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探偵と助手の日常  作者: 藤島紫
第1章 「本日のおやつは、さつま芋パイです」
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ネイル

 触りこそしないものの、紗川は興味深そうに瓶を見ている。

 周辺を見渡しても蓋らしきものはない。


「探してきます」


 マニキュアはどう考えても被害者のものだろう。ならばと席を立つ。案の定、遺体の近くまで行くと、転がった四角い家電のようなもののそばに、小さなハケがついたキャップが落ちていた。


(全体が水で濡れてる……あ、この四角いの、フットバスか)


 マニキュアのキャップを発見すると共に、転がっていた家電らしき物の正体が分かった。

 遺体の正面側に回れば、容器の中に足型の印刷があり、用途は一目瞭然だった。中を満たしていたであろう湯はすっかり溢れていた。

 しゃがみこんでフットバスと水たまりの中のキャップを見比べていると、すぐ隣に紗川も身をかがめてきた。

 長い前髪が邪魔なのだろう。うるさそうにかきあげ、眉間にしわを寄せている。


「被害者はフットバスを利用中に殺されたみたいですね」

「そのようだな」

「先生、キャップはひろった方がいいですか?」

「愚問だ」

「あ、はい。そのままにしておきます」

「マニキュア自体は乾かないように、これに入れておけ」


 渡されたユニパックにマニキュアの瓶を入れる。これなら多少は乾きにくいだろう。


「こうしておけば、乾かないですね。乾き具合で死亡推定時刻が予想できるように、こうしておくんですよね?」

「乾燥を防ごうとしたのは、万が一この中に証拠品が混ざっていた時に固まってしまうと取り出しにくいからだ。時間をはかるためじゃないぞ」

「そうなんですか?」

「マニキュアは使っているうちに気発していくから、使用を重ねるごとに粘度が高くなる。これまでの使用状況が分からない以上、参考にはならないだろう?」

「……なんでそんなに詳しいんですか」


 大方、彼女に頼まれて塗ったことがあるのだろう。

 心の中でひっそりとため息をついていると、遺体の足先が目に入った。

 ここは殺人現場だ。

 声を潜めて話しているとはいえ、遺族もそばにいるのに軽口をたたくのは好ましくない。

 それでも、つい無関係の話をしてしまいたくなるのは、現実から目をそらしていたいからだ。

 遺体の脚は白い。

 そして、慣れたと思っていたはずなのに、遺体から発する独特の臭いも気になりだした。

 まずい、と思った時には、苦しい記憶が脳裏を過っていた。


(あの時も……こうだった……)


 死は、暴力的に人と人を別れさせる。

 冷たい体。

 二度と開くことのない瞼。

 死者の唇は幼い子供のものであっても青い。

 抱きしめていなければ、冷たくなっていく。

 二度と聞くことのない声。

 固まる体。

 殺人は、荒々しく未来を奪い去る。


(奪われていい命なんて……ないはずだ)


 幼くして殺された少女の笑顔と、うっすらと開いたまま干からびた瞳が交互にフラッシュバックする。

 探偵助手となってから、落ち着いたはずだった。

 もう克服したと思っていたのに、遺体を目の前にしてしまうと、揺らいでしまう。

 死の気配に心臓を掴まれているようだ。

 息苦しさを覚えた時だ。

 突然、ポン、と頭に重さを感じた。

 遺体を見て、黙り込んでしまった三枝の頭に、紗川が掌を置いたのだ。


「忘れるな。君は日常を生きている」


――冷静になれ


 視線がそう言っている。

 死は、いつも隣にある。

 三枝は一度目を伏せた。


(あの子は……死んだ)


 あの子――三枝が守りたいと思った、小さな命。

 死の臭いは三枝の近親者であろうがなかろうが、ひどいものに変わりはない。

 きつく巻かれたスカーフのうえに、明らかに生きていない人間の顔が乗っているのは恐怖を通り越して奇妙だった。

 だが、その見開いた目を見るのは純粋に怖かった。


――悲しみにつかまる前に、考えろ


 いつだったか、紗川が教えてくれたことを思いだす。


(フラッシュバックなんか、してる場合じゃないよな)


――今日もいつもと同じ、日常だ


 エネルギーが足りなければ空腹を感じ、疲れたら眠くなる。

 昨日と同じように日が登り、月が登る。

 どこかで誰かが生まれ、誰かが死ぬ。

 その死が、目の前にあっただけのこと。


――悲しんでいい。だが、悲しみに、囚われてはならない


 離別の悲しみを知っているからこそ、その悲しみに囚われ抗ったことがある者だからこその言葉だと知っている。

 死者に敬意を払うことと、自分がいつもの自分であるための努力をすることは反しない。


(大丈夫、普通の会話をしてるし、できてる。俺はいつも通り)


 頭に軽く置かれた紗川の掌の重さと、体温が、興奮で拡張した脳の血管を圧迫してくれたようだ。三枝はゆっくりと目を開いた。

 最初に目に写ったのは、転がっているキャップだった。

 何とは無しに見つめているうちに、違和感に気づいた。


「先生……キャップにくっついてるハケ、見てください」

「どうした?」

「このハケ、そっちの赤茶色の瓶のキャップの筈なのに、先に白い色がついてます」


 小指程度の長さの小さな刷毛にはベッタリと赤茶色がついていたが、先端にだけ白い色がついている。

 三枝の発見に、紗川は頷いた。


「見てみろ」


 頭に置かれていた手が離れ、遺体の足先をさした。


ハケ、が。

ハゲ、に見えていたら申し訳ございません。

私には、そのように見えてしまい、校正をしながら何度も心の中で笑っていました。

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