無造作ヘアがカッコイイ……らしい
厨二なら、分かる……
「こだわりがないようにふるまう、自然体な俺、カッコイイ」
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土曜の午後、三枝紬は、川越のレンガ道を歩いていた。一番街「蔵造の街なみ通り」には時の鐘もあり、特に人通りが多い。
それでもすれ違う人とぶつからずに歩ける程度だから、今日は土曜にしては落ち着いている。
蔵造の街なみ通りは、駅前から川越市役所に向かう県道で、そもそも車の通りも多い。にもかかわらず左右は歴史を感じる建物が並んでいるから観光客がすぐに足を止めてしまう。
混んでいるときは気を付けていても不可抗力でぶつかってしまうことが度々だが、今日は肉まんを食べ歩くだけの余裕があった。
天気予報が雨だったからだろう。
季節が移り替わるときは、雨が多い。
雨が次の季節を連れてくる。
三枝は空を見上げた。
今は上がっているが、まもなく降り出すだろう。あの色は雨雲だ。長雨の季節が終われば、冬がやってくる。
肉まんを頬張るために口を大きくあけると、湿度の高い空気が舌に触れた。
細かいことは気にせず、かぶりつくと、じゅくりと肉汁が口内に広がった。
もう二時になろうというのに、未だ昼食にありついていない。軽いつなぎに肉まんはちょうどよかった。
(この時期、メロンパンよりは肉まんだよなあ)
三枝の通う高校は埼玉県内でも校則が厳しいと有名で、教師に見つかったらきつい説教が待っているのだが、食欲には勝てない。用済みになった包み紙をクシャリと丸めて、鞄の側面のポケットに押し込んだ。
校章の入った鞄は卒業までまだ一年以上もあるのに傷だらけだった。
三枝は時の鐘石畳の小道に入った。
川越の菓子屋横丁はテレビにも出る数少ない埼玉県の観光名所だ。
土曜の午後は女子高校生とマダムが多い。
一人きりで黙々と歩く男子高校生はかなり異質だったが、幸い周囲は買い物や食べることに夢中で三枝のことなど目にも入らないようだった。
混みあっている石畳の小道のはずれでさつま芋のパイを、県道沿いでさつま芋のドーナツを購入した。どちらの店主も顔なじみだ。
川越は紅芋の開発をした土地で、菓子屋横丁はさつま芋を用いたおやつにあふれている。
特にパイとドーナツは三枝のお気に入りの逸品だ。お茶請けを頼まれたときは必ずこれを買うことにしている。
ビニール袋をガサガサ言わせながら少し歩くと、取り壊しを待っていかのような廃屋が見えてきた。
日に焼けたカーテンにさえぎられて、奥の様子は窺い知れない。
三枝は慣れた手つきで戸に手をかけた。ビクともしない。誰かが見ていたら、開かないのも当然だと笑われるか、悪戯をしてはいけないと窘められるだろう。或いは、そこを訪れる者がいることに驚くかもしれない。
三枝は舌打ちを一つ打つと、ポケットから鍵を取り出した。
抵抗なく開錠され、訪問者を受け入れる。近くで見なければ分からないが、差し込む鍵穴だけは真新しい。
三枝が中に入ると、つけっぱなしのTVが二台と、起動したままのモニターが、うす暗い部屋に光っていた。
オーディオから流れてくる音楽に混ざって、低い機械音が響いている。
テレビは音を消してあるのだろう。何気なく画面を眺めると一つは青い画面にいろいろな企業-の名前と数字が並んでいた。もう一つは天気予報だった。
(今夜は降水確率100%か……夜中みたいだし、俺が帰るときは、まだ平気かな)
入り口から近い位置にある机に向かう。それは三枝の席だった。
パソコンの電源を入れる。起動するまでの間にコートを脱いでヒーターのスイッチを入れた。
部屋の明かりをつける。蛍光灯は何度か瞬きをした後で目に痛いほどの光を灯した。
ふと、声を聞いた気がした。
振り返ると、ソファの肘掛に足が乗っている。
「……ったく」
三枝は小さく毒づくと、苛立ちながらソファのすぐ脇に立った。
先ほど聞こえた声は、大方、明かりに対する不満だろう。わざわざクッションを顔の上にのせて光を遮っている。
