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探偵と助手の日常  作者: 藤島紫
第1章 「本日のおやつは、さつま芋パイです」
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すぐ近く、片道1時間

「唐突ですね」

「妻は狙われているんです。実際にうちに来て、話を聞いていただけませんか」

「あの……俺がいるから話づらいんだったら……」


 自分がいるせいで岸が話しにくいとしたら紗川に申し訳ない。三枝は腰を浮かした。

 だが岸はそれを遮るように三枝に向かって手を下に下げる動きをした。

 ここにいて良い、と言っているのだろう。紗川も肯定しているようだ。

 ならばと三枝も首を縦に降り、坐り直す。岸は小さく息を吐いた。


「話しづらいとか……そういうことではないんです」

「どう言うことです?」

「妻本人にも会っていただきたい。その上で、聞いてほしい……そうでなければ、ただの惚気と紗川さんは笑うでしょうから」

「おや、昨夜は笑っていましたか?」

「酒が入っていましたからね」

「それは失礼致しました」

「お気になさらないでください。私が紗川さんの立場なら、惚気話と笑うでしょうからね」

「そう言っていただけるとありがたいです」


 岸は微笑みながらコーヒーを飲んだ。


「ああ、美味しいですね。こんなに美味しいコーヒーは飲んだことがありません」


 紗川も一口飲んで、それが新しい豆だと気づいたのだろう。ハンドドリップならもっとうまいと思っているに違いないが、客にそんな説明は不要だ。


「この近くのカフェで購入したビーンズです」

「今度買いに来ようかな。いくらでした?」

「100グラムで1400円ですね。マンデリンです。その場で焙煎してもらいました」

「コーヒー豆の相場は全くわからないんですが、驚くような値段じゃないですね」


 三枝は心の中で首を横に振った。


(高いですよ! 落ち着いて! スーパーとかで普通の値段見てから考えてください)


「妻がよく買う紅茶もそのくらいですよ」


 岸がパイにフォークをさす。パリっと軽やかな音を立てて表面が割れた。


(サクサクの食感をお楽しみください~って、そうじゃなくて。あああ~! この、金持ちめっ!)


 よく考えるまでもなく、投資家の集まりで知り合ったのなら、岸も金持ちなのだ。


(金持ちで、美人の奥さん……あー、その美人の奥さんがストーカーされてるのか。まあ心配にもなるかもなあ)


「こちらのコーヒーも美味しかったですが……妻の紅茶は美味しいと評判なんですよ。是非召し上がっていただきたい」


 もちろん、助手君もご一緒に、と言われ、三枝は戸惑って紗川を見た。


(紅茶がおいしいって……これは惚気じゃないのかなあ)







 三枝が食器を片付けている間に、紗川と岸の間で移動の話し合いが終わったらしい。

 先に出ます、といって岸は事務所を出た。岸の車が紗川の車の前に止まっているため、先に移動する必要がある。

 続いて事務所を出てビニール傘を開くと、川越の街並みがいつもよりも色濃く見えた。


「あ、先生、濡れますよ」


 鍵をかけている紗川が濡れないように傘を差しかける。だが少しばかり遅かったらしく、紗川のメガネに水滴が付いていた。


「すみません、気が利かなくて……」

「気にするな。車はすぐそこだ」


 革のキーケースで軽く頭をつつかれた。気を利かせようとしすぎるのもよくないことなのかもしれない。

 駐車場に回ると、向かいの路肩にミニクーパーが停車しているのがみえた。


「あ、岸さん」


 窓越しに手を振っている。

 三枝の声で分かったのだろう。紗川も軽く手を挙げて返事をした。この隙にと、三枝は急いで助手席側に回り込んだ。紗川も素早く乗り込むとエンジンをかける。手入れがいいおかげでエンジンはすぐに快活な音をたてた。


 このまますぐに発車するかと思われたが、紗川はサイドブレーキを下げたものに発信する気配がない。


「どうかしましたか?」


 ハンドルを握る紗川を見やる。どうやら路面に注目しているようだ。つられて路面を見るが、雨に濡れた路面には何も落ちていない。路面の汚れが水たまりにヌラヌラと光っているだけだ。


「先生、岸さん、発車しましたけど……何かありましたか?」

「なんでもない」


 行こう、と短く答えた紗川は、ようやくギアをチェンジさせた。


「もう、先生がのんびりしてるから、はぐれちゃったじゃないですか」


 紗川のシルビアと岸のミニクーパーの間には、すでに五台の車が入っていた。


「大丈夫だ、道は聞いてある」

「そうは言っても、この車にはカーナビないんですよ?」

「不安か?」

「心配にはならないんですか?」

「道を聞いてあるのに何が不安になる」

「それでもはじめていくところだし、間違えるかもしれないじゃないですか」

「迷うことはないさ。よく走っている道だからな」

「……わかりましたよ。見失わないようにしてくださいね!」


 と言ったところで車が静かに止まった。

 嫌な予感に三枝は前方を見る。

 赤信号の向こう側にミニクーパーは行ってしまったようだった。もうすでにどこにいるのか分からない。


「うわ……言ってるそばから……」

「失ったようだな。まあ、これだけ交通量のある国道を走っているのだからはぐれないほうが難しいか」

「えっ、ちょ。ちょっと待ってくださいよ!」


 ハンドルを指先でなぞり、笑う紗川の呑気な様子に、三枝は苛立ちを隠せない。


「岸さんの家を知ってるわけじゃないですよね」


 少なくとも、岸は事務所に初めて訪れた客だし、どう見ても互いの家を行き交うほど親しそうには見えない。


「住所は分かる」


 そう行って紗川は電源の入っていないタブレットを指差した。

 まさかと思いながら、恐る恐る尋ねてみる。


「岸さんの奥さんがやってるって言う……通販サイトですか?」

「そこに住所がある」


 絶望的な気持ちになりながら、三枝は頭を抱えた。


「もう……いい加減にカーナビ買ってくださいよ。お金ならあるんですし」

「フロントに物が乗るのがストレスになる。視界に余計な光を入れたくない」

「でも迷子になったらどうするんですか。国道沿いにあるわけじゃないんですよね、岸さんのうち」

「16号から旧16号におりて更に住宅街に入って行くらしい」

「16号から旧16号?」

「県道2号のことだ」

「へえ」


 仕方なくタブレットでルートを確認して、三枝は唖然とした。

 通販サイトに書かれていた住所はさいたま市だった。


「先生、念のためお伺いしたいんですが」

「何だ?」

「お店と岸さんのうちって、住所一緒でしょうか」

「当然同じだ」

「ちょっと待ってくださいよ、遠いんですけど」

「遠くはない。すいている時間に走れば1時間かからない距離だ」


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