちに対応を考えなくては」
「来た時に考える」
父親はとぼとぼと寝室へ引き上げ、母が興奮気味に後をついていく。
私はあっけにとられたまま、玄関ホールに取り残された。
「お嬢さま、お部屋へ」
「あ、そうね」
「お召し替えとお湯の用意はできております」
侍女たちに手を引かれ寝支度を整える。
「それにしてもさすがお嬢さまですわ。あんな素敵な男性に送られて帰ってくるなんて…」
「何も、ないわよ?」
「えぇ、とても紳士的なご様子でした。けれどお話がこんなトントンと進むなんて、奥さまの言う通りやはり運命ですわね」
「話が進む?」
首を傾げたら、侍女がどんぐり眼で私を見返す。
「お嬢さま、……オランジュ公に聞き覚えは?」
「ないわ」
「まぁ! ……お嬢さまが十六歳になるまでは、と旦那さまが徹底的に反対してこられたせいだわ」
「どういう意味?」
「明日、旦那さまからお聞き下さい。お嬢さまにはこれから家同士のことを色々勉強していただかなくては」
ため息をついて侍女が下がる。
私はふかふかのベッドに潜り込みながらオランジュ公、オランジュ公と呟いた。
たしか隣国の公爵位にオランジュという家があったはず。
隣国一の権勢を誇り、他国との交易も幅広く行っている有名な家系と本には書いてあった。
そこのご子息?
ううん、まさかね。
翌日、そのまさかのオランジュ家から結婚の申し込みがあることを今の私はまだ知らない。