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探偵と助手の日常  作者: 藤島紫
2章 運転者にはノンアルコールのカクテルを
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S2000と ショパンの雨だれと 夕日色のカクテル

ホンダS2000はオープンカーです。軽やかに加速していくその走りは、流石ホンダのエンジンだと感じます。

 紗川は行きつけのカフェバーの前まで来て、足を止めた。


(ホンダS2000?)


 大きなオープンカーが止まっていた。


(ここは駐車禁止だったはずだが……)


 カフェバーだから酒だけを提供する訳ではないが、それにしても車で乗り付けるような店ではない。

 コーヒーショップの歴史を紐解くと、元々はバーだったことがわかる。コーヒーを作る者をバリスタと呼ぶのは、その名残だ。

 フロントに回ると、案の定、駐車禁止のシールが貼ってあった。

 やれやれと思いながら店に入る。ドアベルの音が軽やかになった。


「いらっしゃいませ」


 店主に声をかけられ、紗川は軽く会釈をして店内に入った。

 この店は友人と飲むのによく使う。

 広過ぎない店内には、駅前で見かけたような派手な飾りはない。

 季節感がないと言われればそれまでだろうが、これはこれでこだわりを感じる。

 狭い通路を進み、いつもの席にかけようとすると、すでに先客があった。

 もともと小さな店舗だ。二、三組の客があればたちまち満席になってしまう。平日だというのに既に空席はひとつしかなかった。


「あいにく、お一人分しか席が空いてなくて」

「後から連れがくるので、二人席が空いたら、移動させていただきたいのですが、構いませんか?」


 他の客の邪魔にならぬよう、控えめに問うと、あっさり了承が取れた。

 

(電話の感じだと、あいつが来るまで少なくとも1時間はかかるな)


 ひょっとしたら2時間かもしれない。

 混み具合を見て先に来たのは正解だったと思いながら、空いている席に腰を下ろす。いつもの席のすぐ隣だ。


「お連れの方が見えるまではアルコールは控えますか?」


 暖かいお絞りを受け取りながら頷く。

 指先に心地のいい温度を感じていると、店主が小さな声で「すみません」と声をかけて来た。


「どうしました?」

「表に、まだ車止まっていましたか?」


 入ってくるときに見かけたS2000の事だろう。紗川が肯定すると、店主はますます声を潜めた。


「どうも、うちのお客さんの車のようで、心配していまして」


 客が車で来店していることを知りながらアルコールを飲ませると罰せられる。店主は知っていて飲ませたわけではないだろうが、気がかりなのだろう。

 小さな店内だ。一目で全員がアルコールを摂取していることがわかった。


「駐禁を切られていました。これ以上は厳しいでしょうね」

「ああ、まずいなあ……」

「車で来ていたことがわかっていたわけではないのですよね」

「後からなんですよね。帰ろうとしたお客さんが教えてくれまして。うちのお客さんでなければいいんですが……今日は、お連れさんは……」


 なるほどと合点がいった。店主が気にしているのは刑事である木崎だ。刑事の目の前で飲酒運転をさせるわけにはいかない。


「もし、ここの客のだとわかったら、その方には代行をご紹介すればいいと思いますよ」

「万が一の時はよろしくお願いしますね」

「どの程度、お役に立てるかはわかりませんが」


 頷くと、店主はホッとしたようだった。

 万が一というのは、客が暴れた時には抑えてくれということではなく、木崎への言い訳を手伝ってくれということだ。

 悪質ではない限り、捕まることはない。


「連れが到着するまで、軽くつまめるものをお願いします。ドリンクは、ノンアルコールで何か作っていただけませんか?」


 この店主が作る飲み物は、ラテもカクテルも美味い。

 不安をこぼすことで少し気が楽になったのか、店主の顔は先程よりも穏やかだった。


「畏まりました。つまみは生ハムとチーズ、ドライフルーツではどうでしょう?」


 待ち合わせまでゆっくり食べられるものを選んでくれたのだろう。気遣いに感謝しながら紗川は頷く。

 細かく注文をせずとも、こちらの要件を考えて提案してくれる店は希少だ。

 店主曰く、特に希望がない限り、提供するドリンクは客にあいそうなものを作るのだそうだ。

 ファッション、表情、顔色や姿勢。

 疲れていた日にトマトジュースベースの甘いカクテルを出されたこともあった。


(さて、今日はどんなドリンクになるんだろうな?)


 出てくるまで分からないのは面白い。紗川は、肘をついて店主の動きを眺めながら、音楽に耳を傾けた。

 ショパンの「雨だれ」が店内を隅々まで満たしていた。

 この店は、いつも決まってショパンがかかっている。ショパンの曲は麻薬的な甘さとけだるさで紗川の精神を満たしてくれた。

 低音のメロディに、こだまするような雨の音。

 つい先日の事件を思い出す。

 あれ以来、助手の三枝は昔のことを思い出して憂鬱そうな顔をすることが増えた気がする。殺されたばかりの遺体を目の当たりにしたのだ、心を乱さない方がおかしい。

 深い悲しみに沈んでいても、日々は変わらず過ぎていく。


「お待たせしました。どうぞ」


 コトリと、控えめな音を立て、ケーキのようにカットされたチーズとカクテルが目の前に置かれた。


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