犯人当てクイズ?
「探偵?」
彼女が目を見開く。
「探偵って、探偵? 真実はひとつっていう、あれ?」
「真実はひとつとは言いませんが……探偵ですよ」
「あ〜、なるほどねえ。わかるわー。うちによくチラシが入るのよ、浮気調査します、とか。最近は別れさせ屋とかそういうのもあるんでしょ? 美男美女を雇って、ターゲットを嵌めて浮気の証拠を作って別れさせるとか、そういうのもあるんだってね。逆恨みとかでスーツをビリッとか、ありそうだもんねぇ」
場が冷えることはなかったが、思わぬ方向に盛り上がられても困ってしまう。世の中には様々な仕事があるものだと苦笑いするほかない。
紗川は首を振った。
「当方は刑事事件が中心ですから、そういった仕事はしません。看板も上がっていないので、そういった依頼が来たこともありませんよ」
「そうなの? 刑事事件? すごーい。へえ~、ドラマみたい」
酒の席だ。嘘も混ざっていると思っているのかもしれない。彼女はカラカラと笑い、マンハッタンを飲み干した。
「あー、美味しい。ねえ、マスター。これ、おかわりくださーい」
「飲みやすくても、度数は高めです、大丈夫ですか?」
「へーき。ねえ、それより、今までどういう仕事したのか気になるなあ。いろんな事件にあったりしたんでしょ?」
紗川の仕事に興味があるのか、立て続けに質問をしてきた。アルバイトが一人いるとはいえ、基本的には一人でやっている仕事だ。明文化したコンプライアンスなどは存在せずとも関係者以外に口外することは許されない。
(ここに英司がいれば、差し障りのない範囲で答えたんだろうが……)
信頼関係は大切だ。
「申し訳ありません。事実上、公の下請け業者のようなものですからね。立場が弱いんです。こちらから答えられることは何もないんですよ」
下請けという言葉に思い当たる節があるのだろうか。
彼女は「それじゃ、しかたないよね」とあっさり引き下がった。
拍子抜けだ。
もっと突っ込んでくると思っていただけに紗川は驚いた。
「あはは、もっとしつこく聞いてくると思った?」
言い当てられ、素直に頷く。
「そうですね、もしもいろいろ聞かれたら困ると思っていました」
「違うの。あたしも下請けみたいなもんだから。弱い立場で辛いのはわかるんだよね」
「貴女はどんなお仕事をされているのですか? 勿論、差し支えがなければ、ですが」
「あたしは、スタントだよ。カースタントやってるの」
手でステアリングを握る形をつくり、ニッと笑う。
「カースタントですか」
「そう。A級ライセンスも持ってまーす」
見る? とバッグから出そうとするのを慌てて止める。
そこには名前が書いてあるはずだ。
酒の場でプライバシーに関わる話をしすぎるのは避けた方がいい。紗川は女性の個人情報を知ったからといって軽率に踏み込むつもりはないが、そうしているのを誰かに見られ、誤解されてはたまらない。
「疑いはしませんよ」
「そうなの? なんかさ、あたしがプロのドライバーだっていうと疑ってくる男多いんだよね。生意気だって言ったり」
「それは不快でしょうね」
「そう、めっちゃムカつく。あたし、そこいらの男どもよりはるかに運転うまいんだけどさ。ほんと、何基準でバカにするんだか分からないよ。プロなのよ、プロ。それもプロの中でも特に評価されてる、プロフェッショナル。この前なんて飛んだんだから」
「飛んだのですか?」
「飛んだ飛んだ。勢いつけてバビュッて。すごく気持ちよかった」
「それは凄いですね」
「ちょっと距離あったし、今時珍しく、CGじゃなくてリアルに火がついてて、その上を飛ぶシーンだったからね。みんな怖がっちゃって。あたししかやれる人がいなかったんだよね」
聞くだけでも危険な仕事だ。引き受ける人間を探すのは大変だろう。その難しい仕事を成功させたのであれば、爽快に違いない。
「よくそんな仕事を引き受けましたね。他の人たちは尻込みしたのに」
得意げな顔をするかと思いきや、彼女はまじめな顔で答えた。
「あたしはさ。絶対無事に帰る、あたしも周りの人も誰も死なせないって、神様にお祈りしてアクセル踏むんだよね。そういうのって、結構大事」
言葉は軽いが、その視線は真剣でありながらも、どこか優しさを感じた。
本当に仕事が好きで、誇りを感じているのだろう。
「そうですね」
紗川が同意を示して初めて、得意げな顔になった。
「でしょ? おかげさまで、この仕事始めてから無事故です」
「それは凄い。高く評価されるのもうなずけます」
「あとね、車を傷つけないところも、評価高い。高級車とか、レンタルしたのを傷つけるわけいかないからね」
「レンタルなんですか?」
「買えないもん。高級車なんて。だから日本の映画は車が燃えたり突っ込んでクラッシュしたりするの、少ないでしょ? あってもCGだし。もちろんCGだってお金はかかるけど、本物の高級車を廃車にするよりは安いんだって。だから、最近は面白い現場が少なくてさ」
「確かにカーアクションは海外のものに比べると少ないかもしれませんね」
紗川は予算の問題だけではないだろうと思ったが、それは口にしなかった。
おそらく彼女は、いくつもある理由の中の一つを語ったに過ぎない。
「今ね、映画のスタントやってるの。宙を飛んで燃えるドラム缶の上を飛ぶシーンを撮ったんだ~。飛んでる途中でドラム缶が爆発するから、なかなかスリリングだったけど。良い感じにできたよ、我ながら」
「それはすごいですね」
「信じてない感じがするなあ」
「信じてますよ」
「ま、信じてなくても信じててもどっちでもいいけどね~。あたしがカースタントやってるなんて言って誰も信じないし」
これまで、何度も疑いの目を向けられたに違いない。
「しかしこの場合、お互い様ですから。信じますよ」
「あはは。確かにそっちの探偵っていうのもね。あたしも大概信じてもらえないような仕事だけど、探偵もなかなか信じてもらえないでしょ。事件の話もできないようじゃ尚更」
「そうですね。とはいえ、信じてもらえなくても困りませんが」
「あははは、自分で言ってれば世話ないわ。あ、そうだ、探偵なら、犯人当てクイズ、やってみない?」
不意にいたずらっぽい表情で紗川を覗き込んできた。
「犯人当てクイズですか?」
「クイズって言っても、本当にあった事件の話で、まだ解決してないんだよね」
「未解決事件ですか」
「そう。別に探偵さんの推理を聞いたからって、それで何かしようってわけじゃないんだけど」
「そうですね。証拠がなけれな逮捕はできませんからね。しかし、問題があるとすれば、この推理を理由に、全くの無実の人が疑われることになる可能性があることです」
「大丈夫大丈夫。それはないから。お遊びだって。でね、これはあたしの同僚の話なんだけど――」
彼女は一方的に話し始めてしまった。
アルコールが回っているせいもあるのだろう。
やれやれ、と紗川は内心でため息をついた。仕事ぶりを無料で見せろというのだから、酔っ払いには困ったものだ。
話を聞くだけでも本来であれな費用がかかる。
時計を見るとまだ30分も経っていない。
待ち合わせ相手の木崎が到着するのはまだだいぶ先だろう。
退屈しのぎの代金と考えれば、悪くないかもしれない。
そう思って彼女の話を聞くことにした。
――殺人事件はある年のクリスマスに起きたんだけどね……
彼女の話はそこから始まった。
探偵助手の言葉を借りるなら、この探偵は「天然タラシ」です。