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探偵と助手の日常  作者: 藤島紫
2章 運転者にはノンアルコールのカクテルを
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おいしいもの:カステラ

「え~~、この事件かわいそ過ぎる」


 ネットニュースを見ていた三枝は、思わず声を上げた。


「何の事件だ?」


 紗川が声をかけてきたが、経済雑誌からは目をそらさない。あからさまにやる気のない合いの手である。


「先生、覚えてますか? 先月、宮本あすかが殺されたじゃないですか、女優の。すごく髪が長くて……」

「ああ、シャンプーのCMに出ていたな」


 てっきり知らないだろうと思っていた三枝は、拍子抜けした。

 紗川は人の名前を覚えようとしない。芸能人など、その筆頭といってもいい。

 珍しいと思うと同時に、あることに気づいた。


(そういえば、先生の彼女に似てるかも……)


 だから覚えていたのかもしれない。


「それで何が可哀そうなんだ?」

「最初、付き合ってたADが逮捕されたのに、真犯人は全然別の人だったんですよ」

「その冤罪は、どうしてわかったんだ?」

「あとから自首してきた人がいたんです。宮本あすかのスタントしてた女の人だそうです」


 ようやく紗川の気を引くことができたらしい。

 雑誌から視線を向けてきた。


「可哀そうなのは濡れ衣を着せられたADの人です。厳しい取調べを受けて、拘留中に自殺しちゃったんだそうです」

「自殺? ……そうか」


 紗川がかすかに眉を寄せた気がしたが、気のせいかもしれない。

 興味がないのか、再び雑誌に視線を向けてしまった。


(こういう芸能ニュース、先生は興味ないか)


 いつものことだと思いながら、ネットの記事に目を落し、三枝はため息をついた。


「なんか……やりきれないですよね。先生は興味ないでしょうけど。冤罪で捕まった人が自殺して、その数時間後だったそうですよ。真犯人が自首してきたの」


 返事は期待していなかったが、紗川が「そうか」と答えてきた。


「三枝君」

「はい」


 いつまでもくだらない話をするのはやめろと怒られるだろうかと身構えたが、そうはならなかった。紗川が席を立つ。


「腹が減っていないか? 試してみたい組み合わせがあるんだ」

「試してみたい、組み合わせですか?」

「そのカステラに合うコーヒーは何だろうと思ったんだ」


 紗川の指さす先には、白い包みがあった。


「カステラ……あ、さつま芋カステラですね?」


 ドーナツと一緒に売っているのを見かけたことがあり、思わず声を上げたが、よく見て見るとパッケージに書かれている文字が違う。


「鏡山、酒粕?」

「酒粕のカステラだ」

「へえ~。初めて見ました」

「日本酒の香りに合わせたコーヒーとなると難しいな。カステラの甘味を優先して決めるべきか……」

「おいしそうですね」

「新しいミルの試運転も兼ねて変わった組み合わせをしてみるか」

「はい! こっち、用意してますね」


 三枝は頷くと、ローテーブルの上を片付け、皿の用意をすることにした。こういう時は家政婦まがいの扱いをされても不愉快にはならない。なんと言っても紗川の入れるコーヒーは絶品だ。