「起きてください」
この状況でも深く眠ろうとしているらしい。
ゆっくり眠りたいなら、いっそのこと顔の上のクッションを押さえつけてやろうかとも思ったが、助手による探偵の殺人未遂など笑い話にもならない。
「先生っ!」
何度か揺り動かす。
つややかな黒髪がさらりと流れ、黄色のリボンが落ちた。
長い髪に黄色いリボンと言葉だけ聞いていれば、まるで美少女の装いのようだが、現実は違う。
リボンはラッピング用のちゃちなもので、髪の主も189センチの男だ。
適当にそのあたりにあったリボンを使って結わえるくらいなら、何故切らないのか。出会ったころからの謎だ。
「約束があるんじゃないんですかー、早く起きないとやばいんじゃないんですかー」
「……さく、ら……?」
クッションが床に落ちたかと思うと、いきなり腕を掴まれ引き寄せられた。
「うえええっ?!」
ぐらりと倒れこんでしまったところで、ぱっちりと開いた紗川と目が合った。
「……やあ、三枝君」
「やあ、じゃありませんよ。彼女と間違えないでください。俺じゃなかったらマジで痴漢騒ぎですからね」
「それは悪かった……おやすみ」
「ちょっと待ってください。いきなり昨日の夜中に電話かけてきて『明日客がくるから起こしに来てくれ』って言ったのは誰ですか!」
「明日……明日は……もう、今日か。間違っているぞ、三枝君」
あくびをかみ殺しながらけだるげに言う声は寝起きのせいかいつもより低い。
「時間よりその態度が人として間違ってると思いますよ、俺は」
体を起こし、口をとがらせて見下ろすと「そういえば客が来るんだ……」等と呑気につぶやく。三枝は思いきりソファの背もたれを叩いた。
「もーっ! しっかりしてください。三時半にお客さん、来るんですよね? とっとと起きて下さい」
「ああ……起きる」
探偵がのっそりと上体を起こして立ちあがる。
まだ眠いせいか猫背気味だが、それでも三枝より手のひらの長さ分くらいは高い。
そして腹立たしいことに、あくびをかみ殺して眼鏡をかるしぐさに大人の男の色気を漂わせる。嫌味な男だ。
アルバイトに女性を雇うことはできないと、探偵の友人たちが口をそろえて言っていたのがよくわかる。
寝起きが悪い上司を起こすのが最初の業務では、女性には無理だ。
ちなみに、探偵助手とはいえ、三枝の仕事のほとんどは一般的な言葉を使えば――家事である。
「朝飯用意しておきますから、その間に人様に見せられる状態になってきてください」
「分かった。シャワーを浴びてくる」
紗川はゆっくりとした動作でローテーブルに置いてあった眼鏡を掴むと、入口と反対側にあるドアの向こうに消えた。
その間に三枝は約束通りに朝食を整えることにした。
冷凍のグラタンを電子レンジで温め、コーヒーをセットする。コーヒーメーカーの使い方は、ここで覚えた。
淹れたてのコーヒーの香りが室内を満たしだしたころ、シャワーを浴びて身支度を整えた紗川が現れた。
キッチンを見渡した紗川は、パンの袋を閉じていたモールをつまむと、それで髪をまとめようとした。
流石にそれは無理がある。捨てるつもりでポケットに入れていたケーキ屋のリボンを渡すと、紗川は無造作に髪を結んだ。
(あーあ、これさえなければ本当にかっこいいのに……)
背が高く、程よく筋肉が付いており、スタイルもいい。
イギリスの老舗ブランドの高級スーツを着ているせいで、ホストかモデルかと間違えられることもあるが、後ろ姿を見た途端に誰もが驚く。
「あの……せめて来客時くらいまともなゴムとか使いませんか。ケーキの箱についてた黄色いリボンとか、かっこ悪いんで。あ、コーヒー、できてますよ」
コーヒーを受け取り、紗川はにやりと笑った。
「分かっていないな、三枝君。物事はメリハリがあるほうがいい。あえて気を配らない、無造作が粋と言うものだ」
(いや、すみません。それは分からない方がいいような気がします)
上司が相手だけあって、ツッコミは心の中だけにとどめておくことにした。
即座に口をついて出さなかったのは、せめてもの情けと言うものだ。