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探偵と助手の日常  作者: 藤島紫
第1章 「本日のおやつは、さつま芋パイです」
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焙煎したてのコーヒー

「紗川さんは、持っている情報量もさることながら、それ以上に分析力が凄いですからねぇ」


「たいしたことはありませんよ。――三枝君、こちらは岸俊夫さん」


「資料を作るなら、渡しておきましょうかね」


 名刺を差し出され、三枝はどう受け取ればいいのか戸惑ってしまった。高校生が名刺を受け取る機会などそうありはしない。

 ギクシャクしながら両手で名刺を受け取る。

 そこには大手銀行の名前と、営業部主任という役職が書かれていた。

 声もなく悲鳴を上げていると、紗川が笑っているのが聞こえる。


「岸さんはやり手だぞ。顧客は社長職も多い」


 成る程、と思いながら名刺を見る。先程、中古車といっていたが、それも顧客がいるからなのだろう。


「誰がやり手ですって? 全く。有料で情報を提供している人もたくさん会ってきましたがね。紗川さんのは無料で出すのは惜しい。セミナーでもやったらどうです?」


「それで利益を出そうとは思っていませんから」


「専用のアルバイトを雇っているのに?」


「投資のためではなく、本業のためです。それに、最近は意味のない情報すら勿体つけて高値で売ろうとする詐欺師のようなのもいますからね」


「それと一緒にはされたくない?」


「ある程度の有力な情報や考え方が広がれば、本当に価値のあるものか否か見極められるようになるはずです」


「つまり、正義感で?」

「そんな立派なものではありませんよ」

「いやいや、そんな使命感を持ってやってるとは思っていませんでした」


 実際を知らないとはいいことだ。


 客は勧められるままにソファに腰を下ろした。

 三枝は、菓子を用意するために一度キッチンにさがった。


(さて、まず何からやろうか)


 紗川の教えに、目的から思考を開始せよというものがある。

 数学の証明問題がいい例だ。証明したいものがあり、それに至るために何を用意すればいいのかを考えていく。

 この考え方は一朝一夕で身につくものではないから、日常的に行うようにしている。


(お客さんに喜んでもらうこと、一番いい状態で提供することが目的だから……)


 仕上がりを想像してから三枝は動き始めた。

 パイは加熱に時間がかかる。コーヒーを落とすのもしかり。

 ならばやることはわかりきっている。さつま芋パイをオーブントースターに入れて加熱し、その間にコーヒーを落せばいい。

 戸棚から銀色のジップ式のパックを取り出した。これが先ほど紗川が話していた、新しい豆だろう。中には紙の袋に入ったコーヒー豆がある。

 ほんの少し開いただけで、ほわっとコーヒーの香りが広がる。

 昨日焙煎されたばかりだからだろうか。豆の表面が照り輝いている。


(うわ、やっべ。いい匂いする)


 菓子屋横丁周辺にはカフェが多い。この豆もそのうちの一軒から買ってきたのだろう。紙の袋に印刷された焙煎日は一昨日だ。


(焙煎されたばっかりって、どんな味なんだろう)


 ワクワクしながら豆をミルにセットする。手回しのミルは紗川専用だ。三枝はコーヒーメーカーに付いているミルしか使わない。禁止されているわけではないが、紗川が大切に扱っているのを見て、自分は触ってはいけないような気がしている。

 カリタの手回しのミルを眺めながら、ペーパーフィルターの端を折り、フィルターにセットすると、挽き終えた豆をそこに入れた。

 水は浄水されたものを使う。

 ここまで気を遣っても、紗川が手で落としたのに比べると味が落ちる。

 しかし三枝がハンドドリップで落とすよりはコーヒーメーカーの方がまちがいがない。それにポタポタと落ちる琥珀の雫が、やがて色味を深めていくのを見ているのは、気持ちが落ち着く。

 サイフォンを使えば紗川のハンドドリップと変わらない美味しさに仕上がるのではと思うこともあるが、あれは手入れが大変そうな気がする。


(言えば買ってくれそうだけど)


 自分の首を絞めることは言わないでおくに限る。

 カップの準備やドーナツを並べていると、コーヒーが出来上がっていた。パイもちょうどよく温められたようだ。

 最初に考えていた通りの仕上がりだ。トレーに並んでいる様子は様になっている。

 スマートに動けたと密かに満足しながら、トレーを運ぼうとしていると、「殺される……」と言う客の声が聞こえてきた。

 慌てて向かおうとして、コーヒーがこぼれてしまいそうになった。

 客の言葉に助手の自分があわててはいけない。

 三枝は無関心を装って動き、話の邪魔にならないよう静かにカップと菓子類を置いた。立ち上がりぎわに紗川をちらりと見ると、小さく頷いた。

 これは合図だ。


(探偵のほうの仕事、みたいだな……)


 三枝は自分の椅子に腰を下ろした。

 客は三枝が聞いていることにはまるで無頓着だ。


「妻はあまり気にしていないようなのですが、私は気が気ではないんですよ」


 ため息混じりに言う客の顔は最初の明るい表情をなくしていた。


「岸さん。奥さんが気にされていないなら、それでかまわないのではありませんか?」

「それはそうなんですが……このごろは危険な事件も多いですから……」

「確かに。何かあってからでは遅いですからね」

「そうなんですよ。しかし妻はそういったことに全く無頓着でして。気にしすぎだと笑われるかもしれませんが、ここまで私が思うようになったのも訳があるんです」


 紗川は頷いた。


「訳といいますと……昨夜話されていた?」

「そうです」


 紗川はすまなそうに肩をすくめた。


「とはいえお互いに酒が入っていましたからね。素面の今、改めてお伺い出来ませんか。何か取りこぼしや思い違いがあっては正しい判断はできませんから」

「そのとおりですね」


 岸は納得していたが、三枝は、これは自分に聞かせるためだと分かった。


「妻は輸入雑貨の小さな店を経営しています。といっても趣味に毛が生えた程度のものでした……以前は収入もありませんでしたしね」

「以前はという事は、今はあるんですか?」

「ええ。パートに出て働くよりは稼いでるんじゃないのかな?」


 稼げているなら喜んでいそうなものだが、岸の表情にそれはない。喜ぶどころか、嫌悪しているように見える。


 違和感が三枝の腹の底でゾロリと首をもたげた。


 チラリと横を見る。紗川も同じだったのだろう。かすかに眉を寄せるのを、三枝は見逃さなかった。

 

「きっかけは一年程前です。ホームページを作ったんですよ。店の。それて通信販売を始めました」

「それで顧客数が増えわけですね」

「そうです」

「失礼ですが、個人経営の小さな輸入雑貨店のホームページの影響がそれほど大きいとは思えません。大手通販サイトなどに登録していたのでしょうか」

「いえ、そう言うわけではありません」

「では特殊なものを扱っているのですか?」


 岸は首を振った。


「足を使って捜せばそれほど苦労しなくても見つかるようなものばかりです」

「その労力が惜しい方もいますからね」

「この川越でも駅前の店を探せば妻の店においてあるようなものはいくらでも見つかる……その程度のものです」

「それでももっと地方に行けば手に入らないものもあるかもしれません」

「それこそ、大手通販サイトを使えば良い」

「と言うことは……」


「妻に会ってください」


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