 キッチンから気の丸い容器とコーヒー豆を持った紗川が戻ってきた。


「何ですか、その丸いの。シュガーポット?」

「いや、コーヒーミルだ」

「木ですよね」

「槐という、硬い木を使っているから、コーヒー豆を挽くのにちょうどいいんだ」


 卵型の木の器にざらざらと豆を入れ、すりこ木のようなスティックをさしてグルグルと回すと、ゴリゴリと豆をつぶしている音が聞こえてきた。


「ほら、できた」


 いつものドリッパーにうつしだされた豆は、きちんと挽かれている。


「すげえ……」


 驚いている三枝の前で、紗川が湯を注ぎ始める。

 コーヒーの泡が作る茶色のドームが膨らむと同時に、ふわりと香りが広がった。

 豆を当ててみようと思いながら真剣に香りに意識を向けていると、紗川が難しい顔になった。


「どうかしましたか?」

「いや、コープス・リバイバーを頼むときは、詳細に伝える必要があると思っただけだ」

「は?」


 考え込んでいる様子に、三枝は首をかしげるほかない。

 こちらに聞かせようとしているわけではなさそうだから、返答をする必要はないだろうが、独り言にしては大きい気がする。


「えっと……何ですか、コープスリバイバー?」

「コープス・リバイバーはカクテルの名前なんだが……意味を想像できるか?」

「意味、ですか? コープス、リバイバー……リバイバーは蘇らせる、でしょうか。コープスがすぐに出てこないんですが」

「コープスは、死体だ。つまり、死体をよみがえらせるカクテル、という意味だな」


 探偵が指名するカクテルならば、様々なことを意味しているように感じてしまう。

 三枝は顔をしかめたが、紗川は首を振った。


「いかなる名医であっても死体は蘇らせられないさ。そうではなく迎え酒の意味だ」

「ああ。屍のように酔っぱらってしまった人に飲ませるってことですか」

「メジャーなレシピは、マンハッタンにアップルブランデーを足してステアするというものだ。ちなみにマンハッタン自体が、ブランデーベースのカクテルだから、かなりパンチの効いたカクテルであることに間違いはない」

「パンチが効いてるっていうか、酔っ払いにさらにきつい酒飲ませてどうするんですか」

「確かにきついカクテルであることに間違いはない。カクテルの帝王と呼ばれるハリー・クラドックはコープス・リバイバーを立て続けに4杯飲めば死体を再び殺すだろうと言ったほどだからな」

「高校生の俺にも、明らかヤバそうなの分かりますよ。ブランデーとブランデーの掛け算でしょ。ヤバイの乗数じゃないですか」


 高校生の三枝には、ブランデーと言えば、強い酒に違いないという感覚的な認識しかないが、紗川の口ぶりから、この認識で間違いはなさそうだ。


「問題は、このコープスリバイバーには、いくつものバリエーションがあるという点にある」


 コーヒーケトルの細い注ぎ口から、とぼとぼと湯を落しながら紗川は続ける。


「中には、うまいとはいいがたい味になることもある」

「はあ」

「とんでもないのを飲まされた訳だ」

「どんなのだったんですか?」

「……思い出したくはないな。ちなみに、このカステラは、バーテンダーが詫びだと言ってよこしたものだ」

「……バーテンダーが酒粕のカステラを?」

「知らないのか? 日本酒は繊細な酒だ。パリでも人気が高い」

「そうなんですか……うわ」


 紗川の話を聞きながら、カステラを開封した三枝は思わず声を上げた。


「すっげえ。めちゃくっちゃ甘酒のにおいします!」

「ああ、うちで作る甘酒は、酒粕を使うからな」

「酒粕を使うどころじゃなくて、焼いて食べてましたよね、先生」

「うまいぞ? 特に鏡山の酒粕はいい。日本酒の残存量も程々で、焼きやすい」


 鏡山酒造は川越の酒造だが、酒粕は流通量が少ない。

 三枝は紗川に飲ませてもらうまで、くだんの甘酒を飲んだことがなかった。


「それはそうと、これは問題ですよ、先生。酒粕の香りが強すぎてコーヒーが負けそうです」

「そう思って試してみたかったんだ。森の音のブレンドだ」

「森の音?」

「伊奈にあるカフェだ。そこのオリジナルブレンドだな。店の名前通り、落ち着く味わいだぞ」

「いつの間に行くんですか、そういうところ」

「いつの間だな」

「全然面白くないです」


 紗川は笑いながら抽出が進んで茶色のドームがつぶれ切ってしまう前に、ドリッパーを上げてしまった。

 最後まで落とすと、好ましくない苦みが出てしまうらしい。


(たぶん、合うだろうな。この組み合わせ)


 食べる前から、そんな予感がした。

 ふと、三枝は小窓の外に視線をやった。

 外には雪が積もっている。


「新年になってから二度目の雪ですね」

「……そうだな」


 紗川はちらりと窓の外に視線を向け、静かに吐息をついた。


「これでは雨だれなど聞こえはしない」

「雨だれ、ですか?」


 三枝の問いかけに紗川は答えず、カップにコーヒーを注ぎ入れた。



この章は、ここまでで一区切りです。

また次の章で、新しい事件のお話が始まります。


引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。

